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中学男子も「ママ風呂」したい 草食男子を生み出す過干渉母の実態
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/457.html
投稿者 中川隆 日時 2014 年 4 月 20 日 11:00:27: 3bF/xW6Ehzs4I
 

 「お風呂は子どもとゆっくり話せるコミュニケーションの時間なので、まだ一緒に入っています」

――子どもの成長に従って強まる性欲。お受験優先で異性やセックスへの興味が封印されると、歪んだ性意識につながる恐れもある。ところが、東大に大量に合格者を輩出するような有名進学校生の母親の中には、息子可愛さのあまり、子どもの健全な性にまで
干渉し抑圧する例が見られる。過酷な受験戦争の中で性欲を無理やり抑えつけられた子どもは、 長じて「セックスの仕方がわからない」とカウンセラーの門を叩く。
草食男子を大量発生させる現代の「母原病」、「お風呂ママ」の実態を追った。


◇勉強部屋ドアを開放
◇6割が射精経験なし
◇SEXの仕方わからない
◇AVが見本に
◇精通を肯定的に
◇「強い性欲、だめ人間」
◇「射精は恥ずかしい」


 主婦の裕子さん(仮名・50)はある日、高3の長男・修君(仮名・18)の部屋を掃除中に、驚きのあまり、思わず叫び声をあげてしまった。俗に『オナホール』と呼ばれる自慰用のシリコングッズを見つけたからだ。

 最初はなんなのか分からなかった。手に取って眺め、女性のアソコの形だと気づくと、思わず、「ギャー!」と叫んでしまった。

 「あまりのキモチわるさに鳥肌が立ちました。まさかうちの子が、ってショックでしたね。
しかも大学受験の追い込み中で、こっちは必死にサポートしているのに、
隠れてこんなもので時間を無駄にしているのかと思ったら、怒りが収まらなくて」

 シリコングッズは即刻捨て、帰宅した修君を叱りつけたそうだ。

勉強部屋ドアを開放

 裕子さんはいわゆるお受験ママだ。修君以下3人の息子の進学先は、ほぼ裕子さんが決めているという。ちなみに修君が通う高校は、偏差値70という私立の有名進学校だ。予備校にも通い、慶応大学を目指していた。

 目に涙を浮かべて謝ったという修君につい同情してしまったが、裕子さんは、これが「性教育」だと言い切る。

 「人に恥じない人間になってほしくて、手間もお金もかけて育てているんです。
肝心な時にエッチな興味を抑えられないなんて情けなくて。放っておけることじゃありません」

 奈美さん(仮名・44)は、長男圭吾君(仮名・17)に勉強部屋のドアをつねに開放することを命じているという。

 「机に向かう息子の様子がリビングから見える状態ですね。
見られているという緊張感で、よけいなことをして時間を無駄にさせないためです」

 「よけいなこと」とは、ずばりネットを見ながらのマスターベーションだ。
勉強にも欠かせないパソコンを取り上げるわけにもいかないので、簡単に視聴できるセックス動画やポルノアニメの誘惑を断ち切らせる策なのだそうだ。

 一時成績がガクッと下がったことがあった。パソコンに卑猥な動画やポルノアニメが
たくさん保存されているのを知り、すぐに削除させたという。

 「男の子の生理は理解していますが、そういうことには頭を使わず浴室やトイレでササッと済ませなさい、と言ったんです。今の忍耐が一生を左右するって本人もわかっているので、不平は出ませんでしたよ」

 圭吾君も、偏差値69の中高一貫有名進学校の生徒だ。来年の大学受験を目指して塾にも通っている。

 激戦の一流大学を目指す受験生の多くは、親や塾から「欲望を捨てろ」「おのれに打ち勝て」と叱咤激励され、異性やセックスへの興味を封印して偏差値と格闘している。社会的に避けて通れない道だが、18歳ごろに性欲がピークを迎えると言われる男子の場合、その抑圧努力は女子の数倍も大きいことだろう。

そのうえ母親から管理されてしまうのでは、性意識が萎縮してもおかしくない・・・
http://astand.asahi.com/webshinsho/asahipub/aera/product/2014041400002.html?iref=com_fbox_d2_01  

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コメント
 
01. 2014年4月20日 21:17:25 : 2D6PkBxKqI

これは高3の時の事です。

11月になっても、志望校にはかなり厳しい成績で、正直精神的にマイっていました。

日曜日、家には母と僕しかいなく、自分の部屋で勉強していました。
それでも昼頃には集中力がなくなり、なんかムラムラしてきました。
トイレに行くため1階に降りると、買い物に行ったのか母はいません。
ムラムラしていたこともあり、私は母の寝室に入り、たんすの引き出しを開けました。

何度か母の下着でオナニーしていたので、どこにあるかはわかっていました。
ティッシュを床に敷き、ズボンを下げると母のパンツを手に取りました。
母の下着の中でも私がお気に入りの黄色のパンツのアソコに当たる場所の臭いを嗅ぎながら、チンポを擦りました。

黒や白のパンツも交互に顔に当てアソコに当たる部分を舐めたりしました。
だんだん気持ち良くなり、イキそうになってきた時、部屋のドアが開きました。
いつの間にか母が帰っていたのです。母はドアのノブを掴んだまま固まっていました。

私は慌ててズボンを上げようとしましたが、どうにも言い訳出来ない状況です。

「なにしているの!」

母の声は震えていました。私はズボンを上げることも出来ずに下を向いて黙っていることしか出来ません。

「まったく何してるの…」

母は部屋に入り、床に置かれた自分のパンツを手に取りました。涙声でしたが、私は見ることが出来ませんでした。

「私の下着でこんなことして…」

「今、大事な時期なのに…」

母の声は独り言のように聞こえました。
私は母の下着でオナニーしているのがばれて、どうしたら良いかわかりませんでした。

「顔あげなさい。なんでこんなことするの?」

母の厳しい声で私は顔を上げました。
やはり母は泣いていました。
私は言い訳のように、ムラムラして勉強に集中出来なくてつい…と話しました。沈黙がすごく長く感じました。チンポを出したまま、正座している自分が情けなかったです。

「これからが大事な時期なのよ。こんな事していたら、大学に受からないでしょう!」

母の言葉にただ頷くばかりでした。

「ベットに座りなさい」

説教されるなと思いながら、股間を手で隠しながらベットに座りました。
なんか母の前でズボンを上げるのも恥ずかしくて出来ませんでした。
母は私の隣に座りました。

「集中して勉強しないと駄目なのよ!」

私は頷くしかありません。しばらくの沈黙の後、母は意を決したように言いました。

「もう、こんな事しないでね。勉強に集中出来るようにお母さんも協力するから」

そういうと私の股間に手を伸ばし、チンポを握りました。
私はびっくりして母を見ました。

「誰にも内緒よ!」

母はチンポを擦りはじめました。
母は顔を背けています。
母は46歳ですが、松方弘樹の元嫁の仁科亜希子に似たなかなかの美人です。

「あ〜あ〜!」

私はすぐにイキそうになり、声が出ました。

「ちょっと、ちょっと待って!」

母はティッシュを取ろうとしましたが、間に合わないと思って、左手でチンポを包みました。

「あっ!」

母の手に大量に射精しました。
なんとも言えない興奮に大量の精子が出て、母の手はどろどろでした。
http://nan-net.com/kinshin/bbs/s/msg/1/BS-5OrE/

受験勉強に集中する代わりに母に手でヌイてもらってから毎日のように要求し、母はイヤイヤながら

「そのかわりちゃんと勉強するのよ」

と言って、やってくれていました。
実際、ヌイてもらうと集中出来るようになり、少しづつですが成績が上がっていったのも、母が断れない理由になっていきました。

日課のようになった母の手コキですが、段々贅沢になり、手だけでは満足出来ないようになっていきました。
いつものように、夜の11時頃、母は部屋に来ました。
私はズボンをさげると、勃起したチンポを母に見せ付けました。

最初恥ずかしかったですが、今はわざと母にチンポを見せ付けるように脱ぎます。チンポを見ても冷静を装う母の姿が逆に興奮します。

母は機械のように手コキを始めました。出来るだけ作業のようにやっているという感じをだしています。
最初の頃はすぐにイッていましたが、だいぶ我慢出来るようになりました。

「早くしなさい」

母は手をいっそう早く動かしだしました。
私はイカないように関係無い事を考えて我慢しました。

「下にお父さんいるから、早くして!」

母は焦りながらチンポを擦ります。

「お母さん、手だとなかなかイカないよ」

「なんで!早くして!」

「口てしてちょうだい」

私の言葉に母はギョッとした顔をしました。

「そんなこと、出来る訳ないでしよ!」

母は顔をしかめ、怒りました。

「でも、手に慣れてきたからなかなかイケないよ!」

「そんなこと言うと、もうしないわよ!」

「お願い!もっと勉強頑張るから」

母は思案しています。
勉強を頑張ると言う言葉に母が弱いことは解っています。

「じゃあ、目をつぶって…」
http://nan-net.com/kinshin/bbs/res/2/BS-5OuX/

「ママ、もう濡れてるんだね」

「そうよ、晋ちゃん。早苗さんが来てくれたときから、ずっと感じっぱなしだったんだもの。きょうの午後、三回もパンティーをはき替えたのよ」

「三回も?」

「このごろは、そういう日が多いわ。晋ちゃんのことを考えるだけで、ママ、とってもエッチな気分になっちゃうの」

「ああ、ママにそんなこと言われたら、ぼく、もう……」

押し寄せてきた射精感を、晋也は必死でこらえた。そのうえでウエストのほうまで右手を差し入れ、パンティーの縁に指をかける。
母が腰を浮かせて協力してくれたため、晋也はあっさりとパンティーを引きおろすことに成功した。足首から抜いた薄布を一瞥してから、そっと枕元に置く。

「ママ、フェラのおかえしをしたいんだ。ちょっとだけ、舐めてもいいだろう?」

「大歓迎だけど、ママ、自信ないわ。あなたに舐められたら、それだけでイッちゃうかもしれない」

「それこそ大歓迎だよ。ママがイッてくれたら、ぼく、最高にしあわせだもん」

言いながら、晋也は体を下方へずらしはじめた。あこがれのふとももに手をやって脚を開かせ、自身はその間に腹這いの姿勢をとる。

「ママ! きれいだよ、ママのここ……」

目の前に展開する光景に、晋也は感嘆の声をあげた。密集した濃いめのヘアに守られるように息づく秘唇は、あふれでた淫水に濡れ、美しいピンク色に輝いていたのである。真理子のものと変わらないほどの、みずみずしさをたたえている。

晋也はベッドに肘をつき、両手の指で秘唇を開いてみた。姿を現わした鮮紅色の肉洞は、晋也の硬いペニスを待ち受けているかのように、ヒクヒクと妖しくうごめいている。

(ここに入るんだな。ぼくの硬いのが、ママのここに……)

軽いめまいを感じながら、晋也は舌を突きだした。お尻に近いほうから秘唇の合わせ目まで、一気にクレバスを舐めあげてみる。

「あっ、ああっ、駄目! 駄目よ、晋ちゃん。ママ、感じすぎちゃう」

母は左右に大きく身をくねらせ、自然に脚を閉じようとした。晋也は頬を母のふとももにはさまれる結果になり、いちだんと激しく欲情する。

(早く入れたい! そうしないと、このまま出ちゃうかもしれない)

そんな危機感を覚えたが、母にも感じてほしいという気持ちのほうが強かった。何度か縦にクレバスを舐めあげたあと、晋也は秘唇の合わせ目を探った。柔らかな包皮がめくれて、クリトリスの芽が直接、舌に触れる。

「晋ちゃん! すごいわ。ママ、ほんとにイッちゃう。ああっ、晋ちゃん!」

まさに一瞬の出来事だった。母はベッドから腰を浮かせ、ガクガクと全身を震わせたのだ。オーガズムに達したことは間違いない。

母の双臀がベッドに落下してきたとき、晋也は大きな喜びに包まれた。愛する母を、絶頂に導くことができたのである。
http://www.france.jp/c/item/77b42a7d-b861-11e1-ac46-12314307403f


[12削除理由]:削除

02. 2014年4月20日 21:25:16 : 2D6PkBxKqI
しかし、日本でも、今から二十年ほど前になりますが、近親姦が絡んでいるのではないかと思われる、非常にセンセーショナルな殺人事件が起きているのです。

川崎市に住む、予備校生の一柳展也が、金属バットを使って両親を惨殺したという事件です。当時、この事件は、過酷な受験戦争の影響による殺人事件として、マスコミで大きく報道されたのですが、ジャーナリストたちが取材をしていくに従って、不可解な点が次々と出てくるのです。

もちろん警察は公式にはそんなことは一言も言っていないのですが、ここに「近親相姦」というキーワードを当てはめてみますと、たくさんの不可解な点が、すべて理解できてしまうのです。

 たとえば、検視官が意味ありげなことを漏らしていたり、殺し方に異常とも言えるほどの残虐さがあったり、あるいは警察の内部情報として、母子相姦の事実が分かって、これを公表するかどうかで非常にもめたという話があったり、その他にも事件に至るまでの家族の動向に、いろいろな不可解な点があったりするのです。

そして、このような謎を解くキーワードとして、母親と息子の間に「近親相姦」があったのだという説が、浮上して来たのです。この近親相姦説は、一部のワイドショーでも取り上げられられたこともあるのですが、しかし、警察が公式的に否定している以上は、この説はあくまでも推測でしかないと言うことになってしまうのです。
http://homepage1.nifty.com/eggs/jitai/incest/3jittai.html


川崎・浪人生金属バット親殺し

【事件概要】

 1980年11月29日、川崎市高津区の住宅で、一柳幹夫さん(46歳)と妻の千恵子さん(46歳)が血まみれで死んでいるのが発見された。翌日になって、犯行を自供し始めたのは一柳さんの次男で浪人生の展也(当時20歳)だった。キャッシュカードから金を引き出したことと、酒をくらっていたことで父親に「出て行け」と言われて、金属バットで両親を殴り殺したという。

【一柳家の人々】

 一柳展也は、父親が東大、兄が早稲田大学理工学部、母親は短大卒というエリート一家に生まれる。家は川崎市高津区にあり、東急田園都市線・宮前平駅から北へ300mほどの高級住宅街の一帯にあった。

 さらにそのルーツをたどっても、父方の祖父は東京商大(現・一橋大)卒で、三菱銀行に入り、都内の支店長を務め、その息子達は東大(展也の父親)、東京教育大(現・筑波大)、慶應大をそれぞれ卒業している。

 父親は東大を出た後、旭硝子に入り、79年には同社東京支店建材担当支店長になっていた。
 妻とは1955年に見合い結婚。だが家庭人としてはわがままなところがあり、小料理屋に通いつめ、月給を使いこんでしまったり、妻に向かって、自分は東大、長男は早大出であることをひけらかし「展也が二浪しているのは、頭の構造が短大しか出ていないお前に似たんだ」と当り散らしたこともあったらしい。

 展也は兄と比べると、やや活発な子どもだった。
 当時は社宅が渋谷区にあったので、区立渋谷小学校、区立青山中学校に進んだ。中学の卒業文集には「いったい3年間、おれは何をしたのだろうか・・・」と書いていた。

 中学時代、展也は母親の財布から1万円を盗んだことがあった。母はこれにすぐ気がつき、息子の目の前で取り上げた1万円札を燃やしたという。
 展也学校の成績は中ぐらい。来たるべき高校受験に向けて、家庭教師を3人つけていた。
「これだけやって早稲田か慶応に入れなかったら、参っちゃうよなあ」
 展也は受験前に友人にそう話していた。しかし早稲田高等学院、慶応高校両方に失敗。合格した東京の私立海城高校、神奈川の桐蔭学園のうち海城高校に進学した。学校での成績は「クラスで5番以内」、「中の上」、「中の下」と進学ごとに下降していった。この年に父親は川崎市宮前平に家を買い、一家は社宅から引っ越している。

 私立海城学園高校1年の時、中間試験の成績が悪いことで父母から勉強態度を叱られた。叱られたことで展也は親を困らせてやろうと1週間ほど家出。都内の祖母のアパートで終日テレビや漫画本を見ていた。帰宅後、反省の色はなく、そのころから次第に無口、無気力になり、学業も怠け始めた。その一方、父や兄のように一流と言われる大学に進学したいという願望も持っていた。


【失敗】

 現役合格はならなかったが、展也は「1浪くらいは・・・」という気持ちでこの1年間の勉強にも真剣さが欠けていた。

 1980年3月、またも受験に失敗した。
「こんな大学を落ちてどうするんだ。大学だけが人生ではないから就職を考えたらどうか」と父に言われた。展也はこの件で父親がエリート意識を持っていることや、父の母への態度などに反発、反抗心を強めていった。

※展也が受験した大学
現役時・・・・早稲田(法・商)、上智、成城、明治学院、中央
1浪後・・・・・早稲田(法・商)、明治、立教、法政

 一浪の時はろくに勉強していなかったのに、なぜか現役時よりも志望大学のレベルを上げていた。これは父の言う”大学”が、それ以外の大学を許さなかったからかもしれない。母親は「受験をあきらめて就職してもいい」、父親は「他にも人生はいろいろある。大学はもうあきらめた方がいいのではないか」と一見ものわかりの良いことを言ったことがあるが、展也は両親の本音を知っていた。

 その後母親が「もう1度チャンスをあげたい」と勧め、ようやく父の許しを得て2浪したが、友人との接触が少なくなって、孤独感に陥り、ついに大学受験に耐えきれず、自信も喪失、劣等感や焦燥感にもかられるようになった。

 1980年、事件のあった年の夏、展也は一人で両親の故郷である山口県・屋代島を訪れている。顔見知りの年下の少年が板前になうと言ってるのを聞いて、帰途、大阪に寄って、うどん屋を見学したりしているが、やはり自分は職人などにはなれないと思いなおし、帰京した。


【爆発】

 1980年11月28日、父親は午前12時前に帰宅した。父親は母と展也を応接間に呼ぶと、キャッシュカードがなくなっていると言い出した。
「キャッシュカードがなくなった。お前だろう。サイフから金がちょくちょくなくなっているが、それもお前だろう」
 父親は声を荒げた。
 展也は父のカードで金を引き出していたので、素直に謝った。だが現金は盗んでいない。それを砦に防戦に努めたが、いつも味方してくれる母も「あんたってダメね」と、その夜は耳をかさず、展也が予備校を休んだことなどを責めたてた。

 父親の怒りは展也が自室に引き上げていったあとも静まらず、もっと厳しく叱っておこうと2階の展也の部屋へあがっていった。ドアを開けると、展也はウイスキーをラッパ飲みしていた。父は逆上して展也を足蹴りし怒鳴りつけた。
「大学も行けないくせに、酒をくらいやがって。お前のようなドロボーを養っておくわけにはいかん。明日にでも、この家を出て行け」

 この時、展也は本当に明日追い出されると思ったという。この不安と怒りが彼に凶行へと向かわせた。父親が部屋を出ていった後もウイスキーを飲みつづけた。父親の方も展也を叱責した後、行きつけの飲み屋で荒れた様子で焼酎のボトルを半分空けて「畜生!あの野郎!」と連発していた。「あの野郎」が展也を指すのかどうか定かではないが、おそらくそうだろう。父親にもかなりの苦悩があったのではないかと思われる。

 日付がかわり29日午前3時、ウイスキーを半分以上あけた展也は金属バットを手に取った。そして寝ていた両親の頭だけを狙って金属バットを5、6回振り下ろした。血しぶきは天井にまで達するほどだったという。

 展也は犯行後、金属バットを風呂場で洗い返り血を浴びた服を着替え、室内を荒らして強盗殺人に見せかけるべく第一発見者を装った。

 自首後、現場検証に立ち会った展也は、凶器の金属バットを探して天井を入りこむ刑事を見上げて、「手袋はしなくていいんですか?」と他人事のように尋ねた。また殺害を再現する時にも、無表情でダミーの頭部に金属バットを振り下ろした。
 展也は留置中、同房の若い窃盗犯と談笑したり、漫画を読んだりして、泣き崩れることは一度もなかったという。

 展也を犯行に駆り立てたのは出来の良い兄と比較される苦しみと、親に見離される悲しみだったと思われる。だが、この家庭内で最も苦しんだのは展也でも父親でもなく母親だったのではないか。事件後、母親が家計簿にしたためたメモには、夫から「お前の育て方が悪い」となじられ続けること、「夫は一言も口を聞いてくれない。壁のよう・・・」「家庭は冷え冷えとしている」「それもこれも私の責任」と自責の念を綴っていたことがわかった。
 子供はかわいい。大学進学に失敗しても、子供はかわいいものである。だからこそ母親は展也をかばい続けた。展也の聞いた母の「あんたってダメね」は、長い間の我慢が一瞬ゆるんで出た言葉だったのではないだろうか。


【裁判】

 1984年1月の検察側の論告求刑によると、展也は次のような日記を綴っていた。

「父母のことを思い出すと、何ともやりきれない思いがする。自分でやったことだからしょうがないと言えばしょうがないが、何とも苦しい。この苦しみからは永遠にのがれることができないのだろうか」

「戦前戦後の苦しい時期に子供時代を過ごし、苦労して子供を育て、マイホームを手に入れ、そしてその子供に殺された。これほど悲惨なことはない。全くおれはどうしようもない」

 同年2月、展也は最終弁論で、「世間を騒がせて申し訳ない。兄や親類には僕と血がつながっていることで絶望的な苦しみを与えた。死んでおわびできるならそうしたい」と涙声で述べた。

 同年4月25日、横浜地裁川崎支部は懲役13年(求刑同18年)の判決を下した。展也は控訴せず、確定した。
http://yabusaka.moo.jp/kinzokubatto.htm


[12削除理由]:削除

03. 2014年4月20日 21:28:59 : 2D6PkBxKqI
258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/10(月) 21:57:26 ID:1wAPU17z
いちりゅう、近親憎悪のきっかけは、母親との道ならぬ近親なんとかだったんだよ
有名な話だよ


259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/12(水) 23:46:24 ID:gaPfdrbu

懐かしい事件だな

宮前平のホームラン王こと一柳展也!

>>258
田原総一朗もそんな本出してたな。
奥田瑛二が展也の兄貴役のノンフィクションドラマがあった。
殺害シーンもすべて展也の供述どおりにリアルに再現されていて、
気の弱い奴なら卒倒するような壮絶な殺害シーンだった。
犯行後も風呂でバットを洗い、屋根裏だかに隠すところも絶句。
あんなドラマ現在の地上波で再放送不可能だろうな。

確か犯行当日、展也の両親の結婚記念日で、展也が1Fに降りてくると
普段別々に寝ているはずの父親の部屋の前に母親のスリッパがあり、
それを見て展也が発狂しそうになっているシーンがあった。
バットで殴打する回数は意外にも母親の方が多い。(裁判記録見てもそう)
絶命してからも布団をかけて頭の原形がなくなるほど殴りまくるからな。

東大卒、旭硝子の最年少支店長のエリート父親からのプレッシャー
を唯一慰めてたのが母親ってことなんだろうな。
そんな母親が憎い父親と仲良くしているってね。

普段はお酒を飲まない母親からアルコールが検出されているし、
展也は案外両親のSEX現場を目撃していたのかも知れないね。
(これは個人的な推測の域)

近所の証言からも超亭主関白だったことが分かるし、起こるべくして
起こってしまった。

1980年だからもう30年も経過したのか。展也は海外青年協力隊でインド在住。
「親を恨むなら自殺でもしてくれたほうがマシ」と答えて早大卒の兄貴が
このスレ見てたりして


265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/10(木) 17:10:35 ID:C1fbYbrt
受験勉強で苦しく悶々としていた時に(親の)夫婦生活を目撃し逆上、で犯行におよんだと報道されていた記憶がある。
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/archives/1116622286/



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