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古代の性の観念は性交は新しい生命を造り出しー奇跡の最たるものーだった。女性は神聖視された。性交とは、それを通じて男性は神との交流を果たすことができる/『ダヴィンチ・コード』
@『ダヴィンチ・コード(上)』ダン・ブラウン/角川 2005年から
・シオン修道会の総長;ダヴィンチ、ボチェチェルリ、ニュートン、ヴィクトル・ヒゴー、ジャン・コクトーら。
・キリストは恐るべき影響力を備え歴史上の人物で…最も、霊的な力に富んだ指導者だった。ソロモン王とダビデ王の末裔であるイエスは、ユダヤ王たる正当な権利を持っていた。新約聖書を編纂するにあたって、80を超える福音書が検討されたが、採用されたのは、わずかマタイ、マルコ、ツカ、ヨハネ伝だけだった。皮肉にも今日の聖書をまとめたのは、異教徒のローマ皇帝コンスタンティヌ帝だった。帝は太陽神を信仰し、その大神官だった。当時キリスト教の信者がすさまじい勢いで増えたために、キリスト教を公認し、帝国の統一に利用しようとした。コ帝はやり手の実業家だった。単に勝ち馬に賭けただけだ。
A『ダヴィンチ・コード(下)』ダン・ブラウン/角川 2005年から
・「最後の晩餐」の中央部がV字またはM字になっているのは、盃型であり、女性の象徴(子宮)でもある。マグダラならマグダラのマリアや結婚の頭文字 にもなる。ダヴィンチは二人が夫婦であることを知っていた。
マグダラ・マリアは娼婦などではない。初期の教会による組織的中傷の名残りだ。教会がマリアを貶め、−聖杯としての役割をー闇に葬るためだ。
・かつての教会は、人間の預言者であるイエスが神だと世間を納得させなくてはならなかった。それゆえ、イエスの生涯の世俗的な面を記した福音書をすべて聖書から除外した。
「死海文書」にあるピリポ福音書には、「そして主の連れはマグダラのマリアである。キリストはどの弟子よりも彼女を愛し、しばしば唇に接吻した。…」。アラム語では当時”連れ”というのは配偶者を意味した。
イエスは自分が自分が間もなく捕えられ、処刑されると察していた。だから、死後にどう教会を運営していくべきかマグダラのマリアに伝えている。そのためペテロは女性の下の地位に甘んじると思って、不満をあらわにした。女性差別の傾向があったのかもしれない。手の加わっていない福音書には、キリスト教会を設立するよう指示した相手はペテロではない。マグダラのマリアだ。
・マリアはベニヤミン族の出身だった。つまり王族の地を引いていた(その証拠を隠すため、娼婦とされた)。マグダラのマリアだけでなく、その伴侶のキリストにも王家の血が流れていた。マタイ福音書は、イエスがダヴィデ家の出であると述べている。つまりソロモン王ーユダヤ人の王の末裔だ。強力なペニヤミン族と姻戚になることによって、イエスは二つの王家の血筋を融合させて、…強大な政治的統一体を作り上げ、王統を復活させようとした。
・シオン修道会によれば、イエスの磔刑時、マグダラのマリアは妊娠していたという。そのころガリアと呼ばれていたフランスにひそかに渡り、ユダヤ人社会にかくまわれた。そこでひとりの娘サラを出産した。マグダラのマリアとサラの生活について、保護したユダヤ人たちが詳細に書き残している。その後の家系図までも記している。
・古代の性の観念は現代の考え方と対極をなしていた。セックスは新しい生命を造り出しー奇跡の最たるものー奇跡をなしうるのは神だけだった。子宮から命を産み落とすその能力ゆえに、女性は神聖視された。まさに神だ。性交とは二つに分かれた人間の魂(男と女)の尊い結合であり、それを通じて男性は無欠の精神を手に入れ、神との交流を果たすことができる。聖婚の儀式は性的倒錯じゃない。精神の営みだ。神聖でおごそかな儀式だ。
・初期の教会にとって、人類がセックスを通じて神とじかに交流できるという概念は、カトリックの勢力基盤を揺るがす深刻な脅威だった。そういう考えが広まれば、…教会の地位は低下し、主導権を失いかねない。教会は明確な目的を持って、セックスを悪しきものと断じ、罪深く忌まわしい行為へと貶めたんだ。ほかの主だった宗教でも似たことが行われている。(世界中の十指に余る秘密結社が、いまなお性の儀式を実践し、古代の伝統を守っている)
・福音書 wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8
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