http://www.asyura2.com/13/cult11/msg/296.html
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「再発を防ぐためのもっとも危険な処理方法は「スケープゴート」である。人間の社会はスケープゴートを生みやすい。そしてスケープゴートを作れば、それで済むと考える。かく言う著者も、チッソの社長が大きな態度で患者に接するテレビを見て憤慨していた。実は頭を下げなければならないのは、チッソの社長の態度を見て憤慨している自分自身なのだ。そしてマスコミも事件が起るまでは「新鋭工場」「チッソで栄える水俣」を報道していたのである。
日本社会の闇は暗い。この暗さは日本社会がまだ文明と呼ばれるようになって1万年程度であり、精神的には原始時代にあることを示しているのだろう。だから文明の明かりが灯っていない。」
「裁判官が判決にあたって「正義」というものを考えているなら、この判決は科学に対する過信と考えられる。彼らは科学を知らない。科学というのは物事を合理的に判断することができると錯覚している。しかし、自然科学が対象とするものは人間の頭脳から見ると飛んでもなく複雑でとても解釈できるものではない。」
電力会社だけ叩いて溜飲を下げる日本社会。
武田邦彦氏はもう自分の言ったことは覚えていないようだ。
武田邦彦のブログから
http://takedanet.com/2007/04/post_b13b.html
水俣病考
―水俣病の責任は(株)チッソにはない―
水俣病を語るに際して、その犠牲となった方々に深く哀悼の意を表する。脳障害に陥り母親の手で入浴する有名な写真はすでに見ることができない。しかし、あの一枚の写真が私たちに与えた衝撃は計り知れない。でも、人間の歴史には水俣病やそれ以上の悲惨な出来事、哀しい事実が満載されている。その悲惨さが故に、事実を直視する勇気を失ったり、過度に悲惨さを強調し、そのことによって、事実そのものを見る目が曇って、結果として再び同じ過ちを繰り返すことは尊い犠牲に報いるやり方ではない。より正確な歴史認識をもって将来に備えることが環境の原点である。このことは水俣病の被害を受けた方、その支援をしておられる人も賛成してくれるのではないかと信じる。この論評はそのような認識の上にたって記述されている。
太平洋戦争が終り国内の混乱がようやく収まり掛けている頃の1953年、九州水俣市の新日窒水俣工場附属病院に一人の少女が診察に訪れた。これが環境問題史上、巨大な事件に発展した水俣病の最初の患者であった。医師は奇妙な脳障害の症状にとまどい、日本脳炎のような脳障害と診断した。
その後の水俣病の経過はあまりにも有名である。それから3年後「水俣病の公式発見」という名前がついた複数の患者さんが出現し、この事件は最初の一人の少女の病気から世界的な公害事件と発展する。
同年、つまり1956年、熊本大学はこの病気が感染症ではなく、中毒であるという推定をし、工場からの廃液を採取。翌年、厚生省厚生科学研究班が「科学毒物として、セレン、マンガンの他タリウムが疑われる」と発表。チッソは製造プロセスを検討、「排水中のセレン、タリウム、マンガンは基準以下、ネコ実験では3物質が原因とは断定できない。」とこれに対抗した。
1959年、新日窒附属病院細川院長、塩化ビニール、アセトアルデヒド廃水を直接投与するネコ実験開始、つづいて、 熊大研究班の研究報告会で、武内教授、徳臣教授らが「水俣病は現地の魚介類を摂取することによって引き起こされる神経系疾患であり、魚介類を汚染している毒物としては水銀が極めて注目されるに至った。」と発表した。最初の患者の発見から原因解明まで6年であった。その後、9年の歳月を経た1968年、国は水俣病がチッソによる公害病と認めた。認定患者は2,265人。総患者数は12,618人と推定される。
このような大きな社会問題となった事件はさまざまな意味で見解が分かれる。公式記録の患者数の推定はあまりにも少なく、犠牲者3000人、患者数2万人という計算もある。でも、患者数などの数字を統一する必要はなく、判断が分かれるのも仕方がない。人間や人間社会というものはきわめて複雑なので、数学のように正確な答えを得ようとする方がむしろ誤りを含む。おおよそ1−2万人程度に被害があった事件だった。
ところで、患者数が2万人という数は確かにかなり多い数ではあるが、公害事件として最大のものではない。1952年にロンドンで起ったスモッグ事件では死者だけで4,000人を超えている。よく、「水俣病は地上最大の公害事件」というような論評もあるが、水俣病の悲惨さを訴えたいという気持ちはわかるが、間違った表現は自体を複雑にして解決を遅らせる。被害を受けた人にとっても歓迎されないことと思う。
さて、ここまでの準備を経て、この論評では次の2つを整理してみたいと思う。
1. 水俣病の責任はチッソにあったか?あるいは、チッソであるとすることが何らかの意味を持つか?
2. 水俣病を通じて日本社会の何が見えたのか?
この論評では十分な研究を経て、「水俣病はチッソの責任ではない」という結論を得た。そのことを最初に断っておきたい。先入観でそのような結論に至ったわけではない。著者は最初は水俣病の責任がチッソにあると「信じていた」のだから。
まず第一の論点は、「金属水銀あるいは有機水銀が大規模な被害を与えることが知られていなかった」という事実と、「知らなければ責任はないか」という判断について整理する。
水銀が人体にある程度の毒性をもつことは古くから知られており、遠くは奈良の大仏の建造にあたって銅で鋳造した大仏の表面に金を貼り付ける時、水銀のアマルガムを使用した。このことで大量の犠牲者が出たとされている。真偽のほどは明確ではない。著者はある程度の調査はしたが、山口県長登から掘り出した銅に小量の砒素が含まれ、砒素の混入で溶解しやすい特徴があの大きな大仏の建造に一役を買ったことは判明したが、水銀中毒患者の数は正確に把握出来なかった。
もともと、人間の病気や体の変調というのが細菌や毒物によって起ることは近代医学の父、パスツールが有名な「鶴首の実験」を行い、「病気というものは目に見えない小さい生物がおこすもの」ということを証明した以後のことであり、それまでは「悪霊の仕業」と考えられていた。病原菌という概念が誕生するのは自然現象を客観的に見ることが出来るようになってからである。
水銀の中毒については水俣病の少し前に、イギリスで水銀中毒患者が発生し、その研究をしたハンター=ラッセルの名前をとって症状が特定されていた。しかし、世界各国で観測される多くの症例の知識がすべて行き渡っている訳ではなく、1956年に50余人の医師団による研究が集中的に開始されて2年後、やっとイギリスの神経学者マッカルパイン博士が水俣病の症状が有機水銀中毒に類似していることを教えてくれて解決の糸口が見つかったのである。
水俣病と有機水銀中毒に関する事実はまだ詳細がある。しかし、金属水銀がプロセス中、環境中あるいは生物体内で有機水銀(たとえばメチル・エチル・N-プロピル水銀)に変化し、それが脳の障害を起こすことは、
「水俣病が発症するまで、日本人は誰も知らなかった」
と断言して良いだろう。すでに1930年スイスで有機水銀中毒症状の報告、1937年にイギリス水銀農薬中毒(1940年論文発表)があったので、論理的には知られていたから、その可能性については指摘できても、水銀を利用することを止める納得性のある論理を構築するまでには至らなかったことは事実として良い。
私と私の研究室の博士課程の学生の研究によると、現代社会で使用されている製品や材料をリサイクルすると、その中にはかなりの毒物が含まれていて、早晩、かなりの犠牲者を出すと予想されている。特に「生分解性物質」は危険で、分解によって生成する物質の中に生態系を破壊する可能性のある物質が発生する。
しかし、生分解性高分子の危険性に触れると、生分解性高分子を製造販売している会社、生分解性高分子を使用することが環境に良いとして製品を売ろうとしている会社、そして多くの環境運動家からも強い非難を受ける。
非難の理由は「いい加減な根拠で商売の邪魔をするな」ということである。確かに、私が「危険性があり得る」とする根拠はまだ弱い。将来のことなので判らないのだ。古い伝統を持つものは別にして、現在、我々が日常的に使用しているものの多くは危険性がある。
話を水俣病に移そう。チッソが新しい工業プロセスの運転を開始し、若干の水銀が水俣湾に流出した1932年、誰も水銀の毒性を知らなかった。そして最初の患者さんの出現はそれから21年を経ている。そして最初の診断は「日本脳炎」だった。
チッソは新しい高性能の工場でアセトアルデヒドという重要原料を作り、戦争で敗れた日本に物資を供給しようとしていた。著者は化学プラントの研究をしたことがあるので、良く理解出来るが、当時、金属触媒などを使用した新しい工業が次々と誕生してきた頃で、現在の知識から見ると危険と思われる物質が世界中で歓迎され、多く使用されていた。
従って、まず、ここで「チッソが水銀を使用した工業プロセスを選択したことは正しかった」と結論したい。チッソが世界でもっとも優れた技術者集団であり、チッソの経営陣が真に社会的な貢献をしようとしていたとしても、水銀のプロセスを選択しただろうからである。
次に水銀が含まれている工場廃液を「垂れ流した」ことについての論評をする。
人間の活動による廃棄物を大気、あるいは海などに放出した場合、それが環境を汚染したり、人体や生物に影響を及ぼすと考えられるようになったのは、いつ頃からであろうか?
John Evelynは1661年、"Fumifugium"と題される書物を執筆し、その中で当時ロンドン市民を悩ましていた石炭からの煤煙被害について整理し、政策提言を行なっている[i]。ロンドンの煤煙問題の歴史はかなり古く13世紀にすでに当時のエドワードT世が石炭の使用禁止令を出している。しかしマキや木炭を供給する森林はそれほど豊かではなく、住居が密集し、産業が盛んだったロンドンは化石燃料である石炭に頼らざるを得なかった。
煤煙の発生元は家庭ばかりではなく、ガラス製造、ビール、蔗糖、石けん、金属加工、染料、レンガ製造など多くの産業でも使用された。またロンドンが際だった煤煙に悩まされたのはその人口密度や産業活動ばかりではなく、ロンドンの地形、北海との関係など地形・気候上の要因も顕著であった。環境とはまさに地域そのものであり、一般化するのが困難なことも示している。そのような中で、1952年のロンドンの大スモッグ事件が発生したが、それでも「特殊なケース」と認識された。
そのために、若干の規制は行われたが、「いらないものはそこら辺に捨てる」という原則は変わらなかった。レイチェル・カーソンが1962年に出版した「沈黙の春」が特筆すべきものである理由は、この出版から後、人間は「いらないものを川に流してはいけない」ということを知ったのである。
それはレイチェル・カーソンの本が出版された時のアメリカの反応を調べれば判る。現在のマスコミは環境問題を前面に出し、環境を守る先兵としての論陣を張っているが、レイチェル・カーソンに対しては「女のヒステリー」「子宮で考える」などと非科学的な中傷に終始したのである。これが今から40年前の事だったと考えると隔世の感がある。
以上から判るように、チッソが工場ででる水銀を「垂れ流し」ていたのは当然である。当時、どの工場も廃棄物を垂れ流していたし、それを認めていたのは国民である。自分が認めていて認めたことをしている人を非難するのはフェアーではない。さらに、水銀が毒物と知って垂れ流していても、それでも非難できない。むしろ、当時は「毒物だから工場内で処理ができないから、廃液として垂れ流すのだ。」というケースが多かったからである。
たとえばメッキ工場からのシアンやクロムなどの毒性物質や家庭からのラーメンの残り汁など、環境に有害であることは当時から知られていた。しかし、シアンやクロム、ラーメンの残り汁を処理するのは大変で面倒だから垂れ流していただけの事である。人間が使用する物質そのものの量が少なく、自然はそれを浄化する能力があった。
従って、チッソが水銀を使ったこと、それを水俣湾に流したこと、そして「垂れ流した」こと、はいずれもチッソの責任ではない。ここで「責任」という用語については後のもう一度、整理をするが、ここでは日常生活で使用される意味としての責任という言葉を使用している。たとえば、ある人が善意で生分解性物質を製造し販売していたとする。生分解性物質が環境によいと信じて畑や土の中に「垂れ流し」たとする。それを政府も認め学会も良いとしたとする。
この状態で数十年経ち、取り返しの付かない障害が出た場合、2000年時点で生分解性物質を製造販売した人に責任があるだろうか? 私は無いと考える。私はできれば、生分解性物質のような危険なものを製造販売して欲しくないという希望があるが、現実にそれを進めている人、それで生計を立てている人にとっては、曖昧な危険性を根拠にして製造を止めるわけにはいかないし、第一、生分解性物質は畑に捨てられるから作っているので、それも止められない。
水俣病は、現在の生分解性物質と同じ環境で発生したのである。特に当時、戦争に負けて少しでも材料が欲しかった。チッソの工場で作られた原料を用いてプラスチックができ、それで医療用のカテーテルやパイプが作られていた。そのカテーテルで命が救われた人は多い。その時代、その時代にはある目的があって製品が製造される。すでにその恩恵を受け、さらに違うものが開発された後に、恩を忘れて論じるのは将来の改善にはならないご都合主義である。
次に「知らなければ責任はないか?」についての本格的な検討に入りたい。
先に生分解性物質を例にとって「知らなければ一般的には責任はない」ことを示したが、チッソという有力会社が結果として毒物で環境を汚し、その結果、犠牲者を出したことについて「結果責任」があるかについて論じたい。
この問題はすでに法律的には結論が出ていて、結果責任を認めている。そのことは承知の上で、ここでも「チッソには結果責任はない」ことを証明したい。というよりチッソに結果責任を認めさせても、社会的な改善にならないというのが論旨である。
精神異常者が犯罪を犯した場合、精神異常であるという理由で無罪になる。このことに関しては「再発」の懸念から反対者も多いが、近代法学では責任能力のない人が犯した犯罪は、その当人の責任にしても意味がないので、社会の責任としてその後の措置をする。つまりたとえば小学生の犯罪については小学生を罰する代わりに教育を見直すという考え方である。
チッソに関する裁判の判断は、「万一有害であることが判明し,あるいは又その安全性に疑念を生じた場合には,直ちに操業を停止するなどして必要最大限の防止措置を講じ(るべきである)(熊本地判昭和48年3月20日判時696号15頁)」としてやや事後措置に関するものであり、四日市公害訴訟では「少なくとも人間の生命・身体に危険のあることを知りうる汚染物質の排出については,企業は経済性を度外視して,世界最高の技術・知識を動員して防止措置を講ずべきである。(津地裁四日市支判昭和47年7月24日判時672号30頁)」とある。
これらの裁判所の判断は、裁判官の利己的心理状態を示すもので、深い失望感にさいなまれる。あまりにばかげた判決だからだ。「少なくとも人間の生命・身体に危険のあることを知りうる」行為について経済性を度外視して行動している人は、この日本に数えるほどもいないだろう。それでも四日市公害で非難され弱り切った企業に対しては、病人にむち打つがごとき判決も許されるのである。酷い!
たとえば「自動車」はどうか。毎年10,000人からの死者を出している。危険であることを知りうるどころか、危険であることが何十年と実証されている。自動車会社は自動車を販売すれば相当数の犠牲者が出ることを承知している。だから、最高速度が20キロのものに変えるか、車体の回りを衝突しても人体が損傷しないようにするか、もしくは経済性を無視して電子機器を搭載して衝突しない車を売る必要がある。
「少なくとも人間の生命・身体に危険のあることを知りうる自動車の販売については,企業は経済性を度外視して,世界最高の技術・知識を動員して防止措置を講ずべきである。」と裁判官は言わない。それは自動車が社会に受け入れられていること、つまり社会が「正義」を決めるのであって、裁判官は社会に従属する存在だと言っている。従って、少なくとも判決では「チッソが製造した製品を社会が無意味と言うなら」という条件が付いていなければならない。
さらに付け加えれば、裁判官は自動車を運転しないのだろうか?裁判官が自宅から車を運転してある場所まで行こうとすれば、その間に「少なくとも人間の生命・身体に危険のあり得ることを知り得ない」と言えるか?
もちろん、自動車ばかりではない。この社会で「危険のあり得ることを知り得て」行動したり、生産、消費をしているのが常態である。社会の常態を採用して罰せられるのは不条理である。
自動車に対して厳しい判決をすると社会が「悪い判決」と評価し、チッソを責任無しとすると社会受けしないからチッソには無理難題をかぶせると見える。
・ ・・あまりカッカとしないで、裁判官が善意だとしよう。
裁判官は、「自分が使っているほとんどのものが、「危険と判っているもの」が「経済の範囲内で製造されていて」、そのお陰で生活をしている」という関係を理解出来ないらしい。裁判官が文化系で大学時代に法律以外は勉強せず、社会とか製造が判らないのか、あるいは裁判官になる人は生活に恵まれていて自分が生きていくのに必要なものが空から降ってくると錯覚しているのだろう。
さらに、裁判官が判決にあたって「正義」というものを考えているなら、この判決は科学に対する過信と考えられる。彼らは科学を知らない。科学というのは物事を合理的に判断することができると錯覚している。しかし、自然科学が対象とするものは人間の頭脳から見ると飛んでもなく複雑でとても解釈できるものではない。自然現象である程度判っているものは物理学などが対象とする簡単な現象に限定される。
物理学が現象を厳密に解析しうるのは物理学を専門とする人の頭が良いからではない。物理学は簡単なことしか対象としないからである。それに対して化学は中間、生物学は解釈が出来ないほど複雑な事象を相手にする。だから、人間はほぼ「知識がない」という状態にある。この水俣病もそうであって、「水銀だから危険だ」というのは今でも明確ではない。事実、割れやすい蛍光灯に水銀を使っているので、廃棄物焼却場には常に水銀があるが、だからといって特別な障害はない。鉛が有害とされているが鉛の水道管は膨大な数に上る。判らない事だらけだ。
つまり、現在の学問はなにも判らない状態で利用できるという理由で使っている。生分解性物質のように水銀より遙かに複雑になるとまったくお手上げである。だから、水俣病に関しては政府も厚生省も、日本化学会も熊本県もチッソと同じように水銀を出したプロセスの成立には関与している。みんな同罪だ。「それは素晴らしいプロセスだ、やれやれ!」とけしかけておいて、それで事件が起ると知らない顔をするほど誠意の無いことはない。
水銀のプロセスを研究した人、工場を建設した人、廃棄物系を運転した人、認可した人、お金を貸した銀行・・・みんなチッソと一緒に無知で責任がある。つまり戦後のあの時期にチッソが水銀をつかった工場を運転し、廃液を流したのは国民的合意だったのである。
水俣でなにも起らなかった操業20周年目の1951年に「危険と思われるから操業を停止すべきだ」という訴訟が起ったら、裁判所はどのように判断しただろうか?もちろん荒唐無稽な訴えとして「危険性もなく、被害もないから門前払い」という判断であることは明白である。
事故が起らない前は門前払い、事故が起れば「判っていたじゃないか!」という理屈は時々、裁判では見られるが、罪のない人を罰して社会全体の安全に寄与するという思想である。
加害行為の社会的有用性が不法行為の責任を否定するのか、という法律問題は、判断能力のない当事者に責任を認めるのか、ということとセットでの議論が必要である。さらには、ある不幸なことが起ったときに、かつてそれを魔女のせいにして魔女さえ殺してしまえば事はおわりとする、「スケープゴート論」とも併せて考慮しなければならない。
次に、責任はないが「みせしめ」としてチッソを痛めつけることによって再発を防止出来ると考える人もいる。判決も言外にそれを言っているように思われる。次になにか新しいことを製造しようとする人が不条理に痛めつけられたチッソを思い出し、少しは慎重になるだろうということである。
この考え方の効果はすでに歴史的に否定されている。生分解性物質も同様だ。現在の日本の工業製品の多くはチッソの水銀と同じように使用されている。
なぜか?それは水俣病をチッソの責任にして「もし被害が出てもそれは運の悪い企業だけの責任にすれば済む」という常識が行き渡ってしまったからである。チッソの問題で活動した多くの人達はチッソの被害者を救済する上で大変な貢献をした。辛い思いをした水俣病の被害者はずいぶん、支援によって救われたと思う。でも、チッソ問題で活動した人は「敵」を誤認していた。誤爆である。
真の敵は「活動家自身」であり、「国民や市民、裁判官」そのものであり、そして「私」である。事件が起るまでチッソのプロセスを支持し、その製品で利得を得、欠点が判ると「私は何も関係ない」という態度は誠実ではない。だから、現在でも新製品に対してその利得は得ていても、真剣にはその欠点を調べようとしない社会体制になったのである。
再発を防ぐためのもっとも危険な処理方法は「スケープゴート」である。人間の社会はスケープゴートを生みやすい。そしてスケープゴートを作れば、それで済むと考える。かく言う著者も、チッソの社長が大きな態度で患者に接するテレビを見て憤慨していた。実は頭を下げなければならないのは、チッソの社長の態度を見て憤慨している自分自身なのだ。そしてマスコミも事件が起るまでは「新鋭工場」「チッソで栄える水俣」を報道していたのである。
日本社会の闇は暗い。この暗さは日本社会がまだ文明と呼ばれるようになって1万年程度であり、精神的には原始時代にあることを示しているのだろう。だから文明の明かりが灯っていない。
水俣病の原因がチッソの水銀であると判ってきた1959年に、不知火海沿岸の漁民が排水の停止を求めてチッソに乱入した。その時、市民の方が「チッソの工場の排水を停止するな!」と市長に迫った。町の繁栄、漁民に対する差別的感情などが入り交じってこのような行動を市民がとる。「市民」という言葉には「正義の味方」という響きがあるが、それが「エセ正義」であることは多い。
市民が正義の見方であるためには、市民だから正義ではなく、市民が正義に基づく行動をし、誠実である実績が求められる。自分だけがよい子になって、罪もない他人を陥れる市民は正義ではない。
しかし、日本では市民の問題点を指摘するのにも勇気がいる。というより日本ではどんな些細なことでも異論を述べる時には、相手がかならず感情的な反撃をしてくることを覚悟しなければならない。この感情的反撃はさまざまな形でやってくる。
一番、多いのは「あなたには判らない」「経験した人しか判らない」というものだ。水俣病の場合には、市民の行動についての批判をすると「あなたは患者の苦しみが判らないのか!」と言われる。私が事実を明らかに使用としているのは、二度と再び水俣病のような事件を起こさないためであり、それには真なる原因・・・私が考える真なる原因・・・を述べているに過ぎない。
人にはそれぞれ考えがある。ある人はチッソの責任と言い、ある人は政府の責任と言い、私は私たちの責任という。それぞれ考え方は異なるが、どの考え方が正しく、そして将来に亘って事件を防止しうるかの道筋にはよく意見を聞き、それを考えなければ到達しないだろう。
しかし、水俣病の反省を活かすためには、我々はそんなレベルにはない。もっと低いのだ。
高等学校野球大会。爽やかな甲子園球児を思い起こすこの熊本県大会でのことだ。水俣市を代表して出てきた高等学校に対して、相手の高等学校の応援席から「水俣病!!」というヤジがでた。即刻、相手の高校は試合を中止して退席するべきだっただろう。高等学校は野球のために存在するのではない。教育基本法第一条には教育の目的が人格の確立にあるとしている。フェアープレーで戦う相手に「水俣病!」をヤジを飛ばすような試合は価値がない。
それは水俣市の中でも同じだ。「水俣病の患者は市民ではない。患者になったのが悪いのだ。」という声があった。それも特殊な例ではなかった。病気になった漁民は一所懸命になって魚を捕り、それを食べただけだ。それなのに患者がいるから市が繁栄しない、お前達がいるから我々は白い目で見られるという理屈である。
同様の公害事件として有名なイタイイタイ病では、病気の人自体が非難された。もし俺たちの町に変な病気の人がいると判ったら、どんな不利を受けるかも知れない。嫁も来ないだろう。だから、ひた隠しに隠すのだ・・・という歴史を背負っている。それはイタイイタイ病の発見を遅らせ、多くの犠牲者を生んだ。
人間の様相は複雑だ。単にそれが利己的であるという理由で非難することはできにない。しかし、人間は中途半端に優れた頭脳を持っているが故に、「誠実」から離れるときがある。水俣病の責任はチッソにはない。でもチッソの責任にする。水俣病になった人には責任はない。でも「患者は市民ではない」と言う。
人間というは集団性の強い動物で、ある集団がより快適になるためにはその中の特定の人を犠牲にすることがある。特に島国である日本では古くからそのような傾向があり、それが「個」より「国」を大事にする風土として残った。このことが良いことか悪いことかは難しいが、そのような傾向が強い。
その中で闇が生まれた。切り捨て議論で集団の発展を目指す・・・それが水俣病や四日市喘息の判例をうみ、我々は現在でもこれらの事件の教訓を活かしていない。
チッソの社長が「こんなことになって済まない。申し訳ない」と深々と頭を下げる。下げられた市民は「私たちこそ、申し訳ない。社長さんと同じように水銀がこんなに酷いものとは知らなかった。チッソの工場が動くのを誇りに思っていた。残念だが、みんなでこの不幸をなんとか回復しよう。患者さんには申し訳ないので、市民一丸となって救いたい。」と言うべきだろう。そして政府を中心とした国民も、またチッソが作り出す製品を使って生活をしてきたのだ。「我々もまた、悪かった。知らないとはいえ、済まないことをした。許認可権を持っている人間としては、知らないでは済まないし、また失敗も認めなければならないだろう。被害を受けた住民の方には皆さんの同意を得て、税金で十分な補償をしたい。」というのだろう。
水俣では私たちは誠意がなかった。そして、「誠実」から離れた社会は、再発も防止出来ないし、環境を守ることもできない。そして、そこで生活する人が楽しい人生を送ることも、また不可能である。誠実は確固たる信念とその信念に基づく行動が求められる。チッソも我々も知らなかった。だが患者さんはでた。事実は悲惨だが、誰にも責任がない。人智及ばざることがある。
日本の「見かけ上、物事が解決すれば良い」という安易な、ある意味で素晴らしい処理の仕方が水俣病で強くなった。ことが起ってしまったのだから真実の原因とは別に魔女狩りとしてチッソに責任をとらせてまず「事態の終焉」をはかる。とにかく「事を終わらせる」のが大切である。
次に、患者を非難し特殊なケースとして矮小化し、できれば「水俣病」という名称を抹殺する。そうすれば記憶は早く薄れ、歴史の中に埋没するはずだ。人間の数は多い。誰かに犠牲になってもらえばそれで済むことだ・・・このような判断と行動は、集団性の高い人間が生物としての判断をした結果かもしれない。
でも、ただ、水俣湾という古来からの豊かな海からの魚を食べたというそれだけで犠牲になった人、努力が報われずに無念の涙を飲んだチッソの技術者は、保身的な判決と冷酷な市民の反応に接して、心の奥でこう叫ぶだろう。
「私は貝になりたい・・・」
名古屋大学 武田邦彦
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