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マヤ文明の水の神殿を新たに発見 
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投稿者 中川隆 日時 2015 年 2 月 02 日 21:23:40: 3bF/xW6Ehzs4I
 


マヤ文明の水の神殿を新たに発見 “激動の時代”の爪跡か

ナショナル ジオグラフィック日本版 2月2日(月)8時0分配信


水の神殿の空撮写真(Photograph by Tony Rath Photography)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150202-00010000-nknatiogeo-sctch

文明崩壊の終焉期に“干ばつカルト”が加速。生贄もこの時期から発生か

 ベリーズの静かな森にたたずむ深い泉に、古代マヤの人々に“干ばつカルト”が広がっていたことを示す遺跡が眠っていた。マヤの人々は、文明国家が滅びないようにと雨の神に供物と祈りを捧げたようだ。


 今回、考古学者のグループがベリーズのカラ・ブランカで発見したのは、水の神殿の遺跡だ。小さな広場があり、朽ちた小屋と小さな2つの建造物の名残がみられる。中心となる建造物は、人々がマヤの雨の神や地下界の悪魔に供物を捧げたとみられる深い泉の淵にひっそりと建っている。

 遺跡からは、古代マヤ文明の崩壊期に干ばつに見舞われた人々の信仰が見てとれる。ピラミッドを築いたマヤ文明は、長きにわたり中央アメリカの広範囲で繁栄したが、西暦800年以降、ほとんどの都市国家が崩壊した。

 カラ・ブランカの白い岩壁の下で、祈りを捧げに訪れた人々は壺や瓶、器などを神殿の泉深くに沈めた。供物には近辺で作られたものと遠くから運ばれたものがあり、この遺跡に広く一帯から人々がやって来て雨乞いをしたことを示している。
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干ばつの時期から供物が急増していた

「祈りを捧げる人々がここへ来て身を清め、神に供物を捧げていました」今回の発見をした研究チームのリーダーでイリノイ大学の考古学者、リサ・ルチェロ氏は言う。ルチェロ氏は、セノーテと呼ばれる天然の泉の深さを4年かけて測定し、セノーテの底に長い間発見されずにあった陶器や石の道具を発見した。「ここは、神聖な意味をもつ特別な場所だったのです」

 しかし、人々が常に足繁くこの神殿を訪れていたわけではなかった。とりわけマヤ文明初期の供物が少なかったことは、裏を返せば、泉に住むとされた雨の神チャクの怒りが鎮まるように人々があるときから強く望むようになったことを示しているのかもしれない。近く「Cambridge Archaeological Journal」誌に発表される今回の発見に関する報告で、ルチェロ氏とカリフォルニア州モアパーク・カレッジの考古学者アンドリュー・キンケラ氏は、広範囲の干ばつが古代マヤを襲った後に神殿への供物が増えたと指摘している。


干ばつカルトに火がついた

 だが供物もむなしく、雨の神チャクと地下界の悪魔は古代マヤ文明を滅亡させた――雨を降らせてから、干ばつをもたらして。ペンシルバニア州立大学の人類学者ダグラス・ケネット氏の研究チームは、洞窟にできた石筍(せきじゅん)を分析し、大量の降雨によりマヤの人口が急激に増え、西暦660年まで続いたことが推定されると報告している。雨が降らなくなると、古代の王国は滅びた。

 度重なる干ばつにより王の失脚が続き、西暦800年頃から中央アメリカ全体でマヤ文明の都市国家は崩壊し始めた。また干ばつによって、チャクの怒りを鎮めようとする人々の間で“干ばつカルト”に火がつき、突如滅亡の危機にさらされた古代マヤのあちこちで、洞窟やセノーテに多数の供物が捧げられた。

「マヤの人々にとって、洞窟とセノーテはどちらも地下界への入り口でした」カリフォルニア大学マーセド校の考古学者、ホーリー・モイーズ氏は述べる。洞窟や今回の神殿の調査から、人々が雨の神により多くの供物を捧げなくてはと感じていた“激動の時代”を示唆するものだ。

 モイーズ氏の研究チームは、ナショナルジオグラフィック協会の助成を受け、マヤの大規模な都市国家があったベリーズのカラコルの近くにあるラス・クエバスの遺跡を調査したところ、遺跡の中でも最大級のピラミッドの下に、大きな洞窟の穴が開いていた。洞窟の巨大な入り口にはセノーテと地下を流れる川があり、そこで儀式が行われていたと考えられる。
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泉は清めの場所としても

 一方で、干ばつに見舞われていないときもマヤの人々は洞窟や水源に供物を奉納していた米ミネソタ大学の考古学者ブレント・ウッドフィル氏は考えている。同氏によると、マヤの人々は洞窟の石や岩などを持ち出して運び、球技場や神殿、儀式に使う建造物に用いて、神聖なものにしようとしたようだ。

 カラ・ブランカの水の神殿の一部がセノーテの石灰岩(トゥファ)でできていることも、これで説明できるかもしれない。建設中、神殿の床にはいちど捧げられた陶器の破片や化石化した歯、動物の爪なども敷き詰められた。陶器の中では小さな水壷が特に多く、波線や渦巻き模様など、水のモチーフが描かれているものもみられた。マヤの神話では水との関わりが深い、ジャガーを描いた壺もあった。

 研究の結果、これら供物の多くは、都市の大部分が滅びていったマヤ文明の終焉期に作られたものだという。

「泉やセノーテから岩や化石を拾い、実際に神殿を造るのに用いた例が確認されたのは初めてで、非常に興味深いです。マヤの人々の世界観において、洞窟と泉には密接なつながりがあったことがうかがえます」とウッドフィル氏は語る。

 モイーズ氏によると、干ばつカルトが使った他の洞窟にも、同じように供物の陶器の破片が供えられているという。チャクが宿る洞窟の奥深くに人をいけにえとして捧げる風習が始まったのもこの時期かもしれない。
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文=Dan Vergano/訳=キーツマン智香
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150202-00010000-nknatiogeo-sctch

ナショナル ジオグラフィック日本版 2013年8月号

聖なる泉を探査する

いにしえのマヤ人は、セノーテと呼ばれる聖なる泉と洞窟に雨の神チャクが宿っていると信じていた。メキシコのユカタン半島では今でも農民たちが雨乞いの儀式を行う。考古学者たちは、セノーテとその周辺の遺跡にまつわる謎を解き明かしつつある。


降り注ぐ光

オルトゥン・セノーテを潜水調査する考古学者たち。太陽が天頂を通過する数日前のこの日、斜めに差し込む陽光に照らされた洞窟内は、大聖堂のような厳かな輝きに満たされた。頭骨を測定


30体以上の人骨が眠るセノーテで、頭骨の大きさを測る水中考古学者のギエルモ・デ・アンダ。潜水中は遺物を決して動かさないよう気を配る。神への捧げ物


人間の顔(左)と鳥のくちばし(上の湾曲した部分)をかたどった土器の笛。考古学者のドナルド・スレイターらが洞窟の奥にあった祭壇の近くで発見した。聖なる道


洞窟で発見したサクベ(マヤの聖なる道)をライトで照らすデ・アンダ。道は奥にある岩の柱のところで西に折れ、水をたたえたセノーテへ続いている。マヤの人々は、西の方角に天国へと通じる黄泉(よ み)の国があると信じていたマヤの人々の痕跡


洞窟内の岩壁に残された人間の手形。この洞窟と周辺の四つのセノーテはマヤ人にとって重要な儀式の場となっていたようだ。<br>それらのセノーテからは、さらに多くの手形や人骨、土器の供物などが見つかっている。 降り注ぐ光

オルトゥン・セノーテを潜水調査する考古学者たち。太陽が天頂を通過する数日前のこの日、斜めに差し込む陽光に照らされた洞窟内は、大聖堂のような厳かな輝きに満たされた。
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:dlYXjsAdz6cJ:nationalgeographic.jp/nng/article/20130719/358610/index3.shtml+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&img=ph2_1.jpg

セノーテ マヤの聖なる泉メキシコ・ユカタン半島のマヤ遺跡を調査。

セノーテと呼ばれる聖なる泉と、ピラミッド「エル・カスティージョ」の謎に迫る。

文=アルマ・ギエルモプリエト/写真=ポール・ニックレン、ショール・シュウォーツ

 中米で栄えたマヤ文明。石のピラミッドを築き、精緻な暦を作ったマヤの人々は、セノーテと呼ばれる聖なる泉と洞窟に、雨の神チャクが宿っていると信じていた。
 今でもメキシコのユカタン半島では、農民たちが供物を捧げて神に祈り、雨乞いの儀式を行う。

 考古学者たちはここ20年ほどの間に、これらの洞窟やセノーテ、そして太陽の天頂通過といった現象に注目するようになった。
 マヤの人々の信仰や世界観に、セノーテはどのような役割を果たしていたのだろう。洞窟とセノーテが、雨の神チャクが住む異界への入り口だと考えられていたことはわかっている。だがその事実と、マヤ文明を代表する都市遺跡、チチェンイツァの建造物や都市計画との関連性は、最近ようやく解明され始めたばかりだ。

マヤの暦が告げるものは?
 かつてマヤの人々は、その名高い暦に狂いが生じないよう、太陽が寸分の誤差なく真上から垂直に照らす日を確認する必要があった。マヤの天文学者たちは年に2回、オルトゥン・セノーテの泉に入り、光の柱がまっすぐ水中に差し込む瞬間を待ったのだろうと、研究者たちは推測している。
 マヤの人々にとって、天文学は、建築や都市計画と同じくらい神聖な行為だった。

 マヤの世界観では、神々は一人ずつ次元の異なる世界に住んでいる。13層の天上界と9層の地下界だ。どの世界にも善良な神と邪悪な神がいる。そしてすべての神々が、マヤの人々に夢や幻、悪夢をもたらし、農作業や豊穣祈願のための暦を与え、日々の暮らしを厳格に律しているという。「雨神チャクが動きだした」と言えば、ここでは、まもなく作物の植えつけの時期が到来するぞ、ということなのだ。

 チャクが来ない、つまり雨が降らないと、ユカタン半島に暮らすマヤの人々はひどい干ばつに見舞われかねない。
 その恐ろしさは、かつてマヤ文明が栄えた大地に立ってみて初めて実感できる。カルスト地形のこの地には、石灰岩の地面が果てしなく広がり、雨が降っても地下に浸透してしまうため、地表には川の流れがどこにもない。

 上空からは木々が密生したジャングルのように見えるが、地上で目の当たりにすると、ここの熱帯雨林が貧弱であることがわかる。カルスト台地のくぼみにたまったわずかな土に根を張っているのは、か細い樹木ばかりだ。

 ユカタン半島で栄えたマヤ文明の都市国家は、なぜ滅びたのだろうか。その理由は、いまだ明かされていない考古学上の謎だ。この過酷な自然環境のもとで当時の人々がトウモロコシを栽培し、それを糧に生き延びていたということが奇跡のように思える。
 だが、豊作に恵まれる時もあれば、長い干ばつに苦しむこともあった。干ばつが長びくと、人々はセノーテに供物を捧げた。

 およそ1000年前、マヤ北部の人口は1000万人を超えていたとみられ、多くの都市が築かれた。水が乏しい北部では、必ずセノーテに近い場所が選ばれた。こうしてユカタン半島は、遺跡の宝庫となっていったのだ。
http://nationalgeographic.jp/nng/article/20130719/358610/  

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