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アメイジンググレイス ヘイリーによるア・カペラ
https://www.youtube.com/watch?v=uofG9z66LXg
https://www.youtube.com/watch?v=uofG9z66LXg&feature=player_embedded#!
無意識を自覚。自分が何に洗脳されているか一瞬で知る方法 2015-02-05
インドの女性は歌が好きだ。インド・コルコタにいたとき、ひとりの女性が口ずさむように、静かで優しい歌を歌ってくれたことがある。
彼女は普段はどちらかと言えば粗野な喋り方をする女性で、感傷的な感情をほとんど持っていないようにも見えた。
しかし、物憂げな部屋の中で暇を紛らわすように歌ったその歌は、とても感傷的なリズムで、抑制された美しい声に私は聞き惚れて涙がこぼれそうになった。
声のトーンも彼女の普段の粗野なものが消えていて、まるで彼女が別人になったかのような不思議なものであった。
「それは何の歌だい?」と尋ねると、彼女は部屋の神棚に飾っている私の知らない神の写真を指さして「昔の歌(Old Song)よ」と答えた。
確かにそうだろうと思う。街の騒々しいボリウッドソングとはまったく違った趣(おもむき)の歌だった。そのとき、私は知らなかったのだが、のちにこのような歌は「マントラ」と呼ばれていることに気付いた。
宗教ソングの美しい旋律の歌にある世界観に危機感
彼女が歌っていたのは、こちらだ。「ガヤトリ・マントラ」という。ガヤトリ・マントラも同名で別曲がいくつもあるが、この曲が一番美しい。
オーディオファイルを読み込めません
マントラという言葉は初めて聞く言葉ではない。それは呪文だか呪術だとか、そういうニュアンスで私は覚えていたので、歌までマントラという括りをすることに驚いた。
今となっては彼女がアカペラで歌ったそのマントラがどんなものだったのか旋律が思い出せないのだが、その歌を聞いたときの感情は生々しく思い出すことができる。
美しい歌を聞いたときの感動の震えがそこにあった。そして、ずいぶん後になって私は「これは危険だな」と意識したのだった。美しさに取り込まれてしまいそうなのが分かっていた。
その歌がマントラなのであれば、その歌の先にヒンドゥー教が待っている。人は美しい歌を聞いて感動し、その歌の世界観に浸って自分の心を癒すことができる。
宗教はそういった歌の効用をよく知っていて、それを巧みに使って心を操っていく。
キリスト教徒は賛美歌やゴスペルに涙を流す。
たとえば、「アメイジング・グレイス」や「What A Friend We Have In Jesus」などをじっくり聞いていると、キリスト教徒は涙がとまらなくなるという。
人口に膾炙する美しい旋律(リズム)と、その詩の内容の優しさが加わって心に響くようだ。
インドのマントラも美しい旋律のものがいくつかあって、ガヤトリ・マントラ(GAYATRI MANTRA)などはよく知られている。
ただ、古い歌にはよくあることだが、ひとことでガヤトリ・マントラと言っても、膨大な種類のリズムと歌詞があって、同じ歌でもまったく違うように聞こえる。
シヴァ神と、妻パールバティ。ヒンドゥー教お馴染みの世界観。
美しさは無条件に人の心に染み入っていく
ガヤトリ・マントラは様々な歌手が歌っている。たとえば、ドイツ出身の歌手、デヴァ・プレマールの歌うガヤトリ・マントラも私が聞いた上記のものと同一のものだ。
Om bhur bhuvah svaha
tat savitur varenyam
bargo devasya dhimahi
dhiyo yonah prachodayat
彼女はドイツ人だ。なぜドイツ人女性がヒンドゥー語でガヤトリ・マントラを歌っているのか最初は戸惑った。
調べてみると、彼女は子供の頃から父親にマントラを聞かされていたらしく、その影響が強かったようだ。こういった珍しい経歴の人もいる。彼女は歌を通してヒンドゥーに取り込まれていた。
欧米でも、このようなヒーリング的なものを求める人たちにはよく売れているようだ。
人は、このような歌から精神世界や宗教に取り込まれていく。その典型的な例がマントラの旋律にあった。
美しさは無条件に人の心に染み入っていく。
そして何度も何度もそれを繰り返すことによってその歌の世界が自分の感情と同化していく。
そこに宗教的なメッセージがあれば、歌と同時に人はそれをも無意識に受け入れてしまう。歌が美しいゆえに拒絶反応すら起きることがない。
これは一種の巧妙な洗脳とも言える。アメイジング・グレイスやガヤトリ・マントラのような美しい旋律の中に宗教を散りばめて人々を取り込んでいくのである。
皆と一緒に歌い、感動を共有し、その宗教と一体化
教会や寺院で人々は何をやっているのか。賛美歌を歌っているのではなかったか。
賛美歌は神を讃える歌詞をリズムに載せたものである。それを皆と一緒に歌い、感動を共有し、その宗教と一体化する。
日本が無神論者のような人が多いのは、仏教が美しい歌を「開発」しなかったからだと私は強く思っている。
念仏は眠気を誘うが宗教心を芽生えさせない。そういう意味で仏教の親玉は他の宗教と比べると知恵が足りなかったのだろう。
ヒンドゥー教もキリスト教も、歌だらけだ。
インド人は幼い頃からマントラを聞いて、歌って、その世界観の中で生きていき、成人する頃には頭の中はその思考から離れられない。
あの真っ青な荒唐無稽な神は私にとっては単なる滑稽なフィクションだが、彼らにはそうではない。それが自分の血肉に染み付いた大切な精神世界なのだ。
同じことがキリスト教にも言える。あの十字架にぶら下がっている死体は、やはり私にとっては滑稽なフィクションだが、彼らはそれを「なんという友、私たちのジーザスよ」と感極まっている。
子供の頃からくり返しくり返しそれを聞いて、それを歌い、それが思考の基盤になっていている。
父親も母親も、そして兄弟も地域社会も、自分のまわりがすべてそのひとつの宗教に染まっている。
そこまで行くと、その宗教を否定することは両親や地域社会や文化をすべて裏切ることになる。
美しい歌があり、心地良い思い出がすでに蓄積されている。だから、いくら荒唐無稽だとしても、その宗教を否定することなどできなくなってしまっている。否定する意味もない。
そして、村ぐるみで、町ぐるみで、国ぐるみで宗教を擁護し、それを認めない者を「自分を否定した」と憎むようになる。たったひとつの美しい旋律の歌が、そのような篤い宗教心の人間を生み出しているのは間違いない。
自分の気に入った歌の世界観が、あなたの世界観
私が感銘を受けたガヤトリ・マントラは、その一曲で私をヒンドゥー教に向かわせる可能性も威力もあった。
美しい旋律の曲が人生を変えるというのは本当だ。自分の気に入った歌を思い出して欲しい。
あなたは無意識にその歌の世界をなぞって生きているはずだ。
それに気がつかなかった人もいるかもしれない。そして、それに気がつくと、恐ろしくなる人もいるかもしれない。
あなたが子供の頃から知っている好きな歌が、あなたを洗脳した歌だ。そして、その歌の世界が、あなたの世界観である。
あなたの自分の世界観は、実はあなたが考えた世界観ではなく、歌で洗脳された世界観だ。
あなたが何に洗脳されたか知る方法は、あなたがどんな歌が好きなのかを思い出すだけでいい。
自分の愛する歌は、それ自体が自分の感情に対する訴えかけを失ってからもずっと後まで、意思決定や性格形成に影響を与え続ける。
私がガヤトリ・マントラでヒンドゥーに染まらなかったのは、理由はひとつだ。
私は、タイでタイの美しい歌に聞き惚れ、カンボジアでカンボジアの美しい歌にしっとりとし、インドネシアでやはり美しい歌に心を奪われた。
多くの国の美しい曲が、私をひとつの思考や哲学や宗教や国にとどまらせるのを許さなかった。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150205T0253220900.html
2011年2月4日金曜日
無意識を自覚する方法。自分が何に洗脳されているか、一瞬で知る方法
インドの女性は歌が好きだ。
インド・コルコタにいたとき、ひとりの女性が口ずさむように、静かで優しい歌を歌ってくれたことがある。
彼女は普段はどちらかと言えば粗野な喋り方をする女性で、感傷的な感情をほとんど持っていないようにも見えた。
しかし、物憂げな部屋の中で暇を紛らわすように歌ったその歌は、とても感傷的なリズムで、抑制された美しい声に私は聞き惚れて涙がこぼれそうになった。
マントラという歌
声のトーンも彼女の普段の粗野なものが消えていて、まるで彼女が別人になったかのような不思議なものであった。
「それは何の歌だい?」と尋ねると、彼女は部屋の神棚に飾っている私の知らない神の写真を指さして「昔の歌(Old Song)よ」と答えた。
確かにそうだろうと思う。街の騒々しいボリウッドソングとはまったく違った趣(おもむき)の歌だった。
そのとき、私は知らなかったのだが、のちにこのような歌をマントラというのだと分かった。
マントラという言葉は初めて聞く言葉ではない。それは呪文だか呪術だとか、そういうニュアンスで私は覚えていたので、歌までマントラという括りをすることに驚いた。
今となっては彼女がアカペラで歌ったそのマントラがどんなものだったのか旋律が思い出せないのだが、その歌を聞いたときの感情は生々しく思い出すことができる。
美しい歌を聞いたときの感動の震えがそこにあった。そして、ずいぶん後になって私は「これは危険だな」と意識したのだった。
美しさに取り込まれてしまいそうなのが分かっていた。
その歌がマントラなのであれば、その歌の先にヒンドゥー教が待っている。
ガヤトリ・マントラ
人は美しい歌を聞いて感動し、その歌の世界観に浸って自分の心を癒すことができる。
宗教はそういった歌の効用をよく知っていて、それを巧みに使って心を操っていく。
キリスト教徒は賛美歌やゴスペルに涙を流す。
たとえば、「アメイジング・グレイス」や「What A Friend We Have In Jesus」などをじっくり聞いていると、キリスト教徒は涙がとまらなくなるという。
人口に膾炙する美しい旋律(リズム)と、その詩の内容の優しさが加わって心に響くようだ。
インドのマントラも美しい旋律のものがいくつかあって、ガヤトリ・マントラ(GAYATRI MANTRA)などはよく知られている。
ただ、古い歌にはよくあることだが、ひとことでガヤトリ・マントラと言っても、膨大な種類のリズムと歌詞があって、同じ歌でもまったく違うように聞こえる。
私が聞いているガヤトリ・マントラは YouTube で見つからないのだが、近いのはドイツ出身の歌手、デヴァ・プレマールの歌うガヤトリ・マントラかもしれない。
Deva Premal and Miten - Gayatri Mantra
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=d63COahIpVM
Om bhur bhuvah svaha
tat savitur varenyam
bargo devasya dhimahi
dhiyo yonah prachodayat
彼女はドイツ人だ。なぜドイツ人女性がヒンドゥー語でガヤトリ・マントラを歌っているのか最初は戸惑った。
調べてみると、彼女は子供の頃から父親にマントラを聞かされていたらしく、その影響が強かったようだ。
こういった珍しい経歴の人もいる。彼女は歌を通してヒンドゥーに取り込まれていた。
欧米でも、このようなヒーリング的なものを求める人たちにはよく売れているようだ。
人は、このような歌から精神世界や宗教に取り込まれていく。その典型的な例がマントラの旋律にあった。
美しさは無条件に人の心に染み入っていく。
そして何度も何度もそれを繰り返すことによってその歌の世界が自分の感情と同化していく。
そこに宗教的なメッセージがあれば、歌と同時に人はそれをも無意識に受け入れてしまう。歌が美しいゆえに拒絶反応すら起きることがない。
美しい旋律の歌が人生を変える
これは一種の巧妙な洗脳とも言える。
アメイジング・グレイスやガヤトリ・マントラのような美しい旋律の中に宗教を散りばめて人々を取り込んでいくのである。
教会や寺院で人々は何をやっているのか。賛美歌を歌っているのではなかったか。
賛美歌は神を讃える歌詞をリズムに載せたものである。それを皆と一緒に歌い、感動を共有し、その宗教と一体化する。
日本が無神論者のような人が多いのは、仏教が美しい歌を「開発」しなかったからだと私は強く思っている。
念仏は眠気を誘うが宗教心を芽生えさせない。そういう意味で仏教の親玉は他の宗教と比べると知恵が足りなかったのだろう。
ヒンドゥー教もキリスト教も、歌だらけだ。
インド人は幼い頃からマントラを聞いて、歌って、その世界観の中で生きていき、成人する頃には頭の中はその思考から離れられない。
あの真っ青な荒唐無稽な神は私にとっては単なる滑稽なフィクションだが、彼らにはそうではない。それが自分の血肉に染み付いた大切な精神世界なのだ。
同じことがキリスト教にも言える。あの十字架にぶら下がっている死体は、やはり私にとっては滑稽なフィクションだが、彼らはそれを「なんという友、私たちのジーザスよ」と感極まっている。
子供の頃からくり返しくり返しそれを聞いて、それを歌い、それが思考の基盤になっていている。
父親も母親も、そして兄弟も地域社会も、自分のまわりがすべてそのひとつの宗教に染まっている。
そこまで行くと、その宗教を否定することは両親や地域社会や文化をすべて裏切ることになる。
美しい歌があり、心地良い思い出がすでに蓄積されている。だから、いくら荒唐無稽だとしても、その宗教を否定することなどできなくなってしまっている。否定する意味もない。
そして、村ぐるみで、町ぐるみで、国ぐるみで宗教を擁護し、それを認めない者を「自分を否定した」と憎むようになる。
アメイジンググレイス
http://www.youtube.com/watch?v=uofG9z66LXg&feature=player_embedded#!
多くの国の美しい曲
たったひとつの美しい旋律の歌が、そのような篤い宗教心の人間を生み出しているのは間違いない。
私が感銘を受けたガヤトリ・マントラは、その一曲で私をヒンドゥー教に向かわせる威力もあったはずだ。
美しい旋律の曲が人生を変えるというのは本当だ。自分の気に入った歌を思い出して欲しい。
あなたは無意識にその歌の世界をなぞって生きているはずだ。
それに気がつかなかった人もいるかもしれない。そして、それに気がつくと、恐ろしくなる人もいるかもしれない。
あなたが子供の頃から知っている好きな歌が、あなたを洗脳した歌だ。そして、その歌の世界が、あなたの世界観である。
あなたの自分の世界観は、実はあなたが考えた世界観ではなく、歌で洗脳された世界観だ。
あなたが何に洗脳されたか知る方法は、あなたがどんな歌が好きなのかを思い出すだけでいい。
自分の愛する歌は、それ自体が自分の感情に対する訴えかけを失ってからもずっと後まで、意思決定や性格形成に影響を与え続ける。
私がガヤトリ・マントラでヒンドゥーに染まらなかったのは、理由はひとつだ。
私は、タイでタイの美しい歌に聞き惚れ、カンボジアでカンボジアの美しい歌にしっとりとし、インドネシアでやはり美しい歌に心を奪われた。
多くの国の美しい曲が、私をひとつの思考や哲学や宗教や国にとどまらせるのを許さなかった。
http://www.bllackz.com/2011/02/blog-post_3799.html
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