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脱亜入欧」を標榜してもそれで西欧の仲間入りが出来る訳ではないし、如何に西欧を真似ても、また同じ様な行動(帝国主義)を取ったとしても、肝心の仲間入りする相手(西欧)から認められなければ一人相撲に終わるだけでしょう。 何より「脱亜入欧」とは「脱亜」即ちそれまで属していたアジアからの離脱を意識することによって引き起こされた「関係欲求」であり「帰属欲求」なのだから、肝心のその相手(西欧)に承認されることが目的とならざるを得ないということを考えれば、西欧に認められる為にはどうすれば良いのか?ということが自ずとその中心的な命題になって来る。 そうしてこの観点から、西欧、取り分け当時の覇権国家であった大英帝国の利益に合致する事を国家戦略とする明治日本の本当の姿が見えて来ます。 勿論、この国家戦略に沿って出て来たのが日清・日露の戦争だったのであり、我々が通常抱いている様な、日本が主体的に選んだ、という訳ではないことは押さえて置くべきでしょう。
そうして、この事を相手側大英帝国から見れば、日本を使って、清国にダメージを与え、露西亜の極東進出を阻止するという目的を果たしたという事になり、日本は、大英帝国にとっては、まことに使い出勝手の良い手駒ということになる。 ー勿論、その事は日本側も感知しており、それを物語るのが『坂之上の雲』に出て来るイロコイ族を巡るエピソードなのでしょうが、小村が明け透けに語る処に現れている通り、それによって生じるであろうマイナスは顧慮されず、むしろ大英帝国に認めてもらうことの方が主導動機となっているのです。
ムロン、その成果(承認)が「日英同盟」なのだろうし、更にはその到達点(脱亜入欧)の何よりの証明が「国際連盟の常任理事国」なので、ここにおいて、又その限りにおいては、日本の「承認を巡る闘争」は一応の決着を見、大きな成果を得られた、というわけです。
しかしながら、斯かる成果或いは成功が次なる困難な状況を招き寄せ、結局それが昭和の暗転をもたらしたことはご存知の通り。
ヨーロッパにおいては”黄禍論”の噴出を呼び、アメリカではイワユル「排日移民法」が登場する。 つまり、仲間入りした(と思った)瞬間に仲間外れにされ、逆に丸で否認されてるかのような状況になっていったわけです。
しかも、第一次大戦の結果、欧州全体に斜陽が射したかのように、かっての文明の輝きを失う。 一方でアメリカの興隆とソ連の出現、その狭間での「西欧の没落」(シュペングラー)と、新たに現われた状況に日本はある種方向感覚の喪失状態に陥る。 大正政変やシーメンス事件等に因る(明治を主導した)薩長閥の政治的失墜はその前触れであって、それは明治以来の路線の行き詰まり、「西欧の仲間入り」路線の座礁として感知されたのです。
芥川の発した「ボンヤリとした不安」はこの時代の鞍部と言うべき処に届いていたからこそ人口に膾炙したのでしょう。
他方又、昭和の暗転への伏線が、「成功」に踵を接して引かれている事も分かります。
日清・日露の戦争が切っ掛けになり、結局大清帝国及び露西亜帝国の解体に到るのですから、日本はその引き金を引いたということになりますが、別な見方をすれば、意図せざる結果、客観的には帝国主義の国際均衡を破壊したわけで、結局この事が、日本自らも含めた帝国秩序を崩壊に導いたことになる。 −それを受けてのロシア革命であり中国革命で、その結果登場したのがソ連であり中華民国なのだから、非西欧における「共和制国家」の誕生に大きく貢献したことになるのです。
他方、「日露戦争の真の勝者はアメリカ」と言われる通り、日本が辛うじて勝者の体裁を保つのに決定的な役割を果たしたアメリカが、ロシアに入れ替わる様にして、東アジアへの干渉及び介入を本格化して来る。 ーその延長線上に、「ハルノート」(1941)が在るのだから、対米戦争に突入させる呼び水を自ら引いた事になります。 また、日本を国際連盟の常任理事国(1920)イワユル「一等国」に押し上げることになった第一次大戦ですが、その上から目線の「対華21カ条要求」(1915)が中国人の憤激を呼び、「中華民族の覚醒」を促すこととなり、それがやがては「抗日戦争」の奔流となって現れ出るのだから、中華人民共和国への道を大きく切り開いたことになるーこの面でも、日本は、東アジアにおいて、近代(大清帝国)から現代(中華人民共和国)への橋渡し役を演じたことになるのです。
C.ジョンソンが力説している様に、共産中国を誕生させた最大の貢献者は日本(軍)なのです。
結局、大清帝国及び露西亜帝国の解体の流れがヨーロッパに遡及し、欧州大戦(第一次世界大戦)においての主要帝国の解体へと繋がって行くのですから、以上の事から、(自らも含めた)19世紀型帝国主義国家の墓穴を自ら掘ったーという結論に落ち着く訳です。
従って、幕間のピエロというか、英(独・仏)主導の近代から米(ソ)主導の現代への舞台回しに日本は使われただけという事も言えるだろうし、その点では「日英同盟」も「国際連盟の常任理事国」も、”西洋の没落”のエピソード、ひとコマに過ぎなかったーと判断するのが最も適切な評価なのかも知れません。
戦後はその反復、経済の変奏曲だった訳で、「富国強兵」の「強兵」が破綻した後、残された「富国」での「承認を巡る闘争」に専心することになった、ということ。
してみると、戦前の「一等国」が「先進国」、「国際連盟常任理事国」が「G7サミット」に、其々対応しているのが分かるでしょう。
そうして、経済戦争の勝者として、”ジャパン・アズ・ナンバーワン”の評価を勝ち得たー「富国」での「承認」を得られたーと思った瞬間、「否認」の嵐に見舞われる。 「排日移民法」の経済版と言える「通商301法」、黄禍論の再現と思える「日本異質論」、更には「日本封じ込め論」で、ソ連に替わる<敵>の如き扱いを受け始める。 そして、「バブル崩壊」から”失われた20年”の長期デフレに入り、90年代半ばの「オウム事件」を経て、経済における敗戦の象徴として、大蔵省→財務省、通産省→経産省ーの経済官庁の改変が行われるーその意味は以前記したのでここでは触れませんが、昭和前半と同じ様な結末に陥ったことは自明でしょう。
それらが意味していることとは何か? −明治以来の「承認を巡る闘争」が何れも挫折し、「欲求」が満たせないままに現在に到っている、ということです。
しかも、デフレというのは、単に経済的な問題に止まらず、心身の適応不全状態をも意味するのだから、「長期デフレ」はこれまでやって来た在り方が時代状況にミスマッチしていることを示します。 従って、本来であれば、これまでやって来た在り方の大元まで遡って見直す時期に来ているはずなのです。
一方での中国の躍進と大掛りな台頭を直視する程に、即ち明治以来のこの国の在り方がデッド・ロックに乗り上げているのが見て取れるはず。 だって、明治以来のこの国の在り方=「脱亜入欧」とは、亜細亜即ち中国の在り方の侭では西欧列強の餌食になるということで、そうならない為に、列強に倣って、「富国強兵」を実現するーという事だったはず。 然るに、今の日中を見比べてみるがいい。
首都の海(横須賀)と空(横田)を支配され、米軍に長期(70年!)に亘って占領されているーしかもその事に屈辱さえ感じていないー日本に対して、失地回復を殆ど実現している中国。 西欧列強の植民地にされていた150前の中国と丁度真逆になっている
その上GNPで逆転され、中国に対する最後の拠り所であった経済的優位も既に失っているのです。
これでは、一体、何の為の「脱亜入欧」だったのか?ーという疑問が当然湧いて来るはずなのです。
然るに、それとはまさに正反対の動きが出て来ているー丸で今までやって来たこと全てが間違いではなかったとでも言うかのように。
何ゆえ「明治日本の産業革命遺産」なるものが安倍内閣になって唐突に出て来たのか?
高だか産業近代化の遺物に過ぎないものが何故「文化」で「遺産」なのか?という点は措くとしても、所謂「Co2排出問題」で元凶とされる「産業近代化」の問題は問わないとしてもーまぁ、原爆ドームやアウシュヴィッツ収容所なども「世界遺産」に登録されているからねーその中に江戸期のものが幾つもあるのに、何故無理やり「明治」にするのか?萩なんか「明治」にも「産業」にも全く関係無いだろう、−と考えてみることはこの際重要です。
何が何でも、明治と産業近代化を結び付け、しかもそれがイギリス「産業革命」に続くものと認識され、そこに萩を入れることで、薩長、つまり自分達がやった「明治維新」、そしてその後の「脱亜入欧」という選択を世界(西欧)に認めてもらいたいーという「欲求」以外の何者でもないことが解るでしょう。
そうして、そういう彼等が進めるTPPや集団的自衛とは何か?
言うなればそれは、系譜的には、「富国強兵」の現在及び将来形ということになりますが、一体これが、どの面下げて、経済においても、軍事的にも、西欧列強の餌食にならない為にと掲げたスローガンに合致するというのか? 彼等の言い分を聞いてると、中国の餌食にならない為に、ということらしいが、殆どそれがアメリカと一体化することをもたらすのだから、それはアメリカの餌食になるーということでしかない。
中国の餌食にならない為にアメリカの餌食になる!?ー何故このような倒錯した発想や思考になるのか?
私はそれを、アジア(中国)への優位が永遠に不可能になって来たが故に、と見ます。
軍事も経済も「脱亜」した意義が見出せないが故に、西欧文明に対してより一体化することでしか明治以来の路線の「正当性」を誇示出来ないから、と。 ー大分怪しくなってきたとはいえ、「西欧近代文明」への神話や信頼が完全には失墜していないが故に、斯かるスタンスも効力が有ると見做されているのでしょう。 ーそういう彼等が行き着いた在り様を、「脱亜入欧」の完成態としての「入米」=視野狭窄と言おうと思います。
詰まりは、アメリカしか見ないorアメリカ(の眼)を通してしか物事(或いは世界)を見ないーそれは、物事は、唯アメリカだけに拠ってのみ検証されるという認識の回路へと閉じ込めます。 必然的に、それはアメリカへの同化へ誘い、アメリカの<他者性>を排除するように働くのだから、行き着く処は擬似アメリカ人ー”ヤンキー”となる。 また、<他者>を一切消去していくのだから、理性や知性というものとは対極、殆どファンタジー、子供の世界に近付く。 人前で見っとも無く号泣したり、自分は例外の極端な自己チュー坊やが跋扈することになるのは当然、ボクちゃんがトップに躍り出て来るのは必然、というわけです。
そうして、こういう連中が先頭に立って「承認」を求めてるわけですが、ここまで見て来たことで、この「闘争」の行く末は予期できると思います。
「対テロ戦争」に行き着いた<独立>とそれに付き従うことを懇望する「脱亜入欧」は、その思想的破産を、逆に、宣告すること破目になったことは疑いを入れない。
<恐怖>とその根底に在る<不安>はその在り様(対他関係も含む)に根を持っているのだから、その在り方(生き方)を改めない限りその解消は在り得ないーしかもそれはアメリカの(引いては近代日本の)自己否定になるのです。
それに、アメリカが(日本の要求)「同化」を認めることは在り得ず(アメリカの自己否定ですからね)ヨーロッパが(アメリカの要求)「承認」することは在り得ない(何の為にEUを創ったのか?しかも「承認」したらヨーロッパではなくなる)。
とすると、何れも、「承認」を得られないまま、ダラダラと、又断続的に続いて行くことになるー何となく「100年戦争」の予感がしないでもありませんが、ともあれ彼等が依拠する<西欧近代文明>そのものが、彼等の<欲求>によって窮地に追いやられ、衰亡への速度を倍加させることになるであろうことは疑う余地が無い。
その事を考えるにつけ、何故に、70年前と同じ様に、日本が「必要もないのに世界的な闘争に飛び込」(W.チャーチル)もうとしているのか?を問う時に、近代日本が意図せざるまま、意識することなく背負い込んだ「世界史における役割」というものに想到するのですが、それについてはまた改めて考察することにします。
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