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安倍内閣=第四次岸政権の正体  −亡国の三代目
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投稿者 影の闇 日時 2015 年 10 月 21 日 16:31:28: HiXvZf/FmwPNU
 

結論から言えば、どんなに低く見積もっても、「岸信介は対米自立派」というのは”蝶々トンボも鳥のうち”というやつですな。 もちろん岸が「自立派」なら、逆に、「隷従派」なんて日本には居なくなるでしょうに!


何故なら、その「隷従派」とされてる吉田にしても、形式的な独立後も軍事的占領が続いてる現実を踏まえた上でのー「富国強兵」の「強兵」が不可能になったが故のー「富国」=経済優先路線だったのですから。
 無論そこには、対日支配も含めた米軍事戦略の一端を担うことへの消極的抵抗としての、軍事的サボタージュの意味も含まれる。 それに対して岸路線とは、寧ろ積極的に米軍事戦略のお先棒を担ぐことによって対米及び国際的地位の向上を目指したものと言えるー主観的願望としてはね。 そして、何れもー(米国による軍事支配という)現実を受け入れた上でのー「現実主義」という点で共通してるし、そういう意味において、前者を「通商派」、後者を「安保派」と見做すことは異論の無いところかと思われます。 そうして、斯かる「現実主義」の裏側に<傀儡>の烙印が押されることも。

分かり易く最近の例を挙げれば、当該地での米国傀儡の代名詞となってる、イラクにおけるチャラビやアラウィ、又アフガンにおけるカルザイ(政権)を思い浮かべてみればいい。 
言うまでも無く、彼等とて自らを「傀儡」とは思ってないだろうし、その政治姿勢を問い詰めれば「現実主義」という答えしか出て来ないでしょう。 そうしてその「現実主義」も、将来の「自立」に向けたものと、合理化されてるはずです。 もしも将来イラクやアフガンに経済的繁栄がもたらされる様なことが有れば、彼等は「吉田茂」と同じ様な評価を受けるかも知れない。
或いはまた、フセイン元イラク大統領やビン・ラディン氏についても、彼等が果たして「対米自立派」と呼べるのか?ーを考えてみればいいのです。
フセイン氏は米軍の侵攻直前になってもイラクへの直接の脅威はイランと誤認していたようですが、どうして’そこに在る脅威’を見ようとしなかったのか?という処に逆にその正体が顕れてる、と言えます。
まさかアメリカが自分を倒しに来るーばかりか、イラクそのものを破壊しに来るーとは想ってもみなかった、ということなのだから。


これはビン・ラディン氏も同じですが、彼等はアメリカを相手に(政治)ゲームを演じてると思い込んでたのであり、見方を変えれば、それはアメリカに押し付けられた役割(独裁者、テロリスト)を演じる事で自らの延命を策した、と言えるからです。 それが永遠に続くと思い込んだ処に彼等の誤算が在ったわけですが、考えてみるまでもなく、それはアメリカの都合次第でどうにでもなるシロモノでしかない。

 そして、そういう彼等を「対米自立派」と呼ぶべきでないことは明らかでしょう。 自分の運命をアメリカに委ねて仕舞っているのだから。 
無論、彼等とて「対米自立」なり反米の志しは在ったでしょうが、それは、何時の日かというアスナロの木と同様、自らの現在を合理化乃至正当化するものでしかない。

このことは、つまり、本人の意図とか主観的な願望などよりも、その政治行動について、結果責任も含めて、果たした役割が冷徹に評価されなければならないことを示します。
そうして吉田茂にせよ岸信介にせよ、彼等の主観的な願望よりもその果たした役割から、典型的な傀儡として断罪されなければならない、と考えます。

そもそもが「日米安保体制」=占領体制の枠組みの中で「自立」を求めること自体矛盾の最たるものでしょう。 「安保」(米軍支配)か?「自立」か?論理学でいう排中律でしかないのです。 にも係わらず孫崎氏の様な「岸は対米自立派」なる物言いが成立して仕舞うのは、主観的には「自立」を標榜していても客観的には「隷従」を強めることにしかならないという、戦後の支配構造の問題を無視して論じるからで、それ故に論点がぼやけ、ゴチャ混ぜになって、議論が堂々巡りになって仕舞うのです。

第一、「岸信介は対米自立派」とは言えない理由を、これは本人自身が語っております、問わず語りにね。
「戦後日本に初めてナショナリズムを持ち込んだ」とする田中角栄評がそれです。
無論、自分が行った「安保改定」がナショナリズムに基くものであったのならこんな「評価」は在り得ない。 言い換えればそれは、岸政権による「安保改定」はナショナリズム(対米自立!)とは別の動機によるもの、と岸自らが思ってるということです。 それは安保の旧条約における米軍が、ハッキリと、「占領軍」的な性格を持ってるという処に着目すれば直ぐに解るはず、です。

即ち「占領軍的な性格」を持ってるからこそ、「反安保」の運動は、イラクやアフガン同様、対米レジスタンスの運動になり、ナショナリズムを触発し続けることになっていく。
事実、50年代から60年代に掛けての’砂川’や’内灘’等に代表される反米軍基地運動はー今日の普天間同様!−明らかにナショナリズムの運動でした。 従って、ナショナリズムを刺激するばかりか、イラクやアフガン同様、その矢面に米軍自身が立つことのリスクをも考え合わせたならば、むしろアメリカの方こそが「改定」を望んでいたと見るべきであり、そういったアメリカの目論見に積極的に応え、そればかりか、むしろ逆に日本自らが望んだ形にすることの方が遥かに好都合であるーアメリカの支配の為には!


その意味で、逆に60年の「安保改定」はナショナリズムの封じ込めを狙ったものであり、60年代から本格化する在日米軍基地の整理統合と符節を合わせた、言うならば安保の合理化(効率化)→支配の強化こそがその本質だったということです。

考えてもみるがいい。

もしも旧安保(占領軍)的なままであったなら、沖縄の痛みは我が痛みとして感じ取れたばかりでなく、安保(体制)の本質ー継続された占領体制であるということー翻っては、日米関係の真の姿ーへの理解は、今日より遥かに容易だったでしょう。
”日米同盟”だなんて口が裂けても言えなかったはずです。

逆に言えば、「60年安保改定」とは、巧妙に隠された、占領支配のアップ・ツー・デイト、更新版に過ぎなかった、ということです。

以上の事で、「岸信介は対米自立派」とは言えない理由は明らかだろうと思います
 

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