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イエズス会は極東、とりわけ日本の占領を企図した。
まず最初に宣教師が、後から外国の軍隊がやってきた。
日本占領の意図をもってフランシスコ・ザビエルが1549年、日本に到着するとイエズス会士たちは“大名”と呼ばれる日本の貴族多数をキリスト教に改宗させた。
イエズス会士たちはそれから大名たちを扇動して何百という仏教寺院を破壊せしめ、さらに仏教の僧侶たちを虐殺させた。
キリシタン大名は、火薬一樽に対して日本女性50人を奴隷として差し出した。
天正少年使節団の報告書では次のように述べている。
「行く先々で日本女性がどこまでいってもたくさん目につく。ヨーロッパ各地で50万という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、インドやアフリカにまで転売されていくのを正視できない。」
反イエズス会勢力は、ひとりのプロテスタント派キリスト教徒ウイリアム・アダムスを将軍の宮廷に送った。
ウイリアム・アダムスが、イエズス会士たちによって殺害されようとするその寸前に、将軍家康はアダムスを助け出した。
家康は十分な時間をかけてこの船員アダムスと会談し、アダムスの話を聞いた。
そこで家康はイエズス会の歴史が血にまみれていることを知った。
西インド諸島原住民皆殺し、そしてスペインにおける異端審問についても。
その結果、この英国人は、異例の恩寵を与えられ、武士に取り立てられた。
将軍家康は、そこで、イエズス会および彼らが構築したトレント公会議によって指導されるローマ・カトリック教会首脳部と法王の政治的行動計画に対して反撃することにした。
家康は、その治世の最初から、彼の帝国を組織し、統合するとともに、彼の権力を外国の陰謀家たちに適切に対抗できるように建設した。
1606年、彼はキリスト教布教活動禁止令およびキリスト教徒棄教令を公布した。
家康の言うキリスト教徒はこの場合、ヴォルテールの“その土地土着原住民の政府を打倒してそこに宗派的支配権を打ち立てることを合図とするローマの悪名高き陰謀システム”を意味する。
徳川将軍がこの事情を理解したので、家康、秀忠、家光はイエズス会士とその手先たち、スペイン人、ポルトガル人を追放した。
プロテスタント派のオランダ人に1854年まで日本との貿易の独占権を与えた。
1614年、家康は、彼の嫡子秀忠の名において、“キリスト教”を非合法化し、イエズス会を追放する法律を公布した。
1622年、多数のイエズス会士が、国家反逆罪によって死に処せられた。
1624年、スペイン人、ローマ・カトリック教は、次の理由により家光の命令で禁止された。
「切支丹(イエズス会)は、致命的に危険な教義を海外に広め、真実の宗教(仏教)を根絶し、(日本の)政府を打倒し、彼ら自身を全帝国(日本)の主人たらしめるために策動して来た」
イエズス会の目的は中国の征服であり、日本侵略はそのための足場作りであった。
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