http://www.asyura2.com/13/cult11/msg/121.html
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「・・・反原発運動はかつてない勢いで高まっています。あれだけの大事故があった以上、これは当然の動きでしょう。筆者も中長期的には原発をなくす方向に行く他ないと考えています。
ただ残念なのは、一部の活動家に、過剰に「フクシマ」の危機を煽り立てる者がいることです。人々の恐怖を誘うことで反原発の賛同者を増やしたいということなのでしょうが、とうてい容認やり方ではありません。今後数年で、東北や関東で何百万人ものがん死者が出る、先天性の異常が多発する、といった根拠のない脅しをかけずとも、反原発運動は十分にできるはずです。
さらには自分の儲けや売名行為のために、「フクシマ」を利用しょうとしているように見える者さえいます。見下げ果てた輩という他ありませんが、これに引っかかってしまう人も残念ながら数多くいます。
(「ゼロリスク社会」の罠 P257)
<東日本大震災のポイント>
●救うべきは家や家族を失い、職場も流された東北の被災者
●自然放射線量の地域差とさして変わらないレベルの土地を何兆円もかけて
除染する意義はどの程度あるのか?
●1ミリシーベルトは放射線防護上の概念で医学的な意義はまったくない。
●意味もなく、できもしない除染をするより、津波被災地の経済を立て直す方が
優先的課題
※くれぐれも筆者の佐藤健太郎さんに嫌がらせ等しないでください。
<参考リンク>
・人はなぜ放射能を恐れるのか - 『「ゼロリスク社会」の罠』
http://agora-web.jp/archives/1488969.html
・レビュー
5つ星のうち 5.0 僅かなリスクはいつどこにでも必ずある, 2012/9/25
By aldente - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 「ゼロリスク社会」の罠 「怖い」が判断を狂わせる (光文社新書) (新書)
100メートルの高さから地面に飛び降りたらほぼ100%の人が死亡するでしょう。
では1メートルの高さからはどうでしょうか?30センチなら安全でしょうか?
言い方を変えると、どこからリスクはゼロになるのでしょうか?
科学者のように厳密に考える人ほど、リスクがゼロなどとは言えないはずです。
では1センチの高さから飛び降りることも危険だと言うべきでしょうか?
醤油を1度に1リットル飲んだら人間は死にます。500mlでも死ぬそうです。
ではお刺身に醤油をつける事は危険だと言うべきでしょうか?
それとも醤油自体を毒物として扱うべきでしょうか?
それとも生魚を食べると腸炎ビブリオなどの菌により食中毒が引き起こされる事があるので、
刺身は危険だから食べない方が良いと言うべきでしょうか?
もしくは、卵かけご飯だったらどうでしょうか?
リスクをゼロにしようとする事は間違っています。
リスクというのは白黒で考えるのではなく、量によって決まるものです。
モノを食べること、道路を歩くこと、お酒を飲むこと、お風呂や就寝ですら厳密に言うとゼロリスクではありません。
しかしリスクがゼロでなければ危険なのでしょうか?
こういう事はもっと多くの人が考えるべきだと思います。
広告や視聴率で商売するメディアは危険性や不安心理を煽ったほうが注目されやすくお金になるので、
食品添加物や放射能などについてはリスクがゼロでなければ危険だという間違った認識を吹聴しています。
思考停止になって与えられた情報を鵜呑みにするのではなく、自分で調べて判断することが大事なのだと思います。
・・・
回避すべきか受け入れるか、リスクの物差しを提示する, 2012/11/18
By 革命人士 - レビューをすべて見る
(トップ500レビュアー)
レビュー対象商品: 「ゼロリスク社会」の罠 「怖い」が判断を狂わせる (光文社新書) (新書)
本書は科学的なリスク判断の方法をレクチャーしている。生きている限り、リスクを完全に回避するのは不可能だ。そして、あるリスクを減らそうとすると、コストか別のリスクが生じる'。人間はリスク評価の際、バイアスがかかりがちなため、リスクを回避しようとして逆に過大なリスク・費用を負担しがちである。以上のことから、リスクを正しく見極めて行動するにはどうすべきか、旬なトピックを多く紹介しながら考えている。放射能に関しても「なぜ原子の中からそんなものが出てくるのか」という基礎から健康被害の問題まで、手厚く説明している。
リスク評価の方法を考える際に登場する薀蓄も非常に面白い。だが、本書が最も素晴らしいのは、きちんとした説得力のある科学リテラシー本であり、リスク判断のための物差しを提示している点だ。ケンブリッジ大学の研究者の「現代人は1万分の1のリスクは許容するべきではないか」という説を、著者は紹介する。自動車事故で死ぬ確率が6000分の1であり、車に乗る人や車が通る道を歩く人は、この程度のリスクは許容しているものと判断するからだ。
著者は「危険物質があるかないか」という「定性的判断」ではなく、「危険物質がどれだけあるか」という「定量的判断」でリスクを考えるべきだと提案している。トランス脂肪酸やソルビン酸など「過剰摂取すると人体に悪影響がある」と言われ忌避されている。だが、コーヒー、いや水すら100杯一気に飲めば死ぬ。ソルビン酸入りかまぼこは、一気に数百キロ食べないと死なない。世の中、毒にも薬にもなるグレーな物質ばかりだ。
原発事故以降、もともとリスク過敏だった日本人のリスク感度は跳ね上がっている。警戒は必要だ。しかし、福島県以外の人が恐れるべきは、死者がいない放射能ではなく、2万人の死者不明者を出した津波災害であるべきだ。リスク過敏社会で著者の提示する、リスクを検討する物差しはかなり有用だと思う。また、どこを読んでも、ユニークなエピソードが添えられており、科学読み物としても非常に面白い。数式や化学式もほとんどなく、科学の門外漢にも分かりやすい。広い範囲の人が興味を持って読める本だ。
・・・・
「誤ったリスク判断」の損害を避けるために, 2012/10/20
By θ - レビューをすべて見る
(トップ1000レビュアー)
レビュー対象商品: 「ゼロリスク社会」の罠 「怖い」が判断を狂わせる (光文社新書) (新書)
今日の社会では「リスク」に関する情報は氾濫している
特に3・11以降ではそれが顕著である。
「危ないものは止めるべき」という「善良な消費者」の言説は強く、行政や企業はしばしば非難の矢面に立たされる。
しかし、本当に我々は正しくリスク判断ができているのであろうか
バランスを書いて安全を求めるために、かえって真に対策すべきことを見落としているのではないか
本書は「正しいリスクとの付き合い方」を提起している
事例は、「天然」礼賛、発がん性物質騒動、など、身近でこれまでにも多くいわれていたものだが、コンパクトにまとまっている。
最近の放射能の話にもきちんと言及がある。
まとめとしては非常によくできていると思う。
浴を言えば、個別論よりももっと一般論を多くして欲しかった気もするが、それはないものねだりというものであろう。
リスク社会を生きる上で、おススメの一冊
・・・・
・脱原発の前に人間終わってる!地震、津波、原発で被災した福島県民に対する悪質なデマを拡散する人々に怒り心頭!
http://www.asyura2.com/12/genpatu26/msg/862.html
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