2017.05.30 アフガニスタンでアル・カイダの仕組みを作り、地上に破壊と殺戮を広めたブレジンスキーが死亡 ズビグネフ・ブレジンスキーが5月26日に死んだ。1928年3月28日にポーランドのワルシャワで外交官の息子として誕生したが、一族の出身地はガリツィアのブレザニー(現在はウクライナ)だという。1938年に父親の仕事でカナダのモントリオールで生活を始め、1953年にはハーバード大学で博士号を取得、後にコロンビア大学で教えるようになる。このころかCIAと関係ができたと見られているが、その一方でデイビッド・ロックフェラーと親しくなる。 ベトナム戦争への本格的な軍事介入に反対、ソ連との平和共存を売ったいていたジョン・F・ケネディ大統領、ベトナム戦争へ反対していたマーチン・ルーサー・キング牧師、ケネディ大統領の弟でキング牧師と親しかったロバート・ケネディーが暗殺される一方、アメリカは戦争へとのめり込むが、国内では反戦運動が活発化、1972年の大統領選挙で民主党の候補は反戦の意思を明確にしていたジョージ・マクガバンが選ばれた。しかも、共和党のリチャード・ニクソンもデタント(緊張緩和)を考えていた。ブレジンスキーはマクガバンやニクソンに敵対する。 選挙戦の最中、民主党の内部ではヘンリー・ジャクソン上院議員を中心に反マクガバン派がCDMを結成している。ジャクソン議員のオフィスは後にネオコンの幹部になる人たちが送り込まれ、教育の場になっていた。その中にはポール・ウォルフォウィッツ、リチャード・パール、ダグラス・フェイスも含まれていた。 ニクソン失脚後にジェラルド・フォードが大統領になるとデタント派が粛清され、CIA長官はウィリアム・コルビーからジョージ・H・W・ブッシュへ、国防長官はジェームズ・シュレシンジャーからドナルド・ラムズフェルドへ交代になる。また、リチャード・チェイニーが大統領首席補佐官に就任、ウォルフォウィッツやジャクソン議員の顧問だったリチャード・パイプスはCIAの内部でソ連脅威論を正当化するための偽情報を発信するチームBのメンバーに選ばれている。 1976年の大統領選挙で勝ったジミー・カーターはブレジンスキーとデイビッド・ロックフェラーが後ろ盾になっていた人物。ブレジンスキーはその政権で安全保障補佐官に就任した。 1978年にCIAとイランの情報機関SAVAKはエージェントをアフガニスタンへ派遣、軍内部の左派将校を排除し、左翼政党を弾圧するように工作(Diego Cordovez and Selig S. Harrison, “Out of Afghanistan”, Oxford University Press, 1995)、79年4月にはNSC(国家安全保障会議)でアフガニスタンの「未熟な抵抗グループ」に対する同情を訴え、CIAはゲリラへの支援プログラムを開始している。5月にはCIAイスタンブール支局長がアフガニスタンのリーダーたちと会談している。 こうした工作が功を奏し、1979年12月にソ連の機甲部隊がブレジンスキーの思惑通りに軍事介入してくる。そのソ連軍と戦わせるために彼はCIAに戦闘員を訓練させているが、その戦闘員を雇っていたのがサウジアラビア。CIAは対戦車ミサイルのTOWや携帯型地対空ミサイルのスティンガーを供給している。 サウジアラビアで教鞭を執っていたアブドゥラ・アッザムが戦闘員を集める工作を始めるのだが、そのアッザムの教え子のひとりがオサマ・ビン・ラディン。ふたりは1984年にパキスタンへ行き、そこでMAK(礼拝事務局)を創設する。アル・カイダの前身になる団体だ。 このアル・カイダを戦闘集団だと誤解している人もいるようだが、実際は違う。ロビン・クック元英外相が指摘しているように、CIAから軍事訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル、つまり傭兵の登録リスト。ちなみにアル・カイダはアラビア語でベースを意味し、データベースの訳語としても使われている。 アル・カイダに登録されている戦闘員を中心に武装集団を編成、さまざまなタグをつけて侵略の手先にするという仕組みを作り上げたのはブレジンスキーだということ。後にフランスのヌーベル・オプセルヴァトゥール誌からブレジンスキーはインタビューを受け、こうした戦闘集団を作り、戦乱を広めたことを後悔していないかと聞かれているが、それに対して後悔はしていないとした上で、「秘密工作はすばらしいアイデアだった」と答えている。(Le Nouvel Observateur, January 15-21, 1998) ブレジンスキーは地上に破壊と殺戮を広めたひとりだった。 https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201705300000/ 2017.08.19 露軍によって手先のダーイッシュが崩壊寸前に追い込まれた米国は地上軍を侵攻させ、占領を続ける
シリアにおけるアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の壊滅は時間の問題だと見られている。アメリカ政府も「ダーイッシュ後」の準備を進めている。ユーフラテス川の北へアメリカ軍が侵攻、イスラエルの影響下にあるクルド勢力と連携して「数十年」の間、占領すると伝えられている。いわば「満州国」の樹立だ。 本ブログでは繰り返し書いてきたが、シリアの戦乱は「内戦」でなく「侵略」だ。侵略の黒幕はアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの3国同盟が中心で、イギリス、フランス、トルコ、カタール、ヨルダンなどが協力する布陣。こうした国々が侵略の先兵として送り込んだのがアル・カイダ系の武装集団。リビアでアル・カイダ系武装集団とNATOの連携が明確になったこともあり、2014年からダーイッシュが前面に出てきた。 「民主主義を望むシリア市民が独裁者の打倒を目指して蜂起した」という一般受けしそうなシナリオを侵略国の支配者は配下のメディアを使って宣伝していたが、その嘘は早い段階から明らかにされている。 2011年10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制が倒され、カダフィ自身は惨殺されているが、その後、CIAは国務省の協力を得てアル・カイダ系武装集団を武器/兵器と一緒にシリアへ運んだ。 輸送拠点のひとつがベンガジのアメリカ領事館で、クリストファー・スティーブンス大使も関係、2012年9月10日に大使は領事館でCIAの工作責任者と会談、その翌日には海運会社の代表と会っている。その直後に領事館が襲撃され、大使は殺された。その当時、CIA長官だったのがデイビッド・ペトレイアスで、国務長官がヒラリー・クリントン。このふたりがこうした工作を知らなかったとは思えない。 シリア政府を倒すために戦闘員や武器/兵器が送り込まれている最中、西側の有力メディア「市民の蜂起」というおとぎ話を宣伝していた。そうした宣伝の「情報源」とされたのがシリア系イギリス人のダニー・デイエムやSOHR(シリア人権監視所)。シリア政府の弾圧を訴え、外国勢力の介入を求める発言を続けていた。 しかし、2012年3月1日にダニーや彼の仲間が「シリア軍の攻撃」を演出する様子を含む映像が流出し、彼の情報がインチキだということが判明する。が、CNNを含む西側メディアはこうした事実を無視、偽情報を大々的に「報道」しつづけた。 そして2012年5月、ホムスで住民が虐殺される。反政府勢力や西側の政府やメディアはシリア政府軍が実行したと宣伝、これを口実にしてNATOは軍事侵攻を企んだが、宣伝内容は事実と符合せず、すぐに嘘だとばれてしまう。その嘘を明らかにしたひとりが現地を調査した東方カトリックの修道院長だった。その修道院長の報告をローマ教皇庁の通信社が掲載したが、その中で反政府軍のサラフィ主義者や外国人傭兵が住民を殺したとしている。 その修道院長は「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は地上の真実と全く違っている。」と語っている。また、現地で宗教活動を続けてきたキリスト教の聖職者、マザー・アグネス・マリアムも外国からの干渉が事態を悪化させていると批判していた。その後もシリアで戦闘が続き、侵略軍が優勢になる理由のひとつは、西側の有力メディアが真実を語らなかったことにあると言えるだろう。 2012年にはアメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)が反シリア政府軍の主力はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を中心に編成された戦闘集団だと指摘する報告書をホワイトハウスに提出している。報告書の中で、東部シリア(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配国が作られる可能性があるとも警告されている。この警告は2014年、ダーイッシュという形で現実になった。 ダーイッシュの出現を口実にしてアメリカは2014年9月に連合軍を組織、アサド体制の打倒を目指す。連合軍に参加したのはサウジアラビア、カタール、バーレーン、アラブ首長国連合のペルシャ湾岸産油国、ヨルダン、トルコ、さらにイギリス、オーストラリア、オランダ、デンマーク、ベルギー、フランス、ドイツなど。 この連合軍は2014年9月23日に攻撃を始めるが、その様子を取材したCNNのアーワ・デイモンは翌朝、最初の攻撃で破壊されたビルはその15から20日前から蛻の殻だったと伝えている。その後、アル・ヌスラやダーイッシュはシリアで勢力を拡大していくが、その理由は連合軍が本気で攻撃していなかったからだ。主なターゲットはシリアのインフラや市民だったようである。その後、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュは支配地を拡大していく。 そうした流れを変えたのが2015年9月30日に始まったロシア軍の空爆。アメリカ主導軍と違い、ロシア軍はシリア政府の要請に基づいての軍事介入だった。そして戦況は一変、侵略軍は押され始め、今では崩壊寸前になっている。そこでアメリカは地上軍を軍事侵攻させざるをえなくなった。 イスラエルはモサド(対外情報機関)の長官、アマン(軍の情報機関)の長官、国防省の高官をワシントンへ派遣、国家安全保障担当補佐官のH・R・マクマスター、副補佐官のダイナ・パウエル、そしてジェイソン・グリーブラットと会談するというが、「ダーイッシュ後」のシリアについても話し合うだろう。 https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201708190000/ 2017-08-18 世界を動かす12の原理-8〜アメリカのイラン、シリア攻撃に関する「大ウソ」〜 http://www.kanekashi.com/blog/2017/08/5407.html イラン攻撃オバマ悩みシリア攻撃 「国家のウソ」とそこから見える「本音」と「建前」の続きです。 今回は、イラン戦争とシリア攻撃についてです。 イラン戦争は以前も扱ったことや、「本音」についてもかなり世間一般に周知されていることもあり、端的にまとめました。 シリア攻撃については、中身がやや複雑で「本音」の背景が、非常に興味深い内容です。アメリカによるマッチポンプの様相があったり、また、結果的には自分で自分の首を絞めることになったりと、それまで通用していた「本音」の部分が、ネットによる暴露→拡散の影響もあって、通用しなくなっています。 化学兵器に関しては、以前当ブログでも紹介したクライシス・アクター(アクトレス)等を使った捏造等も絡んで、これまでの「建前」では、世論の共認形成がし難くなっていることが伺えます。 以下、「クレムリン・メソッド」〜世界を動かす11の原理〜(北野幸伯著) からの紹介です。 **************************** ■アメリカがイランを叩く理由は「核兵器開発」であるという「大ウソ」 (ここでは本文から抽出した「本音」と「建前」をまとめました) アメリカのイラン攻撃の「建前」の理由は、イランが「核兵器を開発しているから」 基本的な事実は以下 @イランは核兵器を開発する意向を一度も示したことがない。 Aアメリカも数年前まで、イランには「核兵器を開発する意図がない」ことを認めていた B核兵器開発が「戦争」の理由であるならば、真っ先に攻撃されるべきはイランではない。 @について ・「核開発」は「原発用」だとしています。 Aについて ・「国家情報評価」(NIE)は、「イランは2003年秋に核兵器開発計画を停止させた」と分析していた。 ・「国際原子力機関」(IAEA)のトップ、日本人・天野之弥氏は、2009年12月就任直前に「イランは核兵器開発を目指していない」と断言している。 Bについて ・イラン攻撃の可能性を何百回も公言しているアメリカは「北朝鮮は攻撃しない」と断言している。 にほんブログ村 経済ブログへ アメリカのイラン攻撃の「本音」の理由は、
1 ドル体制防衛 ・前回触れました 2 石油、ガス FRBのグリーンスパン元議長が「米軍によるイラク開戦の動機は石油利権だったと曝露」したように、イラン攻撃も同様。 イランの原油埋蔵量は、1570億バレルで世界4位。天然ガス埋蔵量は33.6兆立方メートルで世界1位。世界有数の資源大国。 3 イスラエル防衛 イランが、アメリカと非常に近いイスラエルを敵視していることも理由の一つと考えられます。 4 中国封じ込め 米中「派遣」争奪戦の観点から見ると、アメリカにとって、イランは非常に重要です。 中東産油国の民衆は、イスラム教徒で概して反米。 しかし、トップは、おおむねアメリカと良好な関係を築いています。 とはいえ、中東産油国で反米の国もあります。その代表がイラクとイランでした。 しかし、アメリカはイラクを攻撃し、傀儡政権をつくった。 残るはイランです。 これは非常に重要なのですが、アメリカがイランに親米反中傀儡政権をつくれれば、ほぼ「中東支配」は完了したとえます。するとどうなるか?米中関係がいざ悪化してきたとき、中東産油国を脅して中国に原油を売らせないようにすることができる。中国の方にもそういう危機感があります。 ■米英仏がシリア攻撃を回避したのは、その根拠が「大ウソ」だったから 2013年、アメリカのオバマ大統領は、「シリアと戦争する!」と宣言した。ところがしばらくすると、今度は「やっぱ戦争やめた」といい、世界を驚かせました。 この理由は、以下二つの「絶対的定説」:「建前」があります。 @アメリカがシリア攻撃を検討したのは、アサド大統領の軍が、「化学兵器を使ったから」である。 Aアサド大統領は、「独裁者で悪」である。反アサド派は、「民主主義者で善」である。 どうでしょう? ほとんど全ての人が、「そのとおりじゃないか!」と思っていることでしょう。 しかし、この二つの「ウソ」が暴露された。 中東シリアは、1971年から現在に至るまで、40年以上「アサド家」が支配しています。 1971年から2000年までは、ハフィズ・アサドが大統領だった。 2000年にハフィズが亡くなり、息子のバシャル・アサドが大統領になりました。 ですから、アメリカが「アサドは独裁者だ!」と非難するとき、それを否定する人はいません。この点で、アメリカは正しいのです。 中東・北アフリカでは、2010年末から「民主化」「反政府」運動(いわゆる「アラブの春」)が起こってきます。 2010年1月ごろから、シリアにもその影響がおよんできました。 はじめは小さな「反アサド・デモ」でしたが、徐々に規模が大きくなっていきます。3月には、既に数千人規模の大規模でもが全国で起こるようになった。 4月、デモは暴力を伴うようになってきた。各地で数万人規模のデモ参加者が、治安部隊と争うようようなります。 さて、内戦は激しさを増し、アメリカは2013年8月、「シリアを攻撃する!」と発表した。 理由は、既述のように、「アサドが化学兵器を使った!」というのです。 米英仏は、「アサドが化学兵器を使った!」ことを理由に、「戦争」を開始しようとしたのです。 この三ヶ月前に、国連はどんな報告をだしていたか? 国連が調査した結果、化学兵器を使っていたのは、「アサド派」ではなく、「反アサド派だ!」というのです。 もちろん、私も、「アサド派が化学兵器を使った可能性」を排除しません。 つまり、可能性は二つです。 @「アサド派」も「反アサド派」も化学兵器を使った。 A化学兵器を使ったのは、「反アサド派」だけである。 Aについて、「国連は『反体制派が化学兵器を使った』と報告しているが、『確定』ではないのでは?」という意見もあるでしょう。 そのとおりです。 しかし、だからといって、米英仏がこの調査結果を「完全無視」し、「アサド派だけ使った!」と強弁するのも、かなり無理があります。 化学兵器を「アサド派」も「反アサド派」も使ったのなら、米英仏は、「アサド派を攻撃」し、「反アサド派も攻撃」しなければならない。 そういうことでしょう? しかし、米英仏は、「国連の調査で『化学兵器を使った』とされる、『反体制派』」を支援している。 これは、どう見てもおかしいですね? これで、シリアに関する絶対的定説の一つが崩れました。 ■「シリア反体制派は民主主義者で善である」という欧米の主張の「大ウソ」 シリア問題については、オバマが「戦争宣言」をする二ヶ月前の2013年6月、G8で協議されています。 このとき、いわゆるG7は、「好戦的なムード」だった。 ただ一人プーチン・ロシアだけが「反戦」だったのです。 では、プーチンは何を根拠に、アサドを守ったのか? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 16日、キャメロン英首相との会談後の会見でプーチン大統領は、シリア反体制派が政権側軍人の遺体を食べる映像を公表したことに言及し、「殺害した敵の内臓を食べる人たちを支援するのか」と欧米を批判。 G8議長のキャメロン首相は、シリア問題で譲歩しないロシアを外し「G7」での声明を出すことも検討したと伝えられた。(毎日新聞配信) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ プーチンが、「人肉を食べる人たちを支援するのは嫌だ!」と反対したら、「じゃあ、ロシアをG8からはずそう!」となった。 さらに、プーチンは,「化学兵器を使ったのは、『アサド派』ではなく、『反アサド派』だ!」と国連と同じ主張をします。 ■シリアの「反体制派」内に、「イスラム国」というアルカイダ系がいる「真実」 さて、もう一つ、超重要な事実があります。 「反アサド派」「反体制派」といっても、いろいろな勢力がある。 彼らが、「内輪もめをした」ことを、AFP(フランス通信社)と時事通信が報じています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ シリア北部の町占領、反体制派とアルカイダ系勢力対立の背景 とることの国境沿いにあるシリア北部アレッポ県の町、アザズで18日に戦闘になったシリア反体制派「自由シリア軍」と国際テロ組織アルカイダ系武力勢力「イラク・レバントのイスラム国(ISIS)」が停戦に合意したと、イギリスを拠点とするNGO「シリア人権監視団」が20日、明らかにした。 (AFP=時事) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 同じ反体制派内の「自由シリア軍」と「イラク・レバントのイスラム国(ISIS)」が仲間割れして、戦闘になったと。 そして、この「イラク・レバントのイスラム国」は、「アルカイダ系武力勢力」である、とはっきり書いてあります。 いったい彼らは、なぜアルカイダと共闘していたのか? 先の記事は、こう解説しています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ シリア反体制各派は、安定的な兵器の供給を受けて支配地域を拡大し「政府軍に匹敵する」ともされる残忍さを示すISISに怒りを募らせて折り、個々数ヶ月、反体制派がその大半を支配下において入るシリア北部を中心に反体制各派とISISの間で緊張が高まっていた。(同前) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ シリア国民連合の内部にアルカイダがいるにもかかわらず、アメリカ、イギリス、フランスは、支持を表明した。 理屈は、「われわれが支援するのは、『自由シリア軍』でアルカイダじゃない」です。 これに関して、二つの問題があります。 一つが、米英仏が「自由シリア軍」に武器を与えた。しかし「自由シリア軍」と「アルカイダ系」は、同じ「シリア国民連合」に属している。 つまり、米英仏は、「間接的にアルカイダに武器を供与する」ことになる。 もう一つは、もしシリア国民連合が、アサド政権を打倒したとしましょう。 そうなれば、シリア国民連合は、新政府を組織する。 そのとき、大活躍したアルカイダ系勢力を、新政府から排除することができるだろうか?常識的に考えれば、難しいでしょう。 そうなれば、アメリカは、「9.11を起こした犯人たちが新シリア政府をつくるのを、全面的に支援した」結果になります。 このことをアメリカ国民が広く知れば、どうなるか? 結局、オバマは、「シリア戦争」を「ドタキャン」しました。 ちなみに、「反アサド派」でアルカイダ系の「イラク・レバントのイスラム国(ISIS)」は、現在「イスラム国」と名を変えています。 そして、2014年10月現在、「イスラム国」は、イラク現政権(アメリカの傀儡)と激しく対立している。 アメリカは、 自分で樹立したイラク政権を守るために、自ら支援して育てた「イスラム国」に空爆を繰り返すという「マヌケな」結果になっている。 http://www.kanekashi.com/blog/2017/08/5407.html
[スレ主【仁王像】による初期非表示理由]:2重投稿(アラシや工作員によくあるコメントはスレ主が処理可能)
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