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(回答先: 多くのムスリムが抱いていた”イスラーム国はアメリカとイスラエルの手先”が、空爆で…/アブドルバーリ 投稿者 仁王像 日時 2015 年 12 月 14 日 20:09:46)
第一章 イスラーム国の構造と構成員
イスラーム国の出現は、1916年の「サイクス・ピコ協定」に基づき大シリアが複数の国家に分断されて以降、最も革命的な出来事として記憶されるだろう。
また、この「国家」の出現は、「アラブの春」よりも重要な出来事であろう。それまでまるで海底活火のようであり、中東という「大海」に、島が隆起したような事態であった。
世界各国の政府やメディア、シリア・イラク両政府、いずれもイスラーム国の勃興について大きな関心を払って来ず、そのため、この事態に際しても十分な評価すらできない状態であった。彼らはイスラーム国を「小規模な武装組織で、広範な地域を制圧するほど伸長はしない」と見ていた。そして今も、「イスラーム国はあくまで自称であり、国家ではない」とみなしている。
第二章 アブー・バクル・バグダーディーへの道
アブー・バクル・バグダーディーは、1971年、バグダードの北50マイルの町サーマッラーで生まれた。
バグダーディーは、「バグダードのイスラーム大学」で学び、学士号、修士号、博士号を取得した。この学歴により、バグダーディーに軍事指導者のみならず、宗教指導者としての正当性が付与された。
バグダーディーに出会った人々は、その印象を「物静かで真面目な人物」と語る。私がインタビューした、2004年にバグダーディーと同じ監獄に収監されていた人物は、「バグダーディーは物静かで自制心を持っていた。常に笑みをたたえており、穏やかだった」と語った。
しかし、彼の物静かな性格は、彼の一面に過ぎない。彼は時に、戦慄するような手法で脅迫を行うこともあった…中略…この物静かなリーダーは、不寛容で執念深いようである。
軍事指導者としてのバグダーディーの特徴は、騙し討ちの名手であることと、攻撃の正確さである。彼は戦闘の経験がないにもかかわらず、戦闘に関する経験知識が豊富である。そして、非常に頭が切れる人物といえる。
バグダーディーは、組織の運営に関しての知識を持っている。
シリアとイラクの人々は長らく、法による統治の不在、犯罪者の跋扈に苦しんでいた。このためバグダーディーは、たとえ非常に厳格なシャリーアによる統治を行ったとしても、人々はこれを受け入れるだろうと考えたみられる(同様の例はアフガンのタリバン統治にも見られる)。
バグダーディーの果敢で挑戦的な性格、不屈の精神、戦闘指揮官としての有能さにより、彼は全世界のムスリムの支持者を集めることに成功した。サウジ人を対象としたアンケート調査では、92%余りの人々が、「バグダーディーを支持する」と答えた結果が出たのはその一例。
第三章 イラクのルーツ
タリバーンやムスリム同胞団がそうであったように、イスラーム国は多くの人々に歓迎された。イスラーム国はシリアとイラクの支配地域において、治安を安定させ食料を配給し、医療社会サービスをを提供した。もちろん、イスラーム国の統治方法に疑問を感じた人も多くいたことは確かであろうが、彼らは沈黙し統治を受け入れた。イスラーム国による苛烈な弾圧を恐れたのである。
≪破綻したイラクとそのマーリキー政権からイスラーム国が得たもの≫
アメリカ軍によって高度に訓練されたスンナ派の「覚醒評議会」の元メンバーらはやがて、「イラクのイスラーム国」の主力になっていく、マーリキーの近視眼で宗派主義的な政策は、バグダーディーへの最高のプレゼントとなった。
バグダーディーは、自らの計画達成のため、「覚醒評議会」の元メンバーを雇い入れた。そして後に彼は、マーリキー政権を失脚に追い込み、イラクの約半分を制圧することに成功するのである。こえにより「覚醒評議会」の元メンバーらは、自らを「反体制派」と決めつけて排除し憎んだ者たちへ復讐を一部達成した。
【出展】同前
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