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「山岳民」とは縄文人の末裔ではないか!
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/519.html
投稿者 中川隆 日時 2014 年 8 月 20 日 20:03:16: 3bF/xW6Ehzs4I
 

現在マタギの事を調べており、その途上に山岳民について書かれた書物があった。
宮本常一氏の「山に生きる人々」の著書の中に記載された「山と人間」という一説である。最初の書き出しが非常に興味深い内容だ。

>日本に山岳民とよばれる平地民とはちがった民族が存在したかどうかということについて、私は長いあいだいろいろ考えてみてきつつ、最近までそのまとまったイメージについて頭に描いてみる事ができなかった。しかしごく最近になって、やっとある推定を持つことができるようになった。そのことについてまずのべてみたい。

いわゆる山岳民が存在したであろうとおぼろげながら思うようになったのは昭和36年の夏以来のことである。その夏8月、高知から大阪まで飛行機でとんだ。海岸平野は水田におおわれており、その水田は平野から谷へと断絶することなく続き、はては山中の小さい枝谷の奥まで、木の根が水中に無数に支根を張っているようにのびている。しかし、いつかは谷奥で消えてしまう。谷の両側や奥は森林になっているが、その森林の上に畑がひらけ、また民家を見かける。この畑地帯にはほとんど水田を見いださない。畑地帯では畑のみを作っており、水田と畑作地帯の間には断絶がある。

これはいったい何を意味するのであろうかと考えてみたのであるが、このような現象は考えてみると四国山中のみではなかった。九州の米良、椎葉、諸塚、五家壮、五木などにも見られた景観である。とくに南九州は八重という名称の地がたくさんあり、緩傾斜またはわずかな平地をさすものでハイともいっており、そういうところに畑がひらけ、また集落も見られるのである。しかもこの八重部落は標高800メートルから1000メートルの山の中腹以上に分布し、そのほとんどが畑または焼畑を耕作して生活を立てている。そして隼人というのはもともと八重に住む人の意ではなかったかといわれている。<

宮本氏の説では山岳民とは稲作をこばんだ民であり、標高800mから1000mで暮らし、漁労、狩猟、畑作で生計を立てていた民としている。そしてその民こそが縄文人の末裔ではないかと推測、指摘している。

>山中の人々の生活を記録したものはいたって少ない。しかし、以上のようなわずかな例からしても山中の民は平地の民とはその生活のたて方がずいぶん大きく違っていたことを知る。しかもそれは山中であるが故に文化的におくれていたのではなく、生活のたて方そのものが違っていたと見るべきである。まず第一にこの仲間が必ずしも水田耕作を取り入れる事に熱心ではなかったということである。本気になって水田耕作を求めるならばある程度までそれが可能であったと思われることは長野県下伊那郡坂部の事例が物語ってくれる。坂部にかぎらず、そういう例は少なくない。したがって過去に稲作の経験をもっているならば山中に入っても多かれ少なかれ稲作への試みをしているであろうが、その努力を焼畑農業ではほとんど見る事ができない。つまり焼畑集落は最初から焼畑をおこなっており、しかもさらに古くは狩猟を重要な生活手段としていたと見るべきである。

そこで少し突飛な想定ではあるが、縄文式文化人がやがて稲作文化を取り入れて弥生式文化を生み出していったとするならば、それは全ての縄文式文化人が稲作文化の洗礼を受けたのではなく、山中に住む者は稲作技術を持たないままに弥生式文化時代にも狩猟を主としつつ、山中または台地の上に生活しつづけて来たと見られるのではないかと思う。<

つまりマタギも山伏もサンガも隼人も修験道の民も押しなべて縄文人が稲作の洗礼を受けずに残っている部族であり、その呼び名ではないだろうか?彼らが未だに残り、平地民とは一線を画して存在しているとすれば、彼らこそ縄文直系の貴重な無形文化財なのだと思う。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=294142


山の民は長寿だった〜寺川郷談より
 

宮本常一著の「山に生きる人々」での下記の記述は縄文人の生活を彷彿させる。100歳を越えなければ長寿と呼ばれず、食生活も含めた山での生活が人間の生活に適しており、長寿に繋がった事が伺える。

>高知県寺川については「寺川卿談」というすぐれた文献がのこっている。
春先は食物が乏しくなるので、葛、蕨、ほどところ、こびほがなどの根をほってたべ、また草木の葉をこいで命をつなぐ。だから春をきらい、秋を喜ぶ。この地もまた春窮の民だったのである。衣類も粗末なものでたいていは太布を着ている。楮の茎皮繊維で織ったものである。それで一年中を通しており、冬はかもしかの皮を背にまとい、夜はいろりの火を背をあぶって夜をいろりの火に背をあぶって夜をあかす。

食うものはいたって粗末で家々に鉄砲はあるが、獣をとることは少なく、むしろ伊予から檜を盗伐に来る者をおどすためにもっているといってよく、多くは川魚のアメやハエをとって食べている。また米がないから餅はつかず五節句もない。12月26日ごろになると、家では豆腐を作る。正月中はたべる田楽豆腐である。ただ、餅のかわりに稗団子を作る。
門松もたてずいたって簡素だが一般に長寿で80−90歳の人はめずらしくなく、100歳を超えなければこの地では長寿といわない。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=294143
 

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