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2014-01-03
熱帯の国は実り豊かだ。東南アジアを旅すると、その豊穣さが分かる。
温暖な気候のために草木が豊穣に生育し、果物がふんだんに取れ、山にはたくさんの動物がいて、湖や川には魚が群れをなして泳ぐ。蝶やトンボが舞い、色とりどりの小鳥が鳴き、木々に大きなトカゲが這う。
食べるものは、目の前に何でもある。野草も食べることができる。小動物も、昆虫も、魚も好きなだけ取って食べることができる。空気も水もとても澄んでいて気持ちが良い。
人々はあくせく働く必要はない。水田も、三期作も三毛作もできる。放っておいても、いくらでも生育する。
ニワトリやアヒルやブタは放し飼いをして、残飯を放っておけばいい。気が向いたら卵を食べることもできるし、鶏を絞めれば肉を食べることもできる。
そうやって人々の生活は回っていて、それが何百年も続いていた。田舎は豊穣で豊かなのだ。ところで、ここで疑問に思わないだろうか?
近代社会になっていきなり貧困の象徴になった田舎
タイのイサーン地方でも、インドネシアの辺境でも、カンボジアの田舎でも、そしてバングラデシュやインドでも、田舎はみんなそうやってうまくやってきた。中国でもそうだ。
何百年も自然と共に生活してきて、まったく何の問題もなかったはずだった。それなのに、「田舎」は、なぜ近代社会になってから貧困の象徴になってしまったのだろうか。
今や、アジアの田舎はどこも貧困にあえぎ、農家はどの国でも貧乏人であると烙印を押されている。
彼らは昔と同じように、今でも自然と共存し、自然に取れるものをいくらでも取って生活できる。それなのに、近代社会になっていきなり貧困の象徴になってしまっている。
飢饉がやって来たわけでもない。疫病が蔓延したわけでもない。外敵が滅ぼしにやってきて戦争が起きているわけでもない。それなのに、アジアのすべての農村が貧困に陥った。
それは、何が原因だったのか。
もちろん、言うまでもなく「資本主義」が村にやって来たからだ。資本主義で作られた工業製品が村に入り込んだのだ。電気が入り込み、テレビが入り込む。
人々は電気代を払わなければならない。そして、テレビを見ながら物欲を刺激され、テレビで売っているいろんな興味深い商品が欲しくなる。
バイクも欲しくなれば、車も欲しくなる。村の生活は豊穣だが、困ったことに唯一、不足しているものがある。それは何だったのか。
現金だった……。
村の生活は豊穣だが、困ったことに唯一、不足しているものがある。それは、現金だった。
人々は借金のために働かなければならなくなる
多くの男たちがまず欲しがるのは運搬用のバイクや車だ。しかし、それは非常に高価なものであり、一括で買えるようなものではない。
そこで多くの人たちはあきらめようとするのだが、資本主義は欲しがる人をあきらめさせるほどヤワではない。分割ローンという手もあれば、借金という手もある。
何かを担保にしてローンを組ませるのだが、その瞬間、村は資本主義に組み入れられて、人々は借金のために働かなければならなくなるのである。
借金は、麻薬のようなものだ。一度、前借りして物を買うと、必ず他にも何か欲しくなる。そして、買う。買うと、忘れた頃に返済日がやって来る。
返せないと担保を取られることになるのだが、担保にしているのはほとんどが自分の土地だ。
そこで、借金が返せないと、自分の田畑や、今まで住んでいた土地を取り上げられて、追い出されることになってしまうのである。
借金を猶予してもらっても、次の返済日には金を返さなければならない。それは大きなプレッシャーになる。今まで自給自足でのんびり生活していた頃とはまったく違う生活だ。
自然の豊穣さはまったく意味がない。金にならないからだ。庭を駆けずり回るニワトリもアヒルもブタも役に立たない。金にならないものは資本主義では意味がない。
そして、多くの「田舎」が資本主義に組み入れられ、収奪され、人々を次々と困窮させていく。
それが便利だと思って取り入れていただけだったが……
ベトナムのメコンデルタは自然が豊穣で、川沿いはほとんどジャングルのようになっている場所がある。
そこに住むベトナム人の村人はみんな豊かな自然の恵みの中で静かに生きてきた。
しかし、メコンデルタも開発されていき、それぞれの村に道路が建設され、電気が入り込み、テレビが見れるようになった。
そして村人は我先に便利な電気を家に引き込み、面白いテレビを見ているうちに、知らずして資本主義に組み込まれる生活になっていった。
カンボジア・プノンペンの売春地帯に放り込まれた貧困女性たちの多くは、このメコンデルタから売り飛ばされてきたベトナムの娘たちだった。
タイの東北地帯(イサーン)でも、似たような経緯を辿って村に電気がやってきてテレビがやってきて、人々は資本主義に組み込まれていった。
そして、村人たちは知らないうちに借金まみれになっていき、やがては娘を売り飛ばすしかなくなってしまった。
現在でも、バンコクやパタヤの売春地帯にいる女性たちの多くは、決まってイサーン出身の女たちである。
本来は、自然の恵みを享受していてとても豊かだったはずの田舎は、そうやって資本主義の中で「貧困」の最前線に仕立て上げられている。
田舎に住む村人たちは、資本主義を強制されたわけではない。
それが便利だと思って取り入れていただけだ。
しかし、それが仇になった。金が足りなくなって、やがて追い立てられる生活になり、破綻して、最後には持っているものをすべて失う。
今でも、世界中で同じことが次々と繰り返し起きている。そして、場末の売春地帯には貧しい女性たちがひしめく。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20140104T0147230900.html
2014-01-04
マイクロファイナンス。希望と悲劇の両方を生み出す仕組み
東南アジアのみならず、多くの農村は無理やり資本主義に組み入れられて貧困にあえぐようになった。(自然の恵みが豊かだった田舎が貧困の象徴になっていく理由)
その貧困は今まで自給自足だった村が道路によって外界とつながり、電気が入り、テレビが入り、家電製品が入り、バイクや車が入り込むことによって起きた現象だった。
資本主義が農村を追い詰める姿は、世界中で起きているのだが、バングラデシュでもインドでも同じだった。
2010年、インドでは女性が次々と自分の身体に火を付けて自殺するという事件が相次いだことがあった。何が起きていたのか。
彼女たちは金を借りて事業をしていたのだが、その事業が失敗して借金だけが残り、たまりかねて自殺をしていたのだった。
彼女たちに金を貸していたのは、誰だったのか。それは、「マイクロファイナンス」の事業者だった。
貧困者に金を貸しつけて資本主義に組み入れる
マイクロファイナンスの概念が有名になったのは、グラミン銀行のムハンマド・ユヌス氏が2006年にノーベル平和賞を取ってからだ。
資本主義に組み入られていない貧困者に金を貸しつけて資本主義に組み入れるのがこのマイクロファイナンスの特徴だ。
グラミン銀行のユヌス氏はバングラデシュだが、このマイクロファイナンスの概念自体は、すでに世界中の多くの国に取り入れられている。
貧しい人々が困難から抜け出すには「元手」がいる。しかし、貧しい人たちに金を貸し付ける銀行はそれまでにはなかった。
だから、貧しい人たちはいつまで経っても、資本主義に「参加」すらできなかった。
しかし、マイクロファイナンスという仕組みは、貧しい人たちにマイクロ(小口)でお金をファイナンス(貸出)し、それを仲間同士で相談・援助・監視させることによって経済活動に取り込む方法を生み出した。
ムハンマド・ユヌス氏はバングラデシュのチッタゴン出身だが、チッタゴンはエビ養殖や農業が盛んな場所である。
バングラデシュの水田は行ってみれば分かるが、どこか日本の田舎の水田地帯の光景と良く似ている場所も多くて、私も息を飲んでそんな光景を見つめたものだった。
その水田を耕すのに工作機械もあれば便利だろう。あるいは、農具も揃っていれば効率が上がる。
しかし、貧しい人たちにファイナンスする銀行がなかったので、効率が上がるはずの農具を買う金がない。収穫が上がらない以上は、そこから抜け出すきっかけすら見つからない。
彼らに必要なのは施しではなく、キャピタル(資金)である。仕事はあるのに資金がない。それで行き詰まっているのである。
だから、目の前の広大に広がる水田やエビ養殖池を見つめながら、ムハンマド・ユヌス氏はマイクロファイナンスのアイデアを得て、それが信念になったのは想像に難くない。
グラミン銀行創設者。ムハマド・ユヌス氏。バングラデシュのチッタゴン出身だった。
その金利が高いのか安いのかと言われると、高い
グラミン銀行の場合は、そのマイクロファイナンスの利息として年利で20%ほどを取っていて、必ず返済させることをモットーにしている。
議論になったのが、マイクロファイナンスが取り立てる20%の金利である。
多くの人がマイクロファイナンスの手法を知ったときに、真っ先に言葉を失ったのもその金利の高さだった。
20%の金利は、ファイナンスの世界では決して珍しいものではない。しかし、借りる側の立場から見て、その金利が高いのか安いのかと言われると、当然「高い」と言うだろう。
少なくとも、貧困者が資本主義に参加するチケットにしては、あまりにも高利である。
それが「高利貸しやサラ金会社がノーベル平和賞を取ったようなものだ」という批判にもつながっている。
批判はともかく、今までになかった概念が試されて、そこから少なからずの貧困者が成功できるのであれば、それは意義あることなのかもしれない。
今のところ、貧困脱出のための手がかりとして提供されるサービスはそれしかないからである。
しかし、その金利に押しつぶされる人が出てきてそれが別の問題を生み出すのも時間の問題だったのだ。その想像は、次々と破綻して死んで行く貧困者の姿で証明された。
グラミン銀行はマイクロファイナンスの理想を具現化する銀行だ。だから週に一度は貸し出しと返済についての相談会や知識の説明を繰り返し行なっており、啓蒙が進んでいる。
これはとても必要な教育だ。
そもそも、資本主義の外部にいた人間には金利の理屈が分からない。理屈が分かっても何パーセントが妥当なのかという計算ができない。
私がねぐらにしていた民家の目の前。バングラデシュの水田の光景。
80%から100%もの暴利をかける銀行も生まれた
なぜだか分からないが、先進国でも金利の概念が身につかない人が多い。資本主義の中にどっぷりと浸って生きていても、金利にまったく無頓着な人が山ほどいる。
先進国でもそうなのだから、貧困国で金融の知識がない人たちにとってはなおさらだ。
それをいいことに、中には貧困者に貸し出して、20%どころか80%から100%もの暴利をかける銀行が生まれてきていた。
メキシコのコンパルタモス社がそうだった。この会社は上場企業になって創業者が莫大な富を得たが、これは貧困者を利用した新しい搾取事業だと断言してもいい。
実態は知らなくても、金利100%と聞いた瞬間に、これは世の中にあり得ないほど恥知らずな事業だと激怒しなくてはならない。存在そのものが許されないビジネスである。
ムハンマド・ユヌス氏の理想とは程遠いものであり、これはマイクロファイナンスというよりも、最も悪質な部類の高利貸しでしかない。非難されて然るべきだろう。
では金利20%のマイクロファイナンスは称賛されて然るべきなのかと言われれば、やはり逡巡してしまう人は多いのではないだろうか。
この世の中に金利20%のファイナンスをして、それ以上の利益を上げられるビジネスというのはそうザラにない。第一次産業であれば、特にそれは厳しいはずだ。
そして、20%の金を借りるのであれば、20%以上の儲けがなければ、遅かれ早かれそのファイナンスは破綻に向かう。これはビジネスを評価する上での基本だ。
貧しい村人に金を貸し付けて何らかの事業を運営してもらう。成功すればいいが、失敗すれば20%の金利に追われることになる。
良いものなのか悪いものなのか評価できない
もし貧困者が従事しているビジネスが年間20%のリターンを生んでいるのであれば、いつまでも貧困者でいるはずがない。
そうでないから貧困者は貧困から抜け出せない。
グラミン銀行側の立場から考えると、貸し倒れ率(すなわちリスク)が通常よりも高いファイナンスだから相対的に20%になるのは理解している。
金利は常にリスクと表裏一体の関係である。だから、金利を見て単純にマイクロファイナンスを批判する人間もまたビジネスの基本を分かっていない。
それはボランティアではないのだから、リスクと照らし合わせてグラミン銀行が20%の金利を設定しても誰も批判できない。
しかし、そこに20%を貸し付ける仕組みそのものがムハンマド・ユヌス氏の理想と裏腹に、常に危ういものを抱えていることも現実としてある。
ちなみに、ここで言う20%とは最高額で20%の計算で、グラミン銀行に限って言うと教育ローン等では5%程度に抑えているという。
私も含め、多くの人が何年経ってもマイクロファイナンスが良いものなのか悪いものなのか評価できないのは、単にその金利の設定が妥当かどうかが理解できないからである。
つまり、マイクロファイナンスの存在の重要性と、金利が生み出す問題を測って、どちらが重いのかがまだ分からない。
結局、高利が多重債務に結びつき、灯油をかぶって自殺しなければならない貧困者も生まれる。
それは事実である。
マイクロファイナンスで金を借りたが事業に失敗して、殺虫剤を飲んで自殺した女性。悲劇があちこちで起きている。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20140104T0329110900.html
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