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元々は冬至のお祭りなのに、つまりは、これからだんだんと太陽の出ている時間が長くなり、日常的に太陽が早く沈む欧州の人にとってみれば、恵みの季節が訪れる、これで麦も育つぜ、やったぜ、ベイビー!という意味でのお祭りだったのに、それをイエスの誕生日である!としたカトリック教会は、今でいえばやり手の企画屋みたいなもので、先に大きな事実を作っておいて、その事実が嘘だとバレても、開き直って、誕生日なんて言っていないぞ、誕生を記念する日なのである、としたカトリック教会は狡猾である。本当の父親が赤坂か誰かは知らぬが、父子率0%とされた17歳の子を前に、マイも大見得を切って、私こそ処女マリアの生まれ変わりで、あれは処女懐胎であると自主申告すべきだったが、カトリック教会ほどの度胸も無かったということである。
私も毎日のように一仕事終えては昼間から仲間と飲み交わしているが、今月はご多分に漏れず忘年会という場に何度も出掛け、明日も一席あるが、毎年デマを用意してどれだけ人を信じさせることが出来るかというゲームを一人でしていて、日頃の仲間内で練られたかなりの自信作を用意するものだから、二次会のカラオケでは、私のデマを連呼するという珍現象も起きるが、今年もイケテルようだ。今年用意されたデマは「ニコチンが放射能を防御できる」というもので、これだけ情報が信じられない時代になると、ここまでの珍情報もあり得ると妙に納得してくれる人が増えて、デマと知りつつ、喜んで頷いてくれたり、二本同時に煙草をくわえはじめる友人の姿を見ていると、本当にニコチン層が肺や気道を放射能から守ってくれそうで、年始のツイッタのRTの嵐がコワかったりするものである。
さて、小沢一郎は、常々「お天道様が見ている」と繰り返すが、私も「お天道様が見ている」と思っているから、デマをデマだと宣言した上で、「煙草が放射能を防げる、もっと吸え!」と言い回っているが、彼と私の違いは、世の中を斜に構えて見ていないことで、でんと鎮座して、高所から対極を見渡すのが自然に身に付いており、私の仕事でいえば、300年くらい続く先祖伝来の魚が群がるポイントをGPS信号に記憶させて、鼻くそをほじりながら食べながら、その場所まで自動運転で行き着くようなもので、先祖の知恵をGPSという現代機器に頼ってようよと漁をしている私に比べて、(不正)選挙で負けた翌日に、三年後は勝ちます!と満面の笑みを保たせつつ宣言した小沢は、あっぱれである。
団塊暇人親父の急先鋒である一市民T氏は、工学出身の気質を活かして理詰めで小沢事件を紐解いて行ったが、始めは歩みが遅くて、魚を待つより遅くて、あくびが出そうだったが、敵は検察ではなく最高裁である!と言い始めたころから、私も目が覚めて、共著にさせられた下品な文学評論家を蹴飛ばしながら、森にも挑みながら、黙々と最高裁を追い詰め、フォーリナーの前で最高裁の罪を陳述してみせた姿は、誠に美しく、できれば、お父さんになってください、と土下座したくなる気分であった。彼も小沢と同じく、誰彼の目が問題ではなく、「お天道様が見ている」と心に秘めながら、馴れない世界で航海をしていたのだろうが、いかなる大波も舵の取り方一つで乗り越えられるのだと証明してみせたあの勇士は、我が港の仲間たちも感服ものだった。
私も当初は森を高く評価して例の森の本を買って斜め読みしてしまったが、いまでは書棚になくブックオフに安く売られている始末である。森は小沢にはなれず、「お天道様が見ている」と言う感覚が染み付くまでは、バツとしてニコチンをその身に染み付かせるくらいの生き方の転換が無いと、ポスト米英仏イ時代の政治家としては乗り切れないだろうし、一市民を相手に民事訴訟をしている時点で、もう終わってる感満載である。
今日はイエスの誕生日だ、というのはデマだし、マイの子の父はオオサワだというのもデマだし、煙草が放射能から身を守ってくれるというのもデマだが、お天道様が見ているというのは真実である。偽ユダヤには分からないことである。
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