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〔天安門事件〜運命を決めた50日〕/Nスペ、19.6.9、
趙紫陽の元秘書 が取材に応じた(厳戒態勢の中、当局の目をかいくぐった)。晩年、趙紫陽が密かに語り残した肉声を入手。趙紫陽は今とは違う中国の姿を夢見ていた。「私たちは民主主義採用すべきだ」と。
1989年、天安門広場は100万人を超す市民や学生で埋め尽くされていた。デモが始まってから60日後の6月4日、突然軍が発砲。中国政府は319人が死亡したとしている。しかし、被害の全貌や事件に至る詳細な経緯は明らかにされえいない。
事件は何故どのように起きたのか。政権中枢にいた人物、学生や軍人に接触し、埋もれていた資料を発掘した。市民が30年間隠し持っていた写真など。犠牲は北京市内の広範囲に及んでいたことが分かった。
当時 中国に情報網を張り巡らせていたイギリス。その機密資料には最高実力者が語ったとされる言葉が記されていた。ケ小平「200人の死が中国に20年の安定をもたらすだろう」
事件をきっかけに8年間投獄、今も当局から厳しい監視を受ける鮑彫(ほうとう)、人目を避ける形でインタビュー。
鮑彫「天安門事件は中国の改革が死んだ分岐点だった。党内の権力闘争の残酷性、残忍性が現れた事件であった」
これまでデモの鎮圧は保守派の李鵬が主導したとされてきた。が、今回の取材で、指導部内の路線対立が深刻化し 激しい駆け引きの末、事件に至ったことが分かってきた。
すべての始まりは鎮圧の50日前、4月15日に遡る。改革派で国民の人気も高かった胡耀邦総書記が急死し、学生たちが天安門広場に集まった。追悼のための集会は、次第に言論の自由や民主化のデモに発展していった。
デモのリーダーの一人で大学院生だた浦志強(ほしきょう)が当局からの圧力を覚悟で取材に応じた。
浦志強「ケ小平の改革は私たちの生活を改善していた。さらに政治体制の改革も期待していた。あのときの学生たちは共産党の改革を信じていた。政府の転覆は主張していなかった。あのとき、学生の期待に応えようとしたのが、胡耀邦のあとを継いだ趙紫陽だった」
今回インタビューに応じた鮑彫は、当時、共産党の中央委員会で趙紫陽の秘書を務めていた。大胆な政治改革の構想を聞かされていたという。
鮑彫「趙紫陽は本物の民主主義を中国に根付かせたいと思っていた。趙紫陽は最高幹部の会議でく言った。『なぜ欧米や日本の民主主義が本物に見え、我々の民主主義は偽物にみえるのか』と」
事態が急変したのはある出来事がきっかけであった。趙紫陽が外遊のため北京を留守にしていた4月26日、人民日報の一面に”デモは動乱だ”とする社説が掲載されたのだ。動乱は国家の秩序を揺がす犯罪行為に等しい言葉だ。
学生のデモは、「民主化の名を借りた共産党打倒の企て」と断定された。デモに参加していた浦志強は、動乱と決めつけられたことで、学生の間に衝撃が走ったという。
当時学生たちは壁新聞やビラで主張を伝えていた。今回、そこに書かれていた言葉を詳細に分析した。50日の間にどのタイミングでどんな言葉が頻繁に使われていたのか。デモが始まったときは「民主万歳」「腐敗反対」「表現の自由」など改革を求める言葉が並ぶ。
しかし、社説の掲載以降は、「歪曲」や「欺瞞」といった 政府を糾弾する言葉が目立ち、ついには「共産党打倒」の声もあがるようになった。
なぜ、あえて学生たちを挑発する社説が掲載されたのか。この社説の掲載を進めてのは保守派の首相李鵬だった。今回入手した李鵬自らがつづっていた記録が数年前、香港に流出していた。
改革開放を進めてきたはずのケ小平が社説の掲載に深く関わっていたことが書かれていた。趙紫陽が外遊に出たその日の夜から李鵬は連日 ケ小平に接触。社説が出る前日には、こう指示を受けていた。
「力強い社説を出さねばならない。これは普通の学生運動ではなく、動乱である。この動乱に反対し制止しなければならない」。旗手を鮮明にして学生デモに対して厳しい姿勢を示したケ小平。民主化に前のめりになる趙紫陽への警戒心を強めていたという。
政府機関に所属していた呉国光(ごこっこう:現在海外在中)は、党中央の路線対立を目の当たりにしてきた。
かつてケ小平が抜擢した趙紫陽だが、改革の方向性をめぐる二人の溝が、その後の悲劇へと繋がっていく。
(この後、建国以来初めての戒厳令が敷かれて行く。以下、略)
・天安門事件 運命を決めた50日
2019年6月9日(日)
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20190609
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