http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/528.html
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原始時代は集団規模が小さく、単一集団として存在していましたが、集団規模が大きくなり、集団と集団が接するようになると、集団にかかる圧力は自然圧力に加えて、集団同士の同類圧力という全く未知なる圧力が主圧力となります。
西洋(発端は西アジアでの遊牧部族)では、その同類圧力が略奪闘争といった部族同士の闘争圧力として顕現しました。同類が充足の対象だった原始時代までとは違い、同類が略奪の対象であるという根本的な不整合を、守護神信仰という”自部族の私権獲得を正当化する観念”を生み出すことによって部族を統合していきました。守護神信仰は後に一神教、近代思想へと変化しますが、“自集団や自己の私権闘争を正当化する観念”という点では根底的に同じです。
同類圧力
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=400&t=23
私権
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=400&t=8
一方日本でも、縄文時代の中後期には集団と集団が恒常的に接するようになり、同類圧力にどう適応するかという課題が出てきます。
集団と集団の接する場所は、古くから入会山(いりあいやま)や、交通の要所、村共有のヒロバとして存在していました。そこに祭ってある石神はクナドの神と呼ばれています。
クナドとは、「禿恭紀」ではマクナギ、「霊異記」ではクナガヒ、「今昔」ではクナグなどに現れ、性交を意味する古語です。つまり、同類が交わり同類を統合する神とは、性の神ということです。
高群逸枝氏の「日本婚姻史」には、
>クナドは文字通り神前共婚の場所であるが、またそのことによって他群と交通し、結びつく場所でもある。原始時代では、性交は同族化を意味する。排他的な異族の間では性の交歓だけが和平の道であり、理解の道であり、村つくり、国つくりの道でもあった。大国主神の国つくり神話が、同時に妻問い神話になっているのも、この理由にほかならない。
>猿田彦神話では、国境のヤチマタに、異国人の猿田彦が立ちはだかっていると、ウズメという女神が乳房と陰部を露出してこれに立ち向かい、両者唱和して交通が開けたとある。だから猿田彦は交通の神でも性の神でもあることになり、ウズメは雄取式舞踏(カグラ踊り)の祖神ということになった。
とあります。原始時代の日本の性は
実現論1_8_04
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=1&t=8#04
のとおり非常に大らかであり、女性発の性は集団を統合する要でした。集団規模が拡大し、集団と集団をどう統合するかという新しい未明課題も、同じ統合原理を適用し、原初のマツリ場(社会空間)を形創ったのがクナドです。
このクナドは、後に弥生時代〜古墳時代では妻問いに、さらに平安時代には婿取りへと変化し、昭和初期までヨバヒとして残り続けていきます。つまり日本の集団間の関係とは、原始時代から一貫として同類=共認対象であり続けたのだと思われます。共認充足(その中心は女主導の開かれた女性性)を紐帯とした統合原理と、西洋の私権原理とは180度パラダイムが異なります。
今日本では、西洋由来の社会秩序が崩壊し、一方で女性が主導する時代へと急速に変わりつつありますが、根底的には社会を作り直す動きの現われなのだと思います。女性主導で集団や社会の紐帯が生まれ、その集団や社会を守る男達の追求という次代の姿が見えます。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=295958
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