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巷に怪聞や偽情報の類は数多あり、それは何時の時代も変わらぬもので、為政者の民衆を扇動する手段であったり、ゴシップのようなものであったりする。
瓦版であろうがガリ版刷りであろうが、はたまたネットの時代になっても、人々は表に出ていないとされる、或いは真相といわれるような摩訶不思議な情報に飛びついて、心を躍らせ時間を潰す。
現在のように手段が多岐に亘ると、かえってアナログな手法が情報伝達としてはより信憑性があったりもする。例えば美味しいラーメン屋が出来たとか、あそこのケーキは美味しいなどといったものだ。つまり口コミである。人はどの時代も人の言葉に動かされた大衆の心理は右へ左へと流転するのだから、それを逆手に利用する巧妙な手段まで現れたりする。
取材拒否の飲食店が芸能人が取材交渉して仕方なく取材を受け入れた、といったやり方でテレビにお目見えしたりするが、これなども手法としては似ている。
誰だって知らないことや話題になることに耳を傾けるし、興味が湧く。例えば取材拒否の店と聞けば、頑固な親父が物見遊山お断りで本物が分かる人にだけその味を提供している、という印象を視聴者に与えるものだ。そのような店なら、一度行って味わってみたいと思うし、思考の方向が「食べてみたい」という興味で溢れてきて、これはもう行かざるを得ない状態に置かれる。
これも一種のサブリミナル効果であって、口コミで数人から「あそこのラーメン屋、美味いよ」と聞くことで、意識に植え付けられる。
つまり人の脳や感覚とは、案外、単純に出来ていて湧いてきた好奇心を満足させようと、脳細胞が働き続ける。つまり実際に行動に移すのだ。
CMでキレイなタレントが美味しそうに飲むジュースなども、視聴者自身に問いかけるような目線と言葉に惑わされているのだ。『○健○茶』のCMはよく出来ているな、と思ったのが旧商品と新商品の味比べというやつ。新製品に取って代わるのは分かっているのに、何となく二つ買って味比べをしてみたくなる。更に旧製品と新製品が市場で混在している期間はそのCMを流し続ける。やはり人は両方を買いたくなるものだ。在庫処分完了である。
上記は外界からの情報に対する一般的な脳細胞の働きと人間の行動心理についてだが、これは古くからある陰謀論や社会の裏側といった面にも言えるであろう。『実話ナックルズ』『週刊実話』などコンビニで見ても1ミリたりとも買いたいとは思わないが、喫茶店で置いてあると暇つぶしにちょっと中身を覗いてみたいという心理が働く。次にコンビニに行った時には、『週刊文春』の後に『実話ナックルズ』を読むようになる。やがて長時間立ち読みするのもどうかと思うので、値段も大したことないし買って読む。そしてヤクザ社会のことや都会の裏側で起きている事件の真相、芸能界の裏事情等を知り、自分が事情通になったような気持ちになり、他人には話さないまでも、少し溜飲が下がる。
実際の自分の生活は平凡だし、彼女や嫁だって芸能人のような華やかさは無い。しかしそこには、人の業や派手な生活の裏側にある真相を知ったという満足感が、脳細胞を満足させるのだろう。
セキルバーグの本が累計300万部売れるのも、実はその辺りが要因ではないかと私は考えている。しかもマーケティングの手法が誠に巧妙で、最初はラジオ等で口コミからスタートし、地方局から全国ネットに表現を変えていく。セキルバーグ自身も書籍を刊行しつつ、特定のメディアにしか露出をしない。そこには神秘性があり、人々は益々興味をかきたてられる。
この辺り、実に上手いと思う。
「ワンクールのレギュラーより、一回の伝説を」という本人は否定する言動が実しやかに流れる江頭2:50だって、今回の書類送検騒ぎはあったが、話題になったことは間違いない。意図的か否かは別にして、彼は伝説のタレントとして位置づけられた。ある程度粛清はあったにせよ、この世界で生き残れるのではないかと思う。
では陰謀論のような、スケールを大きくした情報操作が果たして可能か?という問題である。結論は私は可能だと思っている。ただインチキジャーナリストが指摘するような手法は無い。
エジプトは、ムバラク失脚後の国内情勢の混乱終結をムルシー大統領に託したが失敗した。チュニジアにしてもリビアにしても、SNSの果たした役割は大きく、権力者や為政者が行う手法を逆手にとった事例として記憶に新しい。
つまり自称ジャーナリストが指摘できる程度の陳腐なやり方は存在しないし、これだけ情報過多になった世の中で、人が暴いたとされる手法を分かっていながらやるヤツはいない。
インチキジャーナリストの手法は、前段部分の大衆心理(世間知らず向け)につけ込んで、情報を小出しにしながら、お客さんを獲得する手法そのままである。それが自称ジャーナリスト自身が意図的に行ったか否かは別で、結果論としてそこに幾ばくかの人々が導かれている。しかも自称ジャーナリストに金銭まで提供し、支援する者が現れているのだ。
信じ込まされている人は多分抜け出せないほど洗脳されているし、何よりも信者が恐がっているのは工作員扱いである。これは損得勘定を抜きにした連帯意識だからこそ危険なのだ。学校のイジメと同じである。仲間はずれにされたくないのだ。そしてトドメが「情報感謝」という四文字だ。この言葉が欲しくてせっせと教祖のために寸暇をおしんで働く。
いつかも書いたがそこには「世のため人のために・・・」という深層心理が根ざしているから、やっかいなのだ。
地方においても同様で、ネットの中の動画でしか見たこと無い人が講演会に来る。そしてビデオのままにダミ声を張り上げる。講演会後の呑み会に誘われるままに参加すると、講演会とは違い一見温厚そうに装うイノシシ顔。あ、この人本当に誠実に真相追究を行っているんだ、と信じ込まされる。ついには書籍を購入し、バイト代の一部や賞与の一部を支援金として提供する。イノシシ顔はホッピーのツケをそれで払う。
手法としては100%藤島某と同じである。
私は間違っているとは言わないが、本当はこういうことだよ、と指摘しているだけだ。
勿論、その情報に触れどのように行動するかは一人一人の自由である。ただ、同様のやり方は古くからあるものだし、若者はついコロッとやられてしまうものだと指摘しているのだ。
いつだったか有料コンテンツを開設してそこで収入を確保する道を考えればいい、と書いたが自称ジャーナリストにしても藤島某にしても、有料コンテンツにしたことで今、自分の周囲にいる人々が離れることが恐いのだ。
何故ならその中身に問題があるのと、大してその情報に意味が無いことを知っているからだ。
つまり本人達も大して信じていない中身を、実しやかに提供しているという後ろめたさである。中身に自信があり、物心両面で支えてくれる仲間がいるなら、それら情報を求める人々にだけ情報提供すれば良い。
卑しくも物書きなら、公開された場でのデマ情報は流してはいけない。不特定多数が閲覧可能だからだ。
現実にイノシシ顔も藤島某も寄付金、支援金の使途については全く公開していない。領収書すら発行しているか怪しい限りだ。
この手法自体が、その収益でタダ酒を飲んでいると揶揄される原因である。
験しに今まで金銭面で支援した人はその使途について情報開示を求めると良い。
その瞬間に工作員扱いである。
ちなみに宗教団体は、上納金、お玉串、献金、信者教費等、収入は全て申告しなければいけない。法人格を持っていれば非課税であるが、ただの任意団体なら最高で40%近い所得税がかかる。
最近のインチキジャーナリストがしきりと広告宣伝費を使うのは、或いはこの所得税を節約しようとしている姑息な手段ではないか?と見ている。
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