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原発が非人間的であることの理由
311の福島第一原発事故でやっと明確に意識されだした原発というものの非人間性を書いておきたい。
一つは、一度事故が起これば大量の放射性物質が人間やその他の生物の生活圏に大量にばら撒かれ、低線量被曝により数十年から数百年以上の長期間生命に悪影響を与えるということだ。しかも、放射能は目に見えない。匂いもない。手で触ることもできなければ顕微鏡を使っても普通の人ではその存在の確認はできない。ガンマ線はそれなりの機器を使うことで計測ができるが、アルファ線やベータ線はほぼ普通の人には計測自体ができない。だから、多くの人にとって、自分が放射性物質による被害を受けているのかどうかさえ分からないまま被害を受けることになる。癌や白血病が知られているが、心筋梗塞や脳血管障害などいろいろな病気が発生することがやっと今認められつつある。しかし、それら以外に、自閉症やその他の精神疾患も放射性物質が原因になっている可能性が強い。こういった病気のほとんどは第2次世界大戦後に表面化していて、それ以前はほとんど存在していなかったはずだからだ。
放射性のセシウムやヨウ素のことばかりが言われているが、最も深刻な問題はプルトニウムのはずだ。放射能を帯びた微粒子がかなりの量、例えば3号機の爆発では大気中へばらまかれたはずであり、こういった微粒子を呼吸で肺へ取り込むことで5年後、10年後、または20年後に肺癌になる可能性が強い。こういった微粒子がどの程度大気中へ拡散しているのかは多分それなりの設備のある機関が調査をすればかなりはっきり分かるはずだと思うが、少なくともそういった調査がされたという報道はない様子だ。微粒子一個当たりのベクレル数も調査されていない様子で、例えば放射性セシウムの微粒子が肺へ取り込まれて癌化する可能性もあるのだが、その危険性は隠ぺいされている。セシウムは水溶性が高いが、硫酸塩などになっていればなかなか溶けずに微粒子のままその周りの細胞に放射線を浴びせ続けることは有り得るはずだ。
放射性物質の多くは金属元素であり、生命への影響がどの程度あるか確認されていないものも多い様子だ。生命体の活動の基本は生化学であり、化学反応に電離作用は大きな影響を与える。そして、放射線はどれもかなりの電離作用がある。だから、電離作用によって発生する活性酸素が遺伝子損傷を引き起こすことだけが問題であるわけはなく、様々な影響を内部被ばくは引き起こしているはずだが、そういったことはほとんど少なくとも公的には明らかにされていない。
遺伝子損傷がある程度蓄積すると、そういった遺伝子損傷自体が世代を超えて引き継がれてしまう。卵子と精子の遺伝子自体がもともと損傷していれば、新しく合成される遺伝子もそういった損傷を引き継いでしまうのだ。だから低線量被曝が広範囲で起こった場合、その地域の生命体は世代を超えて遺伝子損傷が蓄積され、何世代か後にそれが表面化することになる。
放射性物質による影響が非人間的なのは、知らずに影響を受け、しかもそれが放射性物質由来の影響かどうかを確認できないことにある。放射性物質汚染は国境を越え、何十年も、または何百年も永続して生命体に影響を与え続ける。
もう一つの問題は、放射性廃棄物処分だ。少なくとも数千年、多くは数万年の閉じ込めが必要とされる高レベル核廃棄物処分の問題であり、現在世代は少なくとも発電による利益を受けているが、今後の世代はそういった利益を受けることなくただただ放射性物質の安全保管と言う負担だけを背負わされる。しかも、もし環境中へ漏れだせば、上に述べたような健康被害を引き起こすわけで、大丈夫だと思って保管していても、どこかから人知れず環境中へ漏れ出ていて、被害を及ぼしているという可能性はかなりある。しかも、人間が自然災害の歴史を知ることが出来るのはせいぜい数千年であり、それを大幅に超えた期間の保管が必要であるということは、どこへ保管すれば安全であるかという判断自体が本来不可能であることを示している。
ときどき、原発は本来大地の中にある放射性物質を一か所に集めて反応させているだけであり、自然界でほっておいても起こっていることなのだから、あまり危険視する必要はないという議論を聞くことがある。しかし、これは間違っている。自然界にある放射性物質とは実際はウラン鉱のことだ。そしてウラン鉱は地中深くに相当に低濃度で存在している。地中深くに低濃度で存在しているために、生命体が活動する環境からは隔離されていることがまずある。次に、自然状態では崩壊するだけで核分裂反応をすることはほとんどない。放射性物質が崩壊する過程では、そばにある他の物質へ影響を与えることはほとんどない。理由は中性子を放出する反応がほぼないからだ。中性子は電気を帯びていないので他の物質の原子核へ到達でき、その結果、原子量を増やしたり、または核分裂を引き起こして新しい物質を生み出したりする。そして、原子炉にしても原爆にしても、中性子を大量に生み出す連続核分裂を利用している。だから、自然界に存在したままのウラン鉱からプルトニウムが生成されることはほとんどないが、原子炉や原爆からは大量にプルトニウムが生産されてしまう。中性子による連続核分裂反応によって生産される放射性物質は100種類以上あり、そのほとんどは自然状態では出てこない。
そして、こういった放射性物質は本来は地球上に存在していなかったため、生命体はそれに対する免疫を持っていない。もちろん、全ての生命体にとってすべての人工放射性物質が健康被害を及ぼすとは限らないのだろう。しかし、数億年以上をかけて進化してきた生命現象にとって、そういった進化の過程で対処してこなかった物質が環境中に出てきてしまうのはやはりリスクであることに変わりはないはずだ。
原子爆弾は、多くの場合、数十キロ程度の核分裂性ウラン、またはプルトニウムしか使わない。せいぜい大量であっても数百キロだろう。しかし、原子力発電所はその数十倍から数千倍以上の核分裂性ウランやプルトニウムを使っているし、その他の放射性物質を常時作り出してしまう。
原子力発電所の仕組みは複雑で、そういった施設が大きな地震に直撃された例は世界でまだ一度もない。10キロ程度離れたところでM7程度の地震が起こった例は2007年の中越沖地震で柏崎刈羽原発が被害を受けたものがある。原発直下で起こった地震ではないこの例でさえ、4年後の2011年の時点で再稼働が出来ていなかった。そもそも大きな地震が巨大な建造物の直下で起こるという事例がほとんどなく、直下型の地震が鉄筋コンクリートの巨大建造物へどういった被害を及ぼすかは分かってない。更に、地盤の様子は場所場所によって変化していて、地震波は震源の周りの地盤が変化する境界面で反射する。つまり、硬い岩盤が軟らかいものと接していた場合、その境界面で縦波が横波へ、横波が縦波へ変化する場合もあるのだ。単純な構造物であればその被害も単純なものであり、事前に想定が可能だが、原発のような複雑なシステムは最悪を想定しようとしても、それは無理というものだ。
原子力発電所にしても原子爆弾にしても、人間の対処力をはるかに超えた影響力を持っていて、国境を越え、世代を超え、人間の科学力を超えて地球の生命体へ影響を与える。第2次世界大戦で戦争の悲惨さを知った人類は、そろそろ原子力発電所や原子爆弾を放棄する判断をするべきではないだろうか。
2014年03月11日11時40分 武田信弘 ジオログのカウンターの値:44337
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