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先の戦争を、自ら命名した大東亜戦争ではなく、又歴史家等が使っているアジア・太平洋戦争でもなく、アメリカ命名の太平洋戦争をその儘使っていることにも表れている通り、「アメリカとの戦争」が日本人の多くの意識野を占有しているのは間違いないところ、でしょう。
だが、アメリカと主に戦ったのは海軍であり、陸軍が主に戦ったのは中国であるという点に着目するなら、しかも100万の軍隊を長期間中国大陸に張り付け、国力の一大損耗を招いて、ジリ貧になり、追い詰められて、窮鼠猫を噛むか如く、対米戦争に突入して行った、という事実経過を踏まえるならば、「太平洋戦争」という呼称は極めて不当である、と言えます。 無論、アメリカ側からすれば、太平洋以外では殆ど戦わなかったのだから、太平洋戦争と命名するのは、寧ろ、正しいでしょう。 問題は日本です。 GHQによって強要された「太平洋戦争」という呼称ですが、独立後も何故使い続けたのか?
幾つかの要素が在りますが、大枠で言えば、アメリカだけでなく、日本にとってもその方が都合が良かったから、でしょう。 何故なら、丁度アメリカにとってのベトナム戦争がそうである様に、日本にとっての日中戦争(支那事変)も後ろめたい、出来れば忘れ去りたい、タブーに近いものとして在ったのだから。 しかも、中国の事はシャットアウトし、「アメリカに負けた」そしてその結論も(アメリカに、というのではなく)その「物量に負けた」とすることによって、戦後の「物への欲求」−物質万能、経済一辺倒の時代へと、雪崩を打って転換することを可能にしたのですから。
加えて、更により大きな、国際政治的な観点から言うなら、それは発足した連合国体制及びサンフランシスコ講和条約から中国を締め出したことと通底しています。 アメリカは、事実上、中国とは戦争状態に入っており(朝鮮戦争)、ソ連との対決の中で、中国をどう攻略するのか?という観点から、日本は中国(大陸)とは戦争状態が終わっていないーということにしたかったのだから。 そうして、このアメリカの対中国の姿勢の延長線上にベトナム戦争が在るのだから、そこからすればこの構図は、宛も日華事変における日本の立ち位置にアメリカが据わったかに見えます。 それもその筈、客観的に見れば、日本とアメリカは、中国をどちらが取るか?を巡って争ったのであり、勝者のアメリカが、日本に替わって、中国に対する様になって、”匪賊”が”コミュニスト”に替わっただけで、その姿勢の多くは重なるものだったからです。 丁度、日本が「匪賊」の向こうにアメリカを見ていた様に、アメリカも又「コミュニスト」の向こうにソ連を見ていた訳ですから。
そうしてこの意味で、ベトナム戦争におけるアメリカの軍事的敗退の持つ意義は明らかでしょう。 最盛時50万、10年に亘って200万に近い人員を動員し、空前の規模の物量を注ぎ込んで国力の一大損耗を招き、ジリ貧になって、追い詰められ、撤退して行ったーそれは30年前の日本の忠実な(物量的にはより大規模な)再現だったのです。 アメリカはアジアに負けたーアジアの戦い方ー人民戦争=持久戦に負けたのです。 同じ様に、日本もアジアの戦い方ー人民戦争=持久戦に負けたー正確には、その時点で、勝てそうもないですが、しかしながら、そうしたジリ貧状態を続けると、時間の問題で、アメリカと同じ結論になることが分かるでしょう。
にも拘らず、何故正確な認識が出来ていないのか?ーしかも、今に到るまで!
結論から言えば、脱亜した日本にはアジアは見えなくなっていたーということです。 だから、「何処まで続く泥濘ぞ」(討匪行)で、持久戦の泥沼に嵌り込んでいても、「蒋政権相手にせず」の自縄自縛に陥って、その相手「匪賊」の実態を見ようとはせず、常にその向こうのアメリカの影に怯え、丸でアメリカに追いつめられているように感じ取る。
そうして、こういったアメリカの影又はプレゼンスの増大は、「脱亜入欧」=明治以降の欧米仲間入り路線の破綻として映ると同時に、意識が幕末時に戻った様になる。 恐らくこれが、チャーチルの言う「全く不必要に世界的闘争の渦中に飛び込」む「無謀な冒険」に追いやった心理的背景であり、国民の間に醸成された集合的無意識であろう、と思われます。 勿論、「世界的闘争の渦中に飛び込」む「無謀な冒険」の理由はこれだけではない。 言うならば、それは必要条件ではあっても十分条件ではない。 では十分条件は何か? 丁度、個人の行動が過去の事情と現在の事情の交差する処から導き出される様に、国家の行動も、歴史の縦軸、つまり日本の固有の事情と、歴史の横軸、即ち同時代の事情の交差する処に見出されるはずです。
そうして、この同時代の事情ー恐らくこれこそがチャーチルをしても理解出来なかった当のものであり、カイロ会談に到って漸く解ったーだから、彼チャーチルはカイロ宣言に調印しなかったーということでしょう。
それさえ日本は理解出来ていない事は、此の間の「歴史認識」騒動でも明らかです。 スッタモンダの末、彼等が忌み嫌う「東京裁判史観」に一指も触れることも出来なかった「アベ談話」を観るにつけても。
そして、そういう彼等が「対テロ戦争」に乗り出して行こうとしているのです。 それは、かっての日本に当の「匪賊」が見えていなかったのと同じ様に、今日の日本も「テロリスト」が見えていないーということを示します。 アングロ(米英)に逆らったのが拙かったのであり、今回はアングロ(米豪)と一緒だから大丈夫ー恐らくこの程度の認識なり判断で、アベ等はコトを処しているのでしょうが、では当のアメリカはどうなのか?
湾岸戦争の「勝利」に、当時のブッシュ大統領(父)が”これでベトナム(戦争敗北)のコンプレックスは克服出来た”と語ったことは有名ですが、そうではなかった事は、その子供が始めた「イラク戦争」更には「対テロ戦争」でも明らかでしょう。
「コミュニスト」が「テロリスト」に替わっただけで、その本質は対インディアン戦争であり、『アジア2025』に窺われる様に、ベトナム戦争までは有った秩序形成への意志さえ失われているところを見れば。
詰まりはそれは、アメリカがベトナム戦争をタブー視したままで「対テロ戦争」に臨んでいることを意味します。
そうしてそこに、日本は加わろうとしている、過去を自ら問わぬままに。 −もしかしてアベ等は、これでかっての日中戦争=「討匪戦」のコンプレックスを克服出来ると、何処かで考えているのかも知れませんが、それは有り得ないことなのです。 −アメリカの戦略を見れば!
『アジア2025』を見れば一目瞭然、アジアから中東に至る「イスラムの弧」を「テロリスト」を使って不安定の弧に変えて仕舞うーそれを大陸の奥深くまで波及させ、中国やロシアを内戦状態に陥れるーというのがアメリカの(地政学的)戦略、と読み取れますし、ここまで観てくれば、日米がAIIBに参加しなかったもう一つ裏側の理由も見えて来るでしょう。 大きいスパンで観れば、これは、海の時代から陸の時代への転換点になると判断し、その呼び水になるかも知れぬ、中国の掲げる「海と陸のシルクロード」戦略をターゲットとし、ヨーロッパとアジアを結び付ける海と陸の回廊を寸断する。
他方、斯かるアメリカの戦略を当然予想した上で、しかも「文明の衝突」で悪夢とされた儒教・イスラムコネクションを内包しながら、「シルクロード」戦略を打ち立てて来た中国を見るにつけ、言うなれば、これは現代の“グレート・ゲーム”と言うべきであり、大英帝国にとってのインド軍の役割を日本に求めるものでしょう。
詰まりは、夢よもう一度、かって大英帝国が日本を使って大清帝国及び露西亜帝国の解体をやった近代史の再現が企図されているわけです。
更にもう一つ、「対テロ戦争」の隠された(そういう意味では真実の)狙いが在ります。
イラクに引き続いてシリアが国家崩壊し、大量の難民が生まれて、その多くがヨーロッパ就中ドイツへと、雪崩を打って殺到しておりますが、これを単に偶然の連鎖と考えるべきではないでしょう。 一方での「VWスキャンダル」といい、明らかに、この時期を狙って仕掛けて来ている。 ギリシャに端を発する欧州債務危機で不安定化するヨーロッパ、その中核であるドイツをターゲットにすることによって、一気に欧州をガタガタにするという算段が読み取れるのです。
ヨーロッパを不安定にするということが、比較相対して、アメリカの西欧への優位を確保することになるからですが、もう一つ、此処に来て、中国の「海と陸のシルクロード」に呼応して、アメリカ離れを鮮明にしたヨーロッパへの警告乃至懲罰という意味も含まれているのかも知れません。
この先、ヨーロッパ(ドイツ)が屈服することになるのか?もしも克服することが出来たとしても、何年か先には、今回の「難民」の中からイワユル「テロリスト」が登場し、ドイツを中心に、ヨーロッパ各地をテロの恐怖に巻き込む二の矢三の矢が用意されているのでしょう。
近い将来、ヨーロッパ(特にドイツ)が「海と陸のシルクロード」から離脱したり、距離を置くことになったりしたら、アメリカの優位は、暫らく、続くのかも知れません。
が、それにしても、「平和維持」や「平和創出」とはまさに正反対、対中・露にせよ対西欧にせよ、100%混乱と破壊しかもたらさないのであり、結果として生じる<憎悪>や<憤怒>は(行き場を求めて)ユーラシアを蓋うことになる。 ノコノコと、しゃしゃり出て来た日本がその格好のターゲットにならない保証はないのです。
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