http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/485.html
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>縄文人の自然崇拝の宗教観は、田中さんの記事にもあるように、豊かな胸と豊満な下半身を表す土偶 にも地母神信仰的なものとして汲み取れると思います。
土偶については多様な説が唱えられており、地母神説は最もそれらしい説ですね。
地母神説:「 土偶が表していた母神とは、人間の生活に必要なすべてのものを、生み出してくれる母なる大地を神格化した、大地母神だった。作物を栽培することが始まると、人間は、その作物を自分の体にほかならぬ地面から生え出させてくれる地母神に対して、よりいっそう強い信仰をもつようになる。それで里芋などの栽培を始めた縄文時代の中期の人々は、その地母神である土偶をそれまでよりもずっとたくさん作るようになり、いろいろな工夫をして入念に作るようになった。」 (吉田敦彦)
つまり、増殖のシンボルとして女性・女神をイメージしつつ、根源的な生命力を素朴に、しかし力強く表現したものとして土偶をとらえているわけです。しかし現代でも、人形は観賞用・愛玩用に限らず、祭り・儀式で用いられたり、「呪いのわら人形」といった呪術的用途も消えたわけではなく、実に多様な目的で用いられます。縄文期も決して一様な文化が長期にわたり停滞していたのでないことは明らかで、土偶も時代・地域によって用途がさまざまだった可能性もあります。したがって
梅原猛説: 土偶は妊娠中に死にいたり、無念にも子どもを出産できなかった妊婦の無念を晴らし、同時に生をうけることなく死んでいった胎児をあの世に正しく送り返すための儀礼である。
呪術説:のちのヒトガタ(人形)のように人の代用品として、病気の治癒や呪いのために用いられた。
などの説も十分ありうると思いますし、逆に一つで土偶すべてを統一的に説明できる説も出てこないのではないかと思っています。最後に、以前の投稿の繰り返しになりますが、小林達夫の魅力的な説を紹介します。
>土偶を女性と決め付けて少しも疑いをいれない大方の先入観からまず開放される必要がある。乳房の 表現を、女性の象徴とだけ考えてはならない。・・・大きくて豊かな乳房の表現は、山形土偶や遮光 器土偶の中でもその一部の型式に見られるにすぎず、けっして多数派ではない。・・・
>したがって土偶は女性でも男性でもなく、また縄文人が己れの形を写したものでもなく、おそらくは 性を超越した存在のイメージ、すなわち何らかの精霊の仮の姿、と見られるのである。さればこそ、最古の土偶をはじめとする多くの土偶が、いかにも曖昧な形をとるのである。それは、もともとヒト形の必然性がなかったからであり、ヒト形に似たのは縄文人の考えあぐねた末の苦肉の表現なのである。
顔の表情を具象的に表現するだけの技術は持っていた(火焔土器の高度な技術を見ても明らか)にもかかわらず、なぜ土偶の顔はかくも曖昧なのか、この説はそれに対する答えとして、核心に迫っていると思われませんか。少なくとも初期の土偶は、「まさに現象世界の背後に直観した不可視の精霊のイメージを、彼らなりに、精一杯、形而下の世界へと持ち帰った結果」だと思えてしかたないのです。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=13714
土偶の正体
先日、新潟県の笹山遺跡で、縄文研究の第一人者小林達雄先生にお会いしました!
縄文に興味を持って縄文のお祭りに行くと、驚くことに初対面の人と突然、縄文話ができてしまいます。
縄文好きが集まる縄文イベントでは、小林先生のような素敵な方にも突然、会えたりするんですね。
そして、お互いが縄文に熱烈に興味があるのを肌で感じると、突然に心が通じ合ったりするのです。
私は意を決して聞いてみました。
「先生、土偶って一体、何なんですか?」
私が聞くと、小林先生は言いました。
「土偶に関しては、最近一つの報告書にまとめたものがあるから、送りましょう! 私の意見は他の人と違うことが多いんだけどね。まあ、送ります!」
こんなありがたいお言葉をちょうだいして数日後、小林先生の「私説縄文土偶論控え」(2010年刊行 坪井清足先生卒寿記念論集〜理文行政と研究のはざまで〜下巻所収)が届いたのでした。
土偶は、謎が多い遺物です。
土偶は完全な形で発見されることはめったになく、初期の土偶には顔がありません。
乳房があり、お腹がふくよかな土偶が出土したことから、妊娠中の女性を表しているのではないか?
という説があり、私はそれを信じていました。
しかし、土偶の持つ意味はそれで完了するのでしょうか?
考えれば考えるほど、土偶というものは訳がわからなくなってきます。
「土偶とは一体、何なのか。」
小林先生の研究論文は、それまでの私の考えを根底からくつがえすものであり、読んだ私は腰が抜けそうになったのでした。
以下、小林達雄 「私説縄文土偶論控え」より抜粋します。
「土偶は一べつする、とヒト形に見えるものの、決してヒトを表現したものではなかったのだ。むしろ、
作者の縄文人がそれ以外の適切な形を発見することができないままに、やむを得ず創り出した苦肉の策なのである。」
ヒ、ヒトじゃない…!?
先生は続けます。
「妊娠土偶と呼ぶのも、色香に迷った一方的な思い過ごしであり、平成心を保った上での判断とは言えない。」
「さりとて土偶は男性でもない。」
では、いったい…?
「つまり、土偶は女性でも男性でもなく、縄文人がヒトとして己が身を写したものではない。おそらくはヒトとは別の存在のイメージだった蓋然性が高いのだ。
それこそは、他でもない、何かしらの縄文人の観念世界に跳梁跋扈する精霊の仮りの姿だったのである。
縄文世界に初めて登場した最古の土偶が、ヒトには不可欠な頭や顔のない形態から出発して頑なに中期まで維持し続けた不思議な理由もここに潜んでいる。」
顔のある中期以降の土偶に関して小林先生は、
「目に見えぬ精霊を可視化しようとする努力が、中期以降にはその禁欲を破って顔表現に踏み切った」と判断されています。
そして、「弥生時代に入ると土偶はたちまち日本列島から姿を消してゆく。土偶とは別の世界のはじまりであり、
新しい歴史の開幕である。」と言うのでした。
精霊の、跳梁跋扈していた縄文時代。土偶がその精霊を形にしたものだとしたら、縄文人は精霊の声を聞き、その精霊の姿を私たちに伝えようとしたのかもしれません。
http://aomori-jomon.jp/essay/?p=3323
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