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科学研究とは、本当に価値中立的なものだろうか?
中立的、ニュートラルであるという立場は、こと放射能に関する学問については、あてはまらないように思える。
なぜなら、研究に必要な資金を集められるのは、ほとんどの場合、時の権力者つまり政府側にとって、都合のよい研究だからである。科学研究費を仕入れることができるようなテーマを選べば、文部科学省から研究の助成金が出る。そのようなテーマばかりを集めれば、自分の業績も上がる。こうして御用学者どもは、限りなく体制側に取り繕う「こざかしい娼婦のような存在」となっていくのである。
しかし、例外的存在もいる。バンダジェフスキーはそのような例外的存在であった。彼は、時の権力者にとってもっとも都合の悪い事実を明らかにしてしまった。その結果、逮捕、投獄、国外追放の身となった。
バンダジェフスキーは、自分の研究をについて次のように語っている。「これは研究と呼ぶよりも、むしろ私が負わねばならない十字架であり、私はこれを自分の人生の使命であるとみなしている」
彼は放射能が慢性的に体内に取り込まれていく内部被爆の研究を、生涯背負う十字架として担い、これを人生の使命であるとみなしていた。この信念が拘禁中も彼の支えとなったのだろう。彼は2005年に、クリラッド(CRIIRAD)というフランスの「放射能に関する調査および情報提供の独立委員会」にあてて、研究の援助および自分の信念を述べている。
以下は、CRIIRADによる当時の状況の説明、およびバンダジェフスキーの手紙である。手紙はすでにある和訳に基づきつつ、一部を改訳してある。
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1.CRIIRADの説明文書
CRIIRADは、4年間に亘って、チェルノブイリ大災害の最大の被害を蒙った国家ベラルースの科学者に支援を行ってきた。幾つかの科学プロジェクトが、ヴァシリ ネストレレンコ教授を長とする放射線防護研究所と共同で、現在でも汚染地区で生活することを強いられている人々の援助を目的として、開始された。何の証拠もなしに、8年間の刑務所に幽閉された、ゴメルの医療研究所の旧所長であったユーリ バンダジェフスキ教授の支援するための情報と援助に関わる活動も実現された。
2004.5.28以来、ユーリ バンダジェフスキは追放処分となり、彼の個人状況は一時的に好転している。ユーリ バンダジェフスキはまだ自由な身ではないが、チェルノブイリの被害を受けた人々の健康障害について科学的な研究を続行することを希望しておられます。彼は、持続した信念を、現在も持ち続けています。1990年、チェルノブイリ事故の4年後、病理学的に解剖学を専攻する若い教授は、最も汚染の激しい地域の中心で、研究に没頭していたのでした。
そこで、ゴメルの医療研究所で彼の率いるチームと共に1999年まで、彼は内部被曝の健康に対する影響について、知識を深めておりました。統計学的分析と実験的な指標を基に、発病した組織(心臓、肝臓、腎臓、消化器官等の)中のセシウム137の異常濃度と関連付けて、多くの病気全体の物理病理学を明らかにしました。
分娩前後の乳児死亡や遺伝性の奇形の増加と放射性の汚染の間の関係を理解するためには、多くの研究がなされなければなりません。新しい遺伝病や糖尿病、動脈硬化、高血圧や心筋梗塞(これらはだんだん若年に、実に、幼児にまで出現している)における放射性元素の関与を確かめること、セシウムがどのようにして子供の心臓や腎臓の病気を起こし、中枢神経系や視覚の悪化を起こすのかを明らかにする必要があります。
ベラルースの官権が、ユーリ バンダジェフスキ教授を追放処分に処して以来、彼は、科学研究の共同協力を行いたいとCRIIRADに申し入れてきた。
ベラルースで生体医療の研究実験室を創設し、バンダジェフスキ教授をそこで雇用する計画について考慮を重ねた結果、これは実現することとなった。彼が現在の追放状態にあり、場所的にも離れていることなどの困難にもかかわらず、バンダジェフスキ教授の将来の活動に関して、短期間で完全な合意に達した。
CRIIRADの代表が、2005年1月の末にミンスク(ベラルースの首都)を訪問し、小児科の専門医であるバンダジェフスキ教授の妻に会い、ベルラド協会と科学協定関係を結ぶ意図を固めた。こうして、ベラルースの責任者(首相と外務大臣)に「我々は、べラルース共和国の国内に科学研究実験室を創立し、財政支援を行うための契約をバンダジェフスキ教授と交わすことに署名しようとしている」ことと、彼がその実験室の長となる予定であることを宣言した。
このような野心満ちた計画の実現のための経費を準備し、CRIIRADがこの新しい活動を完全な状態で発足するために、広い援助の要請を訴えたい。
CRIIRADは、ここに、チェルノブイリ大災害の人々の健康に対する影響を独立して研究することを支持する人々(個人、協会、議員、地域代表)に呼びかけを行うものである。
新しい実験室で行われる活動は、独立した情報と研究を目的とするCRIIRADの基本使命を完全に適合している。ベラルースで行われる活動は、CRIIRADの将来のためにも基本的な重要性を持つものである。チェルノブイリ大災害の本当の衝撃をいつに日にか、完全に知りたいと思うならば、我々は甚大な被害を蒙った国家で、信頼できる情報源を持つことが必要である。しかし、現在はこのような状態ではない。我々に届けられるチェルノブイリの大災害の総括は、親原子力組織の網を通って到達するのだ。示すことが出来る具体的なものを持たずに、彼らの数値と研究の重さに立ち向かって、反対を唱えることが出来ようか?
1986年、放射線量の数値を過少に発表し、フランス市民の健康の保護を拒んだ政府に対して、放射線量の測定を専門とする実験室を作る必要を市民が感じ、CRIIRADを創設したのは、同じ動機であった。
今日、また歴史は繰り返される。今回の我々の計画は、1986年当時と同じく、知る権利に対する意欲を動機とするものである。このような局面において、人々の意欲が高みに達することを、強く希望するものである。
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2. ユーリ バンダジェフスキー教授からの手紙(要約)
2005年2月16日
私の将来の計画は、個人的にも職業人としても、現在、監視付の住宅に捕らえられている状態によって、まったく束縛されている。
裁判所において言い渡された判決、ならびに私に対する官憲の態度 - 人権の尊重に関わることだが- を考慮するなら、近い将来に生活状態の改善を期待するのは無理であるのは明らかだ。私の刑は2007年1月6日までとなるが、この日付けが私にとっての支えとなる点である。私は自らの原則に忠実であることを強調する。私は、学術研究にとってはひどい条件であるにもかかわらず、研究を継続するために出来るだけの努力をするつもりだ。私を援助しようとしてくれるすべての方々と組織に深く感謝している。
過去8年間、私は、チェルノブイリ災害によって、人体が受けた放射線被曝の影響について、耐えず考えを巡してきた。これは研究と呼ぶよりも、むしろ私が負わねばならない十字架であり、私はこれを自分の人生の使命であるとみなしている。刑務所では、臨床研究や動物実験をすることは不可能なので、人体と動物に対する放射性セシウムの影響について学術論文を書くことに、努力を集中した。これらは主として、1990年から1999年にかけてゴメリの医科研究所において学生達と共同で行った、研究結果の分析である。
私は2001年から2004年まで収容されていたミンスクの独房で、熟考したことを注意深く日記に記録した。その後、村の監視付き住宅に移されてから、それらの熟考を基に、「私の生涯の哲学」という題の本を書き始めた。そこにはは自伝的な記述、最も重要な学術的注釈、独房で書いた記事を含まれている。現在、この本は殆ど完成している。その発表の仕方について考えているが、CRIIRADの友人に出版するよう託したいと思う。放射線被曝に常に曝されている人々の運命に対して無関心ではない人々にとって、この本が関心を呼び起こすものであることを期待している。
CRIIRADのメンバーが、チェルノブイリ災害の健康に対する影響の研究結果を正しく解釈するために、妥協せずに努力を重ねていることを、強調しよう。放射線被爆の有害な影響を一般に広く明らかにしてきたCRIIRADの活動は、尊敬に値するものだ。CRIIRADの活動は、私の信念にも共通している。今日、私はこの研究組織と共に働き、自らの学術研究を彼らと共同して進めたい。CRIIRADと組んで、小さな実験室を創設することは、私の考えや仮定を検証することを可能にしてくれ、やがては後にいっそう広範な学術研究へと発展していくであろうと期待している。この計画は、希望と、生きて研究し、運命の打撃に対して抗する意志を私に与えてくれる。
このように言うことによって、過去助けになり、将来も真実のための戦いで私を支えてくれる他の協会や基金を侮辱することにならない。しかし、私の主たる働きの場は、放射性元素を取り込むことによって人体の中に引き起こされた、病理学的過程に関する研究である。これは、財政的に利益を生む仕事ではなく、商業的な利益を持つ人の関心を呼ぶものでもない。しかし同時に、私は多くの他のプロジェクトがこの研究結果に依存するがゆえに、この研究がきわめて重要なものであると信じている。(・・・)
1月31日に、監視付き住宅の事務局が条件付で私を解放することを拒否したが、この事実は、いかに問題が深刻なものであるのかを示している。その問題には、私の生活のみならず、何百万人もの人々の生命が関わっている。(・・・)
現在、科学技術の発展は、精神的な価値ではなく、金もうけへの欲望に基づいているため、人類に対し敵対するものとなっている。原子力エネルギーの発展は、その特徴的な例である。物質的に豊かであることを求める人間の格闘は、この巨大な技術上の進歩を、破壊の手段に変質させてしまった。核兵器の前で、かつ電気を生産する原子炉の前で、人間は自らを守るすべもなく、核の危険にさらされている。人類は原子の怪物を作り上げてしまったが、これを制御することができない。そのため、(放射能被害にさらされた)住民が味わう恐るべき肉体的、精神的苦痛が引き起こされている。もし人が、核のエネルギーに対して、我々の社会の行動様式を変えないならば、その苦痛は将来もっと大きなものとなってしまうだろう。
ユーリ バンダジェフスキー教授
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