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なぜ華北黄河流域で天の信仰が、華南長江流域で太陽の信仰が誕生したのか
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/707.html
投稿者 中川隆 日時 2016 年 7 月 18 日 04:55:26: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: シャーマンと右脳・左脳の働き 投稿者 中川隆 日時 2014 年 1 月 22 日 00:22:23)

「なぜ華北黄河流域で天の信仰が、華南長江流域で太陽の信仰が誕生したのか」


 この問題を解明するのに参照すべき現象が三つあります。

 その一つは一神教と多神教の分布です。

世界の宗教を一神教と多神教にわけることがあります。

一神教は、一柱の神をたてて崇拝する宗教です。一神教の神は一般的には抽象的な男性原理を有し、全知全能にして万物の創造主とかんがえられています。ユダヤ教のヤーウェの神、キリスト教の父なる神、イスラム教のアッラーの神などがそれにあたります。

 これにたいし、複数の神々を同時に崇拝する宗教を多神教とよびます。古代ギリシアの宗教、インドのヒンズー教、日本の神道、仏教、道教などがそれにあたります。

 この両宗教が生まれ、分布する地域に区別があります。一神教は砂漠地帯に生まれ、多神教は農耕地帯に多くみられます。多神教が神と人間との交流を教義に説くのにたいし、一神教は神と人間との隔絶を強調します。これは一神教が、砂漠に誕生したことと関係があるとされています。荒涼たる自然環境の砂漠では、地上から超絶する天上の神が祈願の対象にえらばれる傾向がありました。たいする多神教は豊穣の大地にいます神々が信仰の対象になりました。一神教と多神教は天の神と地上の神の対比でもあるのです。

 二つめは、シャーマニズムにおける脱魂型(エクスタシー型)と憑霊型(ポゼッション型)の分布です。通信13であきらかにしたように、長江流域では、神が巫女の身体にやどる憑霊型がさかんでした。太陽神も巫女の身体に憑依しました。他方、黄河流域の王の祭天儀礼では柴とその上の供物を燃やして、煙を天にとどけました。神は天にあって、人間の側から神に接近していました。そこでは脱魂型がおこなわれていたとみることができます。

 現在も長江南部では憑霊型がさかんであり、黄河の北方では脱魂型のシャーマンが活躍しています。私はかなり長期にわたって、江蘇、浙江、湖南、貴州、広西チワン族自治区、黒竜、吉林、内蒙古自治区などのシャーマンを調査してまわってこの事実を確認しています。天の信仰と太陽の信仰は、また、シャーマニズムの脱魂型と憑霊型の問題でもありました。

 シャーマニズムでなぜこの両タイプが存在するのか、という問いについてはまだ完全な解答は提出されていません。

 シャーマニズムの研究で大きな業績をあげたM・エリアーデは脱魂型を本質とみて、憑霊型を第二次的な変化とかんがえました。その結論的な部分だけを代表作『シャーマニズム』(堀一郎訳・冬樹社・1985年)から引用します。


 アジア的シャーマニズムは、一つの古代的エクスタシー技術と考えねばならない。この原初的根本理論―天界上昇によって直接の関係を持ち得る可能性のある天界至上神の信仰―は、たえず仏教などの侵入を最頂点とする長い一連の異国からの著彩によって変形せしめられてきた。神秘的死の概念は、漸次祖霊と「精霊」との正常な関係、「憑移」にいたる関係を促進した。

 エリアーデの考えがよくうかがわれます。アジアのシャーマニズムはシャーマンが天界への上昇によって至上神と接触するエクスタシー型こそが真の姿であり、仏教などの侵入による異国からの影響と祖先崇拝によって変化が生まれ、憑移(憑霊、ポゼッション)型を増加させたが、しかし、エクスタシー型をなくするまでにはいたらなかった。このように彼は主張します。

 このエリアーデにたいし、民族学者のW・シュミットはポゼッション型を基本とかんがえ(大林太良「シャマニズム研究の問題点」『北方の民族と文化』山川出版社・1991年)、I・M・エリスは二つのタイプは共存するとみています(平沼孝之訳『エクスタシーの人類学―憑移とシャーマニズム』法政大学出版局、1985年)。

 脱魂型は狩猟文化と関わりをもち、憑霊型は農耕社会に顕著です。この事実は多くの研究者がみとめるところです。日本にかぎっても、本土では脱魂型がほとんど存在しないのに、ながいあいだ狩猟採集社会であった沖縄では他界を旅したり空中を飛翔したりする脱魂型の体験をユタなどから聞くことはまれではありません。

 地球的の規模でシャーマニズムの研究をおこなったアメリカの人類学者エリカ・ブールギェヨンとエヴァンスキーは「全世界からの民族誌的事例の通文化的統計研究において、社会の複雑度が低く、ことに採集狩猟経済にもとづく社会などでは、脱魂型シャーマニズムがふつうで、社会が複雑になり、農耕をいとなむようになると、憑霊型シャーマニズムがさかんになる傾向がある」という結論をみちびきだしています(大林氏前掲書)。

 このようにみてきますと、天の信仰と太陽の信仰を解明する重要な鍵がシャーマニズムの脱魂型と憑霊型にあることがたしかになります。

 華北の天の信仰、華南の太陽の信仰とかかわる現象の三つめは仮面の分布です。
 世界の民族に仮面をもつ民族ともたない民族があります。
 日本の仮面使用の祭りや芸能の分布状況を、『日本民俗芸能事典』(第一法規・1976年)によってみますと、南北につらぬく日本列島で、北から南へゆくほどその分布密度は濃くなり、南島とよばれる九州や沖縄の島々が濃密に仮面芸能をつたえるのにたいし、北の北海道にはこの地で生まれた仮面の儀礼や芸能が存在しません。

 北海道は北緯40度以北に位置します。おなじように朝鮮半島の仮面の祭りや芸能の分布状況を、金両基氏の『韓国仮面劇の世界』(新人物往来社・1987年)収載の表によって検討してみますと、北緯39度線より北に仮面芸能は存在しません。日本と朝鮮半島はともに北緯40線あたりに仮面芸能の北限があったことがわかります。おなじような調査を中国でおこなってみますと、やはり北緯40度の北京あたりに仮面祭式の北限があることがあきらかになります。

 しかし、地球規模に調査の範囲をひろげますと、北緯40度という緯度に特別の意味があるわけではありません。アフリカ大陸の仮面の分布は赤道を中心に南緯15度と北緯15度のあいだにみられ、北アメリカでは北緯65度のアラスカ湾あたりまで仮面をみることができます(吉田憲司編『仮面は生きている』岩波書店・1994年)。緯度に特別の意味はありませんが、世界の民族または人々に仮面をもつ人々ともたない人々のあることは確実です。

 一神教と多神教、シャーマニズムの脱魂型と憑霊型、仮面の有無、の三つの現象と天の信仰・太陽の信仰はふかい関わりがあると私はかんがえます。三つの現象が解明できれば、黄河流域に天の信仰が誕生し、長江流域に太陽の信仰が誕生した理由もあきらかになると信じています。 

 四つの現象をつらぬく共通のキーワードは農耕です。多神教、憑霊型、仮面、そして太陽信仰の四者を誕生育成した社会は農耕社会でした。他の四者を生みだした社会は狩猟または牧畜社会か、農耕社会への転進のおくれた社会でした。こうした私の断定には異論をもつ向きもあるかもしれません。現存の考古学の発掘資料によるかぎり、黄河流域に農耕がはじまった時期は、長江流域に農耕のはじまった時期にそれほど遅れているとはみえないと…。

 黄河流域では紀元前6000年ころまで農耕開始時期をさかのぼることができます。河北省武安県磁山遺跡からは炭化した粟や耕作用の石製鋤、収穫用の石鎌などの農具が出土しています。

 ちょうどそのころ、長江下流域の浙江省余姚市河姆渡遺跡からは野性稲や栽培稲、耕作用の骨製鋤、炊飯用の土器などが大量に出土しています。猪を家畜化した豚の飼育もはじまっていました。それから2000年ほど経過した紀元前4000年ごろの江蘇省蘇州市の草鞋山遺跡では、人工的な水路や水田があらわれています。

 この比較だけでは、両地域はほぼおなじころに農耕社会にはいっていて差はありません。しかし、長江中流域の湖南省にはさらに1000年以上さかのぼった彭頭山遺跡群が存在し、籾や土器、石製農具、集落跡など、水稲耕作のほぼ確実な証拠が発見されています。長江流域の農耕は黄河流域の農耕を1000年以上さかのぼります。さらに湖南省の玉蟾岩遺跡からは12000年前の炭化米を出土しており、これを栽培稲とみる説が有力です。これがみとめられれば、長江中流域に稲作の起源はじつに黄河流域を6000年さかのぼることになります。

 さらに重要な事実があります。長江流域の農耕が稲作であったのにたいし、黄河流域の農耕は雑穀栽培であったということです。毎年おなじ場所に栽培すると連作障害のおこる雑穀では、粟、黍、豆類などを順番に土地を替えて植えなければなりません。その結果、黄河流域では、農耕だけでは十分な食糧を得ることができなかったために、狩猟採集経済がながく並存しました。

 ここで問題はしぼられます。なぜ農耕社会は太陽の信仰を生み、狩猟社会は天の信仰を生むのか。私はそこにいくつかの段階と理由を想定します。

 

1.農耕民は食糧を生む大地を信じ、そこに神々の存在を感得するのにたいし、狩猟民や牧畜民は大地をはなれたところ=天に神の存在を信じる。

2.農耕民の信じる大地の多様な神々のなかでの最高神が農作物の豊凶を支配する太陽神であった。

3.狩猟民は獲物の獣を追う。その獲物は身体の内部に神の分身を宿している。狩猟民はその神をつねに追うことになる。幾世代にもわたって神を「追う」生活が脱魂型のシャーマンを誕生させた。彼らの多くは神の分身の獣を守護霊としている。

4.農耕民は大地をたがやして収穫を待つ。収穫物は農耕民にとっての神の分身である。幾世代にもわたって神を「待つ」生活をくりかえした農耕民のなかのえらばれたシャーマンが、自己の肉体を依代としてそこに神を待ちうける憑霊型を生みだした。

5.仮面も神をよりつかせる依代である。憑霊型のシャーマニズムの分布地帯と仮面の分布地帯がほとんどかさなるのはそのためである。
http://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f02/suwa14.htm
 

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コメント
 
1. 中川隆[3323] koaQ7Jey 2016年7月18日 04:59:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[3674]

シャーマニズムの世界

環境や他者とつながっていた先住民は見事に死を迎えられた


フォレスト・カーターの『リトル・トリー』(2001)めるくまーるにこんなシーンが出ている。


「祖父の顔に笑みが広がった。今生も悪くはなかったよ。次にうまれてくるときは、もっといいじゃろ。また会おうな。そして、祖父は吸い込まれるように急速に遠くにいった」


シオドーラ・クローバーの『イシ−北米最後の野生インディアン(2003) (岩波現代文庫によれば、北米先住民ヤヒ族の最後の生き残りとされるイシが残した告別の言葉は

「あなたはいなさい。ぼくはいく」

であった。


 このような見事な死を迎えることが現在きわめて難しくなっている。
現代人は死に対してきわめて未熟である(2p111)。


 米国の社会学者・神学者、ピーター・ラドウィグ・バーガー(Peter Ludwig Berger, 1929年〜)ボストン大学名誉教授は、人類の宗教史をたどっていくと世界のどの地域にも類似した経験や考え方があるとし、これを「神話的基盤」と呼んだ。例えば、リアリティ全体をひとつの溶け合ったものとして認識することは、どの文化圏にも共通して見られる。そこでは、自然や人間、霊界、動物と人間との境界線は流動的であり、相互に行き来できた。人は「自己」を宇宙の一部として経験・理解していた(2p98)。


個人が明確な輪郭を持った「自我」として経験されず、部族や氏族の仲間や人間以外の環境とつながったものとして経験される神話的なリアリティの中では、死は意味をもたなかった。個人の輪郭がはっきりしていなければ、死の輪郭もはっきりしない(2p99)。


 つまり、自然と他者と切り離されていなかったことによって、古代人はまっとうに死ぬことができた。そこで、まず、狩猟採集民の世界観を見ていこう。


太古から人類はシャーマニズムを持っていた


 ネアンデルタール人の埋葬跡やクロマニヨン人の残した壁画等、人類の精神文化史をたどっていくとシャーマニズムが見られる。その初源的な姿のヒントとなるのが、米国の先住民社会等に残されるシャーマニズムの伝統である(1p11)。


 もちろん、レヴィ・ストロース(Lévi-Strauss, 1908〜2009年)に言わせれば、現在存在している部族社会は、「退行現象」を起こした社会であって、そのまま歴史上の原始社会と同一ではない。現在の部族社会に見られるシャーマニズムを太古のシャーマニズムとすることには無理がある。とはいえ、史実と異なるとしても、それを参考としていくしかない(1p12)。


脱魂型のシャーマン


 シャーマンとは、自ら変性意識に入って聖なる源にコンタクトする者をいう(1p13)。そして、この変性意識は、「脱魂型」と「憑依型」とにわけられる。


 狩猟採集文化においては、体外離脱体験によって、自我への執着を瓦解させる「脱魂型」が中心である(1p14)。脱魂型のシャーマニズムには、魂の解放そのものをもたらす深さがあり、北米で発達した脱魂型のシャーマニズムは、旧大陸でキリスト教や仏教が果たしていた世界観を与える役割も果たしていた(1p16)。


 脱魂型の変性意識に入る為には、聖なる植物を摂取したり、一定のリズムで太鼓を連打したり、自然の中で一人断食をする等、様々なやり方がある(1p16)。太鼓の音の連打が変性意識をもたらすことは、日本の仏教での木魚を見ても明らかである。空也の踊躍念仏もシャーマン的な行為と言える(1p17)。


動物の精霊が重要な地位を占める


 太古においては、聖なる象徴は動物の精霊であった(1p22)。

シャーマニズムにとっては、熊が特別な動物であり(1p24)、鷲も重要な存在とされた(1p25)。旧石器時代の壁画や現在の狩猟採集部族では、共通して動物霊を聖なる存在として重視する。そして、動物霊と交信する宗教は、アニミズムと呼ばれ、原始的だとされがちである(1p26)。けれども、アニミズムから多神教へ。そして、多神教から一神教へと宗教が発展していくとされる図式はかなり怪しい。現存する部族社会でも一なる至高神信仰は多くあり、狩猟採集社会の最初の神の観念も至高神であったとの主張もある(1p28)。ただし、部族社会の至高神の観念には、地球生態系への深い感謝と祈りが付随している。そして、動物の精霊が重要な地位を占め、上から人格神が支配するといった観念は見出せない(1p30)。


『シャーマンへの道』平河出版社の著者、マイケル・ハーナー(Michael Harner,1929年〜)博士は、南米で聖なる植物を用いたシャーマニズムの伝統と出会って衝撃を受け、その後、北米で太古の連打という技法を学び、独自のネオ・シャーマニズム体系を組み立てた。そして、カリフォルニアにあるエサレン研究所等でワークショップを開催している(1p31)。

長澤靖浩は、1999年にエサレン研究所で指導を受けた濱田秀樹氏の指導するワークショップに参加した(1p32)。そして、イメージの中で洞窟をくぐり抜け、バンビと出会い(1p32)、その後、年老いたカモシカと出会う。そして、そのカモシカの胸に飛び込んだ(1p33)。また、竜宮場のような場所に案内され、援助霊であるカモシカから、大地が巨大な亀であることを教えられている(1p34)。


部族社会には地球的な視野はない


 部族社会に対して過剰なロマンを抱く人たちは、ネガティブな面を無視しがちだが、部族社会が平和で豊かなユートピアであったというのは幻想である(1p41)。

部族社会に自然に対する一定程度の節度があったことは確かだが、それはエコロジー思想に基づくと考えるのは、現代のロマンの投影かもしれない。技術不足のために自然の支配を否応なく受けていたにすぎないともいえる。

また、部族社会には全地球的な視野はなかった(1p42)。地球的なビジョンがなければジョン・レノンの「イマジン」は誕生しえない(1p44)。そして、部族社会の人々は狭い世界でしか生きていなかった(1p44)(続)。
http://agroecology.seesaa.net/article/438262642.html


2. 中川隆[3326] koaQ7Jey 2016年7月18日 09:29:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[3677]

日本の祖先は死後は氏神となって祖先を守る


 キリスト教では死後に神の裁きを受け、天国か地獄にいくことになる。

輪廻転生の考え方がないため、死の直後に永遠の時間が続く(3p68)。
さらに、生前にどれだけ罪を犯しても、懺悔をすれば天国に行けることとされている(3p79)。

最も、カトリックでは、信仰も大事だが生前の行為も重要だとの考え方から(3p69)、罪の重さに応じて、数十年〜数千年「煉獄」で苦しんだ後、真面目に努めれば天国に行けることとされている。

この考えは仏道の六道の中にある「地獄道」と類似する(3p70)。

一方、プロテスタントでは聖書に「煉獄」の言葉が出てこないことから、煉獄を認めない(3p69)。


 仏教の目標も、正しく生きることにあり、死後の世界には関心がない(3p16)。
また、「成仏」とは悟りを開くことであり、それは、生きていながらでなければ達成できない(3p36)。


 けれども、日本ではお盆にご先祖様が戻ると信じている。

つまり、日本の祖先は輪廻転生しない(3p16)。

日本人は伝統的に、「先祖信仰」と「自然崇拝」を二つの柱として、死を「諒解」してきた。

死に伴う寂寥感や悲哀感を解除するうえで(2p62)、現在から未来へと一方向に伸びる線形的な時間を考えれば、死の恐怖を解決するひとつの方法は、死後を「実体化」させ、死後の存在や復活を信じることである(2p60)。

このため「祖霊」を想定し、「家」を中心に、墓参りや供養の儀式を通じて「死後の実感」を培ってきた(2p62)。


 柳田圀男(1875〜1962年)は、『祖先の話』で、先祖信仰を「霊融合の思想」だと捉える。

亡くなってからある一定の時間が経過すると、祖先は「みたまさま」というひとつの霊体に融合し、この先祖神が子孫後裔を守護する(2p33)。

死後は仏となり、三十三回忌(地方によっては五十回忌)が過ぎてやっと極楽浄土に行けるのである(3p36)。


 いずれ氏神となって子孫を守るというのは、神道と仏教徒のコラボレーションのためであろうとネルケ無方は主張する(3p17)。

すなわち、日本の「家」は家族とは異なり、自分がどこから来てどこに還っていくのかのアイデンティティの拠り所でもあった(2p35)。


日本は中世以降、近世までアニミズムが残った


 すなわち、日本人が、死を諒解するうえでは、祖先信仰とあわせて「自然崇拝」も必要な装置だった(2p36)。

「自然(しぜん)」という言葉は、英語の「ネーチャー」やフランス語の「ナチュール」の訳語として明治の中頃に作られたが、それまでの日本には、人間と切り離した客観的な対象としての「自然」はなかった。

いまでも近くの山に登れば無数の石仏が祀られているのが目にできるが、日本では中世や近世はおろか、現生までも「アニミズム」が残り続けた(2p91)。


 柄谷行人の『日本近代文学の起源』によれば、日本の小説で風景が自覚的に描かれたのは、国木田独歩(1871〜1908年)の「武蔵野」(1898年、明治31年)や「忘れえぬ人々」(同)が最初であるという。独歩が発見した「自然」とは、ヨーロッパの目を通して見出された自然であった(2p87)。

もともと「自然」という言葉は老荘思想の「無為自然」「あるがままに」という意味で、明治初期までは「じねん」と呉音で読まれてきた(2p90)。


自然と人間を切り離さない仏教的自然認識はアジア的


 親鸞(1173〜1263年)の「自然法爾(じねんほうに)」も「おのずから」阿弥陀仏が往生させてくれるという「他力本願」的な意味を持つ(2p90)。

宇宙を支配する法則からすれば、もともと人間も自然の一部であり、自己と宇宙とが調和することが理想である。したがって、人間的な計らいを排して人間にも草木にも共通した本質に近づくことが修行の眼目になるというのが、仏教に限らずアジア的な思考様式である。親鸞の「他力」という考えもこの流れのなかにある(2p81)。


 キリスト教の天国や仏教の浄土とは異なり、死後の場所はそう遠方ではなかった。

春には里に下って田の神となり、秋の終わりにはまた山に帰って山の神となっていた(2p36)。

すなわち、日本の祖先は極楽等には行かず、比較的頻繁に帰ってくる存在であった。
そして、死者の霊の往還は、日本に限らず、四季がはっきりした東アジアで古くから見られるものなのである(2p37)。


環境世界を抜け出した人間

話が飛ぶ。生物学者、ヤーコプ・フォン・ユクスキュル(Jakob von Uexküll, 1864〜1944年)は『生物から見た世界』で「環境世界(Umwelt)」という概念を提唱した。

ユクスキュルによれば、どの生物も種ごとの固有な環境世界を生きている。
そして、そこから離脱することはできない(2p171)。

生物とその生物が生きる環境とは主体と客体との関係にはなっておらず、主体は環境世界という秩序関係の中に織り込まれる(2p172)。

けれども、人間だけが、この環境世界に縛りつけられず、そこから身を離し(2p171)、それを超越して「存在」という視点に身をおいて、その視界にあらわれるすべてのものを「存在するもの」として見ることができる(2p172)。

このような人間のあり方をハイデガーは、「世界内存在(In-der-Welt-sein)」と呼ぶ。

視界のなかに現れてくるモノを「現在」という視点で、普段に到来しては過ぎ去っていく「いま」の系列で捉える機能。

この「現前性(Anwesenheit)」こそが、西洋の伝統的な思考様式を根底から規定している存在概念だとハイデガーは考える(2p172)。


 例えば、仏教的世界観からすればトンデモないことだが、ドイツの哲学者、ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ(Ludwig Andreas Feuerbach, 1804〜1872年)が、自己を不死で無限な存在だと考えたのもそのためである(2p81)。


 人間が自然からは距離をおいた自立した存在で生きられるというのが、キリスト教の最も核心にある理念である(2p80)。

マルクスも、キリスト教的な文脈の中にある。
だから、自然に対して意識的に立ち振る舞うことが人間の活動を自由なものとし、人間が自然から自己を無限に疎外していくプロセスであると『経済学・哲学草稿』の中で述べている(2p79)。


 この考え方のルーツをたどると、プラトンのイデア論という特殊な思考様式がある。

それが、形而上学となり、中世以降はキリスト教神学と結びついて発展する。

さらに、デカルトやカントによって近代化され、ヘーゲルのもとで理論的に完成され、形而上学としては頂点に達する(2p173)。

そして、この哲学的思考が、近代自然科学と結びついて、技術として猛威を振るっていくというのがハイデガーの描いたおおよその見取り図である(2p174)。

自然から切り離された自己の世界観が原発を産んだ


 現前性とは存在するものを「対象」として見る。いつでも利用可能な状態にある「材料」として見る。

これが、自然を利用する素材として見る物質的自然観につながっていく(2p173)。

自然は人間が一方的に働きかけて、様々な有用性を取り出す対象、単なる資源に還元されてしまう(2p175)。


 ハイデガーは『技術への問い』で、近代技術の本質を「開蔵」と捉える。

ハイデガーによれば、風車や水車をまわしてエネルギーを取り出すことと石炭や石油から取り出すことの間には大きな差がある。

石油は、自然の中に閉じ込められているものを大地を掘り起こすことで無理やり引き出せと要求するからである。その究極がウラン鉱石から核エネルギーを取り出すことであろう(2p177)。すなわち、遺伝子組換えや原子物理学は、人間は自然の諸条件から自立して存在しているから、自然を無限に乗り越えられるという自己認識から産まれている(2p79)。


明治以降に日本人の自然観を変えた国家神道


 とはいえ、キリスト教文化圏は、まだしもダブルスタンダードである。

生きているうちは、テクノロジーにしても経済にしても科学にしても最先端を追求し、死後は神にまかせるという使い分けをしている(2p19)。

これに対して、日本人は最も過酷な状況に直面している(2p24)。

 明治政府は、従来の伝統的な自然観を近代化の阻害要因だと考えた。

このため、明治5年(1872年)に修験道廃止令が出されている(2p91)。
これによって山伏は活動を禁止され、多くの山寺が廃寺に追い込まれた(2p92)。

また、明治6年(1873年)には「入神行為」を禁じる勅令が出される(1p78)。

廃仏毀釈と並んで廃神毀釈も行われ、最も合祀が激しかった三重県においては明治36年(1903年)から大正3年(1914年)にかけ、1733社あった村社が673社、5250社あった境外無格社が130社と9割の神社が整理されてしまっている。

村落の各々にあった無数の祠がなくなり、民間信仰の息の根を止め、国家神道へ統合しようとした(2p79)。

天皇制ファリズムの温床として伝統が破壊された


フランスの哲学者、シモーヌ・ヴェイユ(Simone Weil, 1909〜1943年)は『根を持つこと』でこう書いている。


「根こぎは人間社会にとって他に類を見ないもっとも危険な病である。

真に根こぎにされた存在にはふたつの行動様式しかない。

ローマ帝国期の奴隷の大半がそうであったように魂の無気力状態に落ち込むか、あるいは、まだ根こぎの害を被っていない人々を、往々にして暴力的な手段に訴えて根こぎにする行動に身を投じるか。そのいずれかである」


 日本では、このヴェイユの言う「根こぎ」が近代化とともに進んだ。

とりわけ、過去50年余りで経験された「根こぎ」は痛ましいまでに全面的で深刻であった(2p159)。

戦後の民主化の中で、伝統的な家と村落コミュニティは天皇制ファシズムの温床として批判されたからである(2p42)。

このため、ヨーロッパ以上に宗教的な伝統が破壊され、資本主義がもたらす問題が一気に全面化し、深刻化している(2p76)。

核家族化と都市化によって、死を「諒解」するための環境や道具立てを失ってしまっている(2p42)。


 健全な生き方をしたければ、どうしても医学や生物学以外の言葉で語られる死が必要となると書いた。けれども、もはや日本社会はそれを持ちえなくなっている(2p17)。

死に対する答えがないということは、生に対する答えもないということなのである(2p21)(続)。


【引用文献】

(1) 長澤靖浩『魂の螺旋ダンス』(2004)第三書館

(2) 片山恭一『死を見つめ、生をひらく』(2013)NHK出版新書

(3) ネルケ無方『なぜ日本人はご先祖様に祈るのか』(2015)幻冬舎新書

http://agroecology.seesaa.net/article/438261739.html?seesaa_related=category


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