http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/378.html
Tweet |
「全体主義の宗教」イスラムを批判すると、「ヘイト!ヘイト!」と叫ぶ人が阿修羅にはいる。(コメント投稿者名で言えば、「手紙」とか「HIMAZIN」というのがそうだ。) ただし、彼らは「ヘイト!ヘイト!」と叫ぶだけで、その「根拠」について説明することは決してない。他者を説得できるだけの知識もなく、「説明」もできないから、 「ヘイト!ヘイト!」と叫ぶだけだ。「事実」への謙虚さを欠いたこの種の人間に、「成長」はない。
無知な上に、イスラムに圧迫され抑圧されている人々(特に女性)への共感など微塵もない。独善的で身勝手で、「カルト蒙昧大好き」の「イスラム贔屓」。
イスラムを欧米の植民地主義・帝国主義への「抵抗思想」であるとして持ち上げている人もいるが、往々にして、この「ヘイト叫び」に通じるものがある。基本的に、イスラムへの「理解」を欠いている。「人権」と「民主主義」を否定するイスラムでは、西洋の思想と社会には絶対に勝てない。袋小路に陥るだけだ。戦術も戦略も間違っている。
どれだけの人が宗教の名において殺されたことか! 女は強姦され、殺され、性奴隷にされている。男も、「自由と人権」の基本である「批判精神」をもつと、テロ殺戮の対象になる。どれだけの人が自分の親族を殺されたことか! 「お前を殺す」という脅迫を受け、身の危険を感じて、欧米への「亡命」や「一時的移住」を強いられたことか! 特に「理性的な思考」をする「高学歴者」や「西洋文化を身につけている人」が狙われる。(ポルポト派の知識人抹殺に似ている。)
因みに、1990年代に本格化したアルジェリアの内戦では、約20万人が殺されたか行方不明になっている。(1990年当時のアルジェリアの人口は約2600万人。)
フランスでは、学校給食でハラル食を出すのは当たり前。学校の体育の授業で水泳をするときも、ムスリムは「男女別々」に授業をすることを要求し、それに屈している地域もある。「郷に入れば郷に従う」などという常識が通用する人たちではない。彼らにはシャリアに従うことが至上の義務だからだ。(とはいえ、これは移民系の一部、大半は「同化」して、文化的にも「フランス人」になっている。フランス人だから、もうイスラム社会では生きてゆけない。棄教も進んでいる。)
豚肉を食べてはいけないというのは、衛生状態の悪かった昔の話。豚はあらゆる感染症の病原菌の媒体になるから不衛生だ、という合理的な根拠が、昔のとりわけ気候温順でない地域には存在した。(今も衛生状態の悪い国はあるだろうが、少なくとも先進国は違う。)
ヴェールは「自由に選択できるファッション」ではない。本来は、宗教にかかわらず、地中海地方でヴェールは用いられていた。砂塵や日差しを遮る利点はあっただろう。しかし欧州では、気候面でヴェールを被る必然性はない。現在では、あくまでも (男の性欲をそそるから)「女の身体」を隠せ、というイスラムのミゾジニー(女性嫌悪) の「イデオロギー装置」としてのみ機能している。
昨年大晦日に起きた、ケルンでのシリア系? 難民による集団痴漢・強姦事件は、「イスラムの女性観」がどのような結果をもたらすかを世界に示した。難民の多くは、西洋文化的な教養を身につけていなかったのだろう。故郷にいるときのままに行動したのだ。(「ヴェールを被っていない女は売春婦だから強姦してよい」「夜間外出して "男の空間にしゃしゃり出てくる" ような女は懲らしめてやれ」と。) だから、はしなくも、イスラム文化の「性差別主義」の本性を露わにしてしまった。西洋社会の規範を知っていれば、難民申請の障害になるような行為はためらったはずだ。(身元判明者には北アフリカ人が多いという情報もあるが、長期居住者でなければ顔見知りもなく、身元はわからないだろう。)
私は、日本人がイスラムについて「間違った理解」をしないように、わざわざ「親切心から」コメントしている。(そういうことをしても時間を取られるだけで、私には何のメリットもない。) 私はイスラムの専門家でも何でもない。(イスラム研究者のように、イスラムを批判すれば命を狙われたりして、仕事や研究に支障が出るわけでもない。イスラム世界に「媚びを売る」必要もない。)
しかしフランスの新聞や本をよく読むので、自然に(常識として) 知ったことは多い。私の過去コメントには色々書いているので、参考にしてほしい。
私は「ユニヴァーサリスト」(普遍主義者) だ。コミュノタリストではない。「人権」や「自由」の概念には、国境はない。「文化の檻」から出て、ものを見ることが重要だ。
私は「陰謀論」も「カルト」も、天皇制もキリスト教も批判している。資本主義も新自由主義(→格差社会化) も批判している。人種差別(アンティセミティズムも含む) も性差別も批判している。人権と人道主義の観点から、「悪いものは悪い!」「間違ったものは間違っている!」と主張しているに過ぎない。
考えてもみよ。「宗教改革不可能」な「全体主義宗教」イスラムの檻の中にいて、ムスリムが「西洋」に勝てると思うのか? 「7世紀のイスラム社会」が、「21世紀の世俗(非宗教)的な西洋社会」に勝てると思うのか? 「奴隷制」が「人権」と両立できるのか。
イスラムを批判するのと、イスラムに無批判に同調するのと、どちらがこの人たちの「幸福」と「発展」に繋がるのか。
なぜ移民が帰国しないのか。単に生活水準の問題ではない。「宗教的規範」に縛られたイスラム文化の中では「自由に」生きることができないからだ。
今のところ、棄教を公然と「カミングアウト」する人は、一部の知識人だけだ。facebook 等では、まだ発信者は匿名であることが多い。しかしあと20年もすれば、棄教は普通のことになるだろう。それが「歴史の流れ」というものだ。
なお、日本のマスメディアはよく、エマニュエル・トッドとかの意見を引用するのを好むようだ。日本人には、この手の「コミュノタリスト傾向」の思考が馴染み易く好まれるのだろうが、「間接情報」や「伝聞情報」には気をつけてほしい。日本に情報が入る際には、大抵「日本人好みのバイアス」が強くかかっている。「情報輸入者」の問題なのだが、「バイアス」にそぐわないものは、はじかれる。その点を認識しておかないと、情報が偏り、正確な理解はできない。
「天皇制」を無条件に受け入れ、世襲議員に疑問も抱かず、創価学会等のカルトにも抵抗のない日本人には、私の「原則論」は理解しにくいかもしれない。が、そういうことは、私にはどうでもいいことだ。「カルト脳」や「陰謀脳」に合わせてなど、私は思考しない。私にとって重要なのは「事実」だけだ。
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。