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天照大御神と卑弥呼と崇神天皇
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投稿者 会員番号4153番 日時 2014 年 1 月 01 日 10:41:50: 8rnauVNerwl2s
 

三世紀、卑弥呼=天照大御神は位宮=イクメイリヒコ=垂仁天皇=神武天皇に打倒され、壱与(台与)に政権を譲り、崇神朝は崩壊した。

七世紀、唐と結んだ天智天皇=新羅武烈王は卑弥呼政権を継承する蘇我王朝を倒した。

天智系を倒し、唐の影響を一新しようとした天武天皇の尽力により復興された倭=日本。

その日本が、日本人が危機にある。

中国、朝鮮、アメリカ等巨大な外圧が日本を滅ぼそうとしている。

崇神天皇、天照大御神、蘇我氏、天武天皇に連なる人々が覚醒すべき時だ。


★神武と戦った崇神天皇
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/54373208.html
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/54375748.html
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/54381308.html
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/54384130.html
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/54386827.html


 「神武に作戦を進言した椎根津彦(しいねつひこ)」と

 「崇神のところへ攻めこんだ武埴安彦」は、

 その行動が一致するだけでなく、その名も次のような奇妙な関係にある。

 [椎根津彦]は『紀』の当て字で、

 『記』では[槁根津日子(さほねつひこ)]と書いてある。

 [槁]は古い振りガナだと[サホ]、今ならサオで、竿のことである。

 しかしこの文字は[コウ]とも[タカ]とも読める。

 南九州の古代語は竹のことを[タカ]と発音した。

 これは竹竿のことでもあり、竹そのものを指していたことも分かる。

 またその[タカ]という名で、竹が[タカ]と呼ばれた氏族によって、

 日本へ運ばれてきたことが分かる。

 それは[イネ]も「コメ]も[カミ]も[クシ]も

 古い時代に入ってきたものはみな、

 それを持ってきた人々の名で呼ばれているからである。

 これでお分かりのように武埴安彦の[武]も[タケ]であって、

 それは『記・紀』の原稿を書いた連中が、

 自由に使った当て字なのだから、

 その文字は[竹]と書こうが[槁]と書こうが、

 それは同じことなのだ(武内宿祢は竹内宿祢とも建内宿祢とも書かれている)。

 そうだとすれば、この二つの名を並べて比べてみよう。

 タカ ネヅ
 槁  根津  日子
 タカーニャヅ 彦
 武  埴安
 タカハニヤス

 これはどちらかの文字を[タカーニャズ]と読んだ発音を、

 耳で聞いた速記者が、別の文字を当て字したものだったことが分かる。

 こうなってくると、この事件はがぜん面白くなってくる。

 それは神武天皇と崇神天皇とが、

 [同時に出てきてもおかしくない]どころか、

 大いにすばらしいことになりそうな予感がするからである!

 これはまだ「証拠」というほどのものではないが、

 ほかの証拠が見つかれば、

 立派に証拠に昇格する「証拠のタマゴ」であり「証拠のサナギ」である。

では『倭人章』に出てくる人物なのか? 

 一体、だれと一致するのであろうか?

  武 (槁) 埴 安  彦
 
  タケ(コウ)チ アン ビコ  (標準語の発音)
  狗右 制       卑狗
  クウ ヂ    ァィ ピク  (沖縄語の発音)

 『倭人章』には狗奴国は男王が治め、

 その官名は[狗古制卑狗]だと書いてある。

 このままでは[クコヂァィヒク]としか読めないが、

 陳寿の『三国志』より先に書かれて、

 陳寿がマル写しした部分のある魚豢(ぎよきわん)の『魏略』は、

 この[古]は[右]である。

 写したほうが間違いに決まっているから、

 [狗右制卑狗]のほうが正しい。

 そして、

 その発音は[コウチアンヒコ]と読める

 槁根津日子と武埴安彦の名と非常によく似ている。

 名は本来一つの発音しかないのだから、

 これまでみてきたいろいろな読み方の大半は架空のものである。

 この中国語との表で初めて、この発音が本当のものに一番近いと分かった。

 ほかのものは『記・紀』の著者が当てた字を、

 後世の人が[読み違えた発音]だということになる。

 しかし厳密にいうと、この発音比較では、まだ完全に表しているとはいえない。

 しかし、この狗右制卑狗は狗奴国の最高官なのだから、

 卑弥呼政権の敵側の人物であることは間違いない。

 攻めた側は神武天皇の一族だから、それと比較する必要がある。

 そのためには、

 まず[コウチアンビコ][タケチアンビコ]とは、

 何を意味する名前か調べてみよう。

 大隅(おおすみ)語と沖縄語では助詞の[の]にあたる[津]を[チ]と発音する。

 アンは九州語の[兄]であるから本名は[高の兄彦]で

 [高の国(沖縄語ではクヌ国)の皇太子]という意味になる。

 同じ[高津]を大隅読みすると[タケチ]になる (『ヒミコ』大隅方言・参照)。

 [神武天皇の一族との比較] (上が『倭人章』中が『記・紀』下が発音比較)
  
        狗右制卑狗                 コウヂァィ ピク
        神八井美美命          コウズヤイ ビビ
        武埴安彦(高津兄彦)      タケチアン ビコ
        多芸志美美命(神八井美美命の兄)タケチアン ビビ

 [神]は助詞の[津]が省略されているものとして[ツ]をつけて[コウヅ]と発音される。

 狗右制卑狗に一番近いのは、

 神武天皇の第二皇子・神八井耳の命だということになる。

 また武埴安彦(高津兄彦)は

 神武天皇の長子・多芸志美美(たけちみみ)の命が発音でも、

 長兄である点でも完全に一致する。

 そこで同じ兄弟の末っ子・神渟名(ぬな)川耳命が『倭人章』のだれに合うか調べてみると、

 [難升米(ナヌサンミ)]と[渟名川耳(ヌナセンミミ)]の関係にある。


これで狗右制卑狗が神武天皇の皇子・神八井美美の命だったことが確実になった。

 とすると彼らが戦った相手は卑弥呼政権だったのだから、

 私たちが知りたい[邪馬臺戦争]の真相は、

 [神武紀]と[崇神紀]の中にあることになる。

 そして[武埴安彦=多芸志美美の命]が攻めた相手の[崇神天皇政権]こそ、

 『倭人章』の卑弥呼政権だったと確認できるのである。

 それなら卑弥呼政権の当時の人物と崇神天皇の一族とを比較してみれば、

 ほかにも名の一致する人物が見つからなければいけない。

 そして見つからなければ、

 この狗右制卑狗との一致は[他人のソラ似]だったということで

 最初からやり直さなければならないが、

 一致すれば私たちはついに[正しい発見]をして、

 それを重ねながら前進中だ、ということになる。

 しかし実はこの間題は、もうとっくに解明ずみなのである。

 それは20年以上前に答えが出ていて、

 私(加治木義博)の『邪馬臺国の言葉』(コスモ出版社刊・1976年)で発表ずみだ。

 それを抜粋してご覧にいれよう。

  (左が『倭人章』中が『記・紀』右が共通の発音)

 伊支馬    活目入彦(垂仁天皇)      イキマ

 弥馬升    御間城(崇神天皇と皇后の名)  ミマジョウ

 弥馬獲支   遠津年魚・眼々妙媛       ミマクワシ

 奴佳鞮    沼羽田入比売          ヌハタイ

 都市牛利   十市瓊入姫・豊城入彦      トチニュゥリ

 液邪狗(拘) 八坂之入日子          ヤザカウ(王)

 まだまだあるが、先を急ぐここでは、全部を挙げる必要はない。

 これで十分証拠力がある。

 これでもまだ「他人のソラ似だ」という人は判断力に欠陥があり、

 こんな仕事には向かないソラ似や偶然の一致というのは

 非常にまれに起こることをいうのであって、こんなにズラリと一致することではない。

 この一致は「双方は同時存在だ」という[立派な証拠]なのであって、

 これを疑うなら、世界中の[裁判制度]は成り立たなくなる。

 人類が依存している法治制度は根底から崩壊して、

 人類は社会秩序を保てないことになる。

 これで神武・崇神の二天皇が同時存在だということは、疑う余地がないが、

 まだ大量にある証拠の中から[時]を示すものを一つだけ追加しておこう。

 それは神武天皇が大和の橿原で即位した年は、崇神天皇の何年と記録されているか。

 そんな記録があるか?

 という問題である。

 今の建国記念の日、戦前の紀元節の根拠とされたのは、

 その即位の年が、[神武紀]にある「辛酉(しんゆう)の年だった」という記事である。

 これは「縁起をかついであとでつけたウソの干支(かんし)だ」というのが今の定説だが、

 崇神天皇の三八年もやはり辛酉の年で、

 邪馬臺戦争直前の正始二年もまた辛酉年である。

 だからこの『日本書紀』の「辛酉記録」は信用できるのである。

その日こそ、私たち日本人が、

 「建国記念の日」として、尊重しようとしている日なのだから、

 ここでいい加減に見過ごしてしまっては、なにもならない。

 国家主義だとか帝国主義だとか、

 皇国史観だとか唯物史観だとかいう看板は、

 それを商売に利用している連中だけの問題で、

 私たち大多数の日本人にとって迷惑な前世紀の遺物でしかない。

 そんなものとは無関係に、純粋に日本という国の一つの出発点になった、

 この「グレート・エポック」について知らない日本人は、

 [文化人]の中に入る資格がないことは確かだ。

 それは一体いつなのだろう?

 だからここできっちりと、この「大発見!」について正確に記憶しておいてほしい。

 それは[西暦241年1月1日]=

 「魏の少帝・芳の正始二年・辛酉の春・庚申(こうしん)の朔の日(ついたち)である。

 しかし『記・紀』では神武は戦争が終わったあと即位したことになっているし、

 [崇神紀]では戦争は10年にあったことになっていて、

 38年がこの「建国記念日」では、間が伸びすぎていて話が合わない。

 この主要ポイント[辛酉]は正確なのだから、

 『記・紀』は修正が必要だということになる。

 修正すると神武天皇の即位は241年。

 戦闘は247年に終わって、

 邪馬臺国政権はヒミコの死で滅び、

 代わって邪馬壹国政権が誕生したのだから、

 [神武紀]が7年後に政権をとったと書いている記事の正しさが確認でき、

 真実の建国史が甦(よみがえ)ったことになる。


しかし、これで『日本書紀』を盲信していただいても困るので、

 この槁根津日子(さほねつひこ)を使って、もう少し問題点をお話ししておこう。

 [神武記]では、天皇たちが速吸門(ソキウのト)にさしかかったとき、

 亀の甲に乗って、釣りをしながらやってくる人に出会ったので、

 槁機(さお)を差し出して、

 その人物をつかまらせて船に引き上げ、水先案内人として供に加えたのだ、

 という説明になっている。

 [神武紀]も、

 ほとんど同じことを「椎槁(シイさお)の端を持たせて船に引き上げたので、

 以後[椎根津彦(しいねつひこ)]と呼ぶようになった」と書いている。

 だがこの人物の本名は、

 今、明らかになったように、

 本当の名前[神八井耳命]という名が先にあり、

 その発音に帯方郡使によって

 「狗右制卑狗(クウジャイピク)、異本では狗右智卑狗」などと

 当て字された『倭人章』の文字を、

 読み違えて当て字をしたために生まれた[幻の名]なのだから、

 この『書紀』の「以後[椎根津彦]と呼ぶようになった」は、

 脚色のためにあとで書き加えられた

 勝手な「フィクション=作り話」にすぎないことは簡単に分かる。

 後世のいわゆる物知りが、その名の意味を尋ねられ、いろいろと考えたあげく、

 本当は神の「コウと高と槁」との類似に気づいて、

 それはたぶん船に引き上げられるとき椎の木の槁を使ったので、

 そう名づけられたのあろうという「迷想像説」を作りあげた。

 それが『日本書紀』の中に取り入れられたために、

 まるで史実のような顔をして、現在まで伝わったのである。

 その筆者は、その本人がどんな人物か、まるで知らなかったのである。

 そこで、

 適当に漁師にしてしまっているが、

 本当は、

 あの卑弥呼を悩ました狗奴国の最高官である「狗右制卑狗」その人だったのであり、

 彼が崇神天皇の磯城(シキ)の都を震えあがらせた[武埴安彦]その人だったとすれば、

 それは神武天皇の兄・五瀬(いつせ)の命だった可能性もあるのである。

 五瀬の命だったのなら命が戦死する前は、当然この戦争の最高指揮者であって、

 船には最初から乗っていたはずで、途中で出会うといったことも、

 竿で船に引き上げられる、といったこともありえない。
 『記・紀』が、

 まるでどこのだれとも分からない浮浪者風にしてしまった

 [槁根津日子・推根津彦]は、当て字が生み出した架空の人物で、

 実在する一人の人物がいく人にもふくれあがったものの一つなのである。

 先にみた、彼が作戦を立てて進言する場面も、

 それに相当する人物は[五瀬の命]なのである。

 また、この[東征]が[崇神紀]の「武埴安彦の乱」

 これまでみた部分だけでも十分理解できる。

 だとすれば武埴安彦と同一人か、

 それに近い推根津彦が攻めたこの[神武東征]の舞台になった土地は、

 『ヒミコ』で徹底的に確認ずみの[邪馬臺国=鹿児島県隼人町]以外にはありえないし、

 ほかでは奈良県でさえも矛盾に満ちている。

 「図」邪馬壹戦争の戦場

 屋久島:狗奴国(安房)
 
 種子島(広田・熊野・西表)

 速吸門:大隈海峡

 大隈半島:大根占

 薩摩半島:開聞岳・活田・笠沙

 隼人:姫木山

 隼人町に邪馬壹の都があり[戦さの君=彦五十狭芹彦=伊声耆]がいた。

 この[五十狭芹]が[イソキの]と読まれて[磯城イソキ]と書かれた。

 決して奈良県の磯城(しき)郡のことではない。

 [速吸の門]は[ソキウの門]で、

 襲(ソ=大隅北部)と岐(キ=肝属=大隅南部)王(ウ=沖縄・大隅語)の門ということ。

 鹿児島湾の入り口をさす。神武天皇は熊野から北上してヤマトを攻めたが、

 狗奴国が[クマノ国]であり、種子島には熊野の地名も残る。

 また天照大神対スサノオではスサノオの本拠地は[ヤク=疫=屋久島]で

 この両島が出発点なのである。

<参考リンク>

■崇神天皇が3世紀の天皇だと考える理由(たっちゃんの古代史とか)
http://tacchan.hatenablog.com/search?q=%E5%B4%87%E7%A5%9E%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%8C%EF%BC%93%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%81%AE%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%A0%E3%81%A8%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B%E7%90%86%E7%94%B1

女王卑弥呼・・・崇神天皇。古事記の「后」から。倭迩迩日百襲姫も同一人物の可能性。
伊支馬・・・・・活目入彦。この時は皇太子・後の垂仁天皇。
彌馬升・・・・・彦坐王(にいます)、坐はイマスとも。日本書紀では崇神の異母弟。
彌馬獲支・・・・御間城姫(みまきき)。


■神武天皇と崇神天皇が戦った!
http://matmkanehara.blogspot.jp/2012/02/blog-post.html
http://matmkanehara.blogspot.jp/2012/02/blog-post_07.html
http://matmkanehara.blogspot.jp/2012/02/blog-post_08.html


■崇神は須神(スサノオ)、杉は須木
http://matmkanehara-momo.blogspot.jp/2012/11/blog-post_28.html


■古墳直列を発見した13歳児
http://www.geocities.jp/yasuko8787/71109.htm


■卑弥呼の父は「孝霊」は「高麗天皇」
 http://momohahamatmkanehara.blogspot.jp/2012/01/blog-post_29.html


■歴史年表(4)「和人史」年表
http://momo-momomat.blogspot.jp/2012/02/blog-post_9180.html 
 

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コメント
 
01. 2014年1月05日 08:07:47 : WrBl7tYjLY
古墳とその地方の豪族・氏族の勉強をしていたら。古墳時代人は半島から移住してきて、孤島の森や葦原を耕させて、弥生人を使用し、競って一万以上もの大小古墳を作った。彼等は、古くは駕洛国や馬韓・辰韓・弁辰そして加羅・百済 高句麗からの武装開拓民であり、河内・吉備・北九州などと張り合っていたようだ。
古墳人は半島系、弥生人は縄文プラス華人、縄文人は東と南と北と西の目のはっきりした部族が住み分けていた。

だから紀記などは半島人の王統を記したもの
早く目を覚ませたほうが日本のためだ。

三国人が大嫌いなネトウヨはなおさら・・・


2. 2017年5月01日 00:28:43 : Z7LuTh2uAM : a340uY1FYJQ[1]
その舞台は滋賀ですね

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