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反原発=三里塚闘争だそうです。
鎌田慧 公式ブログから
http://nomorewar77.blog.fc2.com/blog-entry-345.html
[講演] 三里塚が持つ先見性と全国性
私は廃港要求宣言の会ということで活動してきた。会は解散してないが、特に活動はしていません。だが、今も空港の周辺にいて、空港に反対、あるいは批判的な住民がいる限り、僕らが尻尾を巻いて逃げるわけにはいかない。現地にいる人達は僕よりも百倍も大変な思いをしている。私のような空港によって痛痒(つうよう)を感じてない者が、空港ができたのだから、やめるということはできない。
だから、一人でも空港に批判的な百姓・住民がいる限り、支持するのは当然だと考えている。長い闘いで移転していった人も亡くなった人もいるから、景気のいい話にはならないが、譲れないものは譲れない。
むつ小川原開発というのがあった。むつ小川原沿岸に石油工場・原子力製鉄所・核再処理工場・濃縮ウラン工場などを作るというすごい計画だった。
三里塚で代執行があった71年頃、むつ小川原を歩いていると住民の間でも、三里塚の報道を見て様々な反応があった。その頃、私は高木仁三郎さんと会って、むつ小川原と三里塚の連帯について話し合った。それは廃港要求宣言の会の事務局として活動するきっかけとなった。
国の言う「公共性」
国家は自分に都合がいいときは「公共性」というが、都合が悪いときは「公共性」といわない。国鉄の分割民営化は公共性を破壊した。地方のローカル線は生活線で公共性そのもの。それが廃止された。路面電車の廃止は私的企業が儲けるため。勝手放題に車を作って、道路を占有して、安くて安全な路面電車が廃止された。どこが公共性か。こうして、電電公社、郵便局が民営化される。
空港は公共性か。まさしく、空港は民間資本が儲けるためにやる。民活というのは、独占資本が活性化して儲かるということ。民営化の破綻は世界的に明らかになっている。彼らは都合がいいときは「公共性」でやり、独占資本に利益を与える。
むつ小川原では、国家的事業と言って土地を買収した。だが、本命だった施設を作っただけ。国家も礼節が必要じゃないかというのが三里塚闘争で一番感じたこと。
抵抗している間に時代が変わってきた。彼らは強制代執行をしないといって謝っ た。が、実際は強制でやっているわけだが、一応、強制代執行はしないとなっている。催涙弾で蹴散らすという形ではできなくなってきた。ようやく民主主義的な形になりかかってきた。各地の住民投票に見られるように。
1964年、蜂ノ巣城の闘いというのがあった。三池、砂川など大闘争があったが、労組が全国動員した闘いでもあった。三里塚のように、個人が全国から集まって十年以上も続いた闘争は結節点・到達点だった。77年4月の二万人集会は、それに至る過程で全国運動の高揚があった。巻、柏崎、上関などの原発反対運動でも、三里塚に駆け付けていた人がいる。三里塚闘争の精神は全国の住民運動に伝わっていった。三里塚でも亡くなった人も多いが、裏切れないというのが、運動に関わった人の思いではないか。 〈つづく〉
「グローカル 632号」
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