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http://japanese.ruvr.ru/2013_02_07/103927344/
日本の原子力規制委員会のウェブサイト上に、社会的な議論の喚起を目的として、新たな安全基準計画が掲載された。福島第一原発の事故の教訓が反映されたものだ。新たな安全基準は、想定の範囲の最上限かつ前例なきケースにおいても原発の安全を担保できるものでなければならない。
日本の原子力規制委員会のウェブサイト上に、社会的な議論の喚起を目的として、新たな安全基準計画が掲載された。福島第一原発の事故の教訓が反映されたものだ。新たな安全基準は、想定の範囲の最上限かつ前例なきケースにおいても原発の安全を担保できるものでなければならない。
このことは、安倍晋三首相が前政権の計画を見直し、再び原発を推進していく意向を持っていることを意味するだろうか?この質問を携えて、「ロシアの声」特派員のエヴゲーニヤ・モイセーエワは、未来学者・社会学者・軍事史家のセルゲイ・ペレスレギン氏にインタビューを行った。
「答えは分かり切っている。日本には自前の化石燃料の蓄えがない。さりとて輸入は高くつく。すなわち、日本は原発なしには立ち行かないのだ。私見では、日本の前首相はこうしたことを素晴らしくよく理解していた。原発からの撤退を宣言し、世論の熱冷ましを経た後、静かに運転を停止させていこうとした。そのことの責めを一身に担う危険性を押して。ここに日本の政治システムの本質がある。原発の大惨事の責任を、誰かが担わねばならなかったのである。首相は自らそれを担おうとした。しかし、原発からの撤退に関する彼の宣言は、エネルギーの成長を減速させ、問題の群れを生み出した。そして今、日本人は、再び、原子力の平和利用を推進していこうとしている。もっとも、うまく運ぶとは思えないが。」
―うまくやれない、とはどういうことか。日本人がうまくやれないとしたら、それはどうしてか。
「日本は、工業化を達成するのに遅れ過ぎた国だ。それに、日本人の意識の根底には、封建制がある。福島で起こったような事故を、汚染も原子炉の破壊も起さずに時宜よく局所化することは、パキスタンさえ例外とせず、世界のどの国もなしえたことだろう。日本では、何をどうしたらと戸惑う間に、当時の首相の指令が確認されないままに、損傷した原子炉でメルトダウンが起きてしまった。封建社会ではよく見られる絵巻である。状況が激しく変転し、前もって予告されていない事態に際したとき、決断を下すことが出来ないのだ。第二次世界大戦でも同様のことが見られた。日本人は、全てが計画通りに行っているときは、輝かしい働きを見せた。しかし計画に何らか不整合な事態が発生すると、大きな過ちを犯すようになり、簡単に決断を下すことが出来なくなってしまった。であるから、原発建設について非常に結構な経験を有しながら、概して一般に、本当の意味でそれをよく利用することは学ばなかったのだ。」
―原発再稼動に反対する人々の声が、安倍氏の計画を阻むということはないだろうか?そうした声は現在に至るも喧しいが。
「日本の首相を務めるということは、現在の状況では、不幸なことだ。なぜなら、何をすべきかよく分かっていながら、結局は、それを実行できないのだから。しかし、首相の位置にもし私が就いたなら、世論などに全く興味を寄せないだろう。核エネルギーの今後について、それについて何も考えるところのない市井の人々に照会する意味などない。今回のケースでは、まさに日本の心性の封建的性格が政府に有利に働いている。原発再開の決断が下された場合、喧騒は、それによって、鎮まるだろう。」
―現在、原発の安全性をよりよく担保し、その再開に関する作業のための、新たな予算計画が策定されている。おそらく、それでなくても赤字の財政をひどく打撃することになるだろうが?
「新たな安全要求を満たすことは、口端に上されているほど高くはつかないだろうし、そう大変なことでもないだろう。福島では原子炉の冷却システムさえまだ十全に立て直されていない。福島原発は60年代に建築されたものだ。ロシアでも60年代の原発は稼動しているが、それは法の要求に応えて大分昔に作られたシステムに適うものだけだ。日本には、ひとつたりとも、普通の耐震基準を満たしているものはない。それはロシアの基準に徴してもそうであるし、米国、欧州の基準に照らしてもそうである。であればこそ、日本の原発は遥かに安上がりだったのである。しかし今や、日本の原発の価格は標準に近づいている。そしたら、何も恐ろしいことは起きないのだ。」
―日本が原発から撤退しないのは、原発が軍事的核開発プログラムと関係しているからだ、との見方がある。核が日本の軍事力の構成要素になるという可能性はどれほどのものか?
「日本人は既に核兵器を保有しているし、熱核爆弾さえ持っているとさえ言える、と思っている。私だって、核実験が行われたとは思っていない。であるから、核兵器が本当に有効なものであるかについて、絶対的な保証は無い。しかし、日本人は外国の核実験に参加している。そしてどうやら、自身の成功を確信する根拠も有しているようである。そうは言っても、日本が自国内に構築している原発は、軍事目的に転用するには余りに不適当である。さりながら、日本に研究用と見せかけた軍用原子炉が存在する可能性もある。しかし、それを利用することは、非常に高くつく」
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