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マインドコントロールに対抗するために(3)
合理性とは目的合理性のことで、「終わりよければすべてよし」、または、プラグマティズムのことです。上手に目的を達成できればそれで良しとする考え方です。ここでは、目的そのものが正しいかどうか、正当性があるかどうかは意識されません。このことは、別の言い方で言えば、伝統からのかい離であり、無意識による束縛・支えからの解放とも言えるのです。
アメリカ文化の特徴の一つはプラグマティズムであり、それは伝統的な価値観からの解放という側面を持っていました。
伝統的な価値観とは、それなりに当時の社会全体からよしとされ、共有されていた価値観です。現代アメリカにおいてはプラグマティズムが伝統的な価値観になってしまっているとも言える状況ですが、現代アメリカにおいてもサブリミナル効果による支配は容認されてはいません。
目的合理性の特徴は目的のそのものの正誤は問わないことです。どんなに邪悪な、ものごとをぶち壊すことしかしない目的であっても、目的合理性というものは有り得るのです。そして、目的合理性を追求して合理的に行動しているのだから、その結果達成される目的そのものも正しいのだと考えてしまう傾向があります。核兵器を始めとした大量殺りく兵器やアメリカ市民社会における銃の所持なども目的合理性を追求してきているのだから、合理的であり、目的そのものも合理的、つまり、兵器の所持自体が正しいのだという勘違いがされているわけです。
繰り返しますが、目的合理性とは、例えば、空き巣に入るとき、きちんと相手の留守を確認し、侵入の証拠を残さないように注意をするというような合理性のことであり、目的そのものがどんなものかは関係ないのです。普通、どんな社会であっても、空き巣を正しい行為とすることはありません。そのため、空き巣そのものは合理性があるとは言えないのです。ところが、きちんと合理的に行動しているという意識が目的そのものを合理的なもの、つまり、正しいものと思いこませてしまうことがあるのです。
核兵器などの大量殺りく兵器、そしてアメリカ市民社会における銃所持の自由なども、いろいろな手続きを取っているということが一種の錯覚を招き、兵器の存在そのものが合理的である、つまり正しいと勘違いされているのです。
このことにはいろいろな経緯があり、それなりにしょうがないと言った面もあります。しかし、ここにサブリミナル効果によるマインドコントロールが加わると非常に危険性が大きくなるのです。
それは手段が目的化することです。一時的な疲労感を取ろうとしてつい麻薬に手を出してしまった結果、今度は麻薬を止めることが出来なくなるということと同じです。
サブリミナル効果を実行する側が強力化すると、サブリミナル効果こそが自分たちの力の源泉であると意識し始めます。そして、本来なら伝統的な方法、または正々堂々と相手と対等な関係で交渉し解決することができることを、単にサブリミナル効果を使うことで解決しようとするわけです。そして、こういった状態が一定限度を超えると、今度は、サブリミナル効果を使うことが出来るという自分たちの立場を守るためにサブリミナル効果が使われるようになるのです。本来は国民を守るためにある軍隊が、軍政を敷くようなもので、手段が目的化するという現象は歴史を振り返ればほぼ必ず起こると言ってもいいほどのことです。
現状はかなりの程度サブリミナル効果が使われていると思われます。この状況がもっと進むとどうなるかを簡単に予測してみましょう。
1.サブリミナル効果による支配が行われているということを知っている人たちは複数居て、互いに対立関係にいる場合もある。
2.自分たちにサブリミナル効果が使われるのではないかと疑心暗鬼になり、自分たちが相手よりも強力なサブリミナル効果兵器を持とうとする。
3.もともと、サブリミナル効果による支配は相手を自分と対等な人間とはみなしていないが、より強力なサブリミナル効果兵器を使うことによって、相手を人間ではなくてものと見る心理的な態度が身に付く。
4.相手をものとみなす心理的な態度が蔓延することによって、対等な人間関係をもとにした協力ができなくなる。
5.支配が一方的なものになり、支配者そのものがモノ化する。
簡単に言えば、伝統的な方法で結婚したカップルはたとえ一方が何らかの事情で困った状態になっても互いにそのことを理解して互いに助け合って行こうとするでしょう。しかし、例えば、サブリミナル効果で相手をマインドコントロールして結婚した場合、そういった助け合いは期待できないのではないかということです。
本来合理性は人びとが平等な関係にあるという前提であるなしを判断できるものです。社会一般に取って合理的なものは社会一般に取って正しいと言っていいわけで、これは単に合理的であるだけでなく、社会一般に認められた価値があるものだということになります。
サブリミナル効果によるマインドコントロールがどんどんと行われるようになると、今度は、こういった価値設定自体をサブリミナル効果によって成し遂げようとする可能性があります。例えば、子供に、「自分はバイオリンを演奏することが好きであり、自分はバイオリンの名手になる」というサブリミナル効果をかけ、実際にその子供がバイオリンの名手になったとします。ここで、その子供自身がサブリミナル効果を使われていると知っているとか、保護者が承諾していると言ったことは問題ではありません。事前了解があるにしろないにしろ、サブリミナル効果そのものが自己目的化しているのですから、例えば、キリスト教徒が生まれた子供に洗礼を受けさせるように、親が自分の子供にサブリミナル効果によるマインドコントロールを受けさせるという習慣・宗教、または法律ができてしまう可能性さえあるのです。
何が価値のあることかということもサブリミナル効果によって決定され、例えば、手足の指の爪をなるべく長く伸ばしたものが優れているとされることだって起こり得るのです。自分である程度の労働をすれば、爪はある程度短い方が有利です。爪が長いということは労働をする必要がないという意味であり、それは優れたものの証拠であるという意味付けが可能です。しかし、こんなことは普通なら成立しません。そもそも、だれであれ日常生活を送るためにも爪はある程度短い方がいいからです。ところが、サブリミナル効果によるマインドコントロールが行きつくところまで行くと、一部の人間が勝手に価値そのものを決めてしまうので、こういったことが起こり得るのです。
一方的な支配関係は、しかし、価値の無意味化を招きます。次回は価値の無意味化についてです。簡単に言えば、どんな時に本当に自分に価値があると感じるかということです。次回が最終回です。
2014年1月5日22時00分 武田信弘 ジオログのカウンターの値:40988
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