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豊かさとは何か
誰でも、病気や飢えで苦しむのは嫌だ。衣食住が不十分なのは幸福なことではない。衣食足りて礼節を知るとも言う。しかし、際限のない豊かさを追い求めることが正しいことだろうか。
車や家電製品が生活の便利さをもたらしたことは確かだ。テレビやラジオ、電話機などが生活を変えたことも明らかだ。ただ、こちらは必ずしも生活をいい方向へ変えたかどうかはっきりとは言い切れない。人々の間のつながりがこれらのメディアによって独占され、却って人々が孤立化する面もある。
武器はどうだろうか。ミサイルや空母、戦闘機など、その進歩は一般人の想像を絶するものだが、それが人々に幸せをもたらしているかはかなり疑わしい。そもそも拳銃の登場は人々の間の争いを苛酷化しただけであり、相手に勝とうとしての武器の開発競争をもたらしただけだ。
こういった問いは、しかしながら、既に実情に合っていない。現代はもっと複雑化していて、別の問題が出てきているからだ。
現代の問題は、隠れて行われるマインドコントロールだ。通信技術の進歩により、非常に多くの人たちを相手に気づかれないまま監視し、観察し、相手が気が付かないままマインドコントロールすることが可能になっている。明らかに一部の人たちが神となってかなり多くの人たちの行動を、心を、精神を支配している。しかし、その神の実態は単なる技術だ。技術に精神はない。技術に心はなく、当然そこに本質的な喜びもない。
こういった通信技術と結びついたマインドコントロール技術が人々の心を支配し、互いに分裂対立し、内戦を起こすように操ることを可能にしている。確かに、このことによって自国の兵士が血を流すことはない。安全に、自らを危険にさらすことなく相手を倒すことが出来る。しかも、自分が誰かによって倒されたのだということさえ相手は自覚できないままだ。
血まみれの正義より薄汚れた正義を。それが世界を平和にするための必要悪だ。そう考えることが出来ると、実を言うと自分も信じていたことがある。しかし、どうやら、これは世間知らずの楽観的な思い込みだったようだ。
隠れたマインドコントロールは本質的に相手のモノ化を伴う。自分は支配者であり、相手は単なるモノなのだという意識になるのだ。こういった傾向はどんどんと強化されていき、究極的には自分以外はすべてものでしかないという孤立化した個人を生み出すはずだ。
しかし、誰でもいつかは死ぬ。それを乗り越えるのは他者の存在であり、あたらしい、別の生命へバトンを引き継ぐことだ。他者の存在を認めることは基本的な平等性を意味する。
隠れたマインドコントロールは平等性を否定するものだ。血まみれの正義の方が、まだ、平等性を明らかにする。薄汚れた正義は平等性を犠牲にしてしまっていて、本質的な危険性があるのではないだろうか。豊かさとは何か。幸福とは何か。正義と平等とは何か。全ては社会の持続性にある。そして、現代の隠れたマインドコントロールはある意味自分自身さえマインドコントロールの対象にしてしまい、人々を自己疎外の状態に置いているのではないか?技術があまりにも精巧なものになり、技術自体が支配者となってしまっているのではないだろうか。
選民意識も間違っている。多様性こそが豊かさだからだ。
2014年08月26日23時20分 武田信弘 ジオログ(http://geocities.yahoo.co.jp/gl/taked4700)はヤフーブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/taked4700)へ移行しました。2223
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