07. 2013年11月04日 13:50:32
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ここに貼っとくぞ 本当に分かってなさ過ぎる星野仙一という既得権 http://blog.livedoor.jp/chikumaonline/archives/52808260.html ■はじめに 「燃える男」星野仙一。現役選手として146勝121敗34セーブ、監督としても920勝(歴代13位)、リーグ制覇3回という立派な成績を挙げ、 2011年シーズンからは東北楽天ゴールデンイーグルスの監督として手腕をふるっている。だが、それよりも特筆すべきはその膨大な数の「星野仙一研究本」である。星野は87年の中日(第一期)監督就任時から数十冊の星野仙一関連本が出版されている。だが、野村克也や長嶋茂雄はともかくとして、仰木彬や上田利治といった監督は通算勝利も、リーグ優勝数も星野よりも多く、かつ、両者とも星野にはできなかった日本一を達成しているにも関わらず、「研究本」の数では星野にははるかに及ばない。こうした落差はなぜ生まれるのであろうか。星野の「マネジメント論」の中身となぜ星野仙一が日本社会で必要とされているのかを明らかにするのが本稿の目的である。 ■「マネジメント能力」の正体 ここではまず「星野仙一研究本(星野本)」の中身について考えていきたい。星野は通算4度、北京オリンピック日本代表監督(2008年)も含めて5度監督になっている。監督歴は1987年から現在に至るまで、断続的に「星野本」が書かれているが、その多くには星野の次の部分を取り上げている。 1:数々の大トレード・粛清を断行した決断力・・・中日時代(第一期)の落合博満獲得時の5対1のトレードや、阪神時代、2002年オフに24人(全選手の3分の1)を解雇した。 2:球界全体に及ぶ人脈力・・・出身球団である中日内部だけではなくON=王、長嶋を始め川上哲治や根本陸夫、果てはあのナベツネ(渡邉恒雄 読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆。読売巨人軍会長)に至るまでプロ・アマ問わず広範囲に人脈を築いた 3:後援会をバックにした集金力・・・星野の人脈は野球界だけにとどまらず、政財界にも及ぶ。そうした政財界関係者を後援会に組織、潤沢な資金をもって中日時代(第一期)には報奨制度で選手を鼓舞した 4:恨まれるはずの人間からも慕われる人間力・・・中日時代(第一期)には落合の交換要員としてロッテにトレードした牛島和彦にも気配りを忘れず、結果として本来恨まれるはずだが、現在に至るまで関係は良好である こうしてみてみると星野は野球監督の采配それ自体よりもマネージャー・GMとしての能力を評価されている。事実、「星野本」では第一期中日監督時代に落合を獲得した5対1の世紀の大トレードや、阪神監督時代の24人大粛清は必ず取り上げられるが、「星野本」における星野の「采配」それ自体に関してはは驚くほど印象が薄い。これは星野の野球理論自体は極めてオーソドックスなものであるのと同時に「監督としての日常の実務はほぼすべてといっていいほど」長年の盟友でありヘッドコーチであった故・島野育夫に任せていたためだろう(星野仙一『シンプル・リーダー論』2005年文藝春秋より)。ただし、こうした「采配をヘッドコーチに任せていた」ことをもって星野には監督としての資質がない、というつもりはない。だが、一方で疑問に思うのはこうした、星野のマネージャーとしての能力の源泉である。 「マネージャー・星野仙一」の原点は、一つは自身の幅広い交友関係から様々な形で監督としての管理術を学んでいった事があげられる。星野自身の手による『改訂版 星野流』(世界文化社 2011年)ではその過程を以下のように描写している。 監督になる前、NHKの解説者でいた時に、将来はいずれ監督をやるつもりでいたのでNHK仲間である川上(哲治)さんや藤田(元司)さん、広瀬淑功(元南海ホークス内野手)さんといった大先輩からいろいろ勉強するチャンスがあった。 とりわけ、当時NHK野球解説の大物にしてV9時代に「悪の管理学」を完成した川上からは大いに学んだとのことである。 もう一つは明治大学時代、御大こと島岡吉郎に鍛えられた事が大きい。島岡とのエピソードはNHK人間講座(2004年8〜9月分)『人を動かす組織を動かす』に詳しいが、ふがいないピッチングをした星野と島岡は「グラウンドの神様に謝る」と称して雨の降る深夜の練習場のグラウンドでパンツ一丁土下座で謝ったという。 このエピソードに象徴されるように、島岡はいわゆる精神論者である。 玉木正之にその点を聞かれた星野は以下のように答えている。 玉木 しかし島岡監督は、典型的な精神野球論者で、野球の理論は全く知らないという声がありますよね。だから星野監督も選手を殴るんだという人もいますが・・・。 星野 それは、島岡さんを知らない人のいう言葉だよ。そりゃ、あの人はバットの出し方とか投球フォームのような、技術論には詳しくない。(中略)野球に賭ける情熱とか、また、野球を通して人の心を掴むこととか、もう、じつに様々な事を学んだ。 『監督論』玉木正之 1988年 NESCO つまり、星野はここで島岡流の精神論が自分の管理手法の源流にある事を認めている。問題は「星野本」のストーリーラインとして1〜4の「力」は星野の「人間力」によって培われたという事になっていることだ。 ■素晴らしき哉、人間力 前段で「星野本」のストーリーラインとは「星野のマネジメント論の根底にあるのは実は恩師から受けた教育であり、結果培われた「人間力」によるものである」と述べた。つまり、星野の優れた「人間力」によって、敵であるはずの人間ですら味方につけ、味方を後援会に組織し、豊富な資金をバックに選手を獲得する。これらは全て星野の「人間力」あってのことだ、 「星野本」のストーリーラインを要約するとこうした結論になる。 例えば前段に挙げた川上哲治。川上は巨人のリーグ戦9連覇(V9)を達成した監督だが、その川上をして星野に「全面協力」を申し出させている。中日ドラゴンズという球団は親会社同士が同業種ということもあり、巨人をことさらライバル視している。中日ファンの中には巨人が最下位であれば中日は5位で良いという人間すらいるのだ。そうした環境に身を置きながら、ライバル球団のドンとも呼べる人物に師事する。星野の「人間力」を象徴するエピソードである。 もう一つ。阪神監督だった星野は2002年オフに大補強として金本知憲、伊良部秀輝らを獲得。これが結果として阪神の優勝につながるが、金本獲得について星野は前掲『シンプル・リーダー論』にて次のように語っている。 たとえハダカになってぶつかっていくにしても、カネで釣らない、その場限りの巧いことはいわない。心意気を第一義に、お互い両天秤にかけて腹を探り合うようなことはしないという掟は同じだ。 どんな交渉ごとでも取引でも大事なのはかけ引きではない。誠実さとか、信頼感とか、いうなれば「信義」だ。(中略)だから、わたしが出ていくともう「一緒にやらんか。一緒になってチームを強くしていってくれんか」というだけのことだ。 つまり、星野は選手獲得であっても条件ではなく自分の「人間力」、ここでいうところの「誠実な人柄」によって成功するものだ、としているのだ。 ■監督・星野仙一が人気な理由 星野の「マネジメント論」が「人間力」を根底にしたものだとして、では星野はなぜ支持されるのだろうか。一つは、星野の「マネジメント論」が社会が「スポーツ」に対して単なる娯楽以上に期待されている事に合致するからだ。星野の言う「人間力」は「道徳」に容易に転嫁する。前掲『星野流』から星野の「道徳」言説を拾ってみよう。言うまでもなく、星野は体罰肯定論者である。その名も「点火のためには、時には殴る、それがどうした」と題して星野はこう綴っている。 こういう話になるとすぐ星野は体罰容認主義だ、現在の教育制度をりかいしていないんだと誹謗中傷を受けるのだが、逆にわたしは百歩譲っても、ことあるごとに本当の責任がどこにいくのかもわからない、誰もが痛くもかゆくもない、ただ穏当でだらだらした場当たり主義の形式や便法に走って、本来的な厳格性を二の次にしがちな今の風潮なり、考え方なり、そうした制度というものの方が余程、断然苦々しい。(中略)「厳正な態度の周知徹底」という、簡単で誰にでもぽっとわかるような一番大切な「教育の原点」がどこかに行ってしまうと、お互いにもっとどんどん始末の悪い事になっていくのではないかと思っている。 もう一つ。星野が今の若者について語った部分を引用する。 今の若い選手は子どもの時から、人や周囲からあれもこれも全部「答え」を出してもらって育っている。親や先生があれもこれも、手取り足取りして教えてくれる。冷蔵庫を開ければすぐ食べられるものがあり、テレビのスイッチをつければ憶えきれないほどの情報や見たいものが見られる。勉強していてわからないことがあればガイドテキストでも、パソコンでもなんでもすぐに調べれられる。答えも情報も周囲に身近にあり過ぎて、逆に身につかないでいることが多いものだ。「成果」というものは多少の練習や努力ではすぐに出るものではないのだが、すぐに答えなり成果が出てこないとすぐに諦めたり、自分でなかなか本気になってやろうとしたがらない。 こうした発言を例えば石原慎太郎がしたものだと言われても全く違和感がないだろう。つまり、星野の語る人間論とはほとんど「道徳」であり「保守」なのだ。というか、こうした発言をするからこそ星野は人気なのだ。スポーツをする事によって本人の人格形成に役立ち、「良き社会人(そこには多分に「保守主義者である」という意味も含まれる)」として生活する。そうした社会の要請に対して星野の「マネージャー論」は実に巧妙に応えているのだ。 もう一つは、星野が「団塊の世代」である、ということだ。数々の「星野本」に共通する記述として星野を「我ら団塊世代の〜」と表現する事からも星野が団塊世代からとりわけ支持される人物であることがわかる。1947年生まれの星野は団塊の世代ど真ん中。この年代も星野を始め、山本浩二、田淵幸一等、数々の名選手を輩出した。だが、名選手が名監督だとは限らない。この中で唯一監督として優勝経験のある山本浩二も優勝回数は1回。しかも、2008年の北京オリンピックには守備走塁コーチとして監督・星野の下にコーチとして入閣している。つまり、事実上、団塊世代が「我らの監督」として唯一思い入れを持って応援できる存在が星野なのだ。 数々の「星野本」を上梓しているライター・永谷脩は、その名も『「団塊の世代」1,000万人への熱きエール 星野仙一の悪を生かす人づくり』と題した「星野本」の内でこう書いている。 昭和十年代生まれのリーダーは、社会でも球界でも長いあいだ君臨してきた。その一方で、昭和三十年代生まれのニューリーダーの突き上げにあい、なんとなく存在感を失い、元気をなくしているのが「団塊の世代だ」。 全国1,000万人ともいわれる団塊の世代は、リストラなどいちばん激しい状況に置かれ、年金などでもワリを食い始めている。そんな世代にとって星野の頑張り、同世代に元気を与えてくれたことは確かだし、不況のなかで関西圏への2,000億円の経済効果は、夢を運ぶ職業の人の手によって可能となってくれているような気もする。 これが、最も本音の部分での星野が支持される最大の理由であると思われる。金と暴力による支配から部下の自主性を重んじ、やる気を引き出すという管理手法の変遷、中日ドラゴンズから阪神タイガース、そして日本代表監督とステップアップしていく星野の姿はそのまま団塊世代の歩んできた道そのものであり、彼らの夢をも象徴しているといえるのではないだろうか。 ■星野仙一という既得権 本稿では、監督・星野仙一のマネジメント論には「人間力」教育があり、星野の人気の秘密は、社会の要請としての「人間力」教育に実に巧妙に応えている、ということにあるところを確認した。組織のマネジメントに一定の正解はない。組織の数だけ、それに見合ったマネジメントの形がある。 だが、問題は、あまりにも安易に人間力とマネジメントを結び付けることにある。先に述べた通り、星野の「人間力」とは容易に「道徳」に結び付くのだ。そして、それは島田紳介や和田アキ子に代表される「ヤンキー」や石原慎太郎らの「保守」とパラレルに繋がっているのだ。そうした星野がもてはやされる構図は日本の既得権の構造そのものである。 星野仙一という男はどこに向かうのか。すでにかなりの高齢となったONに続く野球界全体の指導者として星野はうってつけだったはずだ。中日、阪神で優勝した後、北京オリンピックの代表監督に就任。ここでメダルを獲得し、続くWBCでも好成績を残し、野球界においてONと同等かそれ以上の影響力を持つ、これが星野が描いていた青写真であろう。だが、結果はオリンピックで惨敗。猛烈なバッシングを受ける。WBCでは下の世代の原辰徳が監督になり結果は見事優勝。セイバーメトリクス(※1)のような指標に対してそして星野仙一的な「精神論的」マネジメント手法は既に陳腐化しつつある。それでも上下の世代に挟まれて身動きの取れず、監督を続けるしかない星野。「星野仙一物語」としてもこの結末は尻切れトンボであろう。だが、星野はそう遠くない未来に「プロ野球の監督としては」花道を飾ることができる(※2)。だが、真に悲惨なのはその尻切れトンボの物語に付き合わされた組織の人員なのではないか。星野のこうした佇まいは漂流する団塊世代と彼らによって迷惑を被る若者世代の構図そのものだとは言いすぎだろうか。
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