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八切史観そして明治天皇のすり替え…
・八切史観
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8E%9F%E4%BD%8F%E6%B0%91%E8%AB%964
八切止夫は、これまでの歴史の常識を覆す様々な説を唱えていた。「日本原住民論」もその一つで、端的にいえば「大和朝廷は外来政権であり、それ以前に存在していた先住民族の末裔が部落民やサンカである」というものであった。
ただ八切史観では、これらの「原住民」は、長い歴史を通じて皇統のいずれかに繋がっており、皇室こそが原住民統合のシンボルであると想定していた。そのため、八切本人は左翼思想の持ち主というわけではなかった[1][2]。
新左翼史観
ところが、この「日本原住民論」は、八切本人の与り知らぬところで、日本の新左翼に利用されることになった。
潜伏中の共産主義者同盟赤軍派幹部・梅内恒夫は、八切の日本原住民論に触発され、「共産主義者同盟赤軍派より日帝打倒を志すすべての人々へ」を発表した。ここに初めて「日帝打倒」の根拠が「明治以降の大日本帝国の悪行」から「日本建国時の原住民迫害」に大きくシフトすることになった。窮民革命論を唱えた太田竜も、八切を「真の人民的歴史家」と絶賛した。
こうして新左翼の活動家は「日本先住民の復権」を掲げる独自の史観を確立していった。その特徴は「大和朝廷に滅ぼされた幻の地方政権」を称揚することで、「天皇制の相対化」を図るというものであった。この史観に触発された加藤三郎やその他ノンセクト・ラジカル活動家による反日テロ事件も発生している。そして「記紀以前の歴史を伝える」とされる古史古伝に関心を持つようになった。
そして、新左翼活動家[3]の中には偽史にのめり込み、1980年代のオカルトブームを巻き起こすことに一役買ったものもあった。「東日流外三郡誌」が当時、一世を風靡したのは決して偶然ではない。研究家の原田実によると、オウム真理教もこの風潮で台頭した一種の偽史運動であり、国家転覆をも企てた背景には、これらのイデオロギーが影響しているとしている。
歴史解釈
新左翼史観も基本的には八切の歴史解釈を援用しているため、個々の歴史的出来事に関する解釈は両者ともあまり差異はない。新左翼史観の特異点は、八切流歴史解釈を反日亡国論を理論付ける政治的イデオロギーとして活用しているところにある。そのため八切流歴史解釈が新左翼史観に合わない場合、意図的に無視したり、改変したりしている。
アイヌ民族の出自
八切史観ではアイヌ民族を太古から北海道にのみ居住する民族とし、「日本原住民」とは別の扱いにしている。しかし新左翼史観ではアイヌ民族も「日本原住民」を構成する民族とし、アイヌ民族を「奴隷化」した「日本の悪行」を糾弾する根拠としている。
皇室の出自※
日本の皇室が君主として歴史に登場した年代については両者の見解に差があるが、皇室の出自は「日本原住民」から出たのではなく、騎馬民族征服王朝説に基づき、大陸からの渡来人出身としているのは両者とも共通している。これを理由に、新左翼は天皇の君主としての正統性を否定する根拠としている。
藤原氏の出自と律令制
「白村江の戦いで倭国は敗れ、郭務?率いる唐軍の進駐を許す破目になった。唐軍は大海人を担いで傀儡政権を樹立、旧支配層を一掃した。これが壬申の乱である。「進駐軍」はそのまま居座り続け、「傀儡政権」の支配層として君臨することになった。彼らは「公家」と自称した。藤原氏の出自は「唐進駐軍」の司令官に他ならない。藤原氏はこれらの事実を隠蔽するために、彼らの本来の母語である中国語(漢文)で「日本書紀」を編纂し、歴史を歪曲した。そして「宗主国」唐の律令制を直輸入し、急速に中国化を進めていった。」という解釈をしている。「そもそも日本書紀は純粋な漢文で書かれていない」「唐軍が日本に来た形跡がない」など、多くの矛盾があり、自分たちを正当化するための方便にすぎない。
※)騎馬民族征服王朝説
騎馬民族征服王朝説(きばみんぞくせいふくおうちょうせつ)とは、東北ユーラシア系の騎馬民族が、南朝鮮を支配し、やがて弁韓を基地[1]として日本列島に入り、4世紀後半から5世紀に、大和地方の在来の王朝を支配し、それと合作して征服王朝として大和朝廷を立てたという説。騎馬民族日本征服論(きばみんぞくにほんせいふくろん)ともいう。東洋史学者の江上波夫が考古学的発掘の成果と『古事記』『日本書紀』などに見られる神話や伝承、さらに東アジア史の大勢、この3つを総合的に検証した考古学上の説である。
この学説は戦後の日本古代史学界に波紋を広げた。手塚治虫が『火の鳥 黎明編』でモチーフにし[2]、一般の人々や一部のマスメディアなどで広く支持を集めたが[3]、学会では多くの疑問も出された。支持する専門家は少数派にとどまっている[5][注釈 1]。なお、この説の批判者は、騎馬民族による征服を考えなくても、騎馬文化の受容や倭国の文明化など社会的な変化は十分に説明可能であると主張している[6]。
・明治天皇すり替えをおこなった、朝鮮人部落「田布施」とは何なのか?
2016/1/29 明治維新, 田布施システム
https://shinga-no-memochou.tk/?p=181
以前にもこのサイトに紹介されているが、現在の天皇勢力を知る貴重な情報である。
日本人の天皇崇拝はいまなお根強いものがあるが、明治以降の天皇はもはや天皇とは呼べず、完全な傀儡であり、その背後にいる「田布施マフィア」こそ売国勢力の中心である。
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山口県田布施町の怪 〜日本国家の真相〜
鬼塚英昭氏の新著『日本のいちばん醜い日』(成甲書房)を読むと、日本国家の真相は、明治維新で長州藩田布施一味に国家を乗っ取られたということであることが解る。
長州藩の田布施一味とは、山口県熊毛郡出身の政治家らのことである。熊毛郡の田布施町を中心にしている。ここは光市と柳井市に挟まれた寒村だった。大室寅之祐=明治天皇、伊藤博文、木戸幸一、宮本顕治、河上肇、難波八助、松岡洋右、安倍源基(終戦時の内務大臣)、賀屋興宣などである。むろん、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三は、この田布施一味の末裔である。
小泉前首相の父・純也は、鹿児島の田布施(現在は加世田市金峰町)出身の朝鮮人である。鹿児島の田布施も山口県の田布施と同じ、朝鮮人部落である。小泉純也は上京して小泉又次郎というヤクザ(刺青大臣と言われた)の婿養子となって「小泉姓」を名乗り、日本国籍を取得したのだ。小泉の次に安倍政権、そのいずれもが朝鮮人部落だった田布施の出身であることが偶然であるわけがない。
ユダヤ国際金融権力は、こういう人間を使って、日本乗っ取りを支援しながら、連中の弱みを握って、思い通りに支配してきたのだ。ユダヤは徹底的に日本の事情=弱点を探って研究しつくしている。例えばとして、鬼塚氏は幕末に英国公使パークスは、外交官アーネスト・サトウを使って日本の被差別部落を調査させている。
『日本のいちばん醜い日』に益田勝実氏の文章が引用されている。
「天皇様をお作り申したのはわれわれだとは、明治以前に生まれた長州の老人たちによく聞かされことだったが、近代天皇制以前には、京都に天皇家はあったが、天皇の国家はなかった。尊皇派が考えていた天皇の国家の考えは思想として獲得されたもので、現実に京都にいる天皇という実在の人物に合わせて作られたものではなかった。かれらが求めている天皇と現実の天皇と、いくらか融和出来るうちはよいとして、その矛盾が激化すると、……激化すると、天皇を取り換えてしまうほかなくなる。
わが家に空襲で焼けるまであった孝明天皇使用の皿は、おそらくまだ長州と天皇の間がうまくいっていた、蜜月時代にもたらされたものだろう。奇兵隊挙兵の翌年、1866年(慶応2)の暮れには、孝明天皇は謀殺されてしまった。もちろん、仕組んだのは江戸幕府ではない。志士側で、天皇が倒幕の障害になりはじめたからである。今日では、このことはもう公々然の秘密となっている。(益田勝実『天皇史の一面』より)」
益田勝実は長州の国家老一族である。だから田布施の住民を虐げた側というか、支配した(あるいは敵対した)側である。その子孫である益田勝実が、「てんのうはん」、つまり、山口県熊毛郡田布施町麻郷(おごう)に生まれ、孝明天皇の長子睦仁の替え玉となり、明治天皇となった真相を突いたのだ。
『日本のいちばん醜い日』では、「大室寅之助は田布施の生まれ、……伊藤博文(林家が伊藤家の本家)と「虎ノ門事件」を起こした難波八助は一族である。また宮本顕治(日本共産党)も一族。そして、木戸幸一も系図に入ってくる。京都大学教授でマルクス主義を木戸幸一、近衛文麿に教えた河上肇も一族である。そして、大室寅之助の生家の近くに岸信介一族の生家もある。この地から代議士の国光五郎、難波作之助が出ている。また、元外相松岡洋右も岸信介の一族である。あの終戦内閣の最後内務大臣安倍源基も大室寅之助の生家の近くである。
……大室寅之助が南朝の末裔であるという説があるが、確たる証拠は私の調べた限りではなに一つない。むしろ、北朝鮮系の被差別部落民ではないのか、と思っている。」(「日本のいちばん醜い日」より)
明治維新から日本の国家中枢に君臨する一族には、このような真相があるのである。
現在の天皇家としては明治天皇=大室寅之祐の血筋は途切れたものの、田布施(または熊毛郡)出身の一族郎党が国の権力を握っていることに変わりはないようだ。安倍晋三が首相を辞めない(辞められない?)その傲慢さも、彼が明治以降に日本を牛耳ってきた権力を受け継いでいるからだろう。それに安倍晋三は統一教会と縁が深いのだからまさに朝鮮半島勢力である。明治天皇とその取り巻きが、なにせ田布施出身の朝鮮人系統なのだから、現実の政治はその流れに沿うのである。
終戦時(と開戦時)に外相だった東郷茂徳は、鹿児島の朝鮮人部落出身である。本名は朴茂徳である。鹿児島ではあるが、田布施と同じ出自なのだ。だから昭和天皇は終戦の大事な時期に、東郷茂徳を起用した。東郷に外交ルートを使った終戦工作、すなわち天皇の身の保全と、天皇家の蓄財の隠蔽を命じたのである。東郷はA級戦犯となり、服役中に病没しているが、おそらく真相を知る人間だから消されたのであろう。
先に紹介したが、終戦時の安倍源基内務大臣は熊毛郡の出身で、安倍晋太郎・晋三との結びつきは不明らしい(家紋は同じ)が、大室家とは親族だという。安倍源基は周知のように、戦前、警察権力を一手に握った男で警視総監をやり、特高警察で君臨した。言ってみればゲシュタポかKGBの親分のようなものだ。権力者にとっては重要なポジションである。これもまた朝鮮人系が握っていたのだ。
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