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http://geocities.yahoo.co.jp/gl/taked4700/view/20140516/1400230506
資本主義崩壊
エコノミスト5.20号の67ページの「論壇・論調」に「仏学者の格差論が米論壇に旋風 資本主義崩壊の予言なのか」という記事が載っています。フランス人経済学者のトマ・ピケティ氏の新著「21世紀の資本論」が米国でベストセラーになり、論争を巻き起こしているそうです。「米国では上位所得者1%が富の大部分を独占している」という格差論を唱えた人で、ウォール街占拠運動の理論的支柱となった人であると紹介されています。
「21世紀の資本論」という本を読んでいませんし、資本論の是非については置いておいて、自分は、ピケティ氏が「富裕層に対し、政府間協力で国際的に2%課税し、さらに各国内で所得税の税率を(富裕層を狙って)累進的に80%まで上げれば、高額所得者の収入を引き上げる理由がなくなり、格差拡大に歯止めがかかる」と主張されているということを支持したいと思います。
なお、この記事では、最後に、ローレンス・サマーズ元米財務長官が「格差拡大は国内課税や規制強化などで抑えられる」と述べ、資本主義の未来に楽観的な見方を示したとしています。
自分は、アメリカの資本主義はともかく、日本の資本主義はこのままでは崩壊してしまうと思います。より具体的には、日本の市民社会が崩壊してしまうと思います。最近になって課税強化がやっとされましたが、富裕層に対する本格的な課税はされていず、1974年以前に比べると、格段に様々な形での富裕層優遇がされていて、日本における格差社会化はまだまだ進むはずだからです。
1970年代とか80年代も、新宿駅などにはホームレスの方たちが居ましたし、必ずしも、経済的な貧困にその原因があったとは思えない状況もその頃はあったと思います。しかし、2000年代には上野駅の近くの公園には多数のテントが見られ、かなり勤労意欲もあり、実際に仕事をする能力も高いだろうと思える人たちが数多く佇んでいました。ごく最近になって人手不足が言われだしていますが、依然としてネットカフェ住まいの方たちは数多く存在するでしょう。
日本の問題点は、社会の同質性が高いのに、現実には非常に格差化が進んでいて、若い人たちが結婚できなくなっている点です。一度派遣に入るとそこから正社員へ転換することは実質的にかなり困難である様子です。更に、仮に正社員になったところで、年功序列賃金制度が相当に壊れた結果、子育てをするほどの余裕を持てない現実があります。
背景にあるのは、何よりも教育費の高騰です。現実にはほとんど意味がない高等教育が、まるで将軍様の印籠のように意識されていて、それがないと何も経済的な未来が拓けないように印象付けれているのです。印象付けだけではなく、実際、職に就くときに高等教育・専門教育を受けないまま、ある程度の収入を得るのは非常に難しくなってしまっています。
しかし、こういった状況は正しいのでしょうか。
二つの意味で間違っているのではないでしょうか。
まず、本来、現在の格差が正当化できるほどもともと人間に違いがあるとは思えない点があります。もちろん、一部のスポーツ選手や歌手など、または実業家や技術者などに特別な才能を身につけた方がいるのは事実です。しかしだからと言って、一般市民が年収200万円の時に年収がその数百倍の例えば4億円というのは正しいのでしょうか。もっと言えば、ごく普通の会社員や公務員において、能力的にそんなに変わるとは思えない方が、一方は正社員・正規職員として年収が600万円、800万円程度になり、かたや非正規社員・臨時職員として、年収100万とか200万となっているのは疑問です。もちろん、現実があり、さまざまな規制がある中で各自が最善を尽くした結果であるのは確かなのでしょう。しかし、こうも考えることが出来るはずです。誰であれ、人間であることに変わりなく、そうであれば次世代を育てるということはみんなの課題であり、誰でも取り組むべきことのはずです。なぜ、能力給が幅を利かせ、年齢給とか生活給と言う考え方が後退してしまったのか。
アメリカは移民社会です。どんどんと若い方たちが移住をし、成功を目指して懸命に働く社会です。しかし、日本はほとんど移民受け入れをしてきませんでした。今後、移民受け入れが進む可能性がありますが、日本社会になじむかどうかは疑問です。
アメリカは、多分、既に伝説化していて、現状はかなり異なると思いますが、ともかく、アメリカンドリームというものが社会的に認められていて、努力さえすればチャンスは平等に開けているという社会的な合意がありました。
日本は、戦前・戦後を通じて学歴社会だったのです。そういった学歴社会を支えていたものが、勉強で努力すればそういった学歴を得ることが出来るという教育制度に対する信頼感でした。同時に、以前は、社会的な地位は学歴によって左右されるが、ごく普通に働けば次世代を育てるのに不利になることのない経済的な地位を得ることが出来たわけです。
能力給と言う考え方が浸透し、生産性を上げるために一般的な労働を低賃金に誘導した結果、次世代を育てるという社会の最も根本的な柱を破壊してしまったのではないでしょうか。
もう一つの問題は、チャンスの不平等化です。まるで見えないガラスの壁のように、社会に様々な形で張り巡らされ、一定の経済的な支えがないと、その壁に阻まれて貧困化して行くしかない状況があるのです。その典型が教育費の高騰であり、公的な高等教育の高額化です。小学校から塾通いが普通になり、自分自身で本に向き合って自ら学んでいくというごく普通のやり方が認められなくなってしまっているのです。本来、これが普通であり、自学自習を誰でもができるのですが、現実問題として、自学自習をやっている子供は非常に少数化しています。入試に推薦を取り入れることが行われていますが、却ってそれがコネ社会化を進めている面があり、チャンスの平等化には役だっていない様子です。
ガラスの壁は雇用形態にもあり、非正規になるとそこから正規になることは非常に難しいのが現状です。また、例えば選挙に出るにしても供託金は外国に比べて非常に高額であり、選挙運動自体がさまざまな規制によって縛られ、変革を阻む体制ができてしまっています。
少子化が進んだのは、この二つだけが原因ではないと思います。しかし、やはり、最も大きな要因が年齢給・生活給と言う考え方が放棄され、能力給に基づいた働き方が一般化したことだと思います。
更に、その能力を得るための教育が高コスト化してしまい、今では、単に経済的に有利であった家庭の子供たちが能力や努力に関係なく、高額な報酬を独占する傾向が見られます。
これらこそが少子化の原因です。格差社会は、新規にその社会へどんどんと新しい人たちが入り込み、格差の下の部分を支え続けるからこそ持続可能なのです。
アメリカの場合は、そういった格差社会を可能にする国土的な余裕があります。それは土地の広さです。社会的な階層に従って別の環境を異なった土地に作ることが可能であり、労働の仕方もそういった仕組みがあるからこそ機能しているのです。
日本はそういった国土的な余裕がありません。社会的なインフラは、アメリカに比べてはるかに格差のない市民社会向けに作られているのです。
ここまでの文章を読んで、いや自分は自分の能力によって高額な報酬を得ているのだから、高率の税金を払うのは嫌だし、それは間違っていると思われる方もいるでしょう。しかし、もし、本当に自分の能力だけで稼いでいるのであれば、南極や火星に行って稼げばいいのです。一般市民のいないところで高額報酬が得られるのであれば、高額な税金を払う必要がないのは当然のことです。
しかし、本来、大して能力的にも違いがない人々、またはより根本的には、生物としての存在として全く変わりがないと思われる人々の労働に支えられ、またはそういった人たちを制度的に安月給で働かせることで高額報酬を得ているのであれば、そういった社会を支えるための税金を高率で収めるのは、やはり、常識ではないでしょうか。
日本の富裕層は、自分たちの特権を守ろうとして、その特権を支えてきている基盤を却って反対に破壊してきているのです。格差社会化は是正すべきであり、教育における自学自習の習慣の重視や、年齢給・生活給という報酬体系の復活が必要です。そして、そのためには、エネルギー自立が求められ、地熱発電の大規模な開発をしていくべきだと思います。
2014年05月16日17時50分 武田信弘 ジオログのカウンターの値:48711
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