http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/542.html
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インターネットに氾濫する差別主義的な発言 「朝鮮人認定」の効果
https://kuantan2007.wordpress.com/2009/09/29/%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%83%8d%e3%83%83%e3%83%88%e3%81%ab%e6%b0%be%e6%bf%ab%e3%81%99%e3%82%8b%e5%b7%ae%e5%88%a5%e4%b8%bb%e7%be%a9%e7%9a%84%e3%81%aa%e7%99%ba%e8%a8%80%e3%80%80%e3%80%8c/
政権も変わったことであり、当然その前に国民の意識も変わっている。この数年インターネットの膨張とともに、さまざまな「タブー」が破られるかに見え、タブーを破るという口実でさまざまな差別主義的な発言が、多くのブログや掲示板に横行し、また甘やかされてきたといえる。
そろそろわれわれも「正気」に戻って良いころだろう。私自身、自分のブログで朝鮮人差別、「シナ人」差別の発言をしなかったとはいえない。弁解がましくなるが、これも「空気」に載せられてしまったところがある。
また、そういう空気を組織的に作り出している人たちもいるようなので、注意する必要があると思う。「ネット世論操作を請け負う会社」というものまで存在しているらしい。
差別用語を乱発するブログは、差別用語を使ったコメントをする読者を集めているブログを含めて、従来のマスコミのタブーを破る新鮮さゆえにもてはやされた。しかし、それによって、ごく普通の良識的な人々にも差別主義的な発想が浸透してしまった面もないとはいえない。マトモな場所では口にできないようなことをネットで見聞きし自分も書いているうちに、マトモでないことをマトモであると錯覚してしまうというのは、ありがちなことだろう。
そのような差別主義的な書き込みによって客を集めてきたいわば戦犯サイトのひとつが前記事にもあげた
「株式日記と経済展望」
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/
である。
たとえば次のようなコメントをまだ放置している。
kuantanさんは、 (PSR)2009-09-28 20:35:31>外国人参政権に賛成するものがみんな朝鮮人だったら、選挙で投票してるのは朝鮮人だらけですね。
日本人にも、いろいろありますが、帰化も含めた範疇においての日本人という言い方もございますし、良識的な日本人とはそういう意味での人工的な「良識的」という意味でしょうか?
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/995e5b6483e78c20696f90658128421c
このやり取りにおける私のコメントは、管理人によってすべて削除されているのでもう文脈をなしていないが、この「PSR」と名乗るコメント者は、人権とか平等とか訴えているのはすべて「朝鮮人」が利権でやっていることであり、そういうことをいう連中はすべて朝鮮人だ、という立場から、私を「朝鮮人認定」してきたのである。それ対して私は、自分はただの「良識的な日本人」に過ぎない、良識的な日本人であるならば君のような考え方はしない、というような(あまり上等な反論とはいえないが)反論をしたところ、返ってきたのがこのコメントである。
「株式日記」の管理人は他のすべてのやり取りを削除したあとこのコメントだけを残している。
日本人にも、いろいろありますが、帰化も含めた範疇においての日本人という言い方もございますし、良識的な日本人とはそういう意味での人工的な「良識的」という意味でしょうか?
要するにこのコメントは、お前は良識的な日本人だと称しているが、「帰化人」(帰化朝鮮人)だろうと言いたいのである。そういうレッテルを貼ること(在日認定、朝鮮人認定)が、彼らにとっては言論上の「効果」のあることだと思われているのである。このこと自体、異常な状況だが、ネットでは実に蔓延していることでもある。
彼らは、自分たちは「帰化人も差別するぞ」といっていることになる。つまり、彼らは「純粋日本人」というものを想定していて、それ以外は差別するぞということだろう。
血統によるいわゆる「人種」差別主義、民族差別主義にほかならない。
株式日記と経済展望」は、、そのような差別主義読者を大いに甘やかし増長させ、汚らしい差別用語がコメント欄に氾濫するのを許してきた有名サイトのひとつなのである。
今までやってきたことの責任を明確にしないで、いまさら民主党支持や亀井静香支持を打ち出してキレイゴトめいたことをいってみても、説得力はまるでない。
私が自分について「朝鮮人認定」されることを不愉快に思うのは、私自身に「朝鮮人差別意識」があるからだと思う人もいるかもしれない。しかし、私はそうはいえないと思う。
私はいろいろな国を旅行しているが、、自分の出自にプライドを持つことはどこの世界でも普遍的なことである。
私は代々の日本人なのだからそのことに誇りを持って悪いだろうか。外国人認定や異民族認定をされるのは誰にとっても不愉快なのである。日本人ならば日本人として扱われたいと思うのは当然だ。誰も「外国人認定」されて処理されたくはない。
それに、人権や平等を擁護するような主張をすると「お前は朝鮮人だから」「在日の利害から」などと勝手に決め付けて来る者がネットには多い。
たとえば、タイヲタ右翼(右よりのタイ偏愛者)連中は、海外旅行の掲示板などに巣食っていて、長年「タイが嫌いだというやつは朝鮮人だ」、「タイを批判するのは朝鮮人だ」というレッテル貼りを続けている。その根拠といえば、「タイは親日国だから」とか「朝鮮には王室がないから王室や皇室がある国を嫉妬しているのだ」というような荒唐無稽で下品なものばかり。彼らはおそらくタイ旅行関係の業者だと思われるが、「朝鮮人認定されたくない」という一般の意識を利用してタイに対するネガティブな書き込みを一切許さないようにしようとする。(彼らのタイ美化の情熱もカルトめいている)。
一度「朝鮮人認定」されてしまうと実際に面倒なことがある。たとえば、タイでは他の国ではめったに見ないようなひどい白人崇拝や人種差別を見ることが多いが、そういうことを指摘すると、「朝鮮人認定」されている場合には、「それはお前が朝鮮人だから、朝鮮人はタイでも嫌われているからだ」といわれて終りである。これでは議論にならないし、実態を知らない人はそういうものかと思ってしまうだろう。このように、「朝鮮人認定」というのはネット言論では実際に効果を発揮することがあるのである。議論にもならなくなるから、誰でもできればデタラメな朝鮮人認定はされたくない。
「不用意な発言をすると朝鮮人認定される」という雰囲気を掲示板やブログの世界に作り出すことによって、「朝鮮人認定されるようなことは言わないほうが良い」という自己規制を利用して、ネットの言論を誘導し操作しようとしてきた連中がいるのも確かだろう。
ネットで「朝鮮人認定されると発言の信憑性が薄くなる」という現実自体、差別的な意識の現われといえるが、インターネットを熱心に利用して世論を作ろうとする人々には、それ以外の人々に比べて差別主義的な人間が多いのも事実なようだ。
なお、「朝鮮人認定」の問題は、実名か匿名かの問題とは関係がない。プライバシーをさらけ出している有名人でさえデタラメな「朝鮮人認定」「在日認定」を受けているのである。Googleで有名人の名前をランダムに検索してみればわかるだろう。
「株式日記と経済展望」のコメントから。
Unknown(戦え、日本人)
2009-09-29 16:10:59
http://xianxian8181.blog73.fc2.com/
http://nihon9999.blog77.fc2.com/
http://koramu2.blog59.fc2.com/
日本が危ない!。
在日朝鮮人による日本侵略が成功しつつある。
君たちは朝鮮人の支配化で暮らしたいか?!。
嫌なら戦え!、口コミで戦え!。
子供を朝鮮人の奴隷にしたくないなら戦え!。
子供をチベット人やウイグル人みたいにしたくないなら戦え!。
在日朝鮮人の脅威を日本全国の人々に知らせるのが君たちの使命だ!。
Unknown (Unknown)2009-09-29 18:39:49
小泉純一郎の場合父親が朝鮮人だからな。
竹中平蔵は、草履屋の倅、即ち部落民だ。
いずれも、893に通じているし、日本の
マイノリティーだ。
そうしたルサンチマンが小泉と竹中をして
日本破壊を邁進させのだろう。
こういうコメントを削除せず、それを批判するコメントを削除する。こういうコメントをする連中を甘やかす。
このほかにもハンドルネーム「太郎」などが「史那」「朝鮮」などに対する差別意識丸出しの長文コメントを毎回連投しているが、管理人はお気に入りのようで削除しない。
https://kuantan2007.wordpress.com/2009/09/29/
About me
http://kuantan2007.wordpress.com/about/
Kuantanはマレー半島東岸の町。
しばらく滞在したことが何度かあります。ブルーモスク以外に特にこれといった見どころはない町ですが、私はなぜか気に入りました。
気に入ったというより、ホッとしました。タイからマレー半島沿いに下ってきて、Kuantanについたときには本当にホッとしました。そのくらい、私はタイには耐えられなかった。その頃ブログというものを始めたので、インターネット上のニックネームをKuantanとしました。
当時私は怒っていました。「タイのありさま」を見て、怒らないほうがおかしいと思います。アジア全般にも日本の一部にもあることですが、人種差別、「白人優先主義」「白人崇拝主義」が、タイではあまりにも極端で露骨でした。
最初のブログはニフティのココログ「日付のある紙片」でした。「タイ大嫌いな旅行者のブログ」と銘打ち、タイ(人)批判、白人批判・叩きを思い切りやりました。決して余裕や遊びでやっていたのではなく、そうせずに居られない気持ちでした。もちろん厳しい批判(人種差別、白人差別だという)も受けました。ココログも削除することになり、当時は比較的自由だと思われたBloggerブログに移転しました。一部はFc2ブログにも避難させました。
当時私が訴えたかったことの一つは、「東南アジアで買春しているのは日本人やアジア系が圧倒的に多い。欧米人は買春しない」という当時のマスコミ等の「常識」はウソであるということでした。そのことを実証するために、東南アジアで、白人が明らかに売春婦とみられる女性や、年端もいかない幼女を連れ歩いている写真を自分で撮ってブログに掲載したりもしました。GoogleBloggerには長くそういう写真を載せていたのですが、Googleからはそれについて何のクレームもありませんでした。
ところが、本年2014年8月15日、私のBloggerブログ「航海日誌と批判」にも使用していたGoogleアカウントが突然無効にされました。具体的な理由は告げられず、問い合わせても「規約違反で無効」というのみです。Gmailはもちろん、6年間ほど書き続けたBloggerブログ、Picasaの写真、ドキュメント、日記代わりにもしていたカレンダー等、すべてにアクセスできなくなり、自分のコンテンツを回収することもできなくなりました。Googleは怖い、と身にしみて思いました。
そういうわけで、今後はこのような事のないように、Googleと連携していないいろいろな会社に自分のコンテンツを分散させることにしました。このブログも、分散の一環として作ってみたものです。
他人にとってはほとんど価値の無いものであっても、ネットに残しておいた自分の長年の足取りが、一瞬にして消されてしまうということは、実際に経験してみると強い絶望感を伴う事件です。
現在は日本に住んでいるため、「白人云々」「人種差別云々」「タイの白人崇拝云々」には関心が薄れ、かつての情念もなくなっていますが、数年前にとりつかれていた情熱の断片がまだネット上に残っているので、ここに記録しておきたいと思います。
http://ibrahim.blog49.fc2.com/blog-entry-131.html
http://kuantan.blog74.fc2.com/blog-entry-865.html
http://www.peeep.us/4c5106b0
私は自分の顔にコンプレックスを持っているので、鏡というものを殆ど見ないのだが、顔に傷ができたため久しぶりで鏡を覗いてみた。
やはり、実に醜い顔立ちであった。私は子供の頃から、実の親や兄弟にまで、顔が醜いと言って嘲笑されて育ったので、彼らを憎んでいる(というのは、私よりもっと醜い人でも親からは愛されるからである)、奴らは死んで地獄に落ちればいいな、と思っている。
馬面で、片方の目が一重で細いので、「お前は朝鮮人みたいな顔だ」と、実の親に言われたこともある。
だから、ネットで「朝鮮人認定」をされるのは、人一倍不愉快である。子供の頃の親や兄弟からのいたぶりを思い出すからだ。
http://kuantan2007.wordpress.com/2014/10/30/%e6%ad%af%e3%82%92%e6%8a%9c%e3%81%84%e3%81%9f%e3%82%89%e6%ad%af%e8%8c%8e%e3%81%8c%e8%85%90%e3%82%8a%e5%a7%8b%e3%82%81%e3%81%9f/
私は朝鮮人ではない。朝鮮人認定が一番嫌いである。
血の繋がった実の親にさえ「お前は朝鮮人みたいだ」と言われたことがある。
私は昔から、両親とも代々飛騨出身で、朝鮮人の血が交じる余地がありません。
私の祖父など、農地改革前の田舎の大地主でしたが、見るからに白人、というかコーカソイドです。
ところが、白人系にありがちなことですが、ブサイクな嫁さんを二代にわたって娶った結果、3代目にはなんとも醜くなったというわけです。ブサイクな嫁さん(私の祖母など)は金持ちの商家で、都会との血縁があったようですが、その辺から半島系が混じった可能性もあります。
http://kuantan2007.wordpress.com/2014/10/30/%e3%82%b3%e3%83%a1%e3%83%b3%e3%83%88%e6%ad%93%e8%bf%8e%e3%80%82comments-are-welcome-but-rudeness-is-deleted-and-rude-people-blocked/
家族を愛せない
家族を愛せないということは、残念なことだが現実だ。私の文章を読んで、嫌な奴だと思う方も多いだろう。しかし私の家族はもっともっと嫌な連中ばかりで私など最もナイーブな方なのだ。
甘やかされて育った没落した戦前の田舎の寄生地主の次男が父である。高齢で私を生んだ。その年代としては背も高く、祖父の「白人顔」も多少受け継いで、女によくもてたようだ。
世界は自分中心に回っていると根っから確信しているタイプ。そのうえ小役人になったから、何の試練も経験していない。喋らせておくと、人には関係のない自慢話を延々と続けるが、それを恥とはまったく思わない。知能指数は高めで数学などが得意だったようだが、頭が良いとはとても思えない。
兄は底意地が悪く嫉妬深い。兄も美少年だった。物心ついたあと私が生まれたことで、親の愛情を独占できなくなったことを根に持ち、一貫して私をいじめ、いたぶり続けてきた。底意地の悪い人間である。子供の時から知能指数が高く、成績もよく自分が一番賢いと思い込むタイプ。
なので、今では母親の介護をめぐって父親と対立し、今はどこで何をやっているかよくわからない。が、私と違い非常に世渡り上手な人間。何のトラブルも抱えていないかのように、ココログで趣味のブログを平然と続けている。
父と同じく、まるで心がないように見える。感じ入るとか、他者を思いやるという素質はまったくない。私は子供の時からこの兄に優しげな言葉をかけてもらった記憶は皆無で、一番言われたくないことを常に目ざとく見つけ出して言われ続けてきた。
この父と兄はできれば殺してやりたいと思うが、そうもできないので、地獄に行ってもらうことを祈っている。まぁ、わたしはこのような卑小な人間である。
http://kuantan2007.wordpress.com/2014/10/30/%e5%ae%b6%e6%97%8f%e3%82%92%e6%84%9b%e3%81%9b%e3%81%aa%e3%81%84/
生活保護を受けるかな
前歯が一本抜けて、とても人前で話せる容貌ではなくなった。女性なら障害者になるだろうが、男はならない。しかし、前歯がないというのは滑稽なものだ。
ポーセレンを入れれば一本10万円ほどする。ブリッジにするのに3本入れなければならないから30万円はかかる。そんなカネはない。インプラントなら尚更で、リスクも大きい。たいていは10年以内に抜けてしまうだろう。歯医者も勧めない。
歯がすうすうして発音もままならないので、今まで何とか糊口をしのいできた塾講師を続ける自信はない。かと言って、翻訳業などに転身する力はない。翻訳課題をちょっと覗いてみればわかるが、専門分野の法務でもとっても素人にできるものではない。
私には、扶養する家族もなく、妻子もない。まったくの孤独である。カネさえあれば孤独も構わないが、カネがないと、孤独は過酷な条件になる。リーマンショック以前はかなりのゆとりがあったが、あの時に大金を1日で失い、動転して錯乱売をして、すっからかんになってしまった。
最後に、マレーシアかネパールに旅したいと思う。これだけは、最後に許してほしい贅沢だ。
その後は、3万円くらいの部屋(出来れば古い一戸建てで周囲に気兼ねのない所が良い)を借りて、生活保護を受けることを真剣に考えている。一人では門前払いに決まっているので、一番無難なところで日共の援助を受けようと思っている。創価やヤクザ関係よりはマシだろう。
私の望みは、ゆっくり本が読めることだけだ。性欲も、情欲も、社交欲ももはやない。これを健康で文化的な最低限度の生活と認めてくれないだろうか。歯が抜ける、しゃべる度にお笑いになる、ということの意味を、経験したことのない人はわからないだろう。社会から、事実上、排除されることだ。
日本の生活保護制度がなくなったら、日共とかヤクザ独自の、泥臭いギリギリの慈善に頼って生き延びていくしかない。静かに生きられればいいのだ。
調べてみて気づくことは、日本のキリスト教は布教に役に立たない慈善にはまったく興味を示していないことである。慈善を行っているのは、日共、創価、ヤクザを除けば、無職のボランティアがほそぼそとやっているだけで、キリスト教団体は、「心の救済とイエス様の教えの普及」にしか関心がない。これは、アメリカ等のキリスト教団体との大きな違いである。キリスト教、特に日本のキリスト教の、了見の狭さ、独善主義が現れていると思う。
この日本の社会に生活していくためには、いろいろな理由で生活保護を受けなければならない場合がある。インターネットにおける生活保護タタキ、(有名ドコロでは「ネットゲリラ」など)は徹底的に叩き返していく必要がある。所詮は親の代からの資産を受け継いだ低学歴成金が、卑しいカネの上にふんぞり返って弱者を見下し叩いているだけで、ビートたけしの亜流・モノマネに過ぎないのだが。
http://kuantan2007.wordpress.com/2014/10/30/%e7%94%9f%e6%b4%bb%e4%bf%9d%e8%ad%b7%e3%82%92%e5%8f%97%e3%81%91%e3%82%8b%e3%81%8b%e3%81%8b%e3%81%aa/
俺は、他人からはそれほど言われたことはないのだが、顔が醜悪である。鏡はほとんど見ない。
子供の時から、父親や兄に、顔の醜悪さをこれでもかこれでもかと指摘され、絵にまで描かれて嘲笑されてきた。母親は俺以上に土人顔だったので、母親にはあまり嘲笑されることはなかった。むしろ、俺の顔立ちを比較的美しいと思ってくれていたようだった。私は母親には溺愛され、資産も譲渡された。(結局失ってしまったが)。
鏡を見てみれば、俺は実にいやらしい貧相な顔である。これは確かなことだ。
父方の祖父は純粋の飛騨人で白人のような顔立ちだったが、2代下るだけでこれだけ劣化して、汚い朝鮮人とフィリピン人を合わせたようになってしまうのだ。
そして、今になってさえ、すでにジジイになった父は自分の容姿に自信を持っており、私の容姿を嘲笑する。これはどういうことだろう。
私は、もう人前に出る気力がない。父親は人格破綻者で、自分はすべて素晴らしく、世界は自分を中心に回っていると思っている人間である。兄もそうだ。
こういう愛の無い家庭に育ったので、私の人格も歪んでしまった。社交性はない。外見に根本的に自信がないので、マトモな恋愛や結婚はできない。若いころの遊びはあったが、自分に対する自信のなさが根本にあるので、どれも長続きしなかった。子供ができないので、扶養されるあてもない。
私にはまともなことは出来ない、という思い込みがあった。自分の価値を見いだせなかった。所詮、自分は醜い猿のような人間だからだ。
私は、私立大学在学中は「給与」(返還しなくて良い)の奨学金を毎年もらっていた。大隈奨学金というやつだ。早稲田ではトップクラスの成績で大学院に進んだが、根本的な自分に対する自信の無さから長続きしなかった。結局、除籍で退学した。
その後は、バイトをしたり、塾の講師をしたりしながら放浪していた。リーマン・ショックまでは、唯一の援助者であった母親から譲り受けたある程度まとまったカネをふくらませながら、あてもない海外放浪を続けていた。母も資産を失い老人ホームにはいることになった。
これから先は行くところはない。ホームレスになるか、生活保護を受けられるかだが、寒さに極端に弱いので日本でのホームレス生活は避けたい。現実的な選択は生活保護しかないと思う。
何の希望もなく生きることは、私にはそれほど苦痛ではない。静かな環境で、ゆっくりと本を読むことが出来れば、それなりに満足できる。酒もパチンコも煙草もやらない。
日本社会にはこういう人間を許容してもらいたい。どうしてもダメなら、日本国籍を捨て、ネパール国籍でも買い取ろうと思っている。ネパール国籍者につきものの、さまざまな場面での理不尽な扱いには目をつぶるしかない。
http://kuantan2007.wordpress.com/2014/10/31/%e4%bf%ba%e3%81%af%e9%a1%94%e3%81%8c%e9%86%9c%e6%82%aa%e3%81%a0%e3%80%82%e3%81%93%e3%82%8c%e3%81%a0%e3%81%91%e3%81%a7%e3%82%82%e7%94%9f%e6%b4%bb%e4%bf%9d%e8%ad%b7%e3%81%ab%e5%bd%93%e3%81%a6%e3%81%af/
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