http://www.asyura2.com/13/cult11/msg/537.html
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宗教改革者のルターは、偽ユダヤのタルムード思想を持つバビロン海賊団に対して、晩年に彼らの鬼畜振りに気付き、彼らについて
・シナゴーグやイェシーバーを、跡形残らず徹底的に焼き払うべし
・更にユダヤ人の所有する家をも打ち壊し、所有者を田舎に住まわせるべし
・宗教書を取り上げるべし
などと提言している。500年前のドイツにおいての文書を下記のリンクから拝借してその抜粋を学びたい。(全15回)
http://rekishijyoho.seesaa.net/article/28561256.html
ルター「ユダヤ人と彼らの嘘について」(10)
●彼らはわれわれの富を使ってわれらを奴隷にする
こうしたやり方で、われわれキリスト教徒のなかに天国をもつことができた暁には、悪魔は笑い踊るのではなかろうか。そこでは、悪魔の使徒であるユダヤ人を通じてわれわれの所有物を貪り喰らい、われわれに感謝して神と人間を冒して呪い、われわれの口と鼻を呪詛で満たすのである。ダビデ王〔前九九七ころ〜前九六五ころ〕やソロモン王〔前九六七ころ〜前九二八七〕統治下のエルサレムで彼らが所有していたものは、われわれのもとで日々盗み掠奪しているほどではなく、今ほどよき日々を享受することはできなかった。それでも彼らは、われわれが捕囚の身にしていると文句を言う!
そうなのだ、われわれはユダヤ人を所有し、捕囚の身にしている。ちょうど私がリューマチや「ねぶと」、その他の病、不幸を一身に背負いつづけているように。お金と財産とすべての所有物を持参し、貧しい召使いとして傅きたいと願う者は誰か! 私は、そうした災いはユダヤ人と共に、さらに彼らと一緒にいたいと願う者も含めて、エルサレムに行ってくれればと心より願っている!
彼らを捕囚の身にしていないのは明らかなのに、あれほど偉大で高貴な聖人たちが、なぜそれほどまでにしてわれわれに怒りを露にするのだろうか?
彼らはイエスの母マリアを娼婦と呼ぶが、われわれは自分の妻を娼婦とは呼ばないし、彼らはわが主を私生児と呼ぶが、われわれは彼らを私生児とは呼ばない。われわれは、彼らを呪わず、あらゆる種類の肉体的および精神的な幸せが彼らの上にあるよう祈り、われわれと一緒に暮らすことを認めている。彼らの子どもを誘拐したり、切り刻んだりなどしない。彼らの水に毒を入れないし、彼らの血を渇望することもない。
なにゆえに、われわれは、かかる神聖な神の子の恐ろしい怒り・妬み・憎しみに値するのだろうか? 神が正気とは思えぬほどの無分別と荒れ狂う心をもって彼らを処罰したのは、モーセから引用したとおりである。
かくして、エルサレム崩壊後の千三百年間にユダヤ人のせいでわが主やキリスト教徒、そして(まだその目や肌に輝きのある)子どもたちが流した穢れなき血に対して報復しなかったことは、われわれの失敗であった。
彼らを殺害せず、彼らの殺人・呪い・冒涜・恥辱を咎めもせずにわれわれの間に住むことを許し、彼らの学校・家・身体・財産を守り、そうすることによって彼らを怠惰にし、彼らを信頼してわれわれから金銭や財産を搾取することを保証し、助けた。ところが、彼らはわれわれを嘲り、唾を吐きかけ、最終的に彼らが勝利し、大罪を犯してわれわれ全員を殺害し、その財産のすべてを強奪することを願い、日々祈っているのだ。こうしたことがすべて、われわれキリスト教徒の失敗だったのである。
教えてほしいものだ。彼らには、われわれ呪われたゴイムを憎み、呪い、われわれの最終的で完全な、そして永遠の没落を求める大きな動機はないのか?
いまやわれわれキリスト教徒は、この捨てられ、呪われた民、ユダヤ人をどう扱ったらよいのであろうか? われわれの間に入りこんでいて、その虚偽と神と呪いの多くがわれわれに知られている彼らに、われわれは我慢がならないのである。われわれは、彼らの嘘や呪いや神の共犯者とならないよう、黙って悩んでいるべきではない。われわれは(預言が述べているように)消すことのできぬ神の怒りを鎮めることはできないし、彼らはまた改宗しようともしない。彼らの一部でも火と灰のなかから救い出そうと欲するならば、祈りと敬虔に加えて手荒な慈悲をも用いなければなるまい。復讐は許されていない。復讐心は、われわれが彼らに抱くよりも千倍も大きくなって自らの首に纏いつくだろう。
私の本当の意見をあなたがたに述べることにしよう。
第一に、彼らの会堂と学校を避け、それらに反対するよう、国民に警告せよ。これは神とキリスト教会の栄光のためになされるべきことである。また、われわれがキリスト教徒であり、神の御子とキリスト教徒に対するそうした虚偽と呪いと神を承知したうえで、それらに寛大ではないことを神にわかっていただくようにすべきである。なぜなら、われわれが無知で寛大でないかぎり(私自身もそのことを知らなかった)われわれをお許しになるであろうから。
けれども、このことを知ったいま、われわれの目と鼻の先でユダヤ人がキリストとわれわれキリスト教徒を冒涜し、呪い、唾を吐きかけ、恥辱を与えているにもかかわらず、そうしたことが行なわれているユダヤ人の建物にわれわれが寛大であるなら、ご承知のように、あたかもわれわれ自身が行なったか、あるいはもっと悪いことをしたのと同じことになり、大変になるだけなのである。モーセは「申命記」のなかで、偶像崇拝を行なっている都市は完全に火で燃やし、なにも残すべきではないと記している。もしモーセが今日存命なら、彼はユダヤ人の会堂や学校に火をつける最初の人間になるであろう(聖書の証言に従えば)。
第二に、あなたがたは、彼らが自分の家をわれわれの間に建てることを拒否せよ。彼らは家庭でも会堂と同じことをしているからである。その代わりに、彼ら自身が主張しているようにわれわれの土地の主人ではなく、捕らわれた放浪の身であることを知らしめるために、ジプシーのように軒先か馬小屋に収容してもよいであろう。これこそが、休みなく血生臭い殺人を吠え立て、神の御前でわれわれキリスト教徒に不平をこぼす彼らにふさわしいことなのである。
第三に、虚偽と呪いと神を説く彼らの祈祷書とタルムードの写本を全部没収せよ。
第四に、彼らのラビが教えることを禁止せよ。彼らは貧しいユダヤ人たちをモーセの章句(申命記第七、十一、十二章)の虜にし、仕事をする権利を剥奪したからである。モーセの章句では、そうしなければ身体と魂を失うとして、彼らのラビに従うよう命じている。けれども、モーセは明確につけ加えている。「主の律法にもとづいて彼らが教えることに関しては……」と。このことを不心得者たちは見過ごしているのだ。そして、主の律法に逆らって、彼らの恣意に貧しい人びとが服従するのを利用して、そのような毒と神をふり注いでいるのである。
第五に、街道におけるユダヤ人の保護を廃止せよ。彼らは貴族でも役人でもないし、もともとわが国にいる権利はないからである。彼らは家にとどまるべきなのだ。現在わが国では、ある金持ちのユダヤ人が12頭立ての馬車に乗っていると聞いている。そのユダヤ人はコホバになりたがっているのだ。彼は高利貸しを王侯や貴族、地域住民、民衆に対して営んでいるが、高官たちはそれを黙認している。
もしもあなたがたと王侯および諸侯の方々が、こうした高利貸したちがこの土地に住み、街道を往来することを禁止しないなら、私はあなたがたに対抗するために騎兵を集めたいと思う。というのは、あなたがたはこの書物を通してユダヤ人とは何者であるか、また彼らがいかに扱われるべきか、そして彼らの行動が保護されるべきではないことがよくわかったであろうから。彼らの醜悪な行為の共同者になりたくなければ、あなたがたは彼らを保護すべきではないし、またそうすることもできないはずだ。たとえ彼らに配慮したとしても、結局はあなたがたが滅びるだけのことなのである。
第六に、ユダヤ人にとって異国の地、つまり自国の主人ではない場所においてユダヤ人が高利貸しを営むことを禁止せよ。それはモーセによって禁じられたことであり、貨幣、金銀は一切とりあげて保管すべきである。そういうわけで、彼らには他に収入はないのだから、彼らが所有しているすべてのものは高利貸しによって(前述のごとく)われわれから盗み、掠奪したものなのである。
そうした財宝は次のように使われるべきである。つまり、ユダヤ人が本当に改宗した場合に、その人柄に応じて自分の貧しい妻子や老人や弱者を養うために百〜三百フロ(貨幣単位)与えることにする。不正に取得されたかかる財産は、神の祝福を受けられるような正当な使用方法を採用しないかぎり、呪われたものとなってしまうからである。(続く)
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