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実録・THKK(GLA/TL人間学・主宰)「ミカエル事件」編
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/537.html
投稿者 たけしくん 日時 2014 年 10 月 14 日 15:17:29: IjE7a7tISZsr6
 

(回答先: 高橋佳子のGLAをやめる決意をした会員や狂信会員の家族の声(15.6/20-6/21BBSログより) 投稿者 たけしくん 日時 2014 年 7 月 16 日 22:20:30)

 THKKは13歳のころから「霊道」が開けて異言を語るようになったと『真創世記・
地獄編』などにも書いてありますが、TH信次の高弟・園頭さんのサイトにも、そのこと
が記してあります。これを見ると、13歳で異言過去世パフォーマンスをやっていたこと
になります。
 園頭さんの記録を書いたサイトや『真創世記』の本当の著者・SF作家の平井和正氏の
エッセイなどから、13歳から「ミカエルKK」となってゆき、次第に強暴女帝化するKK
について書かれた経過を引用、ご紹介しましょう。
(※に続く文章は小生のコメント)


<1.卑弥呼にされたKK>

http://www.shoho.com/newpage18.htm 「人間・TH信次」より
●『GLA』誌の前身の『ひかり』(1969年)に次のように書かれている。
『THKKさん(十三歳)、東京大田区在住。彼女は、お釈迦様の時代、すなわち印度時代に、
祇園精舎を寄贈した、須達(スダッタ)長者の娘デルナーという女性でありました。日本では
ヒミコとして約一九〇〇年前、九州大和姓国で生まれ数多くの伝説を残しましたが、< 中略>
 古代語では一般の人はわかりませんので、現代語で昔日の模様をいろいろ語ります』」

●昭和五十年(1975・KK18歳) 三月二十二〜二十四日 
 宮崎研修会 演題「正法と現代宗教」
「この人(THKK氏)は過去世において、卑弥呼であったことを思い出しております。奄美
大島から来られたこの二人のご婦人は、卑弥呼の女官をしていたのです。東京でデザイナーを
している護摩堂さん、映画俳優の中丸忠雄氏の夫人の薫さんは、ともに卑弥呼の大臣をしてい
た人達です。卑弥呼が邪馬台国の時、過去世を思い出し、インドで大日如来をなつかしんで
祭っていたのです。その大日如来がのちに天照大神として祭られることになったのです」と。

●昭和五十一年(1976・KK19歳)
 五月二日〜五日 富士みどりの休暇村に於ける青年部研修会
(講演「正法の流転」)
 渡辺氏は運よく、信次の真正面に坐った。右隣りにはKK氏(信次の長女)が坐っていた。

※13歳で「先生の娘にして古代日本・邪馬台国の女王ヒミコの前世を持つお方」にされてし
まった中学生のKKが、この当時からすでに「舞いあがりはじめていた」と考えてもおかし
くはないでしょう。「先生のお嬢さん」「ヒミコ女王」と下にもおかない扱いを受けていた
ことは容易に想像できます。増長する少女アイドルみたいなものでしょうか。


<2.ミカエルと思いこんだKK>

http://www.shoho.com/newpage14.htm 「奇跡の写真」より
●信次師の長女・THKK氏により『真創世記』三巻が出版されている。これは当初からKK
氏の作ではないともっぱらの評判もあったが、KK氏自らが霊感を受けて短期間に書かれたと
いうことになっていた。しかし、昭和六十一年『SFアドベンチャー・八月号』五十四頁に、
SF作家の平井和正氏が「『真創世記』は、私が半年ぐらいにわたって書いた」と発表した。

●昭和五十一年 七月十日
 告別式が終った後、八起ビルに於いて「今後のGLAをどのようにして行くか」という協議
が行なわれた。それはどのような内容だったのかというと、「園頭氏が中心になり長老会議を
開き、当時大学生であったKK氏が卒業ののち、一人前の宗教家にするために外国にも修業に
やり、会長はTH一栄氏に。また、一栄氏は園頭師に「今後共、よろしくご指導下さい。
 今後あなたもGLA誌に書いて下さい」、と公言し、信次師の兄弟、親戚の人も諒解したの
にその機会は与えられなかった。

●七月十一日
 亡くなって二カ月後の宮崎県青島国民宿舎での研修会は、KK氏の指導によって東京の若い
講師達が指導したわけで、私は西日本本部長としてはなんにも権限は与えられず傍観するだけ
でした。研修ではなくて全部遊び。林正氏とA氏のこの二人はKK氏から「ピンクレディーの
真似をしろ」と命ぜられて、髭面に白粉をつけて膝までの短ズボンを穿いて、毛ずねをむき出
しにした足を跳ね上げて踊りました。 

※「KK氏の指導による東京の講師たちの指導」とは「KKの命令による」という事でしょう。
「研修ではなくて全部遊び」というところに「組織のトップになった有頂天のあまり、はしゃ
いでいるKK」の幼児性の反映がみえるようです。

●九月
 信次師亡き後、GLAの宗教法人としてのアイデンティティを求めて最高会議が開かれた。
会長TH一栄、主宰THKK(日大二年生、二十歳)、GLA東京本部長小柴敏雄、三宝出版
社長堀田和成、GLA関西本部長中谷義雄、GLA西日本本部長園頭広周、GLA総合本部
佐藤要、GLA総合本部TH武、オブザーバーとしてGLA中京本部事務局長谷口健彦氏らを
加え、これを「首脳者会議」として運営して行くことに決定。 しかし、首脳者会議が開かれ
たのは、この九月一回のみだった。
 主宰で、信次師の長女・THKK氏は昭和三十一年十月二十四日生まれ、東京都立九段高校
を経て、この時、日本大学文学部哲学科に在学中であった。KK氏は高校時代はフォークソン
グのサークルに属していた。

●昭和五十二年(1977)三月五日
 突然、会議が開かれることになる。会議には、これまでのGLAとは全く関係のなかった
SF作家の平井和正氏が同席。突然の平井氏の出席に異和感を覚えた長老幹部もいた。その
席上で、主宰のTHKK氏は「ミカエルは起つ、私の背後にはミカエル軍団が既に出来てい
る。私は東京本部はつぶしてもかまわない。ついてくる者だけついて来なさい」と宣言。
「ミカエル軍団」とはSF作家の平井和正氏がTHKK氏に接近、小松左京氏等と会談させ
る等した。KK氏は、そのような人達を総称して「ミカエル軍団」と呼んだ。(中略)
「小松左京氏がKK氏の支持者だったとは思えない」と園頭師は書いている。

※これは平井和正氏の『TH留美子の優しい世界〜ビューティフルドリーマー』にも形を変え
触れています。それによると「幻魔大戦」 は「ミカエル学校の産物」であり、SF作家・マンガ
家たちとKKの座談会「ミカエルを囲む会」における数千枚の「ミカエル語録」をもとに書か
れたと記述しているのです。引用します。

「あれは一九七七年に私が企画プロデュースした<ミカエルを囲む会>だった。彼女はまず
マスコミには登場しないし、手塚治虫、小松左京、星新一のような有名人たちとまとめて会っ
たのは、これが最初にして最後という例外的ケースだった。この会合は失敗したともいえるし
成功したともいえる。それは私にとっての成功だった。なにしろ私はこの会合の記録を取る
ことにより、<ミカエル語録>を数千枚にわたって厖大な量の文字に定着させ、「幻魔大戦」
を発芽させる土壌となしたのだから。もしこの会合がなければ、私は「幻魔大戦」を育てそ
こなうことになったかもしれない」
(初出:昭和59年10/15発行「SFアドベンチャー増刊・幻魔宇宙4」P56)

 このように、平井氏はじめ大流行作家・大物マンガ家たちと「会見」できたKKが、ます
ます「増長」し、天下を取ったような気になった可能性は高いと思えます。「ミカエル軍団」
という超強気な発想に、この平井氏の存在の大きかったであろうことは、園頭氏でなくとも
想像できることです。

GLATHKK名義の『真創世記』を書いていた当時の平井和正のエッセイ(1977年)
http://www.asyura2.com/0311/bd31/msg/287.html

●三月九日付の園頭師の書簡の中から                                 
「合掌、(三月)五日、ミカエル宣言があって、六日十五時帰宅しました。東京本部の理事会
で、KK氏が「信次先生が亡くなられた時点でどうして私を主宰として立てなかったのですか」
といわれた時の見幕は異様なものでした。(中略)
 KK氏は「GLAはつぶしてもかまわない。私の背後にはミカエル軍団がいる」といって
いますが、ミカエル軍団というのは、小松左京氏を頂点とするSF作家群のことですが、小松
左京氏とKK氏を引き合わせたのが平井和正氏で、ただ一回会っただけで小松左京氏がKK氏
を全面的に支持するとも思われず、なんらの宗教体験も持たない、社会経験もない大学生が、
TH先生の存命中ミカエルの憑り代(よりしろ)とされただけであるのに、自分を「ミカエル」
と誇張し、威猛気(いたけだけ)に「誓え」といった空気は尋常ではなく、しかも、中学生の
時に、村上宥快氏の観音寺で「私の過去世は卑弥呼でありましたといっていた人、そして、昭
和四十九年の宮崎の青島国民宿舎での青年研修会でも卑弥呼であったといった人が、どうして
「ミカエル」になることができるのか、全く演出としか思えません。<中略>・・・・・
・・・小松左京氏が、「自分達が指導をうけられそうなGLAの講師はいない」といったという
ことを聞きました」

※「どーして私をすぐに主宰にたてなかったのか!」と怒号する二十歳の女子大生の「異様な
剣幕」「自分をミカエルと誇張し、居丈高(いたけだか)に誓えといった空気は尋常ではなく」
の二つは圧巻です。
 宗教団体の講師をやってきて人生体験も豊富な壮年の園頭氏に、「異様な剣幕」「尋常では
ない空気」を感じさせた人間が、わずか二十歳の女子大生のKKだったという事実に、KKの
「不吉なものぐるい」を覚えます。ある種の精神異常が疑われる状態だったのではないかと
さえ思います。後述しますが、当時、彼女のそばにいた平井和正氏は、それを「カリスマの
物狂いの度はずれた迫力」と述懐しています。
 また、当時、KKが年上の講師たちを前に並べて「あなたたちは人間のクズですッ」とやっ
た場面にも平井氏はいたそうです。そのいいざまがあんまりだったので、みかねた平井氏が、
おそるおそる「あの、そのいい方はあんまりじゃないでしょうか。ほかにいい様があるのでは」
と指摘したら、キッとふりかえり、「あなたに何がわかるっていうんですかッ」と逆にやり
こめられてしまったそうです。無理が通れば道理がひっこむ。道理がひっこめば人はついて
きません。退会者続出は理の当然。魔のせいでもサタンのせいでもありません。

●三月三十日
 三月五日の突然の会議に呼応したように、祥伝社より『真創世記・地獄篇』『天上編』
『黙示篇』の三部作がつづけざまに出版された。この本は、THKK氏が霊示を受け、短期間
の内に書いたということであったが(中略)その当時の宗教誌の記述を引用する。

「昭和四十八年に宗教法人の資格を取得した神理の会(GLA)はオカルト・ブームと戦後
経済の高度成長の破綻という世相と相まって若者を中心とする人々の関心をかき立てた。
しかし、昭和五十一年、急上昇期にあった教団は大きな危機を迎えた。四十八歳という若さで、
同年六月二十五日、THが突如として他界したのである。ところが教団は、鮮やかに転身を図
った。THの娘KK(霊体、大天使ミカエル)という新しい救世主を登場させたのである。
 大新聞の広いスペースに著者の写真を伴った著書の広告は世間の注目をひいた。」

「真創世記」はSF作家平井和正氏が「私が半年ぐらいにわたって書いた」と自ら発表したが、
昭和五十二年三月五日に突然の会議が開かれミカエル宣言が出され、三月三十日付で『真創世
記』初版が出版されたということは、その半年以上前からすでに計画、筋書き通りの謀議が
なされていたということになる。そして、昭和六十年初版の『TH留美子の優しい世界』
(平井和正・徳間書店)によると、『幻魔大戦』はTHKK氏との半年間にわたる「ミカエル
学校」の産物以外の何ものでもないと書いているが、これによっても平井和正氏とTHKK
氏の関係が伺い知れる。

『SFアドベンチャー』1986年8月号を読んだ。この本のはじめの八〇頁が、平井和正氏と
犬神明の対談である。この平井和正氏がTH信次先生亡き後のGLAに入り込んできて、TH
KK氏をメシヤに仕立て上げ、「釈迦・キリストの教は間違っている」といわせた張本人であ
り、この平井和正氏のいうことを信じた若い講師達が、KK氏を中心にして演じたのが「ミカ
エル事件」だったのである。

●五月
「ミカエル・ウイングス」という若い講師団がつくられ、ミカエルの親衛隊的組織MBG
(ミカエル・ボーイズ&ガールズ)を結成された。

「THKK氏のミカエル宣言(要旨)」                                 
「わたしは大天使ミカエルである。神はミカエルにこの世界を委された。釈迦、キリストは
人類が幸福になる道を説かなかった。仏教、キリスト教はローカル宗教であり世界宗教では
ない。釈迦、キリストを指導したのは、わたしミカエルである。TH信次先生の教えは必要
ない。五年後には全世界の人類はみなミカエルKKの前にひざまずくのである」と宣言。
 このようなことによって会員の脱退者が続出した。

●六月二十五日 TH(信次)先生の追悼一周年記念だというのに、『ビバ・ミカエル』と
書いた大看板とポスターだけで、TH先生を偲ぶものは何一つなかった。講演が終ると、
みな壇場へ上ってKK先生に誓いなさいということになって、一番先に「偉大なるメシヤ
を仰ぎます」と誓ったのが関芳郎講師であり、それから林正氏夫妻は泣いて誓い、以下全員
が誓った。誓わなかったのは私一人であった。みんながひざまづいて誓うのを、私は平然と
して腕を組んで見下ろしていた。世界の宗教史上、全く例を見ない茶番劇であった。

※ショートショートの大家・星新一さんも、KKのミカエル講演会とそこで繰り広げられた
パフォーマンスを見て、「学芸会だね」とコメントしたそうです。

●七月
 昭和五十二年八月号から、突如『MICHAEL』(MLA)と改題、会員に送付された。
園頭師は激白する。(※正確には「MICHAEL THE MESSAGE」)

「これはTHKK氏の一存で改題されたもので誰も知らなかった。八月号が送付されてきて
はじめて知ったのである。今となれば、これはこのままにしておいた方がよかったと思う
のであるが、その時は、TH信次先生の亡くなられた後を汚してはならぬという気持ちが
あったから、GLA会長でありKK氏の母である一栄氏、東京本部の小柴、佐藤氏に『なぜ
ここまでなるのを知らなかったのですか』と反省を迫り、九月号も既に『MICHAEL』
という表紙で印刷されていたのを、元通り『GLA』に戻させたのであった。宗教法人名も
「GLA」から「ミカエル教団」と変更することになっていた。そして、浅草のGLAの
ビルも全体をオレンジ色に塗りつぶし、ビルの壁面に「MLA」と書く計画が既に出来て
いた。それを知った私は当時の関西本部長中谷氏に協力を求めてTH先生の未亡人である
一栄氏に反省を求め、一栄氏が東京のKK氏に電話されて、MLAとせず、GLAと名乗る
ということになったのである。

●九月一日
 次のことが暴露された。
 信次師の昇天を報ずる当時の『GLA』(昭和五十一年八月号)誌に、当時、GLA東京
本部の理事であり、三宝出版社長であった堀田和成氏が 「巨星堕つ」という一文を載せた。
その中で、「TH信次先生は息女のKK先生にのみ天上界から通信をする、と遺言して亡く
なられた」と書いたが、堀田和成氏の創作附言であったと、堀田氏自ら発表した。

※小生は、1980年代なかばに、こんな事が77年にあったとは露知らず、GLAの中で「信次
先生の通信を受けられるのはKK先生だけ。肩のあたりが電気でふるえるようになるので、
信次先生からの霊界通信だとわかるらしい」と先輩会員がいっているのを信じていました。
 でもそれは『真創世記』地獄編P108にあることなんですよね。

「父から通信が送られて来るときは、私の右肩に電気マッサージのような震動が生じるの
です。ああ、来たなと思うと同時に、胸の中央から言葉が出てきます「己を磨きなさい」
(中略)百発百中で一度も誤ったことはありません」

「信次はKKにのみ霊界通信する」というのが堀田氏の「創作」である以上、上記のKK
の記述も「創作」です。「百発百中」どころか「一度も」通信がきたことはありません、
というのが本当でしょう。
 よくもまあ、女帝暴君のふるまいを重ねたあげく、こんなウソをしゃあしゃあと書ける
ものです。

●九月二十七日
 有馬温泉にて最高会議開かる。
 ミカエルは起つという宣言と、ミカエルの意志を正しく伝えるミカエル・ウイングスと
称する若い講師団が、全国を飛び廻って「ミカエルKK氏の偉さはTH信次先生以上であり、
釈迦・キリストもKK氏の足下にも及ばない」と宣伝したために、知性理性を失った即ち
正見のできない感情的に狂信盲信をする人々と知性理性で正見する人達とに分裂が始まった。
これではいけないといっていち早く堀田和成氏は三宝出版社長をやめられた。私もGLA
脱退を決意した。

●十月
 この間、信次が説いた正法を守って行うとする会員と、ミカエルKK氏を信じていこうと
する会員と、どのように判断していいか迷っている会員の三つに別れて混乱、脱退者も続出
した。KK氏に忠誠を誓い団結の強さを誇っていたミカエル・ウイングスの講師の中にも
脱退者が出た。しかも、THKK氏を人類の救世主(メシヤ)として祭り上げ、GLAの実際
の支配権を握ろうとした信次師の実弟TH興和氏は若い講師と共に、次なる方針を打ち出した。
「GLAの指導者、講師、幹部は四十五歳まで、会員は四十歳までとし、それ以上の年齢の
者、並びに他の宗教団体を遍歴した者は会員としない」と発表。この方針を聞いて、脱退
する会員がまたまた続出。

●十二月
 五十二年のある日のこと、園頭師はKK氏と直接話し合いをしようと思ったが、百二十人
の警備陣が編成され、会わせないという事件があった。園頭師は言う。「ミカエル事件は、
私とKK氏が話し合えばきれいに解決すると思う(後略)」

●昭和五十三年 三月末                             
 東京のあるホテルにて「ミカエルを売りだす会」を開催。マスコミ関係者、ジャーナリス
ト達が六十人程招待され会見した。マスコミ関係者にしてみれば、二十歳の娘氏が世界人類
の救済者であることを宣言したことに対して、その実体をよく知って報道しようと、「ミカ
エルについて」いろんな角度から質問した。しかし、KK氏は質問に答えることができず、
遂に泣き出し、「今後、もう一切ミカエルとは言いません」という異例の記者会見となった。
こうして、GLA本部ではマスコミ関係者、新聞記者にミカエルを売り出した後、四月は
横浜、五月は福岡で「ミカエルは語る」という大講演会の予定でポスターも貼られ、宣伝中
であったが、先の記者会見で「ミカエルとは二度といいません」ということになって、ひと
晩のうちにポスターをはがして廻るということになる。福岡では、四月二十三日、九州支部
長会議の席上で、「今後、ミカエルということは絶対にいわないことになった」というGL
A本部の方針が伝えられた。

※この「ポスターをはがしてまわった」ことが事実なのを、当時会員だった方からの情報で
確認しました。それによると、「一般会員には知らせずに秘密裏に」こっそりとはがして
まわったそうです。 

●信次師が予告していた『新復活』は遅々として出版されなかった。信次師が、生前の講演
会の中で度々予告し、また昭和五十一年七月号の『GLA』誌にも予告していたにもかかわ
らず…。『真創世記』の中でTHKK氏が「その原稿は私の手もとにありますが …」と
記述しているが、原稿に都合の悪いことが書いてあるので、KK氏が、握り潰しているとの、
もっぱらの噂であった(後略)。

※この後『新復活』についてのGLA総合本部の一栄や関らとの法律ざたになりかけた一件
があります。
『真創世記』地獄編P109に「父は最後の本となるべき原稿を書き続けました。その原稿は、
いつか私が完成させるべきものとして、私の手元にありますが、父はこの本は世界を動かす
ものになるだろうといい続けていました」とあります。
 しかし、園頭さんのサイトではこう書いてあるのです。

●「突然、ある人から『TH信次先生の<新復活>の原稿が見つかりました。いつTH先生
から預ったのか記憶にありませんが、とにかく送ります』という電話がありました。原稿が
送られて来るのがもどかしかった。原稿が送られて十日位した時、また電話があり『あの
時のことを思い出しました。TH信次先生は、KK氏はミカエルではないと気づかれ、<新
復活>はKK氏は出版しないと感ぜられて、これを預けときますといって渡されたように思
います』ということだった。私に送られてきた原稿はコピーで直筆ではなかった。
 なぜ、わざわざコピーしてその人に託されたのであるか、その時のTH先生の複雑な心境
は、その原稿を見るとわかってくる」

●『新復活』の中に、信次師自身に対するサタンの攻勢のことが書いてある。正法が広がる
と、サタンの棲家はなくなるので、サタンは必死に抵抗する。信次師にとって辛かったのは、
自分の実弟がサタンに組み敷かれたことであった。講師達を実名で「この者はサタンにやら
れている」と書いてあるために、都合の悪い講師が出版されたら大変だと騒いでいるのだ。                              

●THKK氏はミカエルではないこと。『新復活』の原稿には「この女性にミカエルの霊
を入れて話してもらう」と書いてある。信次師の力によって降霊させられたこと。 

●一月三十日、園頭師がインド研修より帰国して、まだ旅装も解かない間にかかってきた
電話は「TH一栄氏が佐藤要氏と共に元GLA関西本部長中谷義雄氏を訪ね、『新復活』が
出版されるとGLAはつぶれる。原稿を取り返せないものだろうかといわれた」というもの
だった。

※『真創世記・地獄編』にはいつかKKが父の意志を引き継いで完成させるべきものとして
「新復活」が紹介されているのに、園頭さんの記述が正しければ、世界を動かすどころか
GLAを転覆させかねないものだったようです。通りで1977年以来、26年も経っているの
にKKは、父に託されたはずの『新復活』をおくびにも出さないわけです。
 つまり『真創世記』P108に書かれたことは、ウソだということですね。
 しかし、信次も口からでまかせをまことしやかに立板に水で語るウソつき香具師なので、
『新復活』を本当に出版する気だったかどうかは怪しいと小生は見ています。


<3.ミカエルKK19歳の異言ビデオ1977.5.4が、いますぐ無料でまだ見られる>

http://www.shoho.com/newpage110.htm 正法と創世記 
●TH信次師が昇天(昭和五十一年六月)する直前の五月四日の講演会では、TH師の力
によって長女、KK氏に天使長ミカエルを降霊させ、彼女の声帯を通して語らせるビデオ
が残っている。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~takay/mikae.wmv
(楽天フリマ:サンプル画像・再生にはWindows Media Player7.01が必要です)


<4.親孝行娘は過去になった・・・>

http://www.shoho.com/newpage114.htm#トピックスーE 話題のトピックス
●「TH(信次)先生は立派にKKさんを教育された。TH先生が生きていられる間は
親孝行の娘さんであった。肝心な点は先生が亡くなられると、特にSF作家の平井和正氏
がGLAに来てからすっかり変わってしまった。一栄会長も最初は私と一緒に、KKさん
の暴走、ミカエル宣言(父・信次は私を生むだけに生まれてきた。五年後には、イエスや
釈迦以上の私・ミカエルKKの前に人類は額ずくのであるという宣言)を反省させようと
されたが、全身蕁麻疹で緊急入院されてから完全に変わられた。
 私の聞いた話ではKKさんが暴力を振るうので、お手伝いさんが「KK先生がお帰りに
なりました」と告げると全身に蕁麻疹が出るものだから、このままでは医者から死ぬと
言われたらしい。この入院は内密にしてあったが、ある人が偶然に知人を見舞いに行った
ら入院中の一栄会長にパッタリ出会い「何を探りに来たの」と叱られている」

●「KK氏が昭和五十二年に、『これから五年後には全世界の人類は私の前にぬかずくの
であると、そして、父・信次は抜け殻である』と信次師を否定し、GLAを支配して講師
団よりメシヤとして祭り上げられた(後略)」


<5.SF作家・平井和正氏のKK評---1992年>

●『幻魔大戦6〜悪霊教団〜』(リム出版刊 平井和正全集43)
 全集巻末特別企画「平井和正『幻魔』を考える PART2」
 「盲信・狂信の甘美な罠」より引用(p257〜259)

「カリスマの特徴は、その恐ろしい偏執的な狂熱により、他人に熱病を伝染させ、
それを可能な限り広範囲にわたって蔓延させることにあります。熱病の病原体の
キャリアーなのです。
 カリスマの物狂いには度はずれの迫力があり、それは懐疑精神と無縁の、偏執
者の絶対的確信ですから、真っ向から立ち向かおうとしても普通の人間には太刀
打ちできません。粗暴的性格の暴力団組員の偏執的迫力と同種のものです。相手
の理不尽さゆえに、つい圧倒されてしまうのです。
 理性やバランス感覚に欠けたものは、偏執のエネルギーを持ちます。理も非も
ない無秩序のエネルギーだけ持ち合わせる暴走族同然に、精神世界においては、
新宗教の布教者は理不尽で暴力的な存在です。(中略)
 何よりもカリスマの側近たちの、不気味な狂信・盲信の度合いがケタはずれに
エスカレートして行くのを見ることが、私を臆病にするのに役だってくれたので
した(後略)」
http://www.asyura2.com/0311/bd31/msg/277.html


●『幻魔大戦6〜悪霊教団〜』(リム出版刊 平井和正全集43)
 全集巻末特別企画「平井和正『幻魔』を考える PART2」
 「盲信・狂信の甘美な罠」より引用(p253)

「1977年のこと、私自身の筆で書き表したカリスマ名義の著作三部作において、
私は思い切った過激な推薦文を掲載しました。当時の私が本心からの崇拝と尊敬を
もって推薦文を寄せたことは事実でしたが、軽率の誹りを免れないことも確かです。
 カリスマの名前で著書を出したことも、余儀ない事情があったとはいえ―――
最初はカリスマの側近が文章を書くことになっていましたが、むろんアマチュアで
文章を書いたキャリアは一切なく、私自身の本を多数刊行していた版元の出版社と
の交渉の段階で、成り行きとして『止むなく』私が引き受けることになってしまっ
たのでした。
 弁解がましい書き方で、身が細る思いを禁じえませんが、最初はそんな気は毛頭
無かったのに、いざ始めるとなると、凝り性の私はドライブがかかり、止めても止
まらないという状態に速やかに陥りました。
 カリスマの方ははなから、それがお目当てで、――平井さんがいつ、“使命”に
気づいてくれるかと思っていた、と後で言われました。最初からアマチュアに書か
せるつもりなどなかったのです。
 盲信と狂信のどつぼに嵌っていた私は、精神的視野狭窄症の虜となってもはや
何らの懐疑精神ももたず、それが偉大なる神――造物主によって称賛される行為と
信じきっていたのでした(後略)」
http://www.asyura2.com/0311/bd31/msg/276.html

※「私自身の筆で書き表したカリスマ名義の著作三部作」とは『真創世記』の事。

GLA教祖・THKKの『真創世記』の真の作者はSF作家・平井和正氏
http://www16.tok2.com/home/asyura/0306/bd27/msg/392.html
GLATHKKの『真創世記』につき教団ぐるみの虚偽記載・1977年
http://www16.tok2.com/home/asyura/0306/bd27/msg/464.html
平井和正氏がゴーストライターだったのは当然かな
http://www16.tok2.com/home/asyura/0310/bd29/msg/133.html

 1986年ごろ、GLA若手幹部だったY氏に聞いたのですが、1977年当時
の平井氏のKKへのいれこみようは、すさまじかったようです。その人の話による
と、まだ若かったY氏たちが椅子に座ってセミナーというか研修を、ずらりと並ん
で受けていたとき、平井氏が、若者たちのひとりひとりにマイクをつきつけながら、
こういって答えを迫ったそうです。

「あなたは、ミカエルのために死ねますか」

 Y氏はイエスともノーともこたえかねたそうですが、「平井さんの意志力の強さ
は常人ではない。ものすごく意志の強い人だ。あそこまで意志の強い人はそうは
いないと思う」と述べていました。


<関係情報板群>
宗教法人GLA(TH信次・THKK)関連情報サイト・掲示板一覧4(15年10/20版)
http://www.asyura2.com/0311/bd31/msg/319.html

 

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