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「安全な東京から「福島はもう終わっている、お前らはいずれ皆癌になる」と
恐怖を煽る行動だけは、は絶対に許せないと思っています。」
人力でGOから
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エコとエゴ・・・戦後左翼の落し物 福島原発事故
■ 「震災瓦礫受け入れ拒否」問題は何故起こるのか ■
放射性物質を含む震災瓦礫受け入れ反対運動が各地で盛り上がりを見せています。
「子供達や地域を放射線から守りたい」という住民の思いは否定できるものではありません。
日本人は戦後から一環して学校では「広島・長崎の恐怖」を植えつけられています。
今でも、中学生の文化祭のテーマ展示で、被曝後の写真が掲示され、
夏休みの宿題で、広島長崎のレポートが出されます。
戦後学校教育は日教組が中心となって、「放射能の恐怖」を子供達に植え付けてきました。
この運動の最大の問題点は、教えている側の教師達が、
「放射能は恐ろしい」と心底思い込んでいることです。
彼らは「義務感」に駆られて、子供達を「洗脳」していますが、
実は、彼らこそが「洗脳」された事に、微塵も気付いていな事が最大の問題です。
■ 戦後社会主義運動の背景 ■
戦後社会主義運動は、戦勝国アメリカに対する反発として若者の間に広がります。
今となっては社会主義の問題点は明らかになっていますが、
当時の若者達は、ソ連や中国、北朝鮮を理想郷の様に捉えています。
「平等で貧困から開放された社会」「ユートピア」を思い描いていたのです。
成熟した社会の若者は労働から解放されています。
ですから「暇」と「エネルギー」を持て余しています。
さらに若者は「権力」を持たないだけに「権力」を憎悪します。
全共闘の時代、日本にとっての現実的な脅威は中国やソ連でしたが、
若者の目には、「色々と文句を言う親」としてのアメリカが反抗の対象でした。
ですから、日本に限らず韓国でも、社会の成熟期に若者の反米運動が盛り上がります。
■ 反米運動の残渣としての日教組 ■
団塊の世代の多くは、ゲバ棒を振り回した後、就職しました。
長かった髪を切って、ベルボトムをねずみ色のスーツにはき替えて、
現実の荒波にもまれて、いつしか自分自身が「親」になる事で、
「現実的価値観」を獲得して保守化して行きます。
ところが「永遠の若者」が集う職場がありました。
それが「学校」です。
「学校」では利益を追求する事も、営業成績を問われる事もありません。
ですから「現実」から目を背け、「理想」を追い続ける事が出来ました。
多くの教師達が所属した日教組は、
「生徒の自主性」だとか、「核兵器廃絶」などの理想を掲げ続けます。
さて、日教組の強かった学校はどうなったでしょうか。
私の住む千葉県では、かつて自由な校風を謳歌し公立の進学高がありました。
理想を追う教師達は生徒達に「自主独立の精神」を炊きつけました。
制服を廃止し、自由な校風を謳歌したかつての名門校は、
今では、偏差値も10程度下がり、
ある年は、受験に落ちたのは二人という学校になり果てました。
現実の社会では「学歴」が意味を持ちます。
しかし理想を求め、現実から目を逸らしたこの学校は、
学歴社会という現実を生きなければならない受験生達から敬遠されたのです。
■ 日本人を低能化した日教組 ■
「理想」を追い「現実」に目を向けない日教組は、
子供達の学力が落ちてきた時に、「勉強が難しいのがいけない」のだと主張して
「ゆとり教育」なるものの導入に一役買うことになります。
子供の学力の低下は、社会が豊かになる過程で、
子供達から「勉強をすれば豊かな暮らしが出来る」というモチベーションが失われた事が原因で、
決して教科書や授業の内容が難しすぎたわけではありません。
さらには、かつては中卒や高卒で就職する子供も多かったので、
その様な子供達は高い学力が要求されなかったという事も見逃せんません。
ところが進学率の向上に伴って、成績の悪い子供達にも分かる授業が必要になってしまったのです。
■ 戦後自由主義が生み出した「自立した子供」 ■
子供の学力低下や学校崩壊は、教師や学校ばかりは責められません。
戦後日本に持ち込まれた「子供は一個の独立した存在」という思想は、
家庭での子供の有り方を一変させます。
儒教思想の強かった日本では「子供は親に絶対服従」が当たり前でした。
ところが、「少年法」に見られる様に、「子供の尊厳」がアメリカから持ち込まれます。
しかし、この思想はアメリカでも「先進的」過ぎて採用される事のなかった思想です。
平和主知を掲げた日本国憲法同様に、当時のアメリカの法律家や思想化たちは、
日本を自分達の「理想」の為の実験場として利用したのです。
結果、子供の家庭内での地位は向上しましたが、
そもそも自我が確立していない子供がチヤホヤされた結果、
自己抑制が出来ない人格が多数生み出される事になります。
■ 学校の理想と社会の現実のギャップに苦しむ女性 ■
戦後の自由主義、男女平等主義は学校では最大限に尊重されました。
ところが現実の社会では、日本は未だに男性優位の儒教的社会です。
平等教育を受けた女性達は、挫折を味わう事になります。
そして、家庭内で自分が受けた理想教育を自分の子供で実現しようとしたのです。
子供を「独立した人格」として扱う様になります。
頭ごなしに怒るのでは無く、説明して理解させようとします。
人格形成の重要な時期に、子供は「理不尽」という概念が欠落したまま成長します。
「説明すれば分かる」「話し合えば解決する」と信じて育つのです。
■ 国家という暴力機関 ■
国家は一種の「暴力機関」です。
立法権と警察権、さらに軍隊を有する国家に国民は逆らう事は出来ません。
かつての全共闘の若者達は、「国家」に暴力で対抗しようとして、無残に敗退します。
ところが、学校や家庭内で生き残る「自由平等」の残渣は、
「国民」が現実に目を向ける事を阻み続けます。
「国家VS国家」の戦いは平和なときでも熾烈です。
「国家」はダブルスタンダードを駆使して、相手国を追い詰めます。
そんな世界で、国家に強く「理想」を求める国民が居ます。
「日本人」です。
「危険な放射線を撒き散らす原発はイラナイ」
「放射線を全国に拡散させる、震災ゴミは受け入れられない」
■ 「どうしようも無い事」を理解出来ない「リベラル」 ■
世の中には「どうしようも無い事」が溢れています。
しかし「理想」を求める人達は、それが理解できません。
本来、理想や正義とは「自分の中にあって、自分を律する」為のものですが、
多くの「リベラリスト」達は、理想や正義の実現を他人に求めます。
これは「子供の思想」です。
私は福島原発事故以降、多くの方と放射線について議論をさせて頂きました。
そして、いつも感じるのは、彼らが「妥協」を知らないという事でした。
現実の社会は「妥協」の連続です。
ところが、「放射線が危険」と叫ぶ人達は、
「放射線がどのくらいなら許容出切るのか」という妥協を許しません。
現実には存在しないかも知れない、確率的死亡の1人たりとも許せないのです。
■ 放射線を許せずに、車を運転するということ ■
人が死ぬという意味において、福島の放射線よりも車の運転の方が危険です。
殺意は無くいとも、自分が運転する車の前に、子供が飛び出してきたら避けられません。
ですからリスクを平等に評価するならば、
「放射線をばら撒くな」の前に「マイカーを廃止しよう」が正等な主張です。
しかし、こんな主張は聞いた事がありません。
私は車の免許を持っていませんでした。
車で誰かを轢いてしまうかもしれないリスクに比べたら、
車な無い不便さは取るに足らないものだと思えたからです。
10年以上前に会社を辞めて、アメリカで研修を受ける為に
車の免許を取りましたが、
やはり日本では運転していません。
運転が下手という事もありますが、
私にとって運転はストレスでしか無いのです。
だから遠くに行きたければ、少しスピードの出る自転車で行きます。
電車やバスのの旅行も気楽で大好きです。
しかし、環境派や市民活動家、エコロジストと呼ばれるような方々の多くは、
人の命の尊さを説きながら、一方では車の運転に何の疑問も持ちません。
これはリスクの非対称性と呼ばれるもので、
メリットがある事柄のリスクは小さく感じ、
一方的に与えられるリスクは過大に評価されるのです。
これは生命が生きて行くうえで大事な事柄です。
ネズミはエサを採りに巣穴から出なければ飢え死にしてしまいますが、
巣穴から出れば、フクロウに食べられるリスクを伴います。
飢え死にのリスクと、捕食されるリスクはほぼ等価ですから、
ネズミがリスク判断を公平に行うとすると、
ネズミは巣穴から出れないかも知れません。
ところがネズミは果敢に巣穴を飛び出して行きます。
これは生物が生きる為に、リスクを等価に判断出来ない事を示しえています。
私は「放射線はとっても危険」とか、「汚染ゴミを持込むな」と主張する人達は、
生物学的には正等な判断をしていると思います。
しかし人間は知的生き物ですから、
個人のリスクと公衆のリスクも秤に掛けられるはずですし、
リスクの大きさの比較も出来るはずです。
それが出来ない今の日本人は、戦後自由主義の残渣とも言える存在なのではないでしょうか?
なんだか偉そうなことを書いてしまいましたが、
世間の人が私と同じ考え方をしたら、
多分、金融市場は凍結し、経済は麻痺してしまいます。
だから「放射線ゴミ受け入れ反対」という活動を私は「人間らしさ」として眺めていますが、
だからと言って、安全な東京から「福島はもう終わっている、お前らはいずれ皆癌になる」と
恐怖を煽る行動だけは、は絶対に許せないと思っています。
おっと、「金融危機到来で世界がガラガラポン」なんて書いているのが誰か忘れていました・・。
スミマセン。
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