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ビキニ環礁核実験 放射線を浴びたのは第五福竜丸だけではなかった 投稿者 gataro-clone
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http://blog.livedoor.jp/ryoma307/archives/6905053.html
ビキニ被ばく: 忘れられた1000隻の漁船 映画化で注目(Nuclear F.C : 原発のウソ)
「放射線を浴びた X年後」のポスター ⇒
米国によるビキニ環礁での水爆実験で被ばくしたのは第五福竜丸だけではなかった−−。
ほとんど知られていない史実を掘り起こした地方テレビ局制作のドキュメンタリー番組が、ディレクターらの熱意で映画化され、全国に自主上映の動きが広がっている。【日下部聡】
ビキニ環礁周辺では1954年3〜5月に計6回、水爆実験があった。当時、近くの海域には静岡県の第五福竜丸を含め約1000隻の日本漁船が操業しており、3分の1は高知県の漁協所属だった。
昨年9月に公開された映画「放射線を浴びたX年後」は、この高知の元マグロ漁船員を追った83分間のドキュメンタリーだ。「うちのおじいさんだけ骨がごちゃごちゃ」。
映画の中で、元甲板員の妻が99年に74歳で病死した夫の火葬を振り返る。原爆の被爆者にも、火葬で骨がほとんど残らないケースが報告されている。
消息が分かった241人の3分の1は50〜60代になる前に死亡、生存者も病気に苦しんでいた。がんが目立ち、放射線障害とみられる症状の出た人も少なくなかった。
政府は第五福竜丸以外の船員の健康被害について調査をしないまま、翌55年1月には米政府から慰謝料200万ドルを受け取って問題を決着させた。この年には放射性物質が日本全土を覆い、米国がひそかに測定していたことも米政府の文書に記録されていた。
映画はこうした事実を抑制されたトーンで次々に明らかにする。
基になったのは愛媛県の南海放送(日本テレビ系列)が04年以降放送したドキュメンタリー番組だ。ディレクターの伊東英朗(いとう・ひであき)さん(52)が元高知県立高教諭、山下正寿(やました・まさとし)さん(68)=同県宿毛市=の地道な活動を偶然、インターネットで知ったのがきっかけだった。
地域史研究の自主ゼミを主宰していた山下さんは、地元の高校生たちと85年から被ばく船の調査をしていた。口の重かった元船員たちも高校生には心を開き、実態が少しずつ明らかになっていた。
山下さんの話に衝撃を受けた伊東さんは、取材を重ね、最初の番組「わしも死の海におった」を制作。04年に日本テレビの「NNNドキュメント」で全国放送され「『地方の時代』映像祭」大賞を受賞。続編もローカル枠で放送し続けたが、視聴者の反応はほとんどなかった。
やめようと思っていた矢先、東京電力福島第1原発事故が起きた。昨年1月、番組はNNNドキュメントで再び放送され、ネットで大きな話題となった。
意を強くした伊東さんは、上司や日テレ側の担当者に掛け合って映画化にこぎ着けた。
被ばく漁船は東北から九州まで散在し、高知以外の船員の被害状況ははっきりしない。映画を見た人たちを中心に、調査のネットワークを作ろうと考えた。
伊東さんは「半世紀前の被害を徹底的に解明することが、福島の人々の被害を防ぐことになると思うのです」と話す。山下さんは「自民党政権になって福島の被害もビキニと同じように矮小(わいしょう)化される可能性がある。
ただ、ビキニの時と違うのは市民が自力で情報を集める動きが続いていること。この映画を見て考えてほしい」。
配給元のウッキー・プロダクション(03・5213・4933)によれば、今夏までに全国約30カ所で自主上映会や劇場公開が予定され、さらに上映先を探している。
【ことば】ビキニ水爆実験
米国が1954年3〜5月、太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁を中心に6回実施。初回の3月1日、約160キロ東にいた静岡県のマグロ漁船「第五福竜丸」が「死の灰」を浴び、無線長の久保山愛吉さんが急性放射線障害で死亡したことから、原水爆禁止運動が大きなうねりとなって世界に広がった。当時、この海域では多数の日本漁船が操業、貨物船も航行していた。
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