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福島県田村市にある教員住宅の便槽内で菅野直之氏が死亡していた。
警察は事故死として処理した。
後日、同一条件で便槽内にもぐりこむことが可能か実験した結果、便槽内に入ることは不可能であった。
他殺説がささやかれ、真相究明のため知人友人が4000名以上の署名を集めて三春警察署に嘆願書を出したが、捜査はされなかった。
菅野直之氏は、自身の職場でもある福島第2原発3号機での事故を受けて、原発の危険性を指摘し始めていた。
この事件の黒幕は原発マフィアであろう。
あと一歩でチェルノブイリを越える大惨事になるところだった、福島第2原発3号機での事故とは次のようなものだ。
1989年1月6日、福島第2原発3号機で再循環ポンプの部品が破砕し、原子炉内に金属片が流入していたことが発覚する。
前年暮れから3号機では、原子炉際循環ポンプの異常振動を知らせる警報が鳴っていたが、出力を下げて運転を継続した結果、事故が発生した。
原子炉際循環ポンプの異常を知らせる警報は前年の暮れから1月6日までに3度鳴っていた。
しかし、原子炉班は正月休みで全員出払っていた。
警報に対処した責任者は意味がさっぱり分からず、東電の指示に従った。
指示は、『振動を抑えるべく出力を下げて運転せよ』というものだった。
3号機は1月6日に定期検査を控えていたため、警報発生後も運転が継続された。
その結果、1月6日に莫大な損害を被る重大事故が発覚した。
菅野直之氏の同僚で、異常警報が鳴り止まぬ3号機の責任者が上京したのは1月4日のことである。
正月休みで出払っていた原子炉班に変わって責任者として3号機を任されていた菅野直之氏の同僚から東電幹部たちは説明を受けた。
菅野直之氏の同僚は、3号機の振動が日増しに大きくなっており、このまま運転を続けるのは危険だと訴えていた。
菅野直之氏の同僚は、東京電力本社に寄った帰りの上野駅で電車に轢かれて死亡した。
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