<■370行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可> 雑記帳 2025年04月13日 台湾沖で発見されたデニソワ人の下顎骨 https://sicambre.seesaa.net/article/202504article_13.html 台湾沖で発見された人類遺骸のプロテオーム解析結果を報告した研究(Tsutaya et al., 2025)が報道されました。日本語の解説記事もあります。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、台湾本島と澎湖諸島の間の水深60m〜120mの海域で、他の脊椎動物とともに漁網にかかって発見された、「澎湖1号(Penghu 1)」と呼ばれているホモ属の下顎骨[26]を、プロテオーム解析に基づき、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)と同定しています。デニソワ人は、現生人類(Homo sapiens)やネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)とは遺伝的に異なるホモ属の分類群で、現生人類よりもネアンデルタール人の方と近縁です[8、11]。 デニソワ人は元々、シベリア南部のアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見された指骨断片から遺伝学的に特定されましたが[8]、デニソワ人の現代人への遺伝的影響は、オセアニア[16]やアジア南東部島嶼部の一部の集団[15]でとくに高いことから、デニソワ人がユーラシア南東部、さらにはオセアニアにまで拡散した可能性も指摘されていました[14]。これまで、分子生物学的にデニソワ人と同定された人類遺骸は、デニソワ洞窟以外では、チベット高原[18]でしか確認されておらず、いずれも寒冷な地域でした。チベット高原のデニソワ人遺骸は、中華人民共和国甘粛省甘南チベット族自治州夏河(Xiahe)県のチベット高原北東端の海抜3280mに位置する白石崖溶洞(Baishiya Karst Cave)で発見されました。 しかし、ラオスのフアパン(Huà Pan)県に位置するタム・グ・ハオ2(Tam Ngu Hao 2、略してTNH2)で発見された、164000〜131000年前頃と推定されている人類の歯(TNH2-1)が形態に基づいてデニソワ人と分類されており[21]、デニソワ人がより温暖湿潤な地域にも分布していた可能性は高い、と考えていた人は多かったでしょう。本論文は、デニソワ人がアジア東部南方にまで分布していたことを示し、デニソワ人が気候の異なる広範な地域に分布していたことを確証しています。デニソワ人は、寒冷なアルタイ山脈から、より温暖湿潤と思われるアジア東部南方やアジア南東部にまで分布していたことがほぼ確実な人類集団で、チベット高原のような高地での存在も確認されていますから[18〜20]、ネアンデルタール人よりも多様な生態系に適応していた可能性も考えられ、今後の研究の進展が注目されます。 なお、タンパク質の略称は、AMBN(ameloblastin、アメロブラスチン)、COL1A2{collagen α-2(I) chain、コラーゲンα-2(I)鎖}、COL11A1{collagen α-1(XI) chain、コラーゲンα-1(XI)鎖}、COL2A1{collagen α-1(II) chain、コラーゲンα-1(II)鎖}、COL5A2{collagen α-2(V) chain、コラーゲンα-2(V)鎖}、AMEL(amelogenin、アメロゲニン)、アメロゲニンのYアイソフォーム(AMELY)です。以下は本論文の日本語訳ですが、この記事の最後に「私見」の項目で再度、本論文で提示された知見を踏まえつつ、デニソワ人について現時点で考えていることをより詳しくまとめます。 ●要約
デニソワ人は、シベリア南部の中期〜後期更新世の古代ゲノムによって定義される絶滅人類集団です。ゲノムの証拠はデニソワ人のアジア東部とおそらくはオセアニアにわたる広範な分布を示唆していますが、これまで、アルタイとチベットからのごく少数の化石しか、デニソワ人と分子的に同定されていません。本論文は古代のタンパク質解析によって、台湾の人類下顎骨である澎湖1号(7万〜1万年前頃、もしくは19万〜13万年前頃)が男性のデニソワ人に属すると、と同定しました。4241点のアミノ酸残基が回収され、2点の2点のデニソワ人固有の多様体が特定されました。デニソワ人化石の標本の増加は、温暖湿潤地域を含めてそのより広範な分布や、姉妹集団であるネアンデルタール人とは著しく対照的な、独特で頑丈な歯顎形質を論証しています。 ●研究史
化石標本の最近の発見と再分析は、分子技術および新たな年代測定手法の適用とともに、現生人類の到来前の、中期〜後期更新世のアジア東部における古代型人類【絶滅人類、非現生人類ホモ属】の予期せぬ多様性を明らかにしてきました[3]。「デニソワ人」の同定は、そうした進歩の重要な一例です。デニソワ人はシベリア南部のアルタイ山脈のデニソワ洞窟から発掘された断片的な骨と歯のDNA解析によって、ネアンデルタール人および現生人類とは異なる人類集団と認識されました(4〜6、8)。デニソワ人はその核ゲノムから、ネアンデルタール人との姉妹群としての独自のクレード(単系統群)を形成した、と示されており、この2クレード【デニソワ人とネアンデルタール人】間のゲノムの分岐は40万年以上前に起きた、と計算されています(本論文はこの【2クレードのうちネアンデルタール人ではない方の】クレードの全構成員をデニソワ人と呼びます)[9、10]。遺伝学的証拠は、デニソワ人と現生人類とネアンデルタール人との間の遺伝子流動も示唆しています(8〜11)。現代人集団における遺伝子移入されたデニソワ人のDNAに関する研究は、アジア東部大陸部とおそらくはアジア南東部島嶼部の一部にわたりかつて広範囲に分布していた[12〜17]、複数のゲノムの異なるデニソワ人集団の存在を示唆しています。 しかし、デニソワ洞窟以外では、デニソワ人の直接的な分枝証拠は、チベット高原の1ヶ所の遺跡のみで見つかっています(図1)。甘粛省の夏河県の白石崖溶洞では、下顎骨1点(夏河1号)[18]と肋骨1点(夏河2号)[19]がそのタンパク質配列に基づいてデニソワ人と同定されました。さらに、デニソワ人のミトコンドリアDNA(mtDNA)が、白石崖溶洞の堆積物で見つかりました[20]。たとえば、中国北東部のハルビンや中国北部の許家窯(Xujiayao)遺跡や中国中央部の河南省許昌市(Xuchang)の霊井(Lingjing)遺跡やラオスのTNH2といった、アジア東部の他の化石が、その形態もしくは間接的な遺伝学的推測に基づいて、他のデニソワ人候補として示唆されてきました(図1)[21、23]。しかし、直接的な古代の生体分子がないので、これらの帰属は暫定的なままです[3、7]。これは、今までデニソワ人が分子的に定義されているからで、デニソワ人の頭蓋歯形態について現時点で限られた情報しか利用可能ではないためでもあります[8、18、23、25]。以下は本論文の図1です。 画像 したがって、デニソワ人の可能性がある標本からの確実なデニソワ人特有の分子識別特性の回収は、アジア東部におけるデニソワ人の人口構造および地理的分布、および形態や差異や進化をより適切に特徴づけるためにはきわめて重要です。本論文は、台湾の澎湖水道から発見された古代型人類の下顎骨(澎湖1号、NMNS006655、F051911)[26]が男性のデニソワ人個体に属する、と示す古プロテオームの証拠を提示します。 澎湖1号と多くの動物標本を含む澎湖骨格遺骸は、商業漁業と関連する浚渫活動中に、海底(台湾の西岸から25km離れた水深60〜120m)から収集されました[26]。この地域は、更新世の海面低下期にはアジア本土の一部でした(図1)。澎湖1号は45万年前以降と年代測定されており、最も可能性が高い年代範囲は、微量元素含有量と生物層序学的敵証拠と過去の海水準変化によると、7万〜1万年前頃か、19万〜13万年前頃です[26]。海水のウランの影響のため、澎湖1号の直接的なウラン年代測定が失敗したのに対して、低い窒素濃度から、放射性炭素年代測定に不充分なコラーゲンが示唆されました[26]。澎湖1号からDNAを抽出する以前の試みはこれまで失敗しましたが、夏河1号下顎骨との形態学的類似性から、澎湖1号もデニソワ人の下顎骨かもしれない、と示唆されています[18]。 ●プロテオーム配列の回収
澎湖1号の処理の前に、澎湖1号への損傷を最小限にするために、同じ場所の動物標本を用いて、標本調整法が最適化されました。動物の骨と象牙質とエナメル質から、それぞれ約5mgの内在性タンパク質の回収に成功しました。下顎骨と歯のエナメル質は、保存されているタンパク質特性がより豊富で良好なので、抽出に最も有望な組織と特定されました。LC–MS/MS(liquid chromatography coupled with tandem mass spectrometry、液体色層縦列質量分光法)を使用し、44回の測定活動を通じて、13回の異なるタンパク質抽出および酵素選択が検証されました。動物標本の分析から得られた結果に基づいて、(1)酵素を伴わない手法[29]と、(2)ミネラル除去剤を除かずに、3種の異なるエンドプロテアーゼのある酵素を含んだ作業の流れの組み合わせによって、澎湖1号が処理されました。 この戦略で、ケラチンなど典型的な現代の汚染タンパク質の除外外に、澎湖1号の51点のプロテオームから4241点のアミノ酸残基が特定されました。澎湖1号では、回収されたすべての残基の52.3%(4241点のうち2216点)が単一の作業の流れのみで回収されました。回収された全ての残基のうち、83.6%(3546点)が澎湖1号の下顎骨の内部から穴を開けて採取された25mgの骨粉に由来したのに対して、16.4%(695点)は第二大臼歯の微小破壊的に酸処理されたエナメル質表面に由来しました。これらのプロテオームは、夏河2号の肋骨(4597点のアミノ酸残基)[18]、ジョージア(グルジア)のドマニシ(Dmanisi)遺跡のサイ科のステファノリヌス属(Stephanorhinus)化石(875点のアミノ酸残基)[29]、中国の吹風(Chuifeng)洞窟で発見されたギガントピテクス・ブラッキー(Gigantopithecus blacki)の化石(456点のアミノ酸残基)[34]など、更新世化石から報告されている高品質なプロテオームに匹敵します。澎湖1号のプロテオームは、コラーゲンやアメロゲニンやエナメリンやα-2-HS糖タンパク質など、骨もしくはエナメル質組織で通常見つかるタンパク質から構成されています。生体分子の分解と正に相関する代理である、特定されたタンパク質一式の平均脱アミド化率[34]は、1点の標本で特定された20点以上のアスパラギンおよびグルタミンの残基のある全ての測定で、83%を超えています。これらの結果は、回収された人類のプロテオームの確実性を裏づけます。 ●澎湖1号はデニソワ人に属します
澎湖1号で回収された51点のタンパク質から得られた4241点のアミノ酸残基のうち、5点のタンパク質から得られた差異の5ヶ所の部位は、デニソワ人に特有か、系統発生的に関連する変異でした(表1)。デニソワ人と関連する2点の派生的なアミノ酸配列多様体が、澎湖1号のAMBN(M273V)とCOL1A2(R996K)で特定され、ペプチドの深度はそれぞれ17と28でした(表1、図2)。AMBNとCOL1A2の両方で、澎湖1号の本論文のデータセットにおいて、かなりの配列網羅率(それぞれ、35.8%と67.7%)がありました(図2A・B)。AMBN(M273V)のデニソワ人型多様体は、ほとんどの現代人において対応するSNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)のアレル(rs564905233)では頻度が1%未満ですが、フィリピン人では21.22%(104個体)の頻度です[35]。遺伝学的証拠は、フィリピンがデニソワ人からの遺伝子移入の地域の一つであることを示唆しています。COL1A2(R996K)の派生的な多様体はこれまで、澎湖1号と夏河1号と夏河2号とデニソワ3号でしか見つかっていません。以下は本論文の図2です。 画像 最尤法とベイズ手法を用いて構築された系統樹は同一でした。これらの系統樹は、現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人と大型類人猿の間の系統発生的関係を正確に反映しています(図3)。澎湖1号は利用可能である充分な参照ゲノム配列のある唯一のデニソワ人個体であるデニソワ3号とクラスタ化します(まとまります)。デニソワ人特有の多様体と全体的な系統発生の結果は、澎湖1号がデニソワ人の下顎骨であることを確証します。以下は本論文の図3です。 画像 ●さらなるタンパク質配列の差異
COL5A2とCOL2A1における派生的多様体は、特定のデニソワ人個体に固有です(表1)。COL5A2(E1211V)の多様体は澎湖1号に特有で、これまでに配列決定された他の人類個体では見つかっていません。澎湖1号におけるこの部位は、派生的(V)および一般的(E)両方の残基を6点と3点のペプチドの深度で示しており、異型接合状態が示唆されます。先行研究では、異型接合のペプチドの組み合わせはショットガンプロテオミクスで容易に検出でき、化石標本でさえ検出可能である、と示されました。夏河1号[18]に存在するCOL2A1(E583G)の派生的多様体は澎湖1号や夏河2号や他の人類および類人猿の個体群では観察されず、それは、これらの全個体がその部位ではEの多様体を有していたからです(表1)。 調査対象の古代型人類において、澎湖1号のみでCOL11A1の多様体が特定され、その深度は2ペプチドです(表1)。この多様体は現代人にも存在し、対応するSNP(P1535S、rs1676486)は地域的な偏りなしに世界的に分布しており、その平均頻度は80.08%です(281988個体)。このSNPの推定される起源は125万年〜156万年以上前です。したがって、澎湖1号におけるこの多様体が現生人類からデニソワ人への遺伝子流動の結果なのか、あるいは人類で共有される祖先的な多型として存在しているのかどうか、明らかではありません。 ●性別は男性です
性染色体上でコードされ、歯のエナメル質のみで発現するAMEL(アメロゲニン)のアイソフォームは、対象個体の遺伝的性別の判定に使用できます。澎湖1号の酸処理された歯のエナメル質から、男性特有の標識であるアメロゲニンのYアイソフォーム(AMELY)が23ヶ所の診断部位のうち11ヶ所の配列網羅率で特定され、その深度は最大で44ペプチドです(図2C)。AMELYに特有のペプチドのみから計算されたAMELYのアミノ酸配列網羅率は、澎湖1号では48.9%でした。この証拠から、澎湖1号は遺伝学的に男性に帰属します。 ●考察
相対的に良好な化石の保存状態と最適化されたタンパク質抽出手法によって可能となった、澎湖1号から得られた高品質な古プロテオームデータは、澎湖1号が男性のデニソワ人に属していたことを示唆します。AMBNとCOL1A2のデニソワ人の多様体における2ヶ所の診断部位は、19点以上のペプチドで網羅されていました(図2A・B)。AMBNのデニソワ人関連多様体は本論文の主張への裏づけを追加し、それは、この部位がデニソワ人標本[18、19]もしくは暫定的なデニソワ人標本[21]の以前のプロテオーム研究で観察されなかったからです。プロテオーム組成は組織で異なり、タンパク質配列の差異の発生はDNAより低いので、2点の系統発生的に情報をもたらす残基でさえ、一般的に確実な裏づけを提供します。異なる二つの手法両方の使用によって構築された系統樹は、澎湖1号がデニソワ3号とクラスタ化することを示唆しました(図3)。さらに、11ヶ所のAMELY特有の部位が澎湖1号の最大深度44のペプチドで網羅されており、澎湖1号標本が男性であることを示唆しています(図2C)。 これらの調査結果は、アジア東部大陸部における中期〜後期更新世の古代型人類への洞察を提供します。第一に、澎湖1号は直接的な分子証拠のあるデニソワ人の既知の地理的範囲を拡大します。澎湖1号はデニソワ洞窟から南東約4000km、【チベット高原の】夏河の南東約2000kmに位置しています(図1)。デニソワ人の科学としての澎湖1号の同定は、デニソワ人がアジア東部に広範に分布していた、との現代人のゲノム研究からの推測を確証します。長く寒い冬(デニソワ洞窟、北緯51度)から、高い標高(海抜3280m)と関連する高山の亜北極気候(夏河、北緯35度)や、低緯度(澎湖、北緯23度)のより温暖湿潤な気候まで、多様な気候地理および気候地帯におけるデニソワ人の存在は、その適応的柔軟性を論証します[19]。低い海水準の氷期における台湾の古気候は現在より寒冷だったものの、以前の元素分析は澎湖1号とアジアスイギュウ属(Bubalus)のほぼ同時の出現を示しました[26]。アジアスイギュウ属は現在のアジア南東部の代表的な動物で、シベリア南部およびチベット高原とは対照的な環境を示唆しています。そうした環境は、最近のモデル模擬実験[44]によって推定された、デニソワ人の選好する生息地と一致します。 第二に、澎湖1号の追加の分子証拠によって、今や歯のある2点の下顎骨(夏河1号と澎湖1号)と2点の大臼歯(デニソワ4号および8号)があり、これらからデニソワ人の形態学的特徴に関する確実な考察が可能となります。まとめると、これらの化石から、デニソワ人には、厚いものの低い下顎体、広い前歯弓状部、大きなサイズの歯(とくに大臼歯で明らかです)、分枝傾向のある頑丈な小臼歯根、第一大臼歯(M₁)根より長くて頑丈な第二大臼歯(M₂)根、M₂の近位と遠位の歯根の頬側面の間の独特である余分な歯根、第三大臼歯(M₃)の無形成傾向(これらの遊離した歯が第三大臼歯ではなく第二大臼歯を表しているならば、澎湖1号と夏河1号だけではなく、デニソワ4号および8号もこの傾向を示します)がある、と示唆されます[8、18、25、26]。既存の人類化石のうち、駐車場東部の安徽省馬鞍山市(Ma'anshan)の和県(Hexian)で発見された下顎と歯は、これらの特徴の殆ど若しくは全てを示しており[26]、この遺跡から発見された頭蓋および歯顎遺骸もデニソワ人クレード(単系統群)に属している、と示唆されます(しかし、異なる解釈もあります)。デニソワ人化石で見られるこれらの特徴は、DNAメチル化パターン[23]によると、再構築されたデニソワ人の骨格形態とは異なっており、これが示唆するのは、下顎突出と顆状の大きさと下顎前方の幅および高さが現代人より大きいか、ネアンデルタール人と匹敵する、ということです。しかし、この再構築は、デニソワ人の下顎がまだ発見されていないデニソワ洞窟からのゲノムデータに由来します。 第三に、分子的に性別判定されたデニソワ人化石には今や、デニソワ洞窟の巨大な大臼歯2点(デニソワ4号および8号)[25]と本論文の頑丈な澎湖1号が含まれ、すべて男性と特定されました。これは、頑丈な特徴が男性の性別に起因するのかどうか、一方で、形態学的に女性と性別判定されている中国北東部の金牛山(Jinniushan)遺跡個体など、より華奢な歯顎の特徴のある一部の他のアジアの化石はデニソワ人の女性を表しているかもしれないのか、という問題を提起します。しかし、この問題の解決には、分子情報のあるより多くの化石が必要です。 これらの不確実性は置くとして、今や明らかなのは、対照的な人類の2集団、つまり、高いものの華奢な下顎のある小さな歯のネアンデルタール人と、低いものの頑丈な下顎のある大きな歯のデニソワ人(人口集団もしくは男性の特徴として)が、ユーラシアの中期更新世後期から後期更新世初期に共存していたことです。後者【デニソワ人】の形態はアフリカとユーラシアの前期更新世後期から中期更新世初期の化石では稀か存在しないので、以前に示唆されたように[25]祖先的な保持ではなく、おそらくはデニソワ人クレードにおいて、40万年以上前のネアンデルタール人からの遺伝的分離[9、10]後に発達したか強化されました。ホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)やホモ・ルゾネンシス(Homo luzonensis)[49]といったアジア南東部島嶼部やホモ・ナレディ(Homo naledi)[50]といった南アフリカ共和国からの最近の発見は、ホモ属の多様な進化を浮き彫りにしており、現生人類につながる系統とは対照的です。デニソワ人の歯顎形態は、ホモ属で起きた別のそうした独特な進化として解釈できます。 ●私見
以上、本論文についてざっと見てきました。本論文はプロテオーム解析によって、台湾沖で発見されたホモ属の下顎(澎湖1号)がデニソワ人系統の男性であることを示しました。夏河1号と澎湖1号との形態の類似性は以前から指摘されており[3]、歯根の本数からも澎湖1号がデニソワ人系統である可能性は提示されていたので(Bailey et al., 2019、Scott et al., 2020、Bailey et al., 2020)、私も含めて(関連記事)澎湖1号がデニソワ人系統に属する可能性を想定していた人は多かったのではないか、と思います。その意味で、本論文の結論自体に驚く人は少ないかもしれませんが、じっさいにプロテオーム解析に成功して証明したことは画期的と思います。 本論文の意義として挙げられるのは、デニソワ人はこれまで、断片的な人類遺骸からの高品質なゲノムデータ[5]によって遺伝学的情報が豊富だったものの、形態学的情報が不足していた状況を、下顎骨の澎湖1号をデニソワ人系統と示したことで、大きく改善したことです。これによって、デニソワ人系統の可能性が想定されながら、デニソワ人系統と分類することが難しかった非現生人類ホモ属遺骸を、より高い確実性でデニソワ人系統に位置づけることが可能となります。とはいえ、形態のみから後期ホモ属の系統関係を論じることには慎重でなければならないとは思います。また本論文は、人類進化研究におけるプロテオーム解析の重要性を改めて示した点でも注目されます。プロテオーム解析はDNA解析よりも得られる遺伝的情報がずっと少ないとはいえ、時空間的に適用可能な範囲はずっと広いでしょうから[29、34]、今後も人類進化史の解明でプロテオーム解析の果たす役割には大いに期待しています。 本論文によって、デニソワ人が寒冷なアルタイ山脈やチベット高原だけではなく、比較的温暖湿潤だったと思われる地域にも分布していた可能性はきわめて高い、と示され、デニソワ人の環境適応能力が改めて注目されます。ラオスで発見されたTNH2もデニソワ人である可能性が高そうですから[21]、デニソワ人は寒冷な環境や海抜2500m以上の高地や比較的温暖湿潤と思われる地域にも拡散していたわけで、ネアンデルタール人よりも多様な生態系に適応していた可能性も考えられます。デニソワ人よりもネアンデルタール人の方がずっと研究は進んでいるわけですが、本論文によってデニソワ人の形態学的情報が増えたことで、今後はデニソワ人の研究がこれまで以上に進むことも期待されます。最近、中華人民共和国河北省張家口市陽原県の許家窯(Xujiayao)遺跡で発見された中期更新世のホモ属遺骸の形態学的分析から、この許家窯個体はデニソワ人系統である可能性が指摘されています(Zhang et al., 2024)。この許家窯個体には部分的な下顎も残っているので、澎湖1号との比較が注目されます。 本論文は、頑丈な下顎や大きな大臼歯がデニソワ人系統に共通する特徴である可能性を示しています。ただ、すでに古代ゲノム研究において、デニソワ人が複数の系統に分岐していき、異なる現代人集団の祖先集団と交雑した可能性が指摘されており[14]、そうした研究でも推測されていたように、デニソワ人はシベリア南部からチベット高原やアジア東部南方やアジア南東部まで広範囲に分布していたようなので、デニソワ人系統は全体的に多様な形態だった可能性が高そうです。本論文で指摘されているように、澎湖1号も含めて、デニソワ人系統と考えられる断片的ではない人類遺骸は、デニソワ洞窟で発見され、高品質なゲノムデータが得られている、デニソワ人の1個体であるデニソワ3号[6]のDNAメチル化パターンから再構築されたデニソワ人の骨格形態[23]とは異なるところがあります。これは、デニソワ人系統が分岐し、異なる生態系の環境に広く拡散していき、多様化していったことを反映しているのかもしれません。 上述のように、デニソワ人は複数の系統に分岐していき、異なる現代人集団の祖先集団と交雑した可能性が指摘されており[14]、澎湖1号はその地理的位置から、76200〜51600年前頃のデニソワ3号の高品質なゲノムデータ[5]によって表されるアルタイ山脈のデニソワ人集団よりも、パプア人の祖先集団[16]やアジア南東部島嶼部の一部の集団[15]と交雑したデニソワ人集団の方と遺伝的に近いかもしれません。現代のパプア人[16]やアジア南東部島嶼部の一部の集団[15]のゲノムには、他地域の現代人集団よりもずっと多い割合のデニソワ人由来と考えられる領域があります。ただ、澎湖1号やデニソワ人の可能性が高そうなTNH2[21]は、その発見場所からDNA解析は難しそうなので、この仮説を証明することはできないでしょう。 そこで注目されるのは、チベット高原のデニソワ人集団です。チベット高原北東端の海抜3280mに位置する白石崖溶洞では、堆積物からデニソワ人系統のmtDNAが確認されています[20]。堆積物からmtDNAが解析されているため、白石崖溶洞はデニソワ洞窟ほどではないかもしれないとしても、DNAの保存に適した環境と考えられるので、断片的でも人類遺骸が確認されれば、比較的高品質なゲノムデータが得られる可能性は低くないように思います。チベット高原のデニソワ人集団が、分岐して多様化していったと考えられるデニソワ人集団[14]のどの系統と遺伝的に近いのか、現時点では不明ですが、高品質なゲノムデータ[5]によって表されるアルタイ山脈のデニソワ人集団よりも、パプア人の祖先集団やアジア東部現代人の祖先集団と交雑したデニソワ人集団の方に近い可能性も考えられます。また、堆積物のmtDNA解析[20]から、チベット高原のデニソワ人集団において人口置換が生じた可能性も考えられ、チベット高原には複数系統のデニソワ人集団が存在したかもしれません。チベット高原では、45000年前頃以降にデニソワ人と現生人類が共存していたかもしれない点でも注目されます[19]。 本論文は、ユーラシア東部圏における非現生人類ホモ属の具体的様相の一端を示しています。ユーラシア東部圏における、デニソワ人系統も含めて非現生人類ホモ属多様性や、そうした非現生人類ホモ属と拡散してきた現生人類との関係の解明に、澎湖1号は寄与できるでしょう。澎湖1号の年代は19万〜13万年前頃もしくは7万〜1万年前頃で[26]、7万〜1万年前頃ならば、現生人類と共存していた可能性も考えられます。アジア東部現代人集団にもわずかながらデニソワ人系統由来のゲノム領域があり、それはパプア人の祖先集団と交雑したデニソワ人とは異なる系統と推測されていますが[14]、澎湖1号はそうしたデニソワ人系統と遺伝的に比較的近い集団を表しているかもしれません。 https://sicambre.seesaa.net/article/202504article_13.html
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