2. 2015年6月05日 11:57:19
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SALUMERA Anti Majority
戦後日本はコミュニストがつくった#3/コミンテルン浸透工作に操られた指導者たち 2014/4/29(火) 午後 0:08 日本人考 歴史 http://blogs.yahoo.co.jp/bmb2mbf413/40458904.html 様より全文拝借 転載元 be with gods 『人類創成から始まる善と悪の闘いを検証する』
近衛上奏文とノモンハンの真実 ◇ノモンハン事件(1939年5〜9月) 当時の満州国とモンゴル人民共和国との間の国境が不明瞭だったノモンハン付近で起きた紛争。 日本の関東軍とソ連軍が出動、激戦となり、双方に約2万人の死傷者が出た。 ソ連側の方が死傷者が多かったとの説もある。 同年9月に停戦合意が成立したが、ソ連側が主張していた国境にほぼ沿って停戦ラインが設定された。 植田兼吉関東軍司令官、小松原道太郎第23師団長らが引責し予備役編入。 小松原氏は40年10月に病死したが、自殺だったとの鋭もある。 ●「近衛上奏文」というのがある。 これは昭和二十年の二月に近衛文麿元首相が昭和天皇に上奏したものですが、盧溝橋事件以来、近衛自身の言葉でいえば、 ● 「何者かによる、目に見えない力が働いて」支那事変の果てしない拡大や三国同盟、さらには南部仏印進駐とかに日本は追いやられていった。 ● 近衛はぎりぎりのところでハタと気が付いて、日米開戦だけは避けようと思っていたのだけれども、「何者か」つまり陸軍、革新官僚、それから民間の、とくに昭和研究会など言論人の中の隠れマルクス主義者達が近衛内閣の中にまで入り込んできて、日本を戦争に引きずり込んだ。 ● それを戦時中のあの時点で近衛は必死の思いで訴えているのですが、大変奇妙なことは、これについて、戦後日本では、歴史学会とか、有名出版社から昭和史の本などを出している歴史家たちがまったく無視している。 ● しかし近衛上奏文の裏の深いところまで読むことが、昭和史の謎の解明の端緒になる。 ● この近衛上奏文を無視するというところからも、戦後の日本近代史学界には明らかにバイアスがかかっていることがわかる。 ●近衛内閣の周辺には、尾崎秀実をはじめ、コミンテルンの工作員が多数入り込んでいた。 ● 彼等の目的は、「ソ連防衛」でした。 伝続的に日本軍の仮想敵の第一はソ連でしたから、その矛先をそらすために南進論、つまり対米英戦争をしきりに唱えたのが尾崎らの役割の一つだった。 ここで一つだけ彼等によって歪められた情報の典型として挙げておきたいのは、企画院の情報です。 企画院とは、首相直属の政府機関で統制経済を推進する部署でしたが、当時、南進論の主張で、「南に行けば石油が手に入る」というものがあって、企画院が何度も南方の石油の見積もり調査をやっている。 ● ところが、それがいかに歪んだ調査報告を出していたかが、開戦後、実際に蘭印を占領して分かった。 というのは、蘭印の石油は、重質油で硫黄分が多く、航空燃料にはまったく適していなかった。 推定の埋蔵量も三倍に水増しされていた。 ● 企画院の中にコミンテルンのスパイがいたことは、ミトローヒン文書などでも明らかになっている。 ● 近衛上奏文が指摘した通り革新官僚と言われた隠れ共産主義者の流した偽宣伝に日本がしてやられたのだった。 近衛文麿が言うところの 「何者か目に見えない力によって日本の歴史は動かされてきた」 ●ここが重要なところである。 ●「何者か目に見えない力」、 それが何であったのか、ということがようやく見えてきた。 ● これを何とか生かさなかったら、我々は未来永劫、日本の歴史を立て直すことはできない。 ● 宣伝の恐ろしさですね。正に今、近衛の実感を目に見える形にする時代が到来したということです。 近衛文麿の苦悩『日本の歴史 昭和編』 ●戦時経済統制を実施するための企画院を作った近衛自身も、社会主義的政策に共感を覚える人であったようである。 彼は、東大哲学科から京都大学法科に移ったという経歴の持ち主であるが、彼が転学したのは、河上肇に師事したいということが最大の理由であったという。 日本におけるマルクス主義経済学の先達とも請うべき人である。 ●近衛のために多少弁護するなら、当時の上流階級に属するような青年たちは、自分たちが世襲の財産と地位のおかげで裕福な生活を送っていることに対しての引け目から、左翼思想に惹かれる傾向があった。 作家・太宰治もその一例であるが、華族の近衛も同じような感覚であったと思われる。 ● 同じ傾向はイギリスの上流社会にも見受けられた。 ●近衛は、その後はマルクス主義からは離れたわけだが、社会の貧富に対して良心の呵責を覚えるという姿勢は変わらなかったようである。 それは彼が人学卒業後、二十代後半に書いた文章の中にも表れている。 ● この感覚は彼の国際関係にもあらわれ、彼が二十七歳の時(大正七年=一九一八年)に書いた『英米本位の平和主義を排す』は、「持てる国」が、その特権的地位を保持し続けようという利己心から、現状維持の平和主義を主張するのは怪しからんという主旨のものであり、その後のブロック経済に対する態度としては正論と言えよう。 ● これは約二十年後に日本の国策となった「東亜新秩序建設」に通ずるものであった。 ●このような社会感覚を持った人が、革新官僚や軍人の唱える「天皇を戴く社会主義」に共感を抱いたのは、ある意味では当然の結果であった。 ● 彼らの唱える国家改革プランは、自由主義経済によって財をなした人々からその富を取り上げ、貧しい人に分け与えようというものであるから、近衛も賛成したのである。 とは言っても、近衛は「右翼の社会主義ならいいだろう」と思って企画院を設立したのではない。 ● 彼は、革新官僚たちの主張することが社会主義であり、共産主義に通ずるものであるということに、はじめは気づいていなかったのだ。 ● そうと断定できるのは、終戦直前になって近衛が「右翼も左翼も同じだということに、ようやく気づいた」と告白しているからである。 ●昭和二十年(一九四五)二月十四日、近衛文麿は、昭和天皇に上奏文を提出した。 青年時代にマルクス思想を学び、そして首相として軍人や官僚たちと仕事をした人の最終意見であるから、まさに注目すべきものであろう。
------------------------------------------------------------------------- ◇近衛上奏文 昭和二十年二月十四日、近衛文麿元首相は、昭和天皇に拝謁し、戦争の終結へ向けた早期和平と共産革命の危機を奏上した。 以下、その全文。 敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候。 以下、此の前提の下に申述候。 敗戦は我が国体の暇珪たるべきも、英米の輿論は今日までの所国体の変革とまでは進み居らず、 (勿論、一部には過激論あり、又将来如何に変化するやは測知し難し) 随て敗戦だけならば国体上はさまで憂ふ る要なしと存候。 国体護持の建前より最も憂ふるべきは敗戦よりも敗戦に伴うて起ることあるべき共産革命に御座候。 つらつら思ふに我が国内外の情勢は今や共産革命に向って急速度に進行しつつありと存候。 即ち国外に於てはソ連の異常なる進出に御座候。 我が国民はソ連の意図は的確に把握し居らず、 かの一九三五年、人民戦線戦術即ち二段階革命戦術の採用以来、 殊に最近コミンテルン解散以来、赤化の危険を軽視する傾向顕著なるが、 これは皮相且安易なる見方と存候。 ソ連は究極に於て世界赤化政策を捨てざるは最近欧州諸国に対する露骨なる策動により明瞭となりつつある次第に御座候。 ソ連は欧州に於て其周辺諸国にはソビエト的政権を爾余の諸国には少くとも親ソ容共政権を樹立せんとし、着々其の工作を進め、現に大部分成功を見つつある現状に有之候。 ユーゴーのチトー政権は其の最も典型的なる具体表現に御座候。 ポーランドに対しては予めソ連内に準備せるポーランド愛国者連盟を中心に新政権を樹立し、 在英亡命政権を問題とせず押切申候。 ルーマニア、ブルガリア、フィンランドに対する休戦条件を見るに内政不干渉の原則に立ちつつも、 ヒットラー支持団体の解散を要求し、 実際上ソビエト政権に非ざれば存在し得ざる如く強要致し候。 イランに対しては石油利権の要求に応ぜざる意を以て、内閣総辞職を強要致し候。 スイスがソ連との国交開始を提成せるに対しソ連はスイス政府を以て親枢軸的なりとして一蹴し、之が為外相の辞職を余儀なくせしめ候。 英米占領下のフランス、ベルギー、オランダに於ては対独戦に利用せる武装蜂起団と政府との間に深刻なる闘争続けられ、 且之等諸国は何れも政治的危機に見舞はれつつあり、 而して是等武装団を指揮しつつあるものは主として共産系に御座候、 ドイツに対してはポーランドに於けると向じく已に準備せる自由ドイツ委員会を中心に新政権を樹立せんとする意図なるべく、 これは英米に取り今日頭痛の種なりと存ぜられ候。 ソ連はかくの如く欧州諸国に対し表面は、内政不干渉の立場を取るも事実に於ては極度の内政干渉をなし、 国内政治を親ソ的方向に引ずらんと致し居候。 ソ連の此意図は東亜に対しても亦同様にして、 現に延安にはモスコーより来れれる岡野(野坂参三)を中心に日本解放運動連盟組織せられ、 朝鮮独立同盟、朝鮮義勇軍、台湾先鋒隊等と連絡、 日本に呼びかけ居り候。 かくの如き形勢より推して考ふるに、ソ連はやがて日本の内政に干渉し来る危険十分ありと存ぜられ候 (即ち共産党公認、ドゴール政府、バドリオ政府に要求せし如く共産主義者の入閣、治安維持法及防共協定の廃止等々) 翻て国内を見るに、共産革命達成のあらゆる条件日々具備せられゆく観有之候。 即生活の窮乏、 労働者発言権の増大、 英米に対する敵慢心昂揚の反面たる親ソ気分、 軍部内一味の革新運動、 之に便乗する所謂新官僚の運動、 及之を背後より操りつつある左翼分子の暗躍等に御座候。 右の内、特に憂慮すべきは軍部内一味の革新運動に有之候。 少壮軍人の多数は我国体と共産主義は両立するものなりと信じ居るものの如く、 軍部内革新論の基調も亦ここにありと存じ候。 皇族方の中にも此の主張に耳を傾けらるる方ありと灰聞いたし候。 職業軍人の大部分は中流以下の家庭出身者にして、其の多くは共産的主張を受け入れ易き境遇にあり、 又彼等は軍隊教育に於て国体観念だけは徹底的に叩き込まれ居るを以て、共産分子は国体と共産主義の両立論を以て彼等を引きずらんとしつつあるものに御座候。 抑々満洲事変、支那事変を起し、之を拡大して遂に大東亜戦争にまで導き来れるは是等軍部内の意識的計画なりしこと今や明瞭なりと存候。 満洲事変当時、 彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは、 有名なる事実に御座候。 支那事変当時も 「事変永引くがよろしく事変解決せば国内革新が出来なくなる」 と公言せしは、 此の一味の中心的人物に御座候。 是等軍部内一味の者の革新論の狙ひは必ずしも共産軍命に非ずとするも、 これを取巻く一部官僚及民間有志 (之を右翼といふも可、左翼といふも可なり、 所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり) は、 意識的に共産軍命にまで引きずらんとする意図を包蔵し居り、 無智単純なる軍人之に踊らされたりと見 て大過なしと存候。 此事は過去十年間軍部、官僚、右翼、左翼の多方面に亘り交友を有せし不肖が最近静かに反省して到達したる結論にして此結論の鏡にかけて過去十年間の動きを照らし見る時、そこに思ひ当る節々頗る多きを感ずる次第に御座候。 不肖は此間二度まで組閣の大命を拝したるが国内の相克摩擦を避けんが為出来るだけ是等革新論者の主張を容れて挙国一体の実を挙げんと焦慮せるの結果、 彼等の主張の背後に潜める意図を十分看取する能はざりしは、 全く不明の致す所にして何とも申訳無之探く賓任を感ずる次第に御座候。 昨今戦局の危急を告ぐると共に一億玉砕を叫ぶ声次第に勢を加へつつありと存候。 かかる主張をなす者は所謂右翼者流なるも背後より之を煽動しつつあるは、之によりて国内を混乱に陥れ遂に革命の目的 を達せんとする共産分子なりと睨み居り候。 一方に於て徹底的に米英撃滅を唱ふる反面、 親ソ的空気は濃厚になりつつある様に御座候。 軍部の一部にはいかなる犠牲を払ひてもソ連と手を握るべしとさえ論ずるものもあり、 又延安との提携を考へ居る者もありとの事に御座候。 以上の如く、 国の内外を通じ共産革命に進むべき、あらゆる好条件が日一日と成長しつつあり、 今後戦局益々不利ともならば、 この形勢は急速に進展致すべくと存候。 戦端の前途につき、何らか一緒でも打開の望みありといふならば格別なれど、 敗戦必至の前提の下に論ずれば、 勝利の見込なき戦争を之以上継続するは、 全く共産党の手に乗るものと存候。 随つて国体護持の立場よりすれば、一日も速に戦争終結の方途を講ずべきものなりと確信仕候。 戦争終結に対する最大の障害は、満洲事変以来、 今日の事態にまで時局を推進し来りし軍部内の彼の一味の存在なりと存候。 彼等は己に戦争遂行の自信を失ひ居るも、今までの面目上、飽くまで抵抗可致者 と存ぜられ候。 もし此の一味を一掃せずして、早急に戦争終結の手を打つ時は、右翼左翼の民間有志、此の一味と響応して国内に一大混乱を惹起し、所期の目的を達成し難き恐れ有之候。 従て戦争を終結せんとすれば、先ず其の前提として、此の一味の一掃が肝要に御座候。 此の一味さえ一掃せらるれば、便乗の官僚並びに右翼左翼の民間分子も、影を潜むべく候。 蓋し彼等は未だ大なる勢力を結成し居らず、軍部を利用して野望を達せんとするものに外ならざるがゆえに、その本を絶てば、枝葉は自ら枯るるものなりと存候。 尚これは少々希望的観測かは知れず候へども、もしこれら一味が一掃せらるる時は、軍部の相貌は一変し、米英及重慶の空気或は緩和するに非ざるか。 元来米英及重慶の目標は、日本軍閥の打倒にありと申し居るも、軍部の性格が変り、其の政策が改らば、 彼等としても戦争の継続につき、考慮するようになりはせずやと思はれ候。 それはともかくとして、此の一味を一掃し、軍部の建て直しを実行することは、 共産革命より日本を政ふ前提先決条件なれば、非常の御勇断をこそ願はしく奉存候。 (外務省編。『日本外交年表拉主要文書(下)』より。一部字句修正。 原文正漢字、カタカナ。) ------------------------------------------------------------------------- 日本が共産主義に降伏 〜英機密文書:ソ連の浸透説裏付け〜 2013/08/11産経 第二次世界大戦終戦間際の1945(昭和20)年6月、 スイスのベルン駐在の中国国民政府の陸軍武官が米国からの最高機密情報として、 「日本政府が共産主義者たちに降伏している」 と重慶に機密電報で報告していたことがロンドンの英国立公文書館所蔵の最高機密文書ULTRAで明らかになった。 ●戦局が厳しい状況に追いこまれる中、日本がソ連に接近して和平仲介を進めたのは、ソ連およびコミンテルン国際共産主義が日本中枢に浸透していたためとの説を補強するものとして論議を呼びそうだ。 ●機密電報は45年6月22日付で、中国国民政府のベルン駐在チッン 陸軍武官が重慶の参謀本部に伝えた。 英国のプレッチェリー・パーク(政府暗号学校)が傍受、解読し、ULTRAにまとめ、公文書館に保管されていた。 ●電報の内容は「米国から得た最高機密情報」として、 「国家を救うため、日本政府の重要メンバーの多くが日本の共産主義者たちに完全に降伏(魂を明け渡)している」 と政権中枢がコミンテルンに汚染されていることを指摘。 ●「あらゆる分野で行動することを認められている彼ら(共産主義者たち)は、全ての他国の共産党と連携しながら、モスクワ(ソ連)に助けを求めている」 とした。 ●そして「日本人は、皇室の維持だけを条件に、完全に共産主義者たちに取り仕切られた日本政府をソ連が助けてくれるはずだと(米英との和平工作を)提案している」と解説している。 敗色が濃くなった日本では同年5月のドイツ降伏を契機に、ソ連を仲介とする和平案が検討され、電報が打たれた6月には、鈴木貫太郎内閣による最高戦争指導会議で国策として正式に決まった。 ● チッン武官は、この電報のほかにも同年2月のヤルタ会談で、ソ連が対日参戦を正式に決めたと打電したほか、 5月からベルンで繰り広げられた米国との直接和平工作の動きを察知して逐一報告するなど、 日本の動静を詳細に把握していた。
「中ソと同盟」終戦構想 ベルン駐在中国国民政府の武官が米国からの最重軍情報として、 「日本政府が共産主義者たちに降伏している」 と打電した背景には何があるのか。 ● 陸軍中枢にはソ連に接近し、天皇制の存続を条件に戦後、ソ連や中国共産党と同盟を結び、共産主義国家の創設を目指す「終戦構想」があった。 ●鈴木貫太郎首相(肩書は当時)は昭和20年6月22日の最高戦争指導会議で、ソ連仲介の和平案を国策として決めた際、 「(共産党書記長の)スターリンは西郷隆盛に似ているような気がする」 と、スターリンを評価する発言をした。 この発言に影響を与えたとみられるのが、首相秘書官を務めた松谷誠・陸軍大佐が、4月に国家再建策として作成した「終戦処理案」だ。 ● 松谷氏は回顧録『大東亜戦収拾の真相』で「スターリンは人情の機微があり、日本の国体を破壊しようとは考えられない」などと、 日本が共産化しても天皇制は維持できるとの見方を示していた。 さらに 「戦後日本の経済形態は表面上不可避的に社会主義的方向を辿り、この点からも対ソ接近は可能。 ● 米国の民主主義よりソ連の人民政府組織の方が復興できる」 として、戦後はソ連流の共産主義国家を目指すべきだとしている。 ●同年4月に陸軍参謀本部戦争指導班長、種村佐孝大佐がまとめた終戦工作の原案 「今後の対ソ施策に対する意見」 でも、 @.米国ではなくソ連主導で戦争終結 A.領土を可能な限りソ連に与え日本を包囲させる B.ソ連、中共と同盟結ぶ と書かれている。 ●陸軍内の動きについて、近衛文麿元首相は20年2月、 「国体護持にもっとも憂うべき共産革命に急速に進行しつつあり、共産分子は国体(天皇制)と共産主義の両立論で少壮軍人をひきずろうとしている」 と上奏文で天皇に警告した。 ●また、真珠湾攻撃目前の16年10月、ソ連のスパイ、リヒヤルト・ゾルゲの協力者として逮捕された尾崎秀実は、 「(われわれの目標は)コミンテルンの最終目標である全世界での共産主義革命の遂行」 で、狭義には 「ソ連を日本帝国主義から守ること」 と供述している。 ●岸信介元首相は、25年に出版された三田村武夫著『戦争と共産主義』序文で、 「近衛、東条英機の両首相をはじめ、大東亜戦争を指導者たちはスターリンと尾崎に踊らされた操り人形だった」 と振り返っている。 ●「ソ連工作浸透を浮き彫り」 コミンテルンの浸透工作など、大戦期のインテリジェンスに詳しい中西輝政京都大学名誉教授の話 ●「英国立公文書館所蔵の機密文書の信頼性は高く、第一級の史料である。 第三国のインテリジェンスで、日本の指導層、とりわけ陸軍中枢にソ連工作が浸透していたことを浮き彫りにしている。 米国の最重要情報源とは、アレン・ダレスの日本に対するOSS分析だろう。 ●また当時は国共合作していたため、武官は、中国共産党員の可能性もある。 統制派を中心とした日本陸軍の指導層にはソ連に親和性を感じ、ソ連共産党に通じた共産主義者(コミンテルン)がいて、敗戦革命を起こして戦後、ソ連型国家を目指す者がいた。 ●ゾルゲ=尾崎事件では、軍部は捜査を受けず、人事も刷新されず、コミンテルンによる浸透工作が継続していた。 ● 『ヴェノナ』文書により、米国のルーズベルト政権ですら、200人以上のソ連のスパイないし協力者がいたことが判明したが、防諜が弱かった日本でも、総力戦体制(※終戦直前では、経済については国家社会主義の体制に近かった)の中でソ連の浸透が進んでいた。 ● ソ連を頼り、和平を委ねたのは、日本を共産主義国家へ転換する周到な工作だったとも考えられる」 ●在日は米軍占領中から日本を転覆しようと企てていた ● 吉田茂は、百万人の在日朝鮮人の全員送還を望むと、マッカーサーに訴えている。 ● その理由の一番は、日本の復興に何ら寄与していないばかりか、犯罪を犯す常習犯であること。 ● しかも、かなりの数が共産主義者者で悪質な政治犯罪で、投獄者は常に七千人を超えるからだ。 (『吉田茂=マッカーサー 往復書簡集』) ●マッカーサーは吉田に、日本共産党中央委の全員追放を指令している。 ●彼らは憲法に基づく権威を無視し、法と秩序による行動を軽視し、虚偽や煽動その他の手段を用いて社会混乱を引き起こし、遂には日本の立憲政治を力により転覆する段階を生じさせようとしている。 (『往復書簡』) ●昔から在日と中共は、日本転覆、即ち天皇の処刑を目指していたのだ。 ●その後、マッカーサーは吉田に、 「赤旗」編集部全員の追放を指令する。 赤旗は共産党内部の最も過激な不法分子の話を伝える役割をしており、警察に反抗を仕掛け、経済復興の進展を破壊し、社会不安と大衆暴力を生じさせる無責任な扇動的記事を満載させてきたからだ。 (『往復書簡』) ●そして、ついにマッカーサーは吉田に、「赤旗」と後継紙の無期限発刊禁止を指令した。 その理由は、共産主義が公共の報道機関を利用して破壊的・暴力的綱領を宣伝し、無責任、不法の少数分子を煽動して法に背き秩序を乱し、公共の福祉を損なわせるからだ。 ●だが一番の問題は、吉田が共産党分子に温情的で、積極的に共産党分子を排除しようとしない姿勢だった。 ●そして今、 中韓は反米、親支那を日本国内で堂々と行っている。 ●在日を日本から一掃しようと悪戦苦闘した吉田茂 1946年12月20日、吉田の退陣を要求する在日朝鮮人によって首相官邸を襲撃される。 ● 1949年、吉田茂首相は連合国最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥に、 『 在日朝鮮人(在日韓国人)の全員送還を望む 』と題する、朝鮮人送還を求める嘆願書を提出。 ● 費用は日本が出すとまで言い、在日朝鮮人の本国送還は当時の日本にとって急務であった。 ●嘆願書では在日台湾人はあまり問題を起こしていないとして、在日朝鮮人のみの送還を要望。 ● また『 在日朝鮮人(在日韓国人)の半数が不法密入国者 』であることを明らかにした上で、以下の問題点を指摘した。 吉田茂首相がマッカーサーに宛てた「在日朝鮮人に対する措置」文書(1949年) 《朝鮮人居住者の問題に関しては、早急に解決をはからなければなりません。 ● 彼らは総数100万にちかく、その半数は不法入国であります。 私としては、これらすべての朝鮮人がその母国たる半島に帰還するよう期待するものであります。 その理由は次の通りであります。 1.現在および将来の食糧事情からみて、余分な人口の維持は不可能であります。 米国の好意により、日本は大量の食糧を輸入しており、その一部を在日朝鮮人を養うために使用しております。 このような輸入は、将来の世代に負担を課すことになります。 朝鮮人のために負っている対米負債のこの部分を、将来の世代に負わせることは不公平であると思われます。 2.大多数の朝鮮人は、日本経済の復興に全く貢献しておりません。 3.さらに悪いことには、朝鮮人の中で犯罪分子が大きな割合を占めております。 彼らは、日本の経済法令の常習的違反者であります。 彼らの多くは共産主義者ならびにそのシンパで、最も悪辣な政治犯罪を犯す傾向が強く、常時7000名以上が獄中にいるという状態であります。…… さて、朝鮮人の本国送還に関する私の見解は次の通りであります。 (1)原則として、すべての朝鮮人を日本政府の費用で本国に送還すべきである。 (2)日本への残留を希望する朝鮮人は、日本政府の許可を受けなければならない。 ● 許可は日本の経済復興の貢献する能力を有すると思われる朝鮮人に与えられる。 上述のような見解を、原則的に閣下がご承認くださるならば、私は、朝鮮人の本国帰還に関する予算並びに他の具体的措置を提出するものであります。 敬具 吉田 茂 》 福沢諭吉が説いた「怨望」という悪徳
● 昭和二十五年にマッカーサーが朝鮮半島での共産軍の南侵という事態で愕然として目が覚めます。 ● 日本人は共産主義の危険に早くに気づいていたのに、その日本を叩いて共産主義の増大に途を開いてしまった。 ● 彼は「アメリカが過去百年間に犯した最大の政治的過誤」と言っていますが、共産主義の増大を黙認してしまったことに対する深刻な反省を述べている。 ● 彼が恐れた意味での共産革命の危険はいまや終熄したと思いますが、今度は思想闘争、精神の問題としての共産主義、マルクス主義との戦いに今、我々は直面している。 大概の悪徳はどこか相対的性格を有していて美徳に反転する可能性がある。 ● ところが、どうにも役に立たない人間の悪徳がある、それは怨望というものだ、と福沢はいうのです。 ●『学問のすゝめ』の根本理念は、人間は生まれたときは平等だが、のちに大変な不平等が生じてくる。 これは何によるか、それは学問をするかしないかによって決まる。 ● これが『学問のすゝめ』の根本テーゼですが、その逆のものとして、自分が向上して幸せになろうとするのではなくて、幸せに暮らしている人を引きずり降ろしてそれによって平等を実現しようとする衝動というものがある。 ● これが怨望というもので、どこにも美点のみつけようがない、人間の全ての悪の淵源ともいうべきものだという極めて厳しい議論をしている。 日本の自然科学の水準は世界に誇るべき高度のものであるのに、それにしては意外にノーベル賞受賞者が少ない。 それは受賞候補の噂が伝わると、決ってそれを妨害する怨望=嫉妬に駆られた人間が現れる。 信じ難い話ですが、誹誇中傷のためにわざわざスウェーデンまで出かけていって妨害活動をするのだそうです。 結局、結果として日本の学問の進歩を妨げている。 ●同時に思い出すのが、聖徳太子「十七条の憲法」の第十四条「嫉み妬むことあることなかれ」の御教えです。 そこでは明瞭に、群臣百僚の相互の嫉妬が賢者の出現を妨げる、つまり国家の治まらざる原因となっている、と説いておられる。 ●破壊衝動の転覆工作、サブバージョンという言葉を中西さんはお使いになっておられますが、この転覆工作の現れとしての現在の反社会的、反道徳的な破壊衝動の動機はほとんどそれで解ける気がします。 例えば男女共同参画社会基本法にしてもジェンダーフリーにしても、日本社会の構造改革にしてもそうです。 ● その根底に安寧に世を過している人々への嫉妬=怨望からくる破壊衝動があります。 _________________________________
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