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(回答先: 松岡正剛の千夜千冊 小林達雄 縄文人の文化力 投稿者 中川隆 日時 2014 年 11 月 29 日 11:23:53)
縄文時代の住を探る〜「冬は暖かく、夏は涼しい」縄文の家〜
http://www.hi-it.net/~els-syakai/nie0822.htm
縄文人たちの住まいといえば、地面を掘り下げて平らな床を作り、その上に柱を立て屋根をふいた竪穴(たてあな)式住居が有名です。ちょうど六畳一間くらいの広さが一般的で、中央には炉があり、この家に四、五人が生活していたとみられます。時代や文化圏によって変化しますが、平面形は円形や楕円形のものが多く、炉は石で囲ったもの、土器片で囲ったもの、土器を埋めたものなどがあります。
住居の骨組みとなる木は、ほとんどがクリだったようです。小矢部市桜町遺跡の川跡からは縄文時代中期のクリの柱材がたくさん出土しました。クリの木は、伐採後はやらかくて加工しやすく、乾燥するとかたくて弾力性のある性質に変化します。現代でもその性質を利用して鉄道の線路のまくら木に使われています。縄文人たちはその木の性質をよく知り、家の柱として最も適したクリの木を選んだのでしょう。
しかし、スコップやノコギリもない時代、家づくりは簡単なものではありませんでした。材木集めから地面の掘り下げ、柱立て、屋根かけなどは六〜八人の共同作業で行われ、天候にもよりますが、完成までに二〜三週間かかったという研究もあるほどです。
「草ぶきと土ぶき」屋根
縄文時代に火事で焼けた住居の発掘から、竪穴住居の屋根に土がかぶせられていたものがあることが明らかになりました。この土屋根の住居は、カヤなどの草を垂木(たるき)と直行させて下地にしきながら、竪穴を掘り上げた土などを屋根にのせてつくられました。やがて自然に草が生え、根が張ってじょうぶな屋根になります。岩手県一戸町の御所野遺跡や北海道虻田町入江貝塚、富山市北代遺跡でその研究成果を基に土屋根の住居が復元されています。三内丸山遺跡の復元された住居も、土ぶきの屋根・樹皮ぶきの屋根・カヤぶきの屋根の三種類を試験的に復元し、くわしいデータを集めているそうです。
カヤぶき屋根は通気性がよく、土屋根は保温性に優れているとされています。ある研究者は、竪穴住居は冬の家、高床住居は夏の家と見ています。特に、土屋根の家は梅雨の頃には湿気が多くて住みにくいが、冬場は暖かく、高床の住居は通気性があって夏場に快適といわれています。「冬は暖かく、夏は涼しい」土屋根の住居が現れるのは、地球の温暖化にともなう縄文海進がピークを過ぎ、気候が寒冷化に向かう縄文時代中期以降とされています。土屋根は縄文人が寒さに対抗するために考え出したのかもしれません。
このように、縄文の住まいには縄文人のさまざまな知恵をみることができます。縄文集落の風景は、カヤぶき屋根ばかりではない、機能性を備えた住まいによって形づくられていたことがわかってきました。土屋根のてっぺんに、リンゴの樹とケナフを植えたら素敵だなあと、妙にうっとりするナオキでした。
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