http://www.asyura2.com/13/cult12/msg/380.html
Tweet |
1969年、アメリカのユニオンカーバイド社の子会社であるユニオンカーバイド・インディアが、自社のセヴィンと呼ばれる殺虫成分を生産するために、インドのマッディヤ・プラデーシュ州の州都ボーパールに生産拠点を置いた。
1979年、セヴィンを生産する際に使用されるイソシアン酸メチル(MIC)の生産プラントが増設された。
1984年12月3日の深夜、イソシアン酸メチル(MIC)の入ったタンクの中に水が流入し、発熱反応が起きた。
それによりタンク内の温度は200℃にまで上昇し、一気に圧力が上昇したタンクは爆発した。
約40tのイソシアン酸メチル (MIC) が流出して猛毒ガスとなり、ボパールの都市へと流れていった。
工場の近隣市街が人口密集地域であったこと、また事件当夜の大気に逆転層が生じて有毒ガスは拡散せず滞留したため、夜明けまでに2000人以上が死亡、15万から30万人が被害を受けた。
その後数箇月で新たに1500人以上が死亡するなど被害は拡大し続け、最終的にはさまざまな要因で2万5000人が死亡した。
・事故の要因
1.事故の直接の要因は、イソシアン酸メチル(MIC)貯蔵タンクへの水の混入である。
その結果、タンク内部で化学反応がおこり、熱が発生することで、沸点が39.1℃のイソシアン酸メチル(MIC)が蒸発して、大量の有毒ガスが発生し、高圧によるタンクの爆発が起きた。
2.緊急事態に備えるいくつかの安全手順が回避されていたことが調査により判明している。
a.タンクに漏れている水を防ぐバッフルプレートの設置は省略
b.タンクの冷却に使われる水の不足
c.流出したガスを焼却できたフレアタワーが修理中
d.ガス洗浄装置の中和剤の水酸化ナトリウムの不足
3.設備を他の工場と統一しなかったインド従業員の活動規範。
こうした安全基準はユニオンカーバイドが当時関連していたインドの工場で「コスト削減計画」の妨げになるとして、1984年11月に意図的に省略されていた。
4.最近浮上した文書は、ユニオンカーバイドがインドの工場へ「無認可のテクノロジー」をしばしば輸出していたことを明らかにしている。
5.工場が操業した時、地元の医師はガスの性質を知らされていなかった。
6.災害時の基本的な対処法は考えられていなかった。
ユニオンカーバイドはこれらの証言や主張を一切認めていない。
そして事故はひとりの従業員が検査用の通気孔を通して故意に水をホースで流し込んだものと結論した。
ただしこの調査は専門家によるチェックはされていない。
ユニオンカーバイドは事故によりこうした方法で水が混入することを見つけることができなかったと主張している。
安全システムはこのような破壊活動に対処できるようにはなっていなかった。
ユニオンカーバイドのボパール工場スタッフは事件の責任を逃れるために多数の記録を偽造した。
ユニオンカーバイドは公的に破壊工作をした従業員の名指しはしていない。
・ユニオンカーバイドに対する調査と訴訟
1989年に示談による和解が得られ、ユニオンカーバイドはボパールの事故によって生じた被害に対し4億7000万米ドルを支払うことに同意した(当初の訴訟では30億ドルが請求されていた)。
その後、ユニオンカーバイド社との和解によって政府が受け取った賠償金のうちの一部しか遺族には渡らなかった。
2004年4月、インド最高裁判所は政府に対し、賠償金として受け取った残り3億3000万米ドルを被害者と遺族に支払うよう命じた。
当時のユニオンカーバイド社の最高経営責任者であったウォーレン・アンダーソン(1986年に辞任)はこの大規模な殺人事件の主犯とされていたが、法廷での審理に出席しなかったため、ボパール最高裁判長によって1992年2月1日に逃亡犯として宣告された。犯罪人引渡し条約を締結しているアメリカに対し、インド政府は引き渡しを求める通知を送ったが、この要求が受理されることはなかった。
・汚染の現状
政府が主導する意思を持たなかったため、何トンもの毒性廃棄物が手付かずのまま放置されている工場の清浄化は行き詰まった。
環境問題研究家たちは、この廃棄物は市の中心部の汚染源となる可能性があり、生じる汚染は何十年にも渡ってゆっくりと広がり、神経系、肝臓、腎臓に障害を与えるおそれがある、と警告している。
調査により、事故以来がんなどへの罹患率が高まっていることが示されている。
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。