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(回答先: イ国は、かつてのイ帝国の領土をシーア派の暴君から解放しヨルダンとイスラエルをも併合してカリフ制国家の再興を目論/ナポリオ 投稿者 仁王像 日時 2015 年 2 月 27 日 20:12:24)
「イスラム国 テロリストが国家をつくる時」ロレッタ・ナポリオーニ/文芸春秋‘15年 から抜粋
第3章 イスラエル建国と何が違うのか?
≪戦士たちを征服地域の女性と結婚させる≫
「イスラム国」は男も女も子供もカリフ制国家に市民として迎え入れる姿勢を示し、民間人の間で正統性を確保しようとしている。これは、タリバンともPLO、ETA、IRAとも違う。「イスラム国」は、従来の武装集団よりもはるかに遠い目標をめざしているのだ。はなばなしい軍事的成功を収めて、次に「イスラム国」の戦士がすべき仕事は、次世代の戦士を育てるために女たちの愛を勝ち得ることである。古代ローマが勢力拡大を維持するために女を必要としたのとまさに同じように、今日のカリフ制国家も、社会の発展のために女性を必要としている。
彼らは、「イスラム国」の戦士と地元スンニ派の女性を結婚させ、征服側と被征服側の間の血縁関係を築くことによって、制圧地域内の反感を抑えようとしている。
≪「イスラム国」が国際社会で認知される日は来るか?≫
「イスラム国」は戦後の武装組織がことごとく失敗してきたことに成功するかもしれない。それは、武力のみによってまったく新しいタイプの国家を建設すること、それも、世界が注意を払わざるを得ないほどに大きく、強く、戦略的に重要な国家を興すことである。
ヨーロッパ各国の首脳がアル・バグダディと握手する日は訪れるのだろうか。この言葉は今日このうえなく不快に響くに違いない。だがサビニの女の略奪の物語は※、この世にはどんなことも起こりうるのだと教えている。
※)古代ローマは、近隣のサビニ族から未婚女性を奪った。略奪された女たちを奪い返すサビニの男たちが仕掛けた戦争は、当の女たちによて阻止された。
第5章 建国というジハード
≪欧米の民主主義的価値観を超えるもの≫
「イスラム国」による中東の不安定化は、さまざまな地域勢力に奇妙な協力関係をもたらし、欧米は一連の予想外のシナリオに直面することになった。
まず、2014年夏に、イスラエルに対抗すべくイランとサウジアラビアがパレスチナを支援した。さらにイランとサウジは秘密会談を行い、「イスラム国」解体の可能性を探った。一方、アメリカは秘密裏にシリアの「反政府組織」に武器を供与した(この組織が、反体制組織でなく、ジハード組織であることを知っていたにもかかわらす、である)。加えて、オバマは、「イスラム国」のシリアの本拠地を空爆することを決定した…という具合。
だが最も驚くべき出来事は、アメリカが「民主イラク」の建国に失敗しているのに対し、武装集団が、国家建設にめざましい成功を収めていることである。
アメリカの兵士と「イスラム国」の兵士、どちらの軍隊も、大義を掲げている。すると、次の疑問が湧いてくる。かつてのイスラム帝国の領土にカリフ制国家を建設するという約束は、民主主義を広め、その過程で欧米の多国籍企業による市場経済植民地を作ると言う意思表示よりも、はるかに訴求力がなるのではないか…。バグダディの聖なる戦いが、欧米民主主義の輸出よりも強力な誘因になるとしたら…。
≪大ジハードと小ジハード≫
ジハードには二つの意味がある。一つは「大ジハード」。己の欲望や誘惑との日々の戦いを意味する。精神的な意味合いの強い戦いである。もう一つは「小ジハード。敵(異教徒)との物理的な戦いを指す。今日話題に上るのは後者であるが、その概念は数世紀の間にだいぶ様変わりした。一方、大ッジハードの方はほとんど変わっていない。
小ジハードとは、信徒の共同体を守る手段なのだ。少ジハードはさらに防御と攻撃の二つに分けられる。防御的な小ジハードは、共同体のメンバー全員の義務である。一方、攻撃的な小ジハードは、共同体の最高指導者であるカリフのみが命じることができる。その目的は共同体を拡大することである。「イスラム国」が遂行しているジハードは、防御と攻撃の両方にまたがっている。この原則は、今日でも生きている。だからバグダディは、征服戦を遂行する権利があるだけでなく、すべてのムスリムに参加を呼び掛ける資格がある。さらに言えば、カリフ制国家への移住を要求する権利もあるのだ。
こうしてカリフ制国家を名乗る組織が出現すると、他のジハード組織の権威はみるみる低下した。ある意味で「イスラム国」は、あらゆるイスラム国家の政府の正統性に異議を唱えているということができる。これは、見落としてはならない点である。
≪「建国」という新しい概念をジハードに与えた≫
「小ジハード」は、イスラム帝国の勢力が衰えるにつれ、時代の要求に応える形で新しい意味を帯びるようになった。第30回十字軍でキリスト教勢力の無慈悲な暴力に立ち向かったエジプトとシリアのスルタン、サラディンは、そのイスラム精神によって小ジハードを再定義したと言える。
20世紀に入ると、中東諸国にとって対十字軍戦争の英雄サラディンのジハードは、ヨーロッパの宗主国からの独立戦争そのものになる。それから数十年後、ムスリム同胞団の精神的指導者サイイド・クトゥプが、ジハードは革命であり体制変更の手段であると再定義した。
こうして1950年代後半以降、ジハードの意味に三つの概念が提示された。対十字軍、植民地独立闘争、そして革命。「イスラム国」は、この三つすべてを取り込んで、小ジハードに「建国」というまったく新しい意味を与えたと言えよう。
欧米は腐敗したイスラム国家と同盟関係を通して権益を守っているのであり。バグダディが征服した領土で国家を建設するとなれば、体制変更が必要不可欠だ。だから、欧米の顔色をうかがう墜落したエリートに支配されるシリアとイラクで展開される戦いには、革命という要素も備わっている。
≪「アルカイダは一つの組織に過ぎないが、われわれは国家だ」≫
イスラム戦士の言葉だ。9.11は欧米の顔に見舞ったパンチにすぎないが、カリフ制国家の再興は欧米の中東同盟国に与えたノックアウト・ブローだ。この一撃は、欧米とそのお友達に有利になるように設計されていた地政学的秩序そのものを脅かしている。
古の帝国を現代に甦らせようとするジハード集団が中東の支配層に挑戦状を叩きつけるのは、単に時間の問題だった。いずれそういう日が来ることは、予見されていたのである。
バグダディとザルカウィのジハード構想を生んだのは、現代の過激なサラフィー主義運動であるが、この運動の過激化を招いたのは、ヨルダン政府とイスラエルが1994年に締結したイスラエル・ヨルダン平和条約である。多くの人がこの条約締結を重大に受け止めた。なにしろカリフ制国家の一部と考えられていた土地に、イスラエルの占有権を公式に認めたのだ。事実この条約締結は、ジハード運動にとって重大な転機となり、サラフィー主義の秘密組織が次々に生まれた。そのお一つが、ヨルダンの「アル・タウヒード」である。
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