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「小佐古先生が涙を流して抗議した映像ばかりが流され、福島の現場では『1ミリシーベルトにすべき』との発言として伝わった」との主旨だった。「1ミリシーベルトの呪縛」が政府の政策、県民の意思決定を硬直化させたとした。」
丹羽は振り返る。「同じ20ミリシーベルトでも一方は安全、一方は危険とほぼ同時に使われたことが混乱の大きな原因だった。整合性のつく説明ができなくなってしまった。いろいろと後手に回り、世界の専門家のコンセンサス(総意)は生かされなかった」
Hideta福島(被災地復興に一票)さんのつぶやきから
https://twitter.com/HidetaFukushima/status/386665607959040000
Hideta福島(被災地復興に一票)
@HidetaFukushima
bot◆ 安全の指標(12) 揺らいだ基準 世界の総意生かされず http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2013/03/post_6727.html …
「小佐古先生がしたことはICRP(国際放射線防護委員会)の考えにもとる」
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2013/03/post_6727.html
第二部 安全の指標(12) 揺らいだ基準 世界の総意生かされず
丹羽は「世界の専門家のコンセンサス(総意)は生かされなかった」と語る
平成24年3月4日。東京電力福島第一原発事故後の1年を振り返る日本保健物理学会(保物学会)の事故対応シンポジウムが東大であった。
「小佐古先生がしたことはICRP(国際放射線防護委員会)の考えにもとる」
特別講演で演題に立ったICRP委員で京大名誉教授の丹羽太貫(68)は、シンポジウムに出席していた保物学会長で元ICRP委員の小佐古敏荘(62)を批判した。
矛先は、小佐古が内閣官房参与を辞めた時の記者会見だった。県内の学校などの校庭利用の判断基準を年間積算放射線量20ミリシーベルトから毎時3.8マイクロシーベルトと算出したことに異議を唱えた小佐古。「小佐古先生が涙を流して抗議した映像ばかりが流され、福島の現場では『1ミリシーベルトにすべき』との発言として伝わった」との主旨だった。「1ミリシーベルトの呪縛」が政府の政策、県民の意思決定を硬直化させたとした。
小佐古が内閣官房参与に就任する際、丹羽に「協力してくれたまえ」と電話するなど、2人は近い間柄にあった。丹羽は小佐古のことを「知識が豊富で生き字引みたいな人」と信頼していた。しかし、このシンポジウムを境に小佐古からの音信はぱたりと途絶えた。
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「放射線防護の権威」と言われる2人は、ICRPの勧告は隅々まで熟知している。平常時の年間積算線量は1ミリシーベルト、原発事故後は緊急時被ばく状況「20〜100ミリシーベルト」、事故収束後の復旧期の現存被ばく状況「1〜20ミリシーベルト」で管理されるべき−という基本的な考え方は当然ながら共通認識だった。
幻と消えた報道機関向け勉強会で小佐古が「1〜20ミリシーベルトの下方部分から選定し、子どもの感受性の高さを考慮すると5ミリシーベルトが妥当。将来的には1ミリシーベルトにすべき」と丁寧に説明しようとしていたことが資料で明らかになっている。このことについて、福島民報社の取材に対して丹羽は「そうだったとしたら、まとも」と理解を示す。
だが、丹羽は「『将来的には1ミリシーベルト』が、現場には『1ミリシーベルトにすべき』としか伝わらなかった。真意がきちんと伝わらなかったのなら、後からでも時間をかけて説明する努力をすべきだった」と指摘する。詳細な経緯について小佐古は公の場で明らかにしていない。福島民報社の取材にも応じていない。
小佐古の辞任会見から約1カ月後の23年5月26日。文部科学省は、学校で児童や生徒が受ける年間積算放射線量を1ミリシーベルト以下とする目標を発表し、校庭や園庭の除染費用を補助するとした。
丹羽は「彼(小佐古)の発言の結果として1ミリシーベルトが実質的な基準となった。その後の除染や食品の基準にも影響した」と考えている。
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<計画的避難区域設定の基準(年間20ミリシーベルト)と同一の数値をその目安とすることは適当だったのか>
政府の原発事故調査・検証委員会は24年7月の最終報告書で、校庭利用の判断基準の決め方について疑問を呈した。さらに<毎時3.8マイクロシーベルト未満の学校は無条件で校庭を使用できることとされたが、年間20ミリシーベルトという数値はICRP勧告の『現存被ばく状況』の上限値であって、できる限り被ばく量を小さくする必要があるとされていることからすると不適切ではなかったか>と追記した。
丹羽は振り返る。「同じ20ミリシーベルトでも一方は安全、一方は危険とほぼ同時に使われたことが混乱の大きな原因だった。整合性のつく説明ができなくなってしまった。いろいろと後手に回り、世界の専門家のコンセンサス(総意)は生かされなかった」
(文中敬称略、年齢と肩書は当時)
(2013/03/25 11:24カテゴリー:ベクレルの嘆き 放射線との戦い)
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