http://www.asyura2.com/13/cult11/msg/532.html
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宗教改革者のルターは、偽ユダヤのタルムード思想を持つバビロン海賊団に対して、晩年に彼らの鬼畜振りに気付き、彼らについて
・シナゴーグやイェシーバーを、跡形残らず徹底的に焼き払うべし
・更にユダヤ人の所有する家をも打ち壊し、所有者を田舎に住まわせるべし
・宗教書を取り上げるべし
などと提言している。500年前のドイツにおいての文書を下記のリンクから拝借してその抜粋を学びたい。(全15回)
http://rekishijyoho.seesaa.net/article/28495443.html
ルター「ユダヤ人と彼らの嘘について」(9)
●彼らはイエスの御名を冒涜する
(偽りの御名でイエスに対して憎しみを隠しもつユダヤ人たちの擦れっからしなやり方についての諸論述はたいへん興味深いものがあるが、ここでは次のように述べている)
それゆえに彼らは、イエスの御名を次のように扱う。ヘブライ語でJhesusは「治療士」または「救済者」を意味する。古いサクソン人はHeiprichまたはHiprichという名称を用いた。それは、われわれが現在Helprichと呼ぶイエスの古い御名のように聞こえる。しかしユダヤ人たちは、それを故意に捩じ曲げて、彼をJesuと呼ぶ。これはヘブライ語では名前でも言葉でもなく、単なる三つの文字か数字か暗号でしかない。それはあたかも私が、CLUという文字を数字と見なし、CLUを155とするようなものである(CLU=ローマ字ではC‐100、L‐50、V‐5‐155。VとUは語源的には同じである)。
かくして彼らはイエスJesuを316と呼ぶのである。そのような数字は Nebel Borikを意味するもう一つの単語を連想させるといわれている。この点について、読者はアントン・マルガリタムの著作でより多くのことを学べるであろう。ユダヤ人はそれらの数字や単語を使ってなんという悪魔的な所業を行なっていることか。
彼らはわれわれキリスト教徒を同様のやり方で扱う。われわれが彼らを訪問し、彼らに迎えられたとき、彼らは「神があなたを歓迎する」(ドイツ語では Gott wilkommen)という言葉を捩じ曲げて「Shed wil kom」すなわち「悪魔よやってこい」ないし「悪魔がやって来る」と言う。われわれがヘブライ語を理解できないのをいいことに、彼らはひそかにわれらを呪っているのである。つまり、ユダヤ人がわれわれを地獄とあらゆる災厄の炎で呪っているというのに、われわれは彼らが友好的だと思っているというわけである。
●彼らは聖母マリアを娼婦と呼ぶ
かくして彼らは、彼(イエス)を娼婦の子と呼び、彼の母マリアを娼婦と呼ぶ。彼女はイエスを鍛冶屋との不倫のうちに産んだとするのである。実に不本意なことであるが、私は悪魔と戦うために非常に粗野な言葉を使わねばならない。
彼らが単なる憎悪と身勝手でこうした嘘をつくのは、ただ彼らの哀れな若者やユダヤ人がイエスの教義(それを彼らは否定できない)を受容してしまわぬよう、われらの主に対する偏見を彼らに抱かせるためである。サバスティアヌス・ムンスターもまた自著『聖書Biblia』のなかで聖母を「マリア」と呼ばず「ハリアHaria」つまり泥の山と呼ぶ有害なラビがいると指摘している。そして、われわれが知らない、ユダヤ人たちが仲間内だけで行なっているもっと多くのことは誰も知ることはできない!
(ルターは、救世主やバーコハブについての入念で厳密な議論でユダヤ人的性格、その著書、願望に関する学識の完全さを示し、最後にキリスト教徒のなかにおけるいわゆる「捕囚」の問題にたどり着く)
われわれが彼らを捕囚の身にしていると嘆くのは、なんともまったく途方もなくひどい嘘であることをよく知ってほしい。
エルサレムは千四百年以上前に破壊された〔七〇年陥落、神殿炎上。叛乱軍の残党、死海西岸のマサダ砦に立て籠もって抵抗するも陥落、シカリ党全員自決(〜七四)〕。それ以来、われわれキリスト教徒は世界中でユダヤ人によって苦しめられ、迫害を受けてきた。およそ千三百年近くにわたって(前述のように)ずっと彼らはキリスト教徒を捕獲し、殺害してきたと訴えることは正当なことである。そのうえ今日まで、われわれはどんな悪魔が彼らをわが国へ連れてきたかわからないままになっている。彼らをエルサレムから連れてきたのはわれわれではない!
かてて加えて、今日だれも彼らを拘束してはいない。彼らには、土地も公道も開放されており、その気になればいつでも自分たちの国に移動できる。彼らから自由になるために、われわれは彼らに提案をしたい。
彼らはわが国のなかの疾病やペスト、災難以外のなにものでもない。われわれにとって重い荷物なのである。ある人間が自分の家のなかのある者に我慢ならぬとき、彼は捕らえられていると言うであろうか。
なぜ彼らは、われわれキリスト教徒を、われわれの国のなかで捕囚の身にすることができるのだろうか。なぜ彼らは、われわれを額に汗して働かせ、自分たちは暖かいストーブの前に座って金や商品を所有しているのであろうか。彼らはなぜ怠け者の大食漢や大酒飲みで、われわれが働いた財貨で安穏かつ裕福に暮らし、呪うべき高利貸しによって、われわれとその財産を掠奪するのであろうか。彼らはなぜ、われわれを嘲り、唾を吐きかけるのであろうか。
われわれは自分を犠牲にして働かねばならず、彼らが貴族であることを認めなければならないからである。かくして彼らは、われわれの王であり支配者なのである。われわれはみずからの財産と汗と労働を捧げる彼らの召使いなのである! つまり、彼らはわれわれに感謝し、われわれに報いんがために、わが主を呪っているというわけである!(続く)
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