50. 2015年4月22日 22:52:34
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>>04riikoの部屋 康成は自殺ではない http://ryouko70.blog.fc2.com/blog-entry-425.html 以下はフィクションです。わたしが以下のフィクションを書きたい理由は川端は親族(血はつながっていない)で、 自殺と言われているけれど 大きく事実とちがうのではないか、 これを探り出すことがライフワークだと強く思うからです。 真実に近づきたい... だれも語ってはくれないけれど。 親族や近しい人の場合、インスピレーションが来ることがあるんです。 ◇ 作家川端康成は、1971年秋ごろから、政治家や世間の人から老害と疎んじられるようになっていました。 それは新しい小説が書けないだけでなく、睡眠薬(向精神薬)のせいで、前後不覚になることがあったからです。 本人が医師の処方どおりに飲んでいたか、 向精神薬を飲む水に毒物が長期にわたって混ぜられたせいなのか、 それは睡眠薬と報じられているけれどもじつは毒物を摂取させられていたのか こっそり麻薬をやっていたのかはわかりませんが、前後不覚になり、周囲に迷惑をかけることがあったようです。 わたしのインスピレーションに浮かんだのは、ある雑誌社の刺客です。 インスピレーションでは、川端と週刊誌の編集長がいっしょに神奈川県内の公園を歩いているのです。季節は晩秋。かしの落ち葉がちらほら舞う季節です。 編集長 あの、先生、人づてなんですが、よくない噂を耳にするんです。ご親族の◯子さんとのことなんですが、・・・・なそうですね。 川端 ・・・はっ??(睡眠薬で半廃人化しているので、こたえられない。) 編集者 で、小誌でそのことを記事にしたいんですが、かまいませんでしょうか? 川端 (ほとんど廃人化していて) それにしても、きょうはいい天気だね... //////////////////
川端は自殺ではない http://ryouko70.blog.fc2.com/blog-entry-427.html
川端康成は1970年ごろから、権力者、CIAの人たちのあいだで老害とみなされるようになりました。 そこで権力者とCIAの合議体は協力して、スキャンダルさがしをはじめます。スキャンダルは調査すると出てきました。姪子さんとの××です。そこで某週刊誌編集長のHさん(仮名)に声がかかり、 週刊○○で記事を書いてバッシングすることからはじめようということになりました。 編集長は、まず裏をとらねばなりません。 調査の結果、事実(姪を愛人がわりにしている事実)があることが判明。事実を誌上で書いてまず、康成の反省を求めようと編集長は思いました。 反省はありませんでした。 編集長は、権力者からの依頼もありますが、自ら義憤をおぼえ、 自らが刺客になろうと思うようになるのです。 モード」をオフにしてください [解説] リアルタイムプレビュー × 1971年の初秋に川端と神奈川県内の森のような茂みのかたわらを歩く編集者Hさんは、李克強首相と似た面立ちです。 もうちょっとだけ人相が悪いときもあるかな。 でも、刺客なんかには見えないので川端は、新しく買った逗子マリーナに彼を招き入れるのです。 三島由起夫もなくなり、実の血を分けた子もいない川端はさびしく、週刊誌にスキャンダルを書き立てた超本人であっても、川端はHさんをさほど警戒しませんでした。 Hさんは以前から川端が腹が立ってならなかったのです。 何が気に入らないのかはわかりません。 単におれのほうが文章がイケてると自負するHさんにとっては、川端は単に品行が悪い旧時代のヘッポコということなんでしょう。 どのようにして殺害はなされたか? Webや新聞に書かれていることを信用してはいけません。 それらは作家を美化して永遠に読者をつなぎとめようとするためのフィクションのこともあるのですから... //////////////// 川端康成は他殺 http://ryouko70.blog.fc2.com/blog-entry-430.html
もうすぐ康成の命日の4月16日がやってきます。 川端康成は1971年春ごろより新しい作品を書かない、睡眠薬(麻薬または向精神薬)の摂取過多で、生きている価値のない人間、無用の老人と一部で思われるようになりました。 じっさいに接触しない人は 神業のような小説を書く天才だと 遠くから眺めていた人もいたかもしれません。 けれど、毒殺者Hにはなんとしても成敗しなければならない不品行者に映りました。 (この)フィクションでは、殺害者Hは週刊誌の編集者としています。 ガス臭がしたので発見したお手伝いが通報した... ここのところが、永遠に読者の人気を維持せんとするレトリックなのです。 お手伝いが別荘に行ってみると主人はすでに変わり果てた姿で横たわっていました。 お手伝いはまず身内の人に連絡したでしょう。そして、身内の人が作家仲間に連絡したのでしょう。 作家の石原慎太郎さんがいちばんに駆けつけて、 「ガス自殺ということにしようと思いますが...」と 遺族らの同意を取ったうえで ガスを開栓し、ガスを充満させ、 ガス管をくわえさせたのです。 ///////////////////////
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