巷の通俗的ダーウィン説は、信奉者があれこれ引用・解説するうちに、いびつにされてしまったものを鵜呑み、そして、ダーウィン否定論は、そんな通俗説を真に受けて非難しているだけ、という指摘があるようです。さて、『移行化石の発見』書評から引用の、ダーウィン説の正しい温め方です。このような援軍がある、とのことです。 いわく、 「ダーウィンはA→B→C→Dといった直線的な形で進化が起こるとは考えていなかった」 「ダーウィン自身が想定していた進化の系列は、...、種が木の枝のように分れていく樹状モデルで、今日生き残っている生物種はその先端の葉っぱに相当する部分なのである」 「したがって一枚の葉っぱは枝を通じて木の根元までつながっているが、葉っぱどうしは孤立していて直接のつながりがないのと同じように、現生種のあいだをつなぐ、生きている中間種が見つからなくとも何の不思議もない」 「チンパンジーとヒトは、直接につながってはいないが、それぞれの進化的な系譜をさかのぼっていけば、どこかで合流する。その地点からサルとヒトに至る無数の中間種が存在するわけである。」 _ この書評からね。 中間種は存在しないという虚妄を覆す 『移行化石の発見』 (ブライアン・スウィーテク 著/野中香方子 訳) | 書評 - 本の話 https://books.bunshun.jp/articles/-/3186 極端な原理主義を支持しない多くのキリスト教徒は、進化論を宗教と切り離して、科学的な学説として受け入れているが、そうした人々のあいだでも、進化論についての不信感や誤解は根強く残っている。 インターネットで「進化論はまちがっている」という類の意見を述べているサイトは無数にある。そのほとんどは、キリスト教原理主義者のものであるが、ごく少数ながら科学理論として欠陥を論じているものもある。 宗教的なものを含めて、進化論批判の根拠としてもっとも頻繁にもちだされるのが、本書の主題である中間種(移行化石、ミッシングリンク)の不在である。 とくに頻繁に言われるのが、サルから人間が進化したのなら、どうして中間種が見つからないのかという批判である。 しかし、ダーウィンはA→B→C→Dといった直線的な形で進化が起こるとは考えていなかった。直線的な進化のイメージを定着させた責任は、トマス・ハクスリーやハーバート・スペンサーらにある。 ダーウィン自身が想定していた進化の系列は、『種の起源』でたった一葉だけ挿入されている進化の模式図(第四章、同じ図が第一三章で種の系統的類縁関係を示すのにも使われている)に明らかである。 それは、種が木の枝のように分れていく樹状モデルで、今日生き残っている生物種はその先端の葉っぱに相当する部分なのである。 したがって一枚の葉っぱは枝を通じて木の根元までつながっているが、葉っぱどうしは孤立していて直接のつながりがないのと同じように、現生種のあいだをつなぐ、生きている中間種が見つからなくとも何の不思議もない。 チンパンジーとヒトは、直接につながってはいないが、それぞれの進化的な系譜をさかのぼっていけば、どこかで合流する。その地点からサルとヒトに至る無数の中間種が存在するわけである。 _ (2ページ目)中間種は存在しないという虚妄を覆す 『移行化石の発見』 (ブライアン・スウィーテク 著/野中香方子 訳) | 書評 - 本の話 https://books.bunshun.jp/articles/-/3186?page=2
ダーウィンの希望的な予測は、その後のさまざまな移行化石の発見によって実現されていった。アウストラロピテクスや多数の初期人類化石は、類人猿とヒトのあいだをつなぐ移行化石である。 「サルと人間をつなぐ化石は一つとして存在しない」という、キリスト教原理主義者の常套句は、まったく事実無根の偽りである。
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