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第二章 龍馬“暗殺”の闇/加治将一(構成:編集部)
≪龍馬がいとも簡単に斬られることなど、100%あり得ない≫
「加治将一の歴史」の土台は常識だ。
龍馬を殺した実行犯は誰か。龍馬は、額を深く斬られ、中岡も後頭部を斬られた。龍馬はほぼ即死に近い状態だったが、中岡は二日後に死亡。
龍馬と中岡の死に様がまずおかしい。剣道を極めた二人が不意に、出し抜けに斬られている。
(犯人は)中岡慎太郎、その人である。話し込んでいた慎太郎なら、龍馬がピストルを抜く暇もなく斬りつけられるはずである(龍馬は何回も襲われているので用心深いはず。ピストルを撃ちまくって難をのがれたことも。ピストルも持っていたはずだ)。
中岡慎太郎は龍馬らの無血革命工作を知ってあわただしく武力倒幕の頭目、岩倉具視を伴い、薩摩藩邸に入ったのは、龍馬暗殺の二日前であった。静かな殺気が流れている。慎太郎はこの時、刺客に変貌したと見るのが、妥当だ。
事件当日、龍馬と中岡は近江屋で激論を交わす。中岡は狂信的な武力倒幕開国派で、過激な男。会談は決裂、中岡は龍馬を斬った。
暗殺現場に集まったとされる谷干城、田中光顕、白峰俊馬、川村盈進らは、最初から現場にいたのではないかと思う(初代伊藤博文内閣で、奇しくも現場にいた谷、田中が抜擢されている。龍馬暗殺の恩賞とみる)。
いずれにしても、龍馬暗殺については、関係者全員が真相を語っていないと思う。犯人は“新撰組”だ、“京都見回組”だ、とお題目のように出てくるが、おたずね者の命(たま)をとったのだから、大手柄。すぐさま名乗りでるはずである。
【出典】「暗殺の近現代史」井沢元彦・加治将一、他/洋泉社‘15年
- 「2.26事件」の前年、軍務局長惨殺裁判で炙り出されたのは、統制派の背後に、英米資本と緊密な大財閥ら…が隠れ潜む構図が〜 仁王像 2016/3/04 20:13:39
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