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(回答先: 武田惣角(大東流合気道術)の挿話〜大雪の夜中に、2キロ離れた家の池に鯉泥棒が来ていると感得し、息子に身に行くよう指示し… 投稿者 仁王像 日時 2020 年 8 月 29 日 09:08:29)
相手の手が惣角の稽古着の一端を掴んだだけで身をひねって数メートルも空中を滑走させる技を使う/津本陽
(第一章の続き)
佐川先生について木村さんは語った。
「門人の中には空手など他の武道のチャンピオンもいますが、先生が70代で『体の合気』を遣うようになってから、突き、蹴り、押しなどのをしかけると、稽古着の端を掴んだだけで吹っ飛ばされます。手や上体をちょっとひねられるだけで、3メートルは飛ばされます」
その日、私は佐川先生から門人になれるよう勧められた。うろたえたが。入門毛申込書を提出、許された。
柔道、空手、拳法など五体を遣う武術のなかで。明治30年代から昭和18年に亡くなるまで、惣角は「今卜伝」と噂されるほど不敗の経歴を誇った。…
大東流の始祖は古事記に載せられている『手乞』※という武芸が合気陰陽道として宮中に伝わったのだ。
いま眼前にする佐川先生はすでに85歳になっていた。佐川先生は興味深いことを語っておられる。
「服を掴まれて行う合気は極めて深い。体をどう掴まれても自由自在に投げ飛ばせるくらいの技量人でも服だけでは合気を掛けられない。私が『体の合気』と称するその技をできるようになったのは、70歳を過ぎてからだ…」
相手の手が先生の稽古着の一端を掴んだだけで身をひねって数メートルも空中を滑走させる技を使うのを見せられた者は息を飲み、わが眼を疑う。
私は道場へ通う回数はすくなかったが、大東流合気の凄まじさは身に染みて分かった。
※)手乞;「骨法の秘密」堀辺正史/こう書房‘96年から
≪真の国技は手乞だった〜神話からわかる手乞の内実≫
第一に古代のケンカは「手を取る」かたちで行われたことが神話からわかる。
第二に、その「手を取り合う」ということが、単に手の力が強いとか弱いというのではなしに、呪術と関係していたことも明らか。
第三に、望むこと、要求することが「乞う」というかたちで行われていたことも明白である。すなわち、手乞とは神聖なる呪術であるとともに、武術でもあったのである。そして、その呪術は「乞う」というかたちで行われたのだ。
≪「こい」こそが日本思想の原点〜神話から分かる手乞の内実≫
古代のケンカは「手を取る」かたちで行われた。そして望むこと、要求することが「乞う」というかたちで行われていたことも明白である。「乞ひ帰して」とは“逆に望んで”の意だ。すなわち、手乞とは神聖なる呪術であるとともに、武術でもあったのである。
≪恋や請いに連なる乞い≫
ところで、この「こい」は「恋」や「請い」などと語源が同じである。
「こい」の思想の武術版=手乞
男女間であれ、神と人とであれ、霊的交流・超自然的パワーのやり取りのことを、古代人は「こい」と呼んだのだ。たましいを迎え入れること、といってもよい。
手による魂ごいが「手乞」であることは、明らかであろう。自分の神からエネルギーをもらう術(いわゆる呪術)と、実際に戦って敵のエネルギーを奪い取り、同時に、敵の神々をも味方につけてしまう術(いわゆる武術)とは、結局同じものであったのだ。
(仁王像)
・この合気道は、いわゆる「合気投げ」という高岡英夫のものと同質のものと思われる。
ライターの松井という人物が高岡と手合わせし、合気投げを食らったとき、「非常に気持ちがいい。何か人格が磨かれたような気持ちだ」と述懐していたことは先にも紹介済だ。
・ちなみに「手乞」とは、相手の手を掴み制圧にかかろうとする基本と思われる。この掴まれた手(腕)を解(ほど)くのが「手解き」である(武術・体術の基本)。
「手解き」はだだ引っ張っても簡単には抜けない。「手解き」の基本はむしろ相手側に身を寄せ、腕を上にあげると容易に抜けるようだ。池波正太郎の小説に、飲み屋の女が客に手を掴まれ絡まれたときに、腕を上にあげて手をほどいたことが描写されている。
- 手解(ほど)きしたくなる状況に置かれた女性は、相手に身を寄せ腕を上に突き上げるようにすると容易に解けるようだ。一度試… 仁王像 2020/11/04 12:15:02
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