02. 2013年7月11日 14:34:58
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吉田昌郎元福島第一原発所長に国民栄誉賞を!(続) 吉田昌郎元福島第一原発所長を褒め称えた前回のブログに対して猛烈な批判の声が寄せられた。
英雄視するなどとはとんでもない事だ。 彼は真実を語っていない。 メディアがこぞって彼を褒め称えるのはその証拠だ。 「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」を執筆したジャーナリスト、門田隆将(りゅうしょう)氏がマスコミに出て吉田所長を褒め称えるのは権力側のヤラセだ。 などなど、激しい怒りの声が寄せられる。 当時の状況に詳しい者や、原発事故に詳しい反原発者から見ればそうかもしれない。 原発に門外漢の私がいきなり国民栄誉賞などと言い出したのは軽卒だったかもしれない。 素直にその非を詫びて撤回させていただく。 しかし私はそのように吉田昌男郎氏を悪し様に言う人たちとは異なる人間である。 彼は紛れもなくあの究極の異常事態において身を堵して頑張った人だったと思う。 海水注水を断行してさらなる悪化を防いだ人だ。 たとえそれが東電を守ることであったとしても、そして原発推進をしてきた自身の自己弁護であったとしても、その行動を批判することなど私にはできない。 そして彼は不意の病に見舞われて志半ばで死んでいった。 さぞかし無念だったことだろう。 そんな吉田昌郎氏を悪し様に言う。 私はそういう人たちとは異なる人間である(了) 2013年07月10日
吉田昌郎元福島第一原発所長に国民栄誉賞を 私が安倍首相なら吉田昌郎元福島第一原発所長に国民栄誉賞を与えることを即決するだろう。
いまからでも遅くない。安倍首相はそうすべきだ。 吉田昌郎元所長らに取材し、福島第1原発事故のノンフィクション「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」を執筆したジャーナリスト、門田隆将(りゅうしょう)氏が産経新聞にこう語っている。 「この日本を救う役割、使命を負って生まれ、それを果たしたことで去っていってしまったのではないか・・・全電源喪失という絶望的な状況でも、次々とアイデアを出し、原子炉を冷やす水のラインを数時間のうちにどんどん大きくしていった・・・部下たちからも信頼が厚く、『吉田さんじゃなかったらだめだった』と口をそろえていた。私たちは、事故当時に吉田さんが福島第1原発にいたことを感謝しないといけない・・・」と。 私は門田氏のこの本を読んだ事もなければ吉田昌郎という人の事も何もらない。 しかし素人でも容易に想像がつく。 あの時海水注入を行なわなかったら今の日本はなかったに違いないことを。 この事についてきょう7月10日の毎日新聞「水説」というコラムで倉重篤郎専門編集員が書いていた。 原子炉の核燃料を燃やして出る熱は2種類あることを我々は今度の事故で知った。一つはウラン核分裂によって出る熱、もう一つは核分裂によって生成される放射性物質による残留熱である。ところがこの残留熱の恐ろしさについて政権首脳はもとより、原子力安全・保安院(当時)や東電経営陣さえもは十分共有していなかったのではないか。それを知っていたら、原子炉劣化を警戒して海水注入を躊躇することなどなかったはずだと。 これは吉田昌郎元福島第一原発所長に対する最大のオマージュである。 吉田所長に対する追悼記事の中には、「原子力発電を推進した」とか、「津波対策を先送りした」とか「功罪」なかばするものがある。 しかし彼こそが海水注入を断行し原発事故が最悪になることを防いだ人物である。 吉田氏の早すぎる死が被ばくとは直接の因果関係がないにしても、彼が原発事故処理に殉職したことを否定するものはいないだろう。 安倍首相は彼に国民栄誉賞を与えることを決断すべきだ。 異論のある国民はいないはずだ。 下手なパフォーマンスによる国民栄誉賞の乱発よりはるかに意味がある。合掌(了) http://www.amakiblog.com/archives/2013/07/10/ ========================================================================== 丸山桂里奈、東電・吉田元所長の死に衝撃…背中押してくれた“恩人” デイリースポーツ 2013年7月11日 12:08 http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/soccer/headlines/articlephoto/20130711-00000031-dal 東電時代の上司・吉田氏の死を悼んだ丸山桂里奈 女子サッカー日本代表FWの丸山桂里奈が、東電時代の上司で食道がんのため10日に亡くなった福島第一原子力発電所元所長の吉田昌郎さんの死の知らせに衝撃を受け、改めて自分の背中を押してくれた吉田さんのひと言をかみ締めている。 10日の公式ブログで「昨日、私が東電でとてもお世話になった吉田元所長が亡くなられました。入院しているのは知っていましたが、まさかこんなに早く亡くなるなんて…」とつづった。 丸山は2005年、東京電力に就職、東京電力マリーゼのメンバーとしてプレーした。職場は福島原発で、吉田さんは上司だった。「いつも優しくて、面白い吉田さんが大好きでした。最後に一目でも会えなかったのが、本当に心残りです。ご冥福をお祈りします」と、その面影を忍んだ。 09年シーズン終了とともに東電を退社、翌10年からフィラデルフィア・インデペンデンスに加わり、サッカーの道にまい進した丸山。その背中を押したのが、実は吉田さんのひと言だった。「吉田さんがいつも言ってたこと。『かりな、好きなことはとことんやれ!サッカー頑張りや!』私、サッカーまだまだ頑張ります」と今、改めて誓う。 吉田元所長は大震災に続いた原発事故で、本社の指示に背いてまで現地責任者として福島を、日本を守り抜いた。その死に際して、菅直人元首相らが「事故がさらに拡大するのを押しとどめるのに大変な役割を果たした」と、その功績を称えた。 事故対応に当たっていた時から体の不調を訴えていたが、11年11月にはとうとう食道がんで入院することに。12年7月には脳出血を起こし、一時は重篤な病状となっていた。その後回復し、事故の回想録を執筆していることも伝えられたが、その完稿を見ることはかなわなかった。 丸山は東日本大震災とそれに続く原発事故に誰よりも心を痛め、事故直後にはブログで「私は東電社員だったことを誇りに思うし、今原発内にいる東電社員の方々を本当に誇りに思います」と書き込んだこともある。 ========================================================================== http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/soccer/headlines/article/20130711-00000031-dal ========================================================================== |