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それにしても、どうか「イスラエルの仲間=イスラムの敵」として認知・登録して下さいと、わざわざ向こうに出向いてお願いする!−それどころか、米軍に付き従う事で、本来アメリカに向かうべき憎悪までも引き受けようとするー正しく“烏滸の沙汰”というべきでしょうが、彼等がただの<操り人形>じゃないとしたら、彼等なりのリクツなりロンリが在るのでしょう、彼等なりの!
イワユル「軍事貢献」について、こんな場合によく持ち出されるのが「湾岸戦争のトラウマ」というやつですが、最近は「尖閣有事の為」となってるらしい。 また新たに、「積極的平和主義」の意義付けという形で、“安保ムラ”辺りから、「“歴史認識”や“従軍慰安婦問題”で疵付いた日米関係の修復の為」ということも付け加えているようですが、これなんか自己撞着も甚だしいー言うならば、自分で付け火しておきながら火を消す為に、と言ってるのだから。 「尖閣」も同断です。 最近の英国からの資料でも明らかですが、尖閣=釣魚の棚上げは日中間の事実上の合意事項だったのであり、言わば約束を違え、反故にするという国際信義に悖る行為をやったのは日本なのです。 実も蓋もなく言って仕舞えば、国際信義よりもアメリカへの忠誠を優先したということになりますが、「湾岸戦争のトラウマ」も含め、共通するのは対米関係を最優先するということで、何よりも「アメリカに認められること」だけを一貫して追求しているのがそこには見て取れるのです。
とすると、ここで早速疑問が湧いて来るはずです。 その一方で、「歴史認識」に見られる様に、アメリカの不興を買い、日米関係がギクシャクすることを何故やるのか? これらは明らかに矛盾撞着したものではないか? 恐らく此れについて、「敗戦の否認」と「対米隷属」がコインの表裏みたいになっている<戦後意識>にその因を求めるのが唯一の解と思われますが、では何故今なのか?というと、もう一つ踏み入った考察が必要だろうと思います。 私はそれを、国民国家を基本とする国際秩序が形骸化し、緩やかに解体に向かっている時代状況に見合った動きである、と考えます。 どういうことかと言うと、世界のいたる所で「内戦」が起きていることに見られる通り、国家からの遠心力が働く時代においては国家を強化するだけでは限界があり、国家を正当化させる装置としても、国家を超えた(と思われる)ものへの帰属の有り無しが決定的に重要になってくる。
結局の所それは、欧州におけるEUと同じ様なものを何に求めるのか?ということです。
此の間の日本をみても、畢竟我々は何(処)に属するのか?という問い掛けが主導動機になっている様に思われるのです。 「東アジア共同体」にしても、それへの反動として現れた「尖閣」事態に対しても。 そして、「尖閣」の源流が明治の「台湾出兵」にあり、その流れを引き継ぐ勢力が今日の事態を引き起こしていると見られるのだから、明治以来の流れ(脱亜入欧)の必然として、これらを見るべきでしょう。
恐らくは、斯かる動きの内には、EUに対抗して、AU(アメリカ連合)とも言うべきものへの志向が在るものと思われます。―「脱亜入欧」の結論からいってもね。 従って、このような志向に沿って歴史を修整したいという欲求が顕れている、と見た方がいい。
丁度明治の時に「列強に認められる」為には「列強と同じ行動を取る」(=帝国主義)があった様に、そしてその為にはそれ以前(江戸)の在り方を否定した様に、「アメリカに認められる」為には「アメリカと同じ様に行動」し、「アメリカと同じ様に見られる」ことを希求するー即ち「アメリカとの同一視化」―その為には、その際邪魔になるー出来得れば消し去りたいーのが過去という訳です。 3.11など起こらなかったように、フクシマの真実を糊塗、隠蔽し、それら一切を“風評被害”として葬り去ろうとする彼等のメンタリティをみればーそのような眼差しで過去を見たらどうなるかは自明というものでしょう。 「事故の否認」は「敗戦の否認」に通じる。 「歴史認識」についても同様に、全ては風評被害の一言で打っ棄りたい!ということでしょう。 今や店頭を占拠するほどの、そういった連中の下に在る主張を覗いてみるがいい。 “従軍慰安婦”にせよ“南京大虐殺”にせよ、根も葉もないウワサ、つまりは風評であり、被害を蒙っているのはむしろこちらの方だ、といった主張に満ち満ちている。 (自分にとって)都合の悪いものは見ない、見ないものは存在しないー斯かる態度が罷り通る限り全ては独り善がりになって仕舞うのは当然としても、度が過ぎている。 必然的にこれらを主張・翼賛する言論人は4流5流であり、彼等がやっているのは言論というより宣伝・プロパガンダーウソも百辺言えばホントになるーの類でしかない。 まともな理性や知性を持っていれば、真っ当な倫理観の持ち主であれば、到底こういったことに耐えられるものではありませんからね。 『正論』『WILL』等、十年一日の如く、言っているのは同じ事。 それも当たり前で、(サヨクにせよリベラルにせよ)上述の<戦後意識>とは異質な要素を排除するという政治目的(プロパガンダ)に貫かれており、それらは実事求是を旨とするジャーナリズム(言論)とは対極に在るからです。
だから、本質的な処から論ずるとすれば、言論を駆逐し、(政治的)宣伝・プロパガンダが上位に来て仕舞う時代状況とは一体何なのか?ということでなければならない。
(政治的)宣伝・プロパガンダが上位に来て仕舞うー言い換えれば、一定の方向を目指し、異論を許さないーそのような状況とは、実も蓋も無く言って仕舞えば、有事体制へと向かいつつあるということでしょう。 先程述べた背景や時代状況も合わせ、また安部政権の再登場ということも併せて考えると、そういった事を推し進めている勢力の念頭に在ると思われるのは、「対テロ戦争」に参加することで、「アメリカと同じ様に見られ」、「アメリカに認められる」という宿願が叶う時機が訪れている、というものでしょう。 別の言い方をすれば、「対テロ戦争」を「アメリカと同じ様に見られる」=「アメリカに認められる」為のスプリング・ボードに使う、ということです。 そして、もしかしてそこには、<冷戦>の終焉以来空洞化して来た第二次大戦後の支配体制=ヤルタ体制がいよいよ崩れ去ろうとしているー即ち70年ぶりに訪れた“レジーム・チェンジ”=支配体制の組み換えのチャンスが訪れているーという認識があるのかも知れない。
もしそうだとするなら、果たして、彼らの認識にどれ程のリアリティ、客観性が在るのか?ー
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